スタンフォード30-33週目:冬学期の振り返り
すっかり遅くなってしまったが、先学期の振り返り。
3月末で第2学期にあたる、Winter Quarterが終了した。スタンフォードはQuarter制なので、新年から6月までがWinterとSpringの2学期に分かれている。1週間強の春休みを経て、そのまま次の学期に突入するので、慌ただしい。
学生生活の感覚を取り戻し、新たな生活の基盤を確立するだけで手いっぱいだった先学期からギアを入れ替えて、今学期は学業と課外活動
恒例の授業の振り返りは以下。
Business of Water:
水ビジネスで有名な法学部の教授による授業(カリフォルニアでは地下水利用などをめぐって、独特の法体系が発達していて、公共財でありながら私的な利用が太宗をしめる水の利用という領域で水専門の弁護士がグローバルに活躍している)。様々な産業で必要とされる水に注目した集中講義。理論的な枠組みを初回で提示したのちは、水インフラの運営事業者、ファンド投資家、農家やデータセンター、水組合、エンジニアリング会社などのあらゆる立場のゲストスピーカーを招いてディスカッションを行う。理論や研究が進んでいないからこそ、当事者の生の声と学生の容赦ない質問がぶつかり合うことで、立体的な授業が生まれている。自分にとっては、水をテーマにして次の仕事をしようと思っているので、一回一回が真剣勝負でとてもよい勉強になった。期末試験にあたるペーパーでは、水と農業をテーマにして、スタートアップを起業するうえでの論点を体系立てて整理した。
①水は公共のアセットであり、利用権や平等性をめぐる議論はステークホルダー全体を見渡して慎重に行わなければならない
②技術革新がほとんど起こっていない。効率改善や新技術の導入は進みつつあるが、あらゆる場所に水インフラが存在することから、一気に更新するというのが難しい
③公営事業や生活飲料水のような領域では、オペレーターのリスク許容度は極めて低い。人命にかかわる可能性もあり、規制は地域レベルで頻繁に更新される。斬新で革命的な技術はかならずしも歓迎されない
④水インフラのアップデートを考える上では、技術革新よりも組織文化の変革の方が、重要なドライバーになりうる
⑤業界内をとりまく一般論として、「水は儲からない」。人々は一般に「水はタダ」だと考えていて、政府も補助金による支援や税金を投入した公共サービスで水を「タダ」状態にしている。結果として、水事業者には利益追求が求められておらず、同時にコストや効率化へのプレッシャーも低い。超長期でのPL改善インパクトがあるにもかかわらず、安全面での懸念や公共事業の現状維持思考も働いて、技術投資が積極的に行われてきていない
⑥水を取り巻くエネルギーの効率化やインフラの老朽化と更新コスト、アセット保有を前提としたPL改善など、少ないながらも面白そうなアングルは存在する。個別の技術と課題をビジネスモデルできっちり詰め切ってから起業しない限り、「水は大切な資源だから」では失敗する
Design for Extreme Affordability:
デザイン思考で知られるd.schoolの伝説的授業。2学期にわたり、異なる学部の学生数名が一つのチームとなって、ベイエリアのNPOをクライアントにしてプロジェクトを実行する。ビジネススクールの学生としては、ストラクチャーをある程度見極め、仮設ベースでスコーピングを切りたくなるところだが、まずは徹底して現場に身を浸し、予断を排してインタビューと実体験を重ねるように教わる。Immersionとよばれるプロセスを経て、少しずつプロジェクトのコアとなる概念、Point of View (POV)やDesign Principles/Constraints、Critical Functionを作成する。社会人の基本動作としては、具体的で整理された提案を持っていきたくなるが、アウトプットはLow FidelityでAccessibleであることを心掛け、「そうじゃないよ」とか「こうした方がいいんじゃないか」という発言をクライアントがしやすいようにすることで、クライアント側の生の声を引き出すように意図する。クライアントはお客様ではなく、Co-Designerであるから、アウトプットはツッコミどころがある方がよい。他方で、情報そのものは徹底的に収集して、Space Saturationと呼ばれる手法で、あちこちにインスピレーションの発端となりうる情報を張り巡らせていき、場所づくりを通じてデザインの確度を高めていく。
