最後の学期
冬休みが終わった。
卒論の前半を徹夜で仕上げて、帰宅してそのままメールで送ったのが一ヶ月前。
連日の面接と面談を楽しみながら、就活に明け暮れ、そしていざ決断を迫られて、戸惑い苦悩した。
いや、今も一抹の不安があり、心の底に沸く情熱は行き場を求めて僕を内側から突き破らんばかりだ。
これまで自分の向き合ってこなかった、進路の決断、家族の将来、自分の人生観といったことが一気に噴出したこの一ヶ月。
道が開けるたびに、途方もない可能性に言葉を失う自分がいる。
変わらないことは、自分で拓いたフィールドこそ、自分で一歩一歩発展させていかなければならないということ。
今回の決断は、決して生易しいものでも、快適なものでもない。
ではなぜ、僕はこの結論を出したのか。それは、自己の信念が導く方角だから、そしてこの道筋を描いてしまったからという以上でも以下でもない。
一般的に考えて極めて不条理であっても、自らがその決断の意義を明確に定義し、その道筋を生きることで世に思想を顕現するならば、僕の生に価値はあるはずだ。
世界に価値のある人生を歩みたいと願ってきた。
その場その場で自分の存在価値を定義できないことは、死であると信じてきた。
歴史の絶壁に刻み付けるべき、何らかの思想、何らかの行動を模索する人生は続く。
この一年、あるいは数年を過ごすにあたっての僕の課題は二つ。
怠らないこと。そして、焦らないこと。
今の僕はあまりに衝動的で刹那的すぎる。自分の理性に従って、常に最善の選択をし、そのように自己を律すること。実行されない思想に価値はないのだから。
今の僕はあまりに焦りすぎる。何も出来ない自分を恥じ、満足を知らず、常に挑戦を渇望するのは悪くはない。でも、歴史に鑑みて、大業の陰に無数の試みがあることを忘れてはならない。焦りの時期、模索の時期、雌伏の時期にこそ、来る雄飛に備えてひとつひとつの試みを怠らずに完成させておくことが要諦だ。
つまり、これからも考え続け、行動し続けることに変わりはない。ただ、大体の方向性が見えてきたここからは、いかに人生の大目標を日々の営みに結びつき、その途方もない可能性を信じて、それに恥じないだけの努力を積めるかが勝負の分け目になる。
自分の夢を信じ、それに堪ふる限りの力を尽くして生きねばならない。
自分に恥じない一日が、世界史に誇るべき業績の土台となる。
自分に負けるな。弱さを克服し、強さの限界に挑み続けろ。