ケニアスタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

212週目:砥礪切磋

想像通り、とんでもなく慌ただしく、忙しい。

作業は優秀なマネージャーの大活躍で何とかなっているが、複雑に絡み合った論点を整理して、時間内に決着をつけて行かねばならないので、気持ちが休まらない。

作業に心を奪われれては、大局観を失ってしまうし、大局観だけではディールは前に進まない。

正しい心のありようを保ち続けるのが、何より大切で、不確実な状況でも恐れず判断を下し、行動を起こし、モーメンタムをつくらねばならない。

どのような案件であっても佳境には想定外のハプニングが起きる。予想しないところから鉄砲玉が飛んでくる。

変化に機敏に反応しながらも、動じることのない思考の軸・心の重心を、どうしたら作れるか、週末はそればかり考えていた。

テクニカルな論点にはテクニカルな解法が必ず存在する。あきらめずに考えれば、答えは大抵の場合出せる。

難しいのはロゴスよりもエトスやパトスの方であり、折に触れて自分自身の度量が試される。

 

言志録の一節に、

「凡そ遭ふ所の患難変故、屈辱讒謗、払逆の事は、皆天の我が才を老(ね)らしむる所以にして、砥礪切磋の地に非ざるは莫し。君子は当に之に処する所以を慮るべし。徒に之を免れんと欲すべからず」

という言葉がある。

「困難は天が才能を広げるための機会をくれているのだ。困難から逃げることなく、挑戦を自らを磨く砥石だと思って積極的に取り組むべきで、逃げようとしてはいけない」といった意味で、まさに今の自分にぴったりだと思った。

知力と胆力、そして情緒をバランスよくもって、仕事にあたりたい。

 

 

私生活では、残念なことに90歳を超えていた祖母が亡くなった。

コロナ禍で年末年始の帰省もかなわない中、去年の秋に話をしたのが最後になってしまった。

自分がケニアから帰国して隔離明け一番に会いに行ったので、珍しく一人きりで会った。

戦後大陸からの引き上げを経験して、激動の時代を生きた強い女性だった祖母の話にどれほど勇気をもらったか分からない。

仕事のこと、人生のこと、色々な話を2時間近く話した当時の記録を見ながら、故人を偲ぶ。

博覧強記の本の虫で、人一番繊細な感受性を持っていた祖母の話は、毎度胸を打った。

僕が気丈にふるまっていて、内心無理をしているときなどは、誰もいない時にそっと声をかけてくれる優しく聡明な人だった。

こういう時にすぐに駆け付けられないのが、もどかしい。

たとえ、すぐにフライトをとっても、隔離期間だけで2週間近く出られないのであれば、告別式に出ることさえかなわないだろう。

自分がケニアのベンチャーに行くといったときに、「未来のある話で、目の付けどころが面白い!存分にやっていらっしゃい!」と背中を押してくれた祖母に赦しを乞いながら、遠い日本に向けて掌を合わせた。

家族の近くにいられない分、人生の成果をもって、祖母への供養としたい。

211週目:A Team of Teams to Build World's First & Best Practice

年末やCOPに向けて、様々な案件が同時進行している。

画竜点睛というやつであり、既に仕上がりつつある案件を、もう一度離れて眺めて、あるべき姿、直感的に美しいと思う形に方向付けしていくタイミング。

もちろん、人と人がぶつかり合う現場なので、理想ありのままになることは期待できないが、それでも絵姿の美しさを鮮明に描けるか否かが、ギリギリのところで差を生むのだと思う。

特にファイナンスやパートナーシップは、アナウンスメントではなく、そこから生まれる関係性こそ本質的に意味を持つ。

たかがドキュメンテーションであっても、文言ひとつ、構想ひとつ、ちょっとした言葉遣いでさえ気を付けてアラインメントをとれるか、というのはとても重要だ。

複雑なものをシンプルにし、単純なものにはニュアンスを加え、アウトプットから世界観が立ち上がるようにしたい。

案件終盤はいつもキツイ。体力的にもやることが多すぎるし、精神的にはハードな意思決定をタイトな時間軸で求められる。

だからこそ、平素の積み重ねが活き、インスピレーションの有無が結果を大きく変える。

プロセスに埋もれることなく、創造的な仕事をしたい。

そのためには、やらなければならないことに追われながらも、自分の頭で考え、心で感じてあるべき姿に向き合い続けなければならない。

 