Corporations, Finance, and Governance in the Global Economy:
コーポレート・ファイナンスの名物授業。資本コストの初歩的な議論からアクティビスト、インパクト投資、ベンチャー投資やバイアウトなど、多様な側面をスタンフォードGSBが誇る最高のゲストレクチャー陣と一緒に学ぶ。ケースはシングルスペースでぎっしり詰め込まれた5ページだけなのだが、コールドコールがばんばん飛び交う実践的なクラス。コーポレートファイナンスの中核概念として、MM理論をすべての授業で使っていたのが印象的だった。MM理論の前提条件の何が破綻しているのか、その結果として事業の資本構成はどう変わり、Financial StructureとOperating Asset、Governance Structureのどこに影響が出るのか、という議論を重ねていくことで体感的な理解が深まった。スピーカーはMetaやTPG、CargillのCFOやMidas List常連のVC、ビリオネア起業家でNBAチームのオーナーなど、多種多様。忖度のないQAが本当に勉強になった。シェアできない経験こそが人生のアセットだと思うし、この授業はそうした経験の連続だった。
Managerial Economics:
ミクロ経済の基本概念をさらったうえで、ゲーム理論を実践的に学ぶ授業。ミクロ経済は学部の時に少し触れた程度だったが、Marginal RevenueとMarginal Costの関係性とEquilibriumの推定などは、経済学という中小世界ではなく、具体的な企業競争の文脈でとらえ直すと面白かった。ファイナンスの世界では個社の事業ドライバーから積み上げ式にモデルを組むことが多いので、業界レベルでの競争構造を抽象的に理解するためにあえて経済学を使ってみるのは面白いのではないか。また、ゲーム理論では基本的な戦略選択の方法論もさることながら、異なるオークション方式での入札競争をクラス全員参加で行うコンペもあって(ちゃんと優勝したので自慢しておく)、興味深かった。恥ずかしながら、Second Price Auctionという方式を初めて知ったのだが、学術的な研究成果が世界を大きく変えた事例であり、同時に日常の仕事でも大いに考えさせられた。Organizational BehaviorとEconomic Strcutureの両輪があって初めてマーケットは機能するというのが個人的な学び。
Data and Decision:
統計学を実際のビジネス課題に当てはめて検証していく授業。Rを速習しながら、社外のパートナーとのケースプロジェクトを進めていくハードな授業。統計分析をやりながら概念を理解するというストラクチャーは効果的だったが、正直後半は概念の理解と技能習得が追い付かなくなってしまっていて、もう一度どこかで復習したいところ。機械学習についても、具体的なコードを実装しながら感覚的に触れることができたのはとても良かった。
Global Operations:
授業の名前の通り、サプライチェーン・マネジメントについてファッションから半導体、電子機器に至る多様なビジネスモデルを検証していく。業界ごとにボトルネックとなる方向が、製造サイドなのか、市場サイドなのか異なっている中で、税務や通関手続きの手間、市場のフィードバックを製品に反映するリードタイムなど、トレードオフを考えてグローバルサプライチェーンは構築される。一方で、近年のサプライチェーン全体への企業の説明責任の拡大は、既存のフレームワークをさらに透明化し、可視化し、事業価値を守り伸ばしていく重要な手段としてのESG像を提示する。
総括:
今学期はデータ分析やゲーム理論といった発展的な計数処理に加え、コーポレートファイナンスやオペレーションといったビジネスの原則論、さらに水やデザイン思考といったキャリアに直結する専門分野と幅広いクラスを履修した。ほぼすべての授業がプロジェクトベースとなり、グループで実際に学外のクライアントを得て行う課題も複数あり、チーム構成、マネジメント、個人の時間管理など、ぎりぎりの生活が続いている。
