「不毛地帯」
初めて山崎豊子を読んだのは、中学2年のころで、国語の先生から勧められた、「沈まぬ太陽」を皮切りに「華麗なる一族」、「不毛地帯」と現実以上にリアルでスリリングな社会小説として、描かれる人々の生き様の不安や悲しさに戸惑いながらも愛読してきた。
この数週間、卒論やらボスキャリ後のどたばたの合間に不毛地帯のドラマを見ていた。
中高生の感想とはまったくちがった感触をもった。
許せない人物が許せるようになり、想像できなかったことに思いが至り、それでもなお、世の中に知らないことの多い自分を実感する。
【縁、信念、目的、情愛】
山崎豊子の作品の精華は、ビビットな人物描写と複雑に絡み合いながらドラマを織りなすキャラクター間のやりとりにある。
学生の自分の想像力がひかに貧弱なことか。
昨日の敵が今日の味方になり、隆盛の絶頂からたやすく貶められる。
善意が裏目に出て不幸をまねき、意図せぬ対立がのちの協力の基礎となる。
愛憎はげしく人が生きれば、お互いをすり減らしながら、必死に信じるものにしがみつくしかなくなる。