気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

フライデーナイト理論

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社会人になりたてで「自分はああなりたい、こんな仕事ができるようになりたい」などと仲間と血気盛んに議論していたころのこと。

研究、ボランティア、インターン、学生のうちは色々なことに関心を持つ人たちが、どうして社会に出て年月がたつと、あんなに熱くなっていたテーマから離れてしまうのだろうと、ふと考えた。

 

当時の僕の仮説は、次のようなものだ。

  • 学生時代に語られる情熱は、少なからず語られることを目的としたもので、必ずしも本人に内的な動機があるとは限らない
  • 時間のほぼすべてが自由に使えた学生時代に興味のあることでも、仕事が忙しくなり私生活も充実してくれば、時間のコストが上がって優先順位はシビアになる
  • したがって、当人にとって本当に永続的な意味を持つ「情熱がある」ことは、学生時代誰もが飲みに出かけて息抜きをする金曜日の夜に、その人が誘いを断ってでもやっている活動だ

僕はこれを”Friday Night Theory”と呼んでいる。

「フライデーナイト(あるいはたまの休日)を割いてでもコミットできる活動が、本当に当人にとって意味のある活動といえる」というものだ。

自分にとっては他人をどうこういうものではなく、若手社会人として仕事に没頭しつつ、どうやってソーシャルセクターでの活動や研究に自分をコミットできるのかを考えるためのフレームワークだった。

 

社会人になって、仕事をバリバリこなしながら、夜中に勉強して博士号をとった上司と出会って、この仮説は確信に変わった。

「忙しいときこそ、酒を飲んでいても寝不足でも、寝る前の15分勉強しろ」という彼の口癖に刺激を受け、「金曜日の夜にする努力の平均値が、3-5年後の自分を作る」と自分なりに解釈を発展させて、色々なことに取り組むようになった。

言うまでもなく、人それぞれ息抜きを見つけて、メリハリ付けて楽しむことは大切だ。

ただ、つかの間の余暇、何もしなくてよい時間に、何をしているかを自分は大切にしてきたように思う。

 

Twitterから一度距離を置こうと決めた。具体的には、フォローを一度全て外した。

これも、自分にとっては一種のFriday Night Theoryに基づく意思決定だ。

僕はもともと好奇心がとても強い。

政治、文学、歴史、地理といった人文社会のアカデミアから、カメラのような趣味性の高いもの、仕事にも密接にかかわるベンチャーや気候変動、ソーシャルイノベーションまで、興味の赴くままにTwitterでフォローを増やし、際限のない探求心を満たしていた。

自分の専門分野では、経験豊かな先人の知恵を勉強させてもらい、専門外では知らなかった世界をのぞき見させてもらった。

Twitterの醍醐味であるFFの方々との交流も、とても楽しく、若輩の自分に声をかけてくださる奇特な方もいて、生活を豊かにしてくれた。

世界のどこで何をしていても、まるで一種の大都市に暮らすように”I was within and without”という緩やかなコミュニティ意識を持たせてくれるTwitterが今も自分にとっては心地がいい。

一方で、コロナ禍が長期化して、人に直接会う機会が減り、旅行もまもならず、自分にとってTwitterが「世界の窓」として、今までになく重みをもつようになった。

 

Friday Night Theoryに当てはめると、余暇の時間のインプットにTwitterが台頭してきたことは、新しい発見に目を向けるという点では良いことだが、自分の頭のアジェンダをTwitterフィードに左右されてしまうという点で、理想的とは言えない。

忙しい日常の中で、”Friday Night”は文字通りあっという間に過ぎてしまう。

漫然と情報を消費するのではなく、自分で意図を持って時間を使いたいのだ。

  • ニュースのヘッダーを読み流すのではなく、優れたジャーナリズムに触れる
  • 面白い記事やリサーチを散発的に読むのではなく、どっしりとした教科書を勉強する
  • 話題性を狙った小ネタをつぶやくのではなく、アイデアを構成してブログにして発信する
  • 有名人のつぶやきを追うのではなく、本やインタビューを読み込んでメモを書く
  • 知り合いの投稿にいいねをするのではなく、キャッチアップをメッセージで申し込む
  • 会ったことのない、それでも会いたい人に手紙やメールを出す。ダメもとで、ラブレターを書いて、会いに行く

今の自分を築いてきたのは、こうした意図のある”Friday Night”の使い方だったように思う。

だから、今一度、原点に立ち戻りたい。