世界最高の専門家が集まり、あらゆる機会があるのはスタンフォードの魅力であるが、まとまった成果を上げるために必要なのは一定のまとまった孤独であり、作業時間であり、思考時間。あれもやりたい、これもやりたい、という気持ちと上手く向き合いながら、機会を最大化し、同時に芯の通ったプロジェクト実行をすべく悪戦苦闘していくしかない。
今学期は必修以外の自由選択科目が始まり、Design for Extreme Affordabilityのような感覚的なクラスや、法科大学院での水ビジネスの授業など、卒業後の進路に直接的にかかわる分野での学びが多い学期となった。同時に、授業での学びを直接的にキャリアに生かすべく、教授との個人的な信頼関係づくりやリサーチプロジェクトなどをすることで、夏休みにむけた準備を本格化させていく所存。4月から始まる春学期では、授業を通じて多面的な経営・水の世界に触れつつ、夏休みのプロジェクトに向けて計画的に準備を進めてるので、これについてはまた改めて書きたい。
Design for Extreme Affordabilityのチームと。各チーム専用のブースがあり、そこで情報をまとめながら議論していく。
スタンフォード26-29週目:逃げる自分をつかまえる
ECO-SEIという夏休みに自由研究するためのフェローシップに合格した。これで、夏休みにインターンで生活費を稼ぐ不安から多少は解放される。ありがたい。
あとは、大学院3年目になるかもしれない、環境学の修士課程にも合格した。どこまでやれるか分からないけれど、Climateにいる以上、どのみち授業は受けることになる。
全部年末年始からの仕込みなので、慌ただしい。一息つくのもつかの間、今度は期末試験に向けた準備に追われる。
去年の9月には信じられなかったが、あらゆることが、想定以上のスピードで取り組んでいるプロジェクトに向かっている。僕は、今の人生を導いてはいない。
Agencyを持った生き方は、自分の思い通りの生き方ではない。良くも悪くも、あるがままを受け入れて、よりよい未来に向かって行動し続けた先にある結果である。
Forbesに掲載されたことをほめてくれたKnight Hennessy の同級生が、顔をしかめた僕を一瞬で理解して、「今評価されるのはいいことだけれど、評価されたのは過去の努力だってわかってるから、昔と同じ努力を続けないと意味がないよね」と声を掛けてくれた。
その通り、淡々とまっすぐに、自分を事業という形なり、研究という形なりで表現する。自分の人生はそこから生まれる。
そこに僕の意思決定はない。決意ではあるかもしれない。その二つは似て非なるものだ。
ありのままでいることが僕にはできるだろうか。
留学前に日本で大学生をしていた夏休み、「何のために生きたらいいのかわからない」と相談した僕に、「逃げる自分を捕まえられる日がいつか来る。それまで逃げ続けなさい」という言葉をかけてくれた人がいた。彼の言葉をかみしめている。
当時の僕は血気に燃えていた。何かを成し遂げなくてはならないという勝手な使命感を、自分の野心ではなく、公的な志か何かだと思い込んでいた。
自分は強くなれば、自らに打ち克つようになれば、きっと目標は達せられると信じて疑わなかった。
だからこそ、常軌を逸した生活を10年以上続けられたのだと思う。後悔はない。必要な過程だったと思う。
省みれば、強くなろうとする自分こそが、逃げる自分だったのかもしれない。
この数年は、強くなろうとすればするほど、自分の本当の姿が遠のいていく感覚に当惑していた。
正直に言えば、違和感を覚えながらも、まさか成果がようやく上がりつつある途上で立ち止まるわけにもいかず、ここまできてしまった。
力を抜くことの方が、力を入れることよりも、勇気がいる。
ああ、また逃げようとしているな、と自分を見つめながら、自分ではなく課題に向かい続ける粘り強さこそが、逃げない自分なのだ。
自分がやりたかったことが何なのか分からないままがむしゃらにやってきたからこそ、色々なピースがそろい始め、同じ方向に向かっていきつつあるこの数週間、課題だけに関心が向いている。
思い通りに自分がなるときも、ならないときもある。ただ、それは問いの前では関係のないこと。
スタンフォードに出発するときに、メンターから、「博く学び、審らかに問い、慎みて思い、明らかに辨じ、篤く行う」という中庸の一節を贈られた。
このプロセスの目的に自分は存在しない。自分はあくまでもMediumでしかない。ようやく、心穏やかに、地に足を付けて挑戦ができそうだ。
