気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

204週目:ソーシャルインパクトの求道者性

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お金は主観を持たず、ただマーケットの判断で分配される。

価値判断の尺度としてお金が正しいかは別として、市場は明確かつ定量的に、「市場にとって」大切なものにプライスをつける。

 

一方、「インパクト」はどこかフワッとしていて、明確で客観的な外部指標を定めにくい。

「インパクト」には、たえずあるべき姿を定義し、求め、批判的に検証する自分という存在が介在する。

インパクト測定や政策的な評価など、客観性をある程度担保することはできても、「完全に客観的に正しいインパクト」など存在しない以上、最後は経営者がインパクトの存在や優先順位を判断することになる。

また、現場でインパクトを100%実現しようとすると、ときとして自分の理想の通りに社会が動くことを期待する間違ったメンタリティが生まれてしまう。

だから、インパクトを謳う事業の経営者は、絶えず自分の中の善悪が、一般にとっても意味があり、独善的な価値観の過剰な押し付けになっていないか考える必要がある。

 

こうした問いは最終的には、人の幸せのあるべき姿、社会のあるべき姿、ひいては自分のあるべき姿という内省へとつながっていく。

したがって、ソーシャルインパクトに携わる人々には、求道者的な性質が備わっているといえるかもしれない。

自分だけでは解決できない大きな問題を相手に、自分の存在価値を絶えることなく疑いながら、変化を仕掛けていくプロセスは、取り組むものを人としてストレッチさせる。

結果として、大半が燃え尽きるか撤退を余儀なくされ、わずかな変わり者がリングに立ち続ける。

厳しいのは、本人に人格的な成熟が訪れたとしても、社会課題が解決できるとは限らないこと。

残酷なことに、優れたリーダーや人格者であっても、掲げた理想を実現できるとは限らない。

結果を出すのは社会であり、市場経済がお金で価値に報いるような明確な形で、答えを教えてくれるわけでもない。

そのあたりの難しさを、すべて承知したうえで、それでもやり続けられるか、というのが何十年単位で事業を続ける資質なのではないか。