去年は自分が先頭に立ってやっていたことも、今はメンバー一人ひとりがオーナーシップと専門性をもって案件実行している。

現場レベルで自分はもはや必要でなくなる中で、多様な才能の結節点として、あるいは編集者として、自分の力量が試されているのを感じる。

今週チームミーティングで、自分無しに活発に議論が進み、各々の専門性がうまくぶつかり合って結論が出た時、とても嬉しかった。

はたから見れば、何のこともない日常かもしれないが、プロフェッショナルファームのような議論をケニアのベンチャーの一室でできるまでには色々な試行錯誤があったのだ。

優秀な人に来てもらうこと、彼らが活躍し専門性を持つサポートができること、チームの周りに専門家のネットワークを張り巡らせTeam of Teamsとしてレバレッジをかけること、そして彼らの想像を超える構想を描いてチームとして非凡な成果を上げること。

日ごとにチームは力強くなっていく。

World’s First and Best Practiceという壮大な目標を、Komazaに入社した当初のブログから掲げてきた。

少しずつだが、近づいている気がする。

 

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209-210週目:

209週目:

Komazaで仕事を始めて、一番忙しかった一週間。

長時間デスクに向かうという意味ではなく、3か月から3年間程度かけて仕込んでいた案件が軒並みブレークスルーを迎えて、各チームから飛び込むニュースに喜びながらも、どうやってすべてをOn-trackで進めるか頭を抱えた。

スタートアップはスピードが命とはいえ、アフリカという意味でも、人を巻き込む仕事という意味でも、粘り強い交渉や挑戦、先行投資は避けては通れない。

うまくいくまでやめないことが、大切なのだと改めて実感した。

あと、親しい友人のキャリア相談で話した内容を30分くらいでまとめたブログにかなり反響があった。

僕自身が悩んで、後悔している内容を書き直しただけなのだけれど、同じように悩んでいる人の参考になったのであれば嬉しい。

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210週目:

先週に引き続き、忙しい。アウトプットのレビューから、重めのコミュニケーション、複数並走案件の再構成など、やることは山積みだ。

今すぐに書けることはあまりないのだが、前週と同様ブレークスルーがあり、年内までにまとめるべき仕事の方向性が定まった。

 

同時に、週前半はAcumen Fellowのプログラムの最終回があり、Acumen創業者のJacquelineのファシリテーションで哲学的な問いと現場のカオスを行ったり来たりしながら、社会変革に携わる者として何を目指すのか?何をGive upするのか?ジレンマにどう対応するのか?など、芯を喰った議論をする(猛烈に疲れる...)。

 

ここからが、年末に向けたラストスパートであり、ここからの6週間は死ぬほど忙しくなる。

体力的に夏からぶっ通しでやってきた疲れが出ていたので、今週末は休息をとる。

Karura Forestsで森林浴しながら尊敬する起業家とスタートアップの話をしたり、友人とゆっくりランチをとったり、ジムで体を動かしたり、Acumen Fellowshipの振り返りをしたり、意図的に仕事と離れた。

いくつか体力と精神力の限界シグナルが点灯していて、完全に切れる前に補充しないと肝心な時に粘れなくなるので、仕事のToDo通知をオフにして強制的に休むことにした。

体調も回復したので、明日からはアクセル全開でやっていく所存。

 

そういえば、キャリアのアドバイスを求められて答えたフレームワークを、そのままオウム返し的に自分のプライベートな相談に当てはめられて、いくつか発見があった。

自分は仕事への興味があらゆる他の関心に勝ってしまう欠陥人間なので、こうでもしないと何もしないままになるのだろう。

Acumenのセッションで、Sacrificeというテーマでプライベートの議論になったこともあり、今更ながら考えさせられている。

ビジネスの上で、他者の不作為と思考の浅さにクリティカルでありながら、自分自身のこととなると全く鈍感になってしまうのはどうなのだろうか。

職業人としての未来は見えつつあるが、人生の未来はぼやけている。

友人を見習って楽天主義の積極策でいきたいところ。

 