春休みも夏休みも、自分の研究のために使う。さて、何が出てくるのだろう。
今年のKnight Hennessy Scholarの最終選考兼基調講演はAl Gore。40年以上気候変動に対する人類の役割を解き続けてきたTruth Tellingの力。頭が下がる。この後のパネルに登壇して、最終選考に残った候補者の猛烈な質問の嵐にさらされた。自分の選考インタビューより難しい良問・難問の数々に1週間くらい考えさせれられてしまった。
StanfordのYouTubeでおなじみ、View From The Topに、Airbnb創業者のBrian Cheskyが登場。GSBにいる間のBucket Listだったスピーカーへの質問も無事完了笑
Teslaの元CTOでRedwood Materialsの創業者JB Straubelの講演。技術の力で世界を変えるとはどういうことなのか、高校時代のEV研究から、エネルギーインフラを含めた社会実装の過程に圧倒された。すごいの一言。
Knight Hennessy Scholarのメンバーで、Anderson Collectionのプライベートツアーを企画した。Anderson Familyの方ともつながれたりして、Artがぐっと身近になる。コレクションも、美術館もぎゅっと濃縮されていて素晴らしかった。
先週は期末試験期間だったのが、軽い交通事故にあってけがをしてしまい、なんだかんだ1週間弱延び延びになってしまった。冬休みはコロナになり、中間試験は足を捻挫して、今回もけがをしてしまっているので、強制的な休息にはなっているものの、いまいちトップスピードが継続できていない。この2週間ほどは満身創痍だったのがようやく回復しつつあるので、また今週後半から気合を入れ直していく。ただ、前進する度合いには満足しているので、あきらめずに、苛立たずに、続けていきたい。
スタンフォード17-25週目:変えること、変えないこと
1月・2月の振り返り
1月末はKnight Hennessy Scholarのリトリートで、Santa Cruzにあるリゾートにいた。
今回は、直近数年のCohortが集まる形で、2泊3日にわたって語りつくす。
いつもながら、刺激的だし、全身全霊をぶつける形だった。冬休みに考えていた気候変動のThesisの種を、この間ぶつけまくって形にした。
2月は気候変動を自分なりにテーマとしてとらえ直し、農業と水というサブテーマの中で、リサーチをした。
幸運なことに、自分と補完的な視点を持つ優秀なパートナーに恵まれた。
たぶん50時間くらいかけて、仮説を組み上げた。彼がいなかったら、たぶん半分もできなかったと思う。
スタンフォードで授業を取っている教授や過去仕事で縁のあった専門家にもアドバイザーになってもらい、領域の知見を頭でつないでいく。
インタビューやレクチャーでのQAを使って、さらに点と点をつなげたり、つなぎ直したりしていくのは、とても面白い(そして疲れる笑)。
ここから夏まではリサーチをしていくことになる。仮説の枠組みを作るのも大変だが、淡々とチームでリサーチをするためにどうしたらいいのか。
あるいは初期の段階だからこそ、見落としや新しいアングルを加えられないか、そんなことを考えている。
いざやってみると、いろんな事が起きる。日常が違って見えてくる。いろんな人が向こうから声を掛けてくれる。
Al GoreやBrian Cheskyのレクチャーもそれぞれ得るものがあった。生で対峙するから得られる感覚的なものは、事業について考えるときにことのほか大切になるのかもしれない。
宣言してやってみて、まっすぐに課題を捉えて、軌道修正を繰り返す道のりを、胸を張って諦めることなく、続けられるか。
うまくいくかは本当にまったくわからないのだけれど、たぶん今の自分にやらないという選択肢がない気がしている。
問いに対する誠実さは、遠くを照らす道しるべになるのではないか。
変えること、変えないこと
もうひとつ、今考えていることについて、書いてみようと思う。
冬休みの間、自分の人生を振り返って何が大切であったのか、そしてこの後何を大切にして生きるべきなのかを考えた。
スタンフォードを始めとするカリフォルニアの空気というものは独特のものがある。
学ぶことへの貪欲さと変化への素直さが求められた20代から、その経験を踏まえて、人生の土俵に立って勝負をしかけることを求められる30代へどうすれば転換することができるだろうか?
