229-230週目:ベンチャーの日常業務における成功と失敗という幻想
ベンチャーの日常業務における成功と失敗の不確実性について考えていた。
ベンチャーの事業としての成功は、産業や社会へのインパクトだったり、プロダクトの普及だったり、教科書的には利益と株主への価値観減だったりと、大枠として既に議論されていて、ステークホルダーの間にも一定の合意が存在する。
他方で、想定外のトラブルが発生したり、業界がいきなりホットなEmerging Theme認定されて思いがけない機会が舞い込んでくる、アフリカベンチャーのカオスな日常において、日々の意思決定について一概に成功と失敗を判定することは難しい。
もちろん、当初想定していた効果を達成できたか、というKPI/KGIレベルでの判断はできなくはない。
ただ、存在しえた他の選択肢の幅が広く、また、短期的には成功と思えたことが後で大失敗のもとになったり、何の変哲もないアクションが思わぬ成功に結び付いたりと、経営陣の認知の枠を超えてインパクトが広がっていくことが少なくない。
さらには、スタートアップは、自分の管掌領域外もぐんぐん伸びたり変化していくので、すべてを想定しきったうえで判断を下すことさえ危うい。
結果的に、アップサイドとダウンサイドを一応考えて、上限と下限だけでも明確にしたうえで、リスクをコントロールしつつ、アップサイドをつぶさないようにする、繊細な舵取りが求められている気がする。
スタートアップにおける経営行為は、大上段の戦略や事業転換以上に、日々の細かな意思決定の重なりが生み出すもので、一度決めたら終わりの「意思決定」という言葉よりは少しずつ調整を加えていく「舵取り」という言葉のほうがしっくりくる。
わからないことが、わからないとき、人はどうしても説明を求めたくなるし、理解を確立したくなるし、全貌が見えなければ見えないほど、判断をいそぎたくなる。
自分は、人一倍せっかちで、同時に不確実性が苦手なので、どうしても考え過ぎてしまいがちなのだけれど、"The answer is the misfortune or disease of curiosity"という言葉に最近出会って、考えを改めようと思った。
判断がつかないことを受け入れて、そのままにしておける心の広さ(それでもどうせ考え続けてしまうのだろうけど。。。)というのは、新興国ベンチャーのように可能性があまりにも広く、予測不能な場合、重要な姿勢なのだと思う。
ここで無理やり考えを急いだり、拙速に判断したりすると、自らの足をすくうことになってしまう。
スタートアップの世界でしばしば「やめないこと」「成功するまで続けること」が成功要因として挙げられるのは、まさに答えを求めて自らの可能性を閉ざしてしまうケースが少なくないからなのではないだろうか。
戦略やビジョンのような設計図も大切かもしれないが、スタートアップの日々の仕事には、いろいろな不確実性があるなかで、心折れずにレンガをひとつひとつ積んでいくようなところがある。
自分がレンガを積んでいるときは、無意味に思えたり、苦痛だったりしても、ふと振り返った時にしばらく前よりも建物が立派になっていたり、失敗だったと思った部分が予想外の効果を生んでいたりする。
レンガを積んでいるのは、自分だけではない。チームの誰もが自分の持ち場や、しばしば持ち場を超えて、レンガを持ち寄っては積んでいく。
難しい局面で、事業や個人を支えてくれるのは、こうして積み上がった無数のレンガである。
大上段で考え抜く仕事だからこそ、人が働くことで生まれる不確実性の難しさとありがたさを忘れないようにしたい。