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Acumen Fellowship振り返り

Acumen Fellowshipは、とても良いプログラムだった。

ケニアの僻地のスタートアップで仕事をしていて、他国や他領域の起業家・事業との接点を増やしたいと思ってアプライしたのがきっかけ。

アフリカフェロー唯一の日本人・アジア人で、想像力の限界をストレッチされながら、ソーシャルセクターの仲間と議論するとても良い機会になった。

ネットワークとか知識とか、事前に得るものを想像していたけれど、信頼する同志とのやり取りが今後も続いていくと思うと、とても楽しみだった。

COVIDが直撃したこともあり、全3週、合計100時間弱の全工程はZoomだったが、それでもフェロー同士が工夫しあってよいセッションになっていた(仕事の合間のセッションがあると、体力を2倍消耗して大変だったが)。

振り返りもかねて各セッション(1週間半日ずつ)の概要とリーダーシップについて考えたことをまとめてみたい。

 

セッション1: Sharing Vulnerabilities:

最初の週は、ひたすら色々な人と話をした。

紛争、病気、貧困、差別あらゆる人生の逆境を乗り越えてきた他のフェローを前に、自分の存在の想像できない軽さにショックを受ける。

自分のプロジェクトを紹介し、なぜここにいるのか?

なぜリーダーになりたいのか?どんなチャレンジに直面しているのか?チームでの役割は?

家族のこと、仕事のこと、何でもかんでも話し続けた。

それぞれの質問にあまり意味はなかったかもしれない。

ただ、キラキラした成果を上げて、堂々とプレゼンして勝ち残ってきたフェローが、語り古されたピッチを捨てて、胸襟を開いて話をする。

自分の弱さ、悩み、文化的な認識の違い。どこか相手を探り合いながらも、自分から開示していくフェローの勇気が連鎖していった。

振り返ってみると、ここでしっかり話が出来たことが、その後突っ込んだフィードバックをする基礎になった。

 

セッション2: Challenging Assumptions, Tackling Mental Obstacles

コーチング的な手法で、自分が前提としている思い込みや権威、トラウマを掘り下げてマッピングしていく。

とりわけ有用だったのがImmunity to Changeというワークショップ。

自分がリーダーとして変わりたいと思うゴールについて、

・行動(やっていること+やっていないこと)

・隠れたコミットメント(心配していること、行動をもたらす理由)

・新しい自分のコミットメント(隠れたコミットメントを一つ一つ裏返して、論破していく)

という順番で、思い込みを洗い出し、変えていくというもの。

僕自身は、”Trust others to lead when I don't have an answer myself”というテーマで、書き出してみると思いがけない発見があった。

Immunityという言葉の通り、自分の心のどこかが引っかかっていたり、無意識に抑制している部分に気付けると、世界の見え方が変わっていく。

フェロー同士悩みを打ち明け合いながら、アドバイスをする過程で、信頼関係も深まっていった。

ちょっとした違和感から、仕事で苦戦していることまで、フェローが抱えている課題や誰にも言えない不安を一つずつ紐解いていくなかで、自分の想像力の限界を意識できるようになる。

 

セッション3: Good Society Readings

最後のセッションは、自分と社会をつなぎ、自分の役割について内省するもの。

プラトンからルソーまでの思想を原文を読みながら、社会を構成する人々の葛藤の歴史を振り返る。

AかBかではなく、グレーゾーンを具体的な経験を交えながら語っていく。

性善説か性悪説か?暴力は必要か?目的か手段か?差別とは?社会変革とは?な政治哲学の大きな質問を、フェロー本人たちの身近な葛藤を例として議論する。

同時に、Nelson MandelaやChinua Achebeといった指導者の原稿も読みながら、リーダーとしてのありようについて議論する。

読み物そのものは有名なものばかり。ただ、学生時代には思いもよらなかった話がどんどん出てくる。

Acumen創業者のJacqueline Novogratz本人が4日間、一日4時間みっちりファシリテーションをするセッションとフェロー達の多様で濃厚な人生経験が、Reading Materialの重さを遥かに凌駕していた。

個人的には、アフリカフェローとして参加して本当に良かったと思う。

政府の役割ひとつとっても、教科書的な近代化を経験した日本と、Why Nations Failの世界アフリカでは、全然出てくる議論が違う。

目の前の現実に根差した課題。ジレンマの逼迫性。

日本やアメリカで経験した議論とは段違いの具体性。

きれいごとじゃない議論を哲学的にするなかで、議論について行けない、という経験をした。

セッション1と同じく、人間の根源的な苦悩に触れた経験のなさで、ついていけない。

おそらく、政治の勉強は誰よりもしていたかもしれないが、僕は無力だった。

カンファレンスとかパネルとか授業とか、テクニカルな議論は十分通用すると思っていた自分の無知が恥ずかしい。

洞察の鋭さやアイデアを組み合わせてなるほどと思わせる、という技巧の問題ではなくて、心から語る重さ、人生の重み、そいういったものを自分の言葉に込められていない。

社会にインパクトをもたらそうとするからには、社会のあるべき姿という超難問から逃げてはならない。

血肉にならない言葉で社会を語ってはならない、と自戒する。

 