ただ言語化していくだけではなく、自分の根底にあるものを全て疑いながら切り崩し必要なものだけを抜き取って、あとは何もかも変えていく。
これまではどこかかつての人生に戻れるような気がしていた。自分の中に普通さを見いだして安心する自分がいた。
それを今回はバッサリと殺してしまおうと思う。
自分の中の尋常ならざる部分をさらに研ぎ澄ましていくことは、帰る場所を捨てることでもある。
でも、ここまで粘り強く続けてきた結果として、次の高みが見えた今、もはや守りに入ることも懐かしい世界に後ろ髪を引かれることもあってはいけないのだと思う。
スタンフォードは自分が捨ててきた一般的なメインストリームキャリアのひとつの頂点であると同時に、自分が目指してきた新しい世界を実現するための特異な才能が集まるハブでもあり、どちらの面を見るかによって悩みは尽きない。
自分が何者なのかをもっとも受け入れていなかったのは自分だったということに気づいたとき、踏み込んでいく勇気が出てきた。
ナイトヘネシーの傑出した仲間たちと時間を過ごす中で、教科書的なリーダーシップよりも、メディアに乗るような実績よりも、様々な不条理に対する繊細な気持ちよりも、何よりも自分が最もAuthenticであることだけに注力するしかないのだと覚悟を決めた。
過去の経験に学び、謙虚に自分の無力を受け入れる姿勢は歴史に対する誠実さだともいえる。
だが、リーダーとしての誠実さは過去ではなく未来に対してなされるべきものだ。過去にとらわれず、ただ前をのみ見つめて、楽観的に無邪気に挑戦を続ける。
執念こそだ、世界を舞に進めるのではないだろうか。
未来がどうなるかは誰にも分からない。
過去と関連付けて未来はどうなるのか、あるいは自分の努力の量を他と比べて成功する可能性が高いのか。
そうした、なまやさしい声がけを自分にすることもできない。
ただ、ありのままをつけつめた先にどのような結果が生まれるのか。
自分の考えや行動願いが表現に値するものだということだけを信じて、ただただ無心でサイコロを振っていきたい。
書き続けること、行動すること
リーダーは語り続けなければならない、とその昔ソーシャルアントレプレナーシップの授業で習った。
リーダーになれるかはわかっていなかったけれど、私的な文章を書き続けて10年以上になる。
ときに衝動的に、ときに義務的に続けてきたブログを読み返しながら、内省し、未来について構想を膨らませる。
それでいて、なんで書き続けているのかわからなくなることがある。
冬休み中に、懐かしい友人たちと話す中で、感じるところがあった。
難しい挑戦をしようと、身の丈に合わないことばかり考えてきた。
自分一人ならまだしも、チームを持ち、同志ができ、色々な人に助けてもらって、できることが少しずつ広がってきた。
それにつれて、恐ろしいと思うことも増えた。
自信をもって語った未来が実現しないかもしれない、関わった人を幸せにできないかもしれない、大切な仲間を失ってしまうかもしれない。
理性はたびたびそう警告してくる。
歴史を読めば、現実の厳しさと運命の酷薄さはいやというほど分かる。
分別がある人は、無謀な挑戦はしないものだ。
愚かなる人間の一人として、自分にも失敗の可能性が常につきまとう。
では、果たして、人の愚かさとは、無意味なものであろうか。
当事者として生きる歴史は、書物に立ち現れるものとは質感が異なるものだ。
歴史に残るのは行動であり、言葉であろう、でも歴史を生み出す最も根源的なものは、当事者の思いであり願いではないか。
実はそれだけといっていいかもしれない。我々がなす行動の、発する言葉のどれだけが、我々そのものを表現していようか。思った通りを現実にしてくれているだろうか。
お客さんだったり、コミュニティであったり、仲間であったり、大切な人との約束を守れなかったら、自分には何の価値も持たない、無益無用の存在だというヒリヒリとした緊張感なしに、プロジェクトをすることはできない。
ただ、あるべき未来のために何かをしたいという瞬間の、企画者としての自分の気持ちは、偽りのなく実存する。
成功の可能性が100%でない以上、企画者は実はそれ以外の確からしさに拠って立つことはできないのだ。
現実は思い通りにはならないかもしれず、行動は願いをかなえてはくれないかもしれない。
だからこそ、自分の拠って立つべき動機を大切にしなければならないのではないか。
届かなくとも、やり続けなければならないのではないか。
多くの場合、必要なのは、最初の一歩を踏み出す勇気だけだったりする。
成功するかや他人がどう評価するかは別として、まずは一歩を踏み出せる人間にならないといけない。
スタートアップのアイデアは、しばしば、業界の構造や歴史的必然といった、理論的に裏付けのある考えから生まれる。
ただ、同時にスタートアップの仕事を乗り切るうえで、やりたいという感情は、忘れてはならない。
ロジックに基づくアイデアを発信するだけでなく、自分の感情を素直に伝えられねばいけない。思い付きを気軽に行動に移さねばならない。
