Zeitgeist

ケニアのスタートアップで企業参謀。留学した後の話。

考えることをやめる

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考えることを僕がやめたら、何が起こるのだろう。
感受性を最大まで高めて、ありとあらゆる兆候を感じ取ろうとしてピリピリしながら勉強や仕事に向き合ってきた。
同時に、自分のいる場所や役割を理詰めで考え、戦略的に正しい判断を突き詰めながら、自分なりの選択をしてきた。
短期的には悩んだり、憂鬱な気持ちになることがほとんどだったけれど、留学、就職、転職と有意義な挑戦を続けざまにできたのも、挑戦で求めていたものを得られたのも、異常な執念と自分の存在意義にかかわる不安感があったからに他ならない。
 
ただ、こうした仕事との向き合い方には、問題もある。
自分の役割や期待される立ち居振る舞いばかり気にしていては、マクロ的には正しくても、めまぐるしい現実の中で価値を生むことはできなくなってしまう。
シェフを目指して修行する料理人が、何のために自分が料理をするのか悩んで手を止めていては、戦場のように慌しい厨房では使い物にならないように。
 必要なのは、自分を客観視する大きな視点と、日々の成功につながる小さな努力だ。
 
考えすぎて、自分の頭脳に翻弄されるのも愚かだし、正しさばかりを求めて行動の質が落ちるのは、職業人としてダメだと思う。
今の煮詰まり切った自分はまさにそうやって手が動かせない状態にある。
 
背負えないものを背負おうとしていることが客観視できているのに、どうにも割り切れない自分がもどかしい。
さらには、今の自分には失敗することへの底知れない恐怖もある。
向き合っているようで、逃げている感覚。はっきりいって最悪だ。
 
必死に頑張ったのに、蓋を開けたらもともと筋の悪い勝負をしていた、そんな状況になることが死ぬほど恐ろしい。
ひょっとしたら、筋の悪さに気づいたところから新しいアイデアが浮かぶかもしれないのに、僕は「カッコ悪い」打ち手を繰り出すことを恐れるあまり、生身で挑戦してこなかったのではないだろうか。
一見捨て身のようで、自分が本当に恐れているリスクを全く取ってこなかったのではないだろうか。
自分の専門分野にも慣れてきたところで、安全圏、想像の範囲内でしか仕事を受け付けなくなっているのではないだろうか。
立ち止まって考えてみたい。
 
物事の流れが見えること、大きく考えることが得意なのは、僕の強みだ。
とことん考えて、答えが出るまで思考も行動も止めない粘りも、僕の強みだ。
だから普通とは違う選択肢を掴んで、道を作ってこれた。
 
ただ、それが空回りする時がある。日常だ。
日常はただ流れていく。最高の意思決定を時間の流れは待ってくれない、満足のいく思考をすることもできなければ、判断をハラ落ちさせることもできない。
これまでの人生の岐路で悔いのない決断をしてきたように、万全に、自分のタイミングで考え続ける僕のスタイルは、日常という当たり前の世界で全く通用しない。
整然とした学術論文を書くような、すべての段落が一貫したテーマとロジックを持ち、アッと興味を惹くエビデンスや、えぐるように鋭いセンテンスを備えた日常は存在しない。
むしろ、日常はツイッターのように、気の利いた言葉や真新しいものが流れてきつつも、結局は積み重なることも整理されることもほとんどないまま、大半が消えていく。
時間をかけて全体感を掴んで、納得のいくパーツを作り込んでいく作業は、実務家の日常にはそぐわない。
全体感ばかりに頭を使うやり方では、限界が出てきたのだ。
 
人生を旅に例えるならば、この10年間の僕は正しい方向を見定め、そこに向かってまっすぐ歩き続けることばかり気にしていた。
どっちを向いて歩けばいいか暗中模索の年月を経て、今の自分は大体の方向性(テーマとポジショニング)をつかむことができた。
一方でこれまでの僕は、道の歩き方にとことん無頓着だった。
思い切りエネルギーをぶつけて、必要な時に必要な距離進むというスタンスで、行き当たりばったりに、走ったり、息切れしたりを繰り返してきた。
そんなことばかりしていると、靴の中に小石が入ったり、何かに躓いたりする痛みにも無頓着になる。
むしろ「それが旅だ」と錯覚し始め、苦労や苦痛を努力の証と勘違いするようにさえなってくる。
 
行き先がはっきりしてきた今の僕に必要なのは、水平線の向こうのゴールばかり考えるのではなく、今この瞬間の歩き方を工夫することなんだと思う。
まだまだ長い道のりを、力強く、着実に歩き続けるために、根性論から抜け出して、一挙手一投足を最適化することに頭を使いたい。
痛みが成長を生むのではなく、痛みなく成長する環境を作ることで、より遠くまでより早く行けるようになりたい。
大きく考えることも、小さく考えることも、どっちも縦横無尽に出来る最強の自分を想像して、ワクワクしながら進んでいきたいと思う。
ケニアに来て半年目、ようやく手応えのある自分の中の壁にぶつかることができた。
 
ということで、しばらく大局観をやめてみようと思います。
今の僕には割り切れないことも多いので、割り切ろうとも考えず、割り切れないと諦めることもせず、中途半端なまま保留して、目の前の日常をスムーズに、泥臭い努力をエレガントにできるようになりたいと思います。
思いっきりセンチメンタルな内省ブログになってしまいましたが、最後まで読んでいただいた皆様、ありがとうございました。