2025年「Leap Forwardの年」から2026年「Fly Highの年」へ
資金調達をして、起業したことが、間違いなく今年一番の変化でした。
これまで自分のプロジェクトを始めたり、短期で面白いと思った取り組みをしたり、世界中で好きなことをやってきた自分ですが、「これに全力投球します」といって、実際に全生活をかけて取り組んだのはこれが初めてでした。
チームにも投資家にもスタンフォードのエコシステムにも多くの方々に応援されながら、文字通りの試行錯誤の毎日。
一番根底にあった3つのConvictionのようなもの、
1. Is this the right theme?
2. Is this the right timing?
3. Is this the right founding team?
は揺らぐどころではなく、想像できる限りの失敗を重ねるなかで、どんどんと磨かれて鮮明になってきています。
スタンフォードに来る前の、ケニアのスタートアップCFO時代は、起業家の伴走者としてバランスを取りながら仕事を進めていくところに価値があっただけに、ともすれば「バランスが崩れている」といえるレベルの強烈な主観性と覚悟を求められるVenture-Backed Startupの創業は、違った世界でした。
CXOにはプロとしての職分があり、その領域の外に事業が出てしまえば、辞めるという選択肢があります。
ただ、投資家からお金を預かり、社会から才能ある人材を預かる事業主体となると、正直言って「道半ばで辞めるくらいなら死んでしまった方がまし」という気持ちにさえなります。
失敗した人こそ再チャレンジするべし、というシリコンバレーの教えもありますが、自分が尊敬する起業家たちは、決して失敗を軽くとらえたり、起きて当然とするような人たちではありませんでした。
死を避けるためには、生を全うしなければならず、そのためには自分の殻を打ち破り、恐怖を直視し、合理的かどうかを超えて自ら死地に飛び込んでいく必要があります。
スタートアップが目指す「世界を変える」「大きな事業を作る」といった際に飛び込む「未来」は、言葉の上ではまぶしく輝いていても、実際には死地と同義でしょう。
かつて本田宗一郎は、「自由に生きるということは、嵐の中に生きるのと同じである」と言っていましたが、スタートアップが目指す未来とその過程の自由な創造の機会は、死地を生き延びたものがつかみうる世界線であり、計画的な仮説検証の先にえられるものではないのかもしれません。
アフリカの片隅で、数万の小規模農家と、何百万本の木を植える仕事をしていたとき、悲しい出来事も、絶体絶命の経験も、何度となく戦ってきました。
目の前で人の命が奪われたり、世間では信じられない裏切りに遭遇したりして、世界の冷酷さを恨んだことも一度や二度ではありません。
世界の未来をなんとかするのがスタートアップのビジョンであればこそ、現実の酷薄さは大きなひずみになって事業の存続にぶつかってきました。そこにいる人々の人生も往々にして大きな影響を受けます。
そこを何とかするのは、楽観だったり、あきらめの悪さだったり、そして何よりも生きることへの執念と気迫であった気がします。
自由に生きるためには、死地で戦い抜かねばならず、そこには頼るべき指針も社会のセーフガードもありません。
社会がどんなにスタートアップやリスクテイクを奨励し、応援したとしても、結局のところ事業の運命を変えることはできません。生成与奪はつねにPMFできるか、スケールできるか、危機に際して事業として存続できるかに依拠します。
冬休みに自分の1年を振り返り、先輩起業家や投資家など、気持ちを一度事業から話して自分のあるべき姿に向き合ったとき、今までにない危機感を持ちました。
重圧を蹴り返す力、自分なりの執念のようなものが、現状で10倍から100倍は足りないのではないか、まだ理性に甘えている自分の姿に卒然とします。
プロフェッショナルとしての職分は困難な約束を果たすことにありました。経営者としての起業家にはもちろん成果への説明責任はありますが、アーリーステージの起業家に求められるのは直感と行動に裏打ちされた、「信じるに値する未来」を描く力です。
目の前に広がるのは死屍累々で不完全な世界であっても、そこにめげることなく、想像力の筆を折ることなく、「どう現実に向き合うか」で思考を止めずに、「社会や事業はどうあるべきか」を語り続けていくことが、起業家であったり経営者の仕事なのだと思います。
20代を振り返って、必要な時に必要な人と出会う幸運に恵まれ続けて、ここまでこれたのだと改めて感謝の念とともに実感しました。
前職時代、アフリカのスタートアップで仕事しながら自社や他社の栄枯盛衰を目の当たりにする中で、チームと投資家は起業家の生き方の写し鏡だという話になったことがあります。
起業家として、理知の砦というComfort Zoneから飛び出していく自分が、どこまでひとつの生命として真正性をもっていられるか、その答えは後になるまでわかりません。
ただ、この1年の紆余曲折のカオスを切り開いてくれたのは、閉塞感に打ちひしがれながらそれでも打ち続けたメールであったり、かけてみた電話であったり、出てみたイベントから生まれていたことが少なくありません。
再現性も根拠もないけれど、そうした必死から生まれる幸運の打率を信じて、腐らず、あきらめず、最後の一滴までやっていきます。
目の前のことばかりに気を取られていて、本当の意味での起業する覚悟が持てていなかったのではないか、と今自問しています。
スタンフォードでの3年間、考えたり試したり、人に出会ったり、議論したり、入りきらないくらいの経験を体に詰め込みました。
そこから得た知識や経験として理知的に社会に還元できるものはありますが、自分は思想家ではなく起業家だと決めた以上、説明できないつらさや、わかってもらえないもどかしさは、一種の職業上の必然でしょう。
説明がつかないほど先の未来を描けていれば、それを事業を通じて実現することでしか、社会に「わかってもらう」のは難しいですし、実際その繰り返しをしている過程で、どれだけ「わかってもらう」ことに価値があるのかも、疑問かもしれません。
年末に一緒に振り返りをした友人と、客観と主観のバランスを行き来する人種は、どこかで片方を撃たねばならない、という話になりました。
僕は起業家であることを選んだのですから、客観がもたらす安心を手放し、暴れ狂う主観と向き合っていきます。
一年前のブログでは、2025年は信じて飛び出す、Leap Forwardの年にすると書きました。
2026年は、飛んでみて暗中模索の先に見えてきた未来の可能性を、信じて高く高く引き伸ばしていく年にします。
飛び出して終わりではつまらない、きちんと高く遠くまで飛翔できるのか、人生をかけて挑戦します。