ロジックも感情もため込むのではなく、垂れ流すことで、世界がどう反応していくか、そこに面白さがある。
非線形的な結果を得るためには、線型的な、予測可能な未来がないところで、一歩を踏み出すしかないのだ。
それを繰り返すことで、自分の想像力の限界からどんどんと遠くに行くことができる。
踏み出す勇気は、勇気であって勇気ではない。
何が起こるか分からないのだから、実は自分の運命について何の決定もしていないのだ。毎日ハミガキをするような、ただの行為であり、それが日常になってしまわねばならない。
善意から善行を始めるものが勇気ならば、続けるのが知恵だ。
ファイナンスやビジネス、歴史や哲学の古典は、知恵を授けてくれる。
でも、それを善い未来に変えるのは、勇気しかない。
20代を知恵にささげたからこそ、30代を勇気にささげたい。
2022年「而立の年」から、2023年「Black Outの年」へ
2022年「而立の年」の振り返り
2022年は、自分の人生にとって大きな転換点となりました。
20代の熱量の集大成とも呼べるKomazaでの仕事を終え、スタンフォード大学経営大学院に進学したことで、様々なことが一変しました。
年初に而立と宣言したはよいものの、せいぜい立膝ぐらいのものだったなとも思います。
とにかく、体制を立てようともがきながらも流されて、何とか片方の膝くらいは、まっすぐになったというのが本音でしょうか。
あらゆる変化がどっと押し寄せる中で、翻弄されながら、自分の中で変わらず大切なものを、確認して強化していくプロセスになりました。
Komazaでの仕事
Komazaでの仕事は、大学院の授業が始まるまで続けました。
LDNからのデット調達をもって、エクイティからデット、メザニンに至る一通りのファイナンスを経験することができ、在任中の調達総額50百万ドル超という結果を残すことができました。
ケニアにおけるスタートアップの資金調達の総額が年間400-600百万ドルといわれるなか、それなりに意味のある規模のファイナンスを、林業xテックという先進国であってもトリッキーな領域で実行できたことは、20代裸一貫で飛び込んだ身としては、ひとつの自信です。
カーボンクレジットや証券化などの大切な関連領域でも貴重な経験ができました。
新卒のときの上司から「金融は実務能力だけでなく抽象的な思考を求められる」といわれて、ファイナンス的な思考を応用する面白さを教わったのですが、多少なりとも実践できたのではないかと思います。
CFO業というと、事業と外界をつなぐ架け橋といえば、聞こえは良いのですが、実際は事業をRepresentするために”Don’t get bullied"と自分に言い聞かせながら戦い続ける毎日で、ファイナンスについて学んだことよりも、人間や社会の性質について考えさせられる機会の多い仕事でした。なによりも、自分の至らなさ、人間の弱さを痛感した5年でした。
スタートアップファイナンスは守りを求められる局面が少なくないのですが、「Financing InnovationがBusiness Innovationと同じ力を持つときに事業の可能性は最大化される」という自分なりの確信を持っています。
そして、Capital IntensiveでLong-Termな事業こそが、社会に意義のあるインパクトをもたらす、自分が生涯をかけるフィールドになるというキャリアについての一応の結論も出すことができました。
奇跡を起こせているか、非線形的な結果をうめているか、という問いは、常に向き合ってきた問いです。
振り返れば傲慢なのですが、自分の野心は、事業の歴史を振り返ったときに、「あの時の仕事が流れを変えた」と言ってもらえる瞬間や仕事をいかにつくれるかにあったように思います。
こうした瞬間は、チームの努力で生まれることがほとんどです。自分一人でできることなんて、とりわけファイナンスという役割であれば、ほとんどありません。
今年の製材工場の落成は、そんな瞬間でした。
「何のためにファイナンスをしてきたのか」という問いの答えは、「事業を作るため」なのですが、「作る」の一例が会社にとってマイルストーンになるだけでなく、ケニアや東アフリカの業界にも大きなニュースとして取り上げられるのを見るにつけ、今でも胸が熱くなります。
時期を同じくして、憲法に国土に占める森林率を明記して植林活動を推進してきたケニヤッタ大統領(当時)との対面も果たすことができました。
イノベーションの目指すべきところは、「当たり前になること」(Mainstreaming)にあります。
政府やローカルのステークホルダーにきちんとパートナーとして認知されるのは、とてもありがたいことですし、ケニアのように過激なくらいまっすぐに環境政策を実施していく前のめりな姿勢は、むしろ先進国こそ学ぶところがあるのではないかと思います。
振り返りが長くなってしまいましたが、Komazaでの経験についてはこの記事でもまとめています。
