恐怖と向き合う
このところ恐怖というものについて考えることが増えてきた。
何かと不安になり、几帳面なわけでもないのに潔癖でどうしてもイライラしてしまう。
落ち着かなさゆえに、無謀と言われた留学をしたり、卒論を書いたり、海外大生が遠慮する日本の大企業で仕事をしたり、安定を捨ててケニアに飛び込んだり、ユニークな人生を送っている。
こんなことになったのは、意識が高かったというより、苛立ちや不安が常に僕を駆り立てて凡庸を許さなかったからだ。
ある意味でこの性格は、人生の初期のフェーズにおいては幸運だった。
というのも20代というのは自分のやりたいことを模索すべき時であり、自分を理解するために様々な試行錯誤を広い範囲ですることに意味があるからだ。
ただ、最近になって僕はようやく、自分のすべきこと、得意なこと、取り組むべき事業を絞り込みつつある。
そうなってくると、今までは遊ばせておいても良かった不安感や焦燥といったものを、コントロールすることが大切になってくる。
「何をなすべきか」という問いに自分を収斂させ、地道な行動を重ねていかないといけない。
というわけで、毎日不安に胸が押しつぶされそうになった時、その不安について考える習慣をつけようとしている。
何が不安なのか、何を恐れるのか、感情を客観視する習慣をつけたい(マインドフルネスとかでよくある)。
ここを十全に理解した時、僕はようやく心を落ち着けて大胆な試みをすることができるのだと思う。
人生に時間があるようで実はない。数十年かけなければ納得のいく事業は生み出せない。
それがはっきりした今、不安や恐怖に惑わされることなく、自分が集中することのできる期間を伸ばしていくことが大成への道だと思っている。