まとめ: Leadership to Lead Leaders 

社会を変えるためには、淡々と実務をするだけではなく、人々に変化を促し続けるファシリテーターとしてのリーダーシップを確立しなければならない。

自分が話したことのある社会起業家たちの「言葉好き」は趣味だと思っていたけれど、Effective Practitioner→Authentic Leader→Value Facilitatorという階段が見えてきた。

定義するならば、

  • Effective Practitioner:課題に対して解決策を示せるビジョナリー。現場レベルで価値を出し、インパクトをスケールさせられる優れた実務家。リーダーシップの価値は、解決できる課題の大きさに比例する。

  • Authentic Leader:リーダーとしてのBeing(ありすがた)やPresence(存在そのもの)を通じて人を導く。プロジェクトをしていない時でも、常に人に影響を与え続ける。その人だから、という理由で人がついてくる。課題と向き合うだけではなく、自分と向き合い続けた先に、純度・一貫性が高いリーダーシップが生まれる。実務的に人を説得する能力があるからリーダーになるのではなく、人が信じてしまう・信じたくなる存在としてのリーダー像。

  • Value Facilitator:Authentic Leaderは、リーダーとしての自分を研ぎ澄まして生まれる。Value Facilitatorは、そうしたリーダーたちを、より抽象的で難易度の高い対話に招き入れる力を持つ。自分の理想像を持ちながらも、対話を通じてリーダーたちのエネルギーを束にすることで、社会を変えていく。リーダー一人ひとりの想像力の限界を、束にすることで乗り越えていくには、自分自身のリーダーシップとエンパシーを極限まで引き延ばす必要がある。リーダーたちの胸の中に共通のValue(価値観)を生み出させる力。存在はひとつの虚であり、同時に大きな器である。

Jacquelineとの議論を通じて、彼女のスーパーパワーがCulture/Value Facilitatorにあるのではないかと感じた。

Fellowshipの最終章を創業者本人が丸4日16時間かけてファシリテートするのは、知力・体力ともに尋常ではない負担なはずだ。
けれど、この間、Jacquelineの集中力は切れることなく、難しい問いでフェローを刺激しながら、巧みにメッセージを織り込んでいった。
序盤で社会課題の根底にある哲学的課題を使って議論の土台を作り、中盤以降は具体的なリーダーに焦点を当てて自分たちの活動と対比し、最後はAcumen Manifestoの底流を為す価値観をハイライトしていく。
カルチャーや価値観をただ言語化するのではなく、根底にある哲学を議論するプロセスで、体感させるアプローチは、受け手側もファシリテーターもどちらも難易度が高い。


セッションを追うごとにJacquelineの言葉には力が籠っていく気がして、CatalystがCatalystであり続けるためにやっていることなのではないか、とも思う。
濃厚なリーディングで、対立する世界観を提示し、際どい話もどんどんしながら、最後はひとりひとりが自分の役割や立ち位置、目標を定めて持ち場に帰っていく、そんな奇跡的な体験だった。

 


2000年代初頭からソーシャルセクターでビジョナリーと呼ばれてきた人たちは、優れた実行者でありつつ、答えがない問いをチームで議論する資質に富んでいたのだと思う。

(日本の社会起業家の書籍に体験談が多くて、欧米の社会起業家の著作に思想・コンセプト・ビジョンを示す意見本が多い印象で、これもソーシャルセクターの文化の違いかもしれない)

落としどころが存在しないが大切な課題から目をそらさず、10年でも20年でも問い続け、行動し続ける力は、社会に価値を生む。

答えの出ない対話をホストし、続ける知的執念。

善意をもってファシリテーションする力。

一人ひとりのバックグラウンドを踏まえた直球な質問。

問いを投げかけつつ、対話を通じて世界観を立ち上げていく構想力・発問力。

リーダーとして自分が旗を振るだけでなく、同じ志を持つ無数のリーダーたちを触発する一段上のリーダーシップに触れられたことが、Acumen Fellowのコミュニティと並んで、今回のフェローシップ最大の収穫だったと思う。

