215週目:Acumen Fellowの最終セッション
今週も連日電話会議と仕事に没頭しつつ、週後半はAcumen FellowのIn-Personセッションのため、ナイロビ郊外で、週の半分を過ごす。
社会起業家やスタートアップの経営メンバーで、大半には子どもや家族がいるなか、セッションが実現できたこと自体が奇跡的で、Acumenチームの尽力には頭が下がる。
振り返りはまた書くとして、フェロー各人が仕事や家庭と両立して、4回にわたるプログラムに参加し続けたことは、決して小さくないコミットメントで、最後の最後までひとりひとりがギリギリの線で戦っていた。
家族が亡くなったり、子どもの面倒をみないといけなくなったり、手術を受けねばならなかったり、政情不安で国外脱出しないといけなかったり、ありとあらゆる出来事をともにしたフェロー同期たちの結束は固い。
本音を語り合う仲間が、ぎりぎりの生活をやりくりしながらする対話には、真実が宿る。
僕自身、睡眠時間数時間で連日追い詰められながら、取り繕いきれない自分と直面させられた。
ベストではないが、確からしい感覚があり、良くも悪くも芯を揺さぶられる。
先進国でフェローになっていたら、全然違った経験になっていただろうと思う。
仕事くらいしかすることがない自分にとっても、この半年間は数か月おきのセッションに時間を取られた。
チームに重要な交渉を任せたり、難しい局面で負担をかけてしまったりしたことも、一度や二度ではない。
Live Dealを追いかけるか、Firefigthingが求められる自分のチームにおいて、自分自身が数時間まして数日間前線を離れることは心理的に抵抗があるものの、むしろチームからは「大丈夫だから行ってこい」と背中を押された。
つかの間の休憩時間や朝の時間、夜の解散後にぎっしり重要な仕事を詰め込んで、睡眠時間もギリギリまで削ってなんとか生き延びる。
言うまでもなく、チームのひとりひとりに背中を任せて、彼らは目覚ましい成果を上げてくれた。
自分にとっては、セッションそのものもとても勉強になったが、実際、仕事の「外」をつくる、という何年もしてこなかったところに目を向ける結果になった。
また、フェロー達との議論においても、バランスや人生を守ることといったテーマで、同様の話は何度も登場した。
色々な方向からストレッチされて、自分の未熟を嫌というほど、痛感した。
晴れてAcumen Fellowを名乗れるのだが、まだまだ人生これからである。