執筆者として自らに問うこと
週末にPCデータ整理をしていたら、ちょうど2年前に卒論を書いていたときのメモが出てきた。
研究の道へは進まなかったけれど、当時300ページ近い論文を書きながら学んだことは、仕事の上でも大事だと実感することが何度もあった。
論文の価値は自分の価値であり、社会へ自分の問いを突きつけることは何も学問に限らず事業でも同じくらい重要なはず。
一足飛びの横着な未来観を持っても、地道に積み木を積んでいく者にはかなわない。
仕事の方でも、ちょうど明日から新しいアサインメントが始まる今のタイミングで、肝に銘じたい。
- 自分は読者をどう導きたいのか?明確な意志はあるか?
- 自分の論文の価値はどこにあるのか?情報なのか、考え方なのか?
- 自分のアイデアから逃げていないか?
- 伝わらないんじゃないか、意味が分からないのではないか、という恐怖に対抗する唯一の方法は書き続けること。そして、書いては直し、書いては直し、という作業を地道に継続すること。恐れることなく、周囲に感想を求めること。
- 一旦筆を執ったなら、評価判断を保留しない。
- 思考する自分と、書き上げる自分と、そして批評し編集する自分は別々に持たないと行けない。今の自分が同時にやろうとしても、筆が止まり、思考が停止し、編集するべきものが生まれなくなる。思い切ってそれぞれの行程をやりつくすことこそ、最良の文章を生むための条件。
- 分からなくなったり、つまらないか不安になることを見越して、あらかじめフィードバックを受けられる環境を用意しておく。
- いくら面白くても、本筋に関係ないなら、早い段階で切り捨てる。書けば書くほど、のめり込み、挙げ句の果てに全部削除することになる。
- 執筆は積み木。毎日小さなピースを削りだし、整えて積んでいく。
- そしてあるとき振り返って、修正する。違和感があるときにした小さな妥協が全体のひずみになっていく。愚直に、謙虚に、容赦なく。