気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

続山月記

My title
高校生の時に読んで特に印象深かった文学作品に、教科書にも乗っている中島敦の「山月記」があります。
成績優秀で将来を嘱望されたこともある主人公が、自己に執着するあまり、最後は虎になってしまうという物語。
自分という存在に悩む多感な時期に読んだこともあり、当時読書感想文を書けと言われてずいぶん困ったのを覚えています。
コロナ禍で引きこもり生活をしている最中、高校の読書感想文がたまたま出てきたので、主人公が虎になって去ってしまう漢文学・説話的なエンディング(「指輪物語」なら勇者の出発で終了するレベル)に続く文章を、暇に任せて書いてみました。
コロナの恥はかき捨て、ということで、興味のある方だけ読んでみてください。
ただの道楽ですが、一応、書評ということにしておきます笑。
 
 

続山月記

この山には虎がいる、それも詩を詠むそうだ。
昔は人間をたくさん喰ったらしいが、最近はただ崖から旅人を見下ろすばかりで、とんと近づこうともしない。
峡谷を抜ける行商たちの間で噂が流れ始めたのはそれからしばらくしてのことだった。
 
岩肌のひときわ険峻な頂きに腰を下ろしたなり、李徴はじつと月としたに広がる街の夜明かりを見比べていた。
かつて机を並べ、切磋琢磨した学友の雄姿を思い起こしながら、李徴ははじめて安堵を覚えた。
 
袁傪に再会するまでの李徴は、寝床のそばの川べりに水を飲みに行くたびに、変わり果てた自分の姿におののき、恥じらいに身を焼いていた。
あたかも、汚らわしいけだものに堕ちた自分を責めるように、かえって彼は獰猛にふるまった。
いまや自然界の主として山河の友であるべき存在でありながら、まるで人間のように不遜に草木に当たり散らした。
人間ではないから虎になったはずなのに、今度は虎でありながら自然に親しむということができなかったのだ。
 
だが、旧友は、李徴が虎になっても、まるで何も変わっていないかのように自分を友として遇した。
親友との懐かしい再会に胸が熱くなっていた李徴も、しばらくしてはたと気づく。
自分の魂は、はらわたの底にある混とんとした情念の濁流は、今も昔もちっとも変っていないということに。
「自分はずっと前から虎であったのだ」、松明の明かりに先導されて宿場へ向かう隊列を眺めながら、李徴は力なく吠えた。
「利発さと機敏さで知られた自分が、ここまで鈍感であったとは」呻く李徴には言葉を繋ぐ気力さえ残っていない。
もう考えまい、そう呟いて岩山から飛び降りると、ねぐらではなく近くの草むらに体をうずめた。
 
翌朝の李徴はいつになく快活だった。
何を見ても雑念が次々と沸き起こっては、牛にたかるハエのように心を乱していたのが嘘のように、すっきりとしている。
昨日までは水面にうつる自分の姿に驚いていたはずなのに、今日は通りすがりの渡り鳥にあいさつをした自分の変わりようにがくぜんとした。
「自分はずっとむかしから虎であった」という一大発見は、李徴の心を揺さぶった。
一時は畜生の自分など生きるに値しないとまで嘆いた彼であったが、人間であるべくして、人間であろうとして生き続けた前半生を思い出すにつけ、今となっては肩の力が抜けていくのである。
 
「さて、どうしたものか」
市井の人々が毎日のように発する、こんな当たり前の問いさえ、彼にとっては新鮮であった。後悔のない今。濁りのない未来。
今となっては、昨日までの自分が何に悩んでいたのかさえも思い出せない。
ねぐらにしている洞窟にのそりのそりと戻った李徴は、藁敷きの寝床に隠していた詩文の作品集を取り出した。これは、今の李徴に残された人間時代の唯一の痕跡である。
けだものの姿では筆を持つことはできない。でも、胸の奥底から、李徴が天賦の宝としてたいそう自慢していた頭ではなく、はらわたの中から言葉はあふれてきた。
まるで池の水をすくうように、言葉は彼の自由自在になった。
 