最後まで仕事を共にしたチームには感謝と尊敬以外に言葉が見つかりません。
職業人としても、人間としても、優秀で熱意あふれるチームひとりひとりから、本当に多くを学ばせてもらいました。
事業に対する熱意と現場での課題解決力を持ち、僕以上に優れたビジョンを描いているチームのメンバーが、どんな事業を作っていくのか、心から信じて応援しています。
スタートアップでの仕事について考えたこと
仕事でギリギリ追い詰められているときこそ、大局観に立ち返って大切な論点を整理するようにしています。
今年は、不可能といわれる挑戦をするときのファイティングポーズの取り方、参謀としての役割が進化するプロセス、そしてベンチャーにおける「難しさ」のマネジメントについて書きました。
毎度のことながら、分かったから書くのではなく、大切なことなのに分からないから無理やり言語化を試みている、といった方が正しいかもしれません。
スタンフォードビジネススクール
留学の経緯と最初の学期の感想戦は、こちらの記事にある通りです。
結論から言うと、本当に苦戦しました。
クラスもイベントもぎゅうぎゅうに詰まっている中で、自分なりのテーマを定義してプロジェクトを考えようと必死にもがいていた気がします。
考えるも何も、新しい環境で、仲間もいなければ応援してくれる人もいないなか、自分が何者でもないところから、信頼関係をゼロから作っていかねばならないのは、不可能ではないもののかなりエネルギーが必要です。
自分にとってのビジネススクールは、勉強というインプットの時間というよりは、起業というアウトプットの時間になるはずでした。
しかし、インプットとアウトプットをつなぐ、自分そのもののあり方、生き方、生きる意味、果たすべき役割を明確にしないかぎり、何をしてもアウトプットとしては価値を持たないということに気づかされます。
自分の至らなさを可視化し理解する場として、ビジネスや経営に関する授業の一回一回が滝に打たれるような感覚で、未来を考える気力が全く出ませんでした。
現場で立ち回るときのアドレナリンを抜いてしまえば、自分の仕事は、いかに至らなかったのか、あらゆる場面が頭に浮かんで、吐き気をこらえて出ていた授業が何度となくありました。
仕事をしていれば、学んだことを活かす場があるものの、学生という立場は世界の食客であり、無意味で無価値です(Unless you prove otherwise)。
課題や他者に自分の創造意欲を仮託しなければならなかった自分の弱さを、今になって直視することにもなりました。
プロジェクトをどう立ち上げればよいのか、あらゆるピースをまとめようにも、新しい環境の使い方が今一つよくわからずに、焦りは募るばかり。
優秀で多様な学生が集まり、最高の教授陣とエコシステムに囲まれているだけに、溺れるようにして足掻く自分がもどかしくもあり、"Trust the Process"と自分に言って聞かせる毎日でした。
Thanksgivingで休みを取って、冬休みに読書しながら考え事をして、ようやく少し落ち着いて、新しい挑戦にふさわしい心づもりが整ってきたように思います。
大学の仕組みもわかってきて、焦りもがきながら自分をバラバラにして問い直したからこそ、新しい土台をしっかり踏みしめて立ち上がることができそうです。
何のために生きているのか、人生を無駄にしてしまったのではないか、これまでの仕事に価値はなかったのではないか、とまで思いつめたからこそ、揺るぎのないものを自分の中に確認できました。
新しい環境で誰も助けてくれる人がいないからこそ、自らの手で光明を掴まねばならなかったのは、幸いかもしれません。
そんな悩み多き数か月に翻弄されていたものの、スタートアップの人間として、ファイティングポーズは下ろさないことは決めていました。
日本人初の全額奨学生Knight Hennessy ScholarsとしてForbes Japanさんにも取材頂いたほか、尊敬する同年代の友人であるNakajiさんにもPodcastをとって頂きました。
Forbesの記事では、スタンフォードのエコシステムの懐の深さやスケールについて、Nakajiさんのインタビューではスタンフォードに至るまでのキャリアや意思決定について丁寧に取材頂いて、まったく違う内容になっています。
過去のことは過去として未来をのみ語るべきかもしれませんが、ブログを始めて10年以上たって、何度となく読者の方々に救われてきた経験もあり、応援してくれる人に対するアカウンタビリティのようなものとして、自分の道のりを整理して発信することは、これからも続けていきたいと思います。
2023年は「Black Outの年」
今年は、気候変動と水をテーマに、起業します。
気候変動という21世紀の大テーマの中でも、Komazaで取り組んだ農林業のみならず、気候変動による温暖化・気候リスクの高まりの先にある、人類の活動の変化にとっても大切なテーマです。
