気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

原民喜「鎮魂歌」

My title

世界中から学生が集まる場所で、戦争と平和や、倫理の話になった。流血の有無にかかわらず、人々の苦しみや記憶と向き合い続けることは、リーダーに求められる普遍的な資質だと思う。過去に囚われては前に進めず、未来だけを語っても軽々しく感じられてしまう。人々の経験のコンテクストをくみ取りながら、今日と明日をつなげられるか、という難しい問いに触れるたび、原民喜の「鎮魂歌」を思い出す。感受性を剝き出しにして苦悶に満ちた生き方をした作者が、被爆の記憶と自らの家族の不幸を織り重ねた文学から感じ取れるものは決して少なくないのではないか。
評:原爆の悲劇を伝える生々しい叙事詩としてこの鎮魂歌を捉えることは誰にだって出来るだろう。この作品の白眉は、混沌とした最終局面にある。原爆という非日常は、作者の強烈な感受性によって捉えなおされ、日常とつながりを持つ。重層的な呼びかけに、死者の魂は呼び起こされ、統合され、ついには生ける者たちと一つになる。鎮魂とは、本来死後の世界での安らぎであろうが、この歌の行きつく先は、生者の安息であり、生命への賛美である。民喜は、誰よりも鋭利な感受性で全世界を受け止め、人類の悲しみを聖職者のごとく一身に背負った。そして、彼が目撃した広島の悲劇と無数の叫び声と彼個人の嘆きを統合することで、生きながら死者を代弁し、同時に自らの苦悩をも表現しえた。数多の犠牲者たちの匿名の叫び声は、亡くなってしまった肉親や友人たちの面影と同一になることで、鮮明に、力強くこだまする。繊細な彼の感受性もまた、身近な人々への思慕を超えて、無数の嘆きに呼応し、増幅され、普遍性を獲得する。彼が物語る相手は、追憶に蘇る愛しき人々であり、人類すべてである。耳を傾けよ、彼の嘆きに。人類の悲しみに。されど、明日は訪れん。そして、世界は変わることなく美しい。この鎮魂歌に、彼岸と此岸の別は存在しない。

以下、特に印象的だった結末部を抜萃する。

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僕は突離された人間だ。還るところを失つた人間だ。突離された人間に救ひはない。還るところを失つた人間に救ひはない。

では、僕はこれで全部終わつたのか。僕のなかには何もないのか。僕は回転しなくてもいいのか。僕は存在しなくてもいいのか。違ふ。それも違ふ。僕は僕に飛びついても云ふ。

......僕にはある。

僕にはある。僕にはある。僕にはまだ嘆きがあるのだ。僕にはある。僕にはある。僕には一つの嘆きがある。僕にはある。僕にはある。僕には無数の嘆きがある。

一つの嘆きは無数の嘆きと結びつく。無数の嘆きは一つの嘆きと鳴りひびく。僕は僕に鳴りひびく。鳴りひびく。鳴りひびく。嘆きは僕と結びつく。僕は結びつく。僕は無数と結びつく。鳴りひびく。無数の嘆きは鳴りひびく。鳴りひびく。一つの嘆きは鳴りひびく。鳴りひびく。一つの嘆きは無数のやうに。結びつく、一つの嘆きは無数のやうに。一つのやうに、無数のやうに。鳴りひびく。結びつく。嘆きは嘆きに鳴りひびく。嘆きのかなた、嘆きのかなた、嘆きのかなたまで、鳴りひびき、結びつき、一つのやうに、無数のやうに......。

 

一つの嘆きよ、僕をつらぬけ。無数の嘆きよ、僕をつらぬけ。僕をつらぬくものは僕をつらぬけ。僕をつらぬくものは僕をつらぬけ。嘆きよ、嘆きよ、僕をつらぬけ。......戻つて来た、戻つて来た、僕の歌ごゑが僕にまた戻つて来た。これは僕の錯乱だらうか。これは僕の無限回転だらうか。だが、戻つて来るやうだ、戻つてくるやうだ。何かが今しきりに戻つて来るやうだ。僕のなかに僕のすべてが......。

 

(略)

 

生の深みに、......僕は死の重みを背負ひながら生の深みに......。死者よ、死者よ、僕をこの生の深みに沈め導いて行つてくれるのは、おんみたちの嘆きのせゐだ。日が日に積み重なり時間が時間と隔たつてゆき、遥かなるものは、もう、もの音もしないが、ああ、この生の深みより、あふぎ見る、空間の荘厳さ。幻たちはゐる。幻たちは幻たちは嘗て最もあざやかに僕を引き付けた面影となつて僕の祈願にゐる。

 

(略)

 

死者よ、死者よ、僕を生の深みに沈めてくれるのは.....ああ、この生の深みより仰ぎ見るおんみたちの静けさ。

僕は堪へよ。静けさに堪へよ。幻に堪へよ。堪へて堪へて堪へてゆくことに堪へよ。一つの嘆きに堪へよ。無数の嘆きに堪へよ。嘆きよ、嘆きよ、僕をつらぬけ。還るところを失つた僕をつらぬけ。突き離された世界の僕をつらぬけ。

明日、太陽は再びのぼり花々は地に咲きあふれ、明日、小鳥たちは晴れやかに囀るだろう。地よ、地よ、つねに美しく感動に満ちあふれよ。明日、僕は感動をもつてそこを通り過ぎるだろう。