「筆さえも要らない」、李徴は毎月のように最高級の文具を求めて都に家人を走らせていた若き日を思い出す。
美しく毛先の整った筆と、碁石のような光沢を放つ年代物の墨は、自分の芸に何を与えてくれていたのだろう。
 
彼は詩文に没頭した。猛々しい虎に姿を変えてもなお、詩文の美しさ、そして複雑さは彼を魅了した。
だれよりも優れて才能を持つ彼が、必ずや自分よりも凡庸であったに違いない無名の個人の足元にも及ばない詩文の世界は、新月の夜に見上げる星空のように無限であった。
詩情に向き合うとき、彼は自分の心を見つめた。狂おしいほどに探し求め、果ては彼を狂人にまでしてしまった、自分の心も、詩を練る彼には手に取るようにつかむことができた。
つかむことができるから、磨くこともできる。これは、異類に身をやつしてから彼が得た、数少ない自信であったに違いない。
 
一度のめりこむとほかのことに目もくれないのは、無精な虎の本能というよりは、彼の昔からの性格である。
題材を求めて山路を駆け巡る。一日の大半を彼は見晴らしの良い岸壁の頂で過ごした。
切り立った山肌の一端から望まれる山野の輪郭、四季折々移ろいゆく草花のようす、裾野の街から立ち上るかまどの煙、峠を通る人間のにおい、なにもかもが五感を刺激した。
満足のいく句が出来上がると、岩肌に声色をわざと反射させるように、滔々と朗じてみせた。
周りの動物たちは、人間かぶれの山の王者を好奇と恐怖の入り混じった目で、草陰からそっと見守るばかりである。
 
山路を歩む人々の間で、詩を詠む虎がいる、という噂が広まったのはこのころのことであった。
 
 
 
「宿はまだかね」
峠を超える中腹に差し掛かろうというところ、ひとりの老婆が夕暮れの道を急いでいた。
急ぐといっても、大きな風呂敷を背負い、道端かどこかで拾った枝を支えに、ふうふうと息をする。
日課の散歩を終えた李徴はこの老婆にくぎ付けになった。もう六十を超えたであろう故郷の母を思い出したのである。
人間の身であれば手の一つも貸せるものをともどかしくヒゲをピクリとさせると、何か気配を感じた老婆が李徴の方をじっと見つめた。
老婆が思わず腰を抜かして身を縮めると、李徴は幼子のころ家で馴染んだ子守唄を、極めて慎重な声色で謳い始めた。
なぜそんなことをしたのかと、動物の世界に生きる李徴に問うのは無意味であろう。
道端の岩に腰かけていた老婆は、はたと立ち上がると意を決したように歩き始めた。李徴には、老婆がだれのために夕暮れの山路を急ぐのか、分かった気がした。
 
人喰い虎が出るといわれた山道に、どうぞ召し上がってくださいと言わんばかりに野宿する男がいる。
着ているものも、決して卑しいなりではない。久しく口にしない人間のにおいを確かめるように李徴がぐるりと男のまわりを一周する。
夕餉にする前に、礼儀として顔だけでも拝んでおこうと思ったのである。
男の頭に前足をかけた李徴は声を上げそうになった。人間のにおいと同じくらい長いこと忘れていた、積年の憤怒と憎悪が深い皴となって狂人の顔面に刻み付けられていたからだ。
見れば男は寝てさえもいない。目をかつと開いて、人間の業のすべてを煮つめて飲まされたような表情でかすかに震えている。
この男の目つきに李徴は覚えがある。猜疑と軽蔑、かつて自分が社会を眺めたいびつな目線が、野獣となった自分を射返していた。
虎になって間もない李徴なら、こんな者は有無を言わさず引き裂いてしまったであろう。この男の醜さは、自分の醜さであることに戸惑いを感じて。
のそり、のそり、のそり。男の顔にかけた前足を下ろした李徴は、一間ほど後ずさりすると、どかりと腰を下ろしたまま、ピクリとも動かない。
半刻もたっただろうか、月に照らされて爛々とした眼で、この狂人を凝視したまま三度咆哮した。
男は立ち上がると、町の方へ去っていった。
 
李徴が虎になって十年が経ったころ、七百人はあろうかという大行列が国守の礼を取って峠に差し掛かった。
よりにもよってこの一団は、峠の狭い道に座り込むと、酒盛りを始めたのである。
これには李徴も驚いた。人食い虎で有名な峠でのんきに酒を飲んで果ては一夜を過ごすなど、虎になった李徴にもおかしい。
かつての狂人ならまだしも、天子の命あって下向する国守にあるまじき軽率。
 
全宇宙の中心といわれた都の衰退にあわせて、各地で不穏な動きがあることを、李徴は行き交う行商の話から聞いている。
落ちぶれたのは天子の権威だけではなく、天子を輔弼し、国家の秩序を護るべき家臣たちではないか、と峠での無防備な宴を見た李徴は感じた。
「この情けのない一団の総大将のまえに躍り出て、喝を入れてやる」
けだものの身になってひさしい彼に、官吏であったころの青春の血気がよみがえってくるようだ。
 
宴会がひとしきりして、無遠慮な従者たちがあたりかまわず床を取ると、李徴は足音一つ立てずに帷幕のすきまに頭を入れる。
幕の内では、白髪まじりの貴人が、一対の酒杯を用意して、まるで李徴を待ち受けたように、端座していた。
どうせ主人もだらしなく寝っこけていると踏んでいた李徴は、周囲の喧騒とは異世界のひんやりとした雰囲気にすっかり気を呑まれてしまった。
虎は首から先を陣幕のすきまから出したまま、ぴたりと動きを止める。
 
「如何なるか此れ学問」
長すぎる沈黙に李徴が体を翻そうと試みたその時、春風のようにおだやかに太守が声を発した。
 
李徴もとっさに応じる。
「墨筆は薪に如かず。清泉自ずから渓をなす」
 
「天下を治めるの道如何」
 
「天上天下彼我に別なし。唯、水鏡に我が身を映すのみ」
 
「宜なる也。君こそ我が畏友、李徴子にあらずや」
 
声にどこか覚えがある。主人とは、李徴子が莫逆の友、袁傪であった。
「李徴ではないか!」と10年前に気さくに声をかけてきた袁傪は、今は禅僧のように油が抜けて、ほっそりした眦の感じにかすかに若き日の面影を残している。
ぼそりぼそりというわずかな応答の間に、二人の目には涙が浮かんだ。
 
それまでは旧友にも他人のごとく平然として、落ち着き払っていた袁傪がおもむろに李徴の前足を握りしめた。
「貴兄を待つこと十余年、国威は日に日に弱まり、諸侯は天子など気にも留めない。長官として君側に控える私に君ほど才覚があったなら、どうするであろうと自問しない日はなかった」
この日をどれほど待ったことだろうか、という大殿の言葉にほだされて、李徴もまた、百獣の王たる威厳を忘れて滂沱した。
 
人間でありえないからこそ、自分は虎になった。そう、李徴は信じていた。
今、莫逆の友の告白を耳にして、信じがたい心地がする。人間として、器用に生きることができた友人が、異類として世間からはじかれた自分をうらやむ気持ちが、にわかには理解できない。
たしかに、虎としての李徴の生活は、かつてないほどに単純明快で充実していた。
だからといって、人間界で栄達を極めた袁傪から、自分を褒められるなど思いもよらない。
自分を虎になるまで追いやった都が、今自分を求めている。まったく不思議なことだと、李徴は首をかしげる。
 
「一緒に都へ来てはくれまいか」
深々とこうべを垂れた友人が顔を上げた時、李徴はもとの精悍な人間のすがたに戻っていた。
 
 
 
あれからもう暦が一巡はしたであろうか、峠の人喰い虎のことなどすっかり忘れ去られたころ、かつての活気を取り戻した都では「屏風の虎」にまつわる噂が世間を賑わせていた。
なんでも天子様は難しい問題にぶつかると必ず、猛虎が描かれた屏風の前で一晩を過ごすらしい。
そして、その屏風を描いた絵師は、信じがたいことにかつて自分も人喰い虎であったそうな。