仕事は緊張感を伴うもので、出来る限りの準備をして臨みたいと思っている。
可能性を考えつくして、万全の備えをしてなお、想定外のことは起きる。
自分の実力相応の仕事をしていれば、不安はないかもしれないが、コンフォートゾーンから抜け出すことは出来ない。
だから、ぎりぎりまで粘って考え、準備するようにしている。
ただ、実務的なDiligenceも閾値を超えると、不安をエネルギーに変えて頑張り続けることが、かえって自分を頑なにしたり、うまく変化に対応するのを難しくしたりする。
計画が立てられないとシナリオが多すぎて混乱する。計画があっても思い通りにいかないと気持ちが滅入る。
目の前に集中しているときこそ、外と接点を増やしたり、無限にやることがあるときにこそ、どっしり構えてみたり、あえてすべてを捕えようとしない姿勢をとるほうが、なすべくして事が進む場合も少なくない。
自分自身がこれまで積んできた経験と育んできた感性を信じて、あえて力を抜いてみることが、周到な計画に勝る結果を生みうるのだと感じている。
実務的な課題は実務的に解決可能である。だから、結果的に今の自分が悩む価値のある課題は、実務のみでは解決できない複雑で繊細な人の問題になってくる。
神ならぬ身で全てをコントロールしようとしても、現実は易しくない。
だから、考えて方向性を感じ取りながらも、流れに身を任せながらその場での自分の判断を信じるほうがよい。
自分の計画を信じずに、お互いが歩みつつあるプロセスを信じられるか。相手を信じられるか。相手に向き合う自分を信じられるか。
プロセスそのものに注力して、後は互いの自然体に委ねることができれば、新しい世界が見えるのではないか。そんなことを考えている。
ありのままで通用できるようにこれまで鍛錬してきたはずだ。だから、自他ともにありのままで接する勇気を持ちたい。