今学期は、「水とビジネス」の授業と「Design For Extreme Affordability」というデザインスクールのプロダクトのクラスを履修しつつ、具体的な調査をする予定です。
普通で言えば、夏休みはMBA生にとって就活の山場なのですが、一般的なインターンはしない予定です。
この挑戦のために全額奨学金でスタンフォードに来たはずなので、起業のために必要な経験をしたいと思います。
やんちゃに世界中で挑戦ばかりしてきた自分も、時々グローバルな不況の波やら、卒業後給料がX千万円が普通の同級生たちを目の当たりにして、常識的なキャリア観に立ち返ることがあるのですが、久しぶりに良い意味でヒリヒリしています。
大きなテーマや構造で世界を捉え、そこから自分がやるべきことを定義して、(ビビりながら)淡々と実行する、というのは学部生で慶應からブラウンに編入した当初から一貫している戦略であり、今回も同じと腹を決めました。
タイトルは、去年、セコイアのDoug Leoneの講演会でのやりとりからの引用です。
講演会の最後、真っ先に手を挙げて、「マーケットサイクルを何度も経験したとも思うが、気候変動のように今波が来ている業界で起業するときには、市場の波や変化とどう向き合えばいいのか?」と質問したとき、「Black Outしろ(意訳:わき目を振るな)、今世の中に出ているものは1年以上前に仕込まれたものだから、競争しても仕方ない。事業の価値に集中あるのみ」という趣旨の答えが返ってきました。
スタンフォードで気候変動でスタートアップというのは、良くも悪くも世界の中心であり頂上で勝負をすること。
だからこそ、フォーカスを失わず、自分の軸をぶらさずにいるのは、難しくもあります。
おそらく、頂上で戦うべきは世界でも、マーケットでも、優秀な同級生でも、競合でもなく、自分です。
スタンフォードでやるべきことの根幹は、先に紹介した参謀論のブログの一説がそのまま当てはまるのではないかと思います。
個人、チーム、事業、いずれのレベルにおいても、閉じた世界でExcellenceを追求するだけでは、優れた成果は生まれない。
高い目標を追いかけるだけでは、既存の枠組みの延長上に自己を規定している点で、模倣の域を出ない。
最初は誰もがベンチャーの課題解決に合わせて自分を適応させ、Make Oneself Usefulとなることが求められる。
しかし最終的には、困難に適応するために自分を作り上げるのではなく、あるべき姿を自分で定義しなければならない。
「より良い」ではなく、異なる「良さ」のなかから、自分なりに「良さ」を選択して、守り通すために努力をしなければならない。
困難を捌くために戦うのか、理想を貫くために戦うのかでは、同じような挑戦であっても長い目で見た意味合いは似て非なるものだ。
目標ではなく、理想を定義しなければ、職業人としてのスタート地点には立てないのではないか。
冬休みにお会いした起業家から、「登る山を決めるのが、起業家にしかできない究極の仕事」という言葉を聞いて、ハッとしました。
様々なメンバーとチームを作って課題解決するのが前提の起業家にも、(まれにみる偶発的、奇跡的な起業をのぞけば)たった一人だけで事業の構想を練り始めた起点があるはずというのは、考えてもみれば当然のことかもしれません。
0 to 1の0 to 0.1にある産みの苦しみと運命性は、おそらく本当の意味で創業者だけの世界なのだと思います。
社会人になってからというもの、職業人としての基本は、約束を守ることにありました。
難しい課題であっても、スコープを確認し、取りうるリスクを測ったうえで、進捗を見極め、どれくらいできるか、できないかを判断する。
約束できる範囲とできない範囲を明確に伝えつつ、ときにストレッチされても、一度コミットした結果は、そのまま実現せずとも、相手の納得いく形で達成しようとしてきました。
起業に取り組む気はないのかと、聞かれるたびに、確実にコミットできない約束をしていいのか、という思いが頭をよりぎります。
職業人として誠実さの基準では、起業家のビジョンや目標はあまりに遠い存在に思えたからこそ、新卒は総合商社にあっても金融事業、スタートアップでは参謀役というポジションをとってきました。
同時に、スタートアップで働いた5年間で、失敗の可能性がある大きな挑戦をすることの意味が、おぼろげながらわかってきた気がします。
できるできない関係なく、「挑戦する意義のある理想は何なのか?」という問いに向き合うと、優秀な人が社員になり、アドバイザーになり、投資家になり、誰もが想像しなかった未来が生まれるのです。
自分では力不足なのではないか、と疑いながらも、まあやってみよう、と腕をまくって挑んだ先に見えるのが、自分の限界なのか、新しい景色なのかは、今の自分にはわかりません。
ただ、Knight Hennessy Scholarのオリエンテーションでもらった、サイン入りの本にあった、Just Do It!という言葉のままに、やってみようと思います。