 

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自信にまつわるパラドクス

総合商社出身の親しい友人から、キャリアについてアドバイスを求められた。

優秀な人がたくさんいる部署で成果を上げ、社内でも評価をされたうえで、ベンチャーに飛び込むのだが、投資銀行やコンサルのように「わかりやすい」トレーニングを受けていないので、やっていけるか不安だ、というもの。

 

全く同じ悩みをケニアのベンチャーに飛び込んだ当初、自分も抱いて悶々としていたので、他人事ではなく、つい熱心に聞いてしまった。

あくまで自分の狭い経験から言うと、数年程度の経験であれば、総合商社で成果を上げられた人が新天地で大活躍する可能性は結構高いと思う。

プロフェッショナルファームの強さである、全世界共通の職位ごとのきめ細かなトレーニングを受けられないのは確かに不安だが、総合商社で色々な仕事を任されたり、実際に裁量をもって意思決定したり、様々なステークホルダー(取引先、社内上層部、ネットワーク、専門家)と自由自在にかかわる経験(含む上司のサポート)は、言葉にすることができないながらも、とてもよい想像力の源泉になる。

「一度観た映画は自分で撮れなければならない」というメンタリティの人にとっては、グローバルスタンダードのフレームワークを真面目に学んで実行していくプロフェッショナルファーム以上に、総合商社の経験は活かせるのではないか。

日本はともかく、海外で仕事をしていると、MBB出身のベンチャー人材はゴロゴロいるので、彼らと異なる経験を新卒でしたからこそできる仕事はあるように思う。

ウジウジ悩まず、自分の経験を棚卸して、目の前の仕事を通じて力に変えていくべきだ。

 

話がそれてしまった。

自信がない、という相談に対する僕のアドバイスはいつも、「スキルの不足は、時間をかけて努力する必要があるが、自信は今すぐ自分の中につけられるので言い訳せず前に出ていくべき」というもの。

プロフェッショナルファームのように厳密にステップごとの必要スキルが明文化されていないベンチャーにおいては、ほとんどの場合積極的にトライして、失敗から学ぶ、出来るまで粘りぬくことが成功のドライバーになる。

だから、自信がないから、と自分に言い訳するのは無意味で、商社の大先輩の言葉を借りれば「顔に鉄板張って突撃する」根性が武器になる。

自信がなければ、周囲への説得力もないし、目標を大幅に上回る成果も出ない。

だから、自信は作り出さないといけない。

自信は持つものではなく、作り出すものだ。

 

一方で、同じベンチャーの仕事でも、「自信はあるのに上手くいかない」という相談については、僕は全く逆の印象を持っている。

自信は作り出さなくてはいけないが、それは不安が仕事の邪魔をしないため、目の前の課題と向き合う妨げにならないために重要なのであって、職業人の心構えとして自信など存在してはいけないというのが、僕の考えだ。

自分の専門とする領域で、自信を持つというのは2つの危険性を秘めている。

ひとつは、自信がある、やったことのあることを繰り返しているだけで、自分にとってストレッチがかかっていないコンフォートゾーンという危険。

もうひとつは、自分の無知を認識していない、盲目の危険。

職業的使命もつぎ込む労力も人それぞれだが、目線高く成果を上げて、常に新しいものを取り込んでいく過程で、自信など持ちようもないのではないかと思う。

"If you are not failling, you are not pushing yourself hard enough”と昔言われたことがあるが、自分のカラを打ち破って挑戦していくこと、自信が打ち砕かれる機会を貪欲に求めることは、とても大切だ。

 

職業人としての成長には、自信がないときに自信を作り出して飛び込み、成果を上げたら今度は自分の自信を打ち砕かれるような挑戦をする、パラドキシカルなプロセスが必要なのではないだろうか。

同時に、冷めた見方をすれば、自信過剰も自意識ならば、自信不足も自意識で、事業・仕事には何の関係もない。

目の前の課題を解決しましょう、自分ではなくお客さんやクライアント、事業やチームを主語に問題を見出しましょう、という点に尽きる気がする。

不安に歯を食いしばって一歩を踏み出すかどうか、これは積み重ねた自信ではなく、今この瞬間の勇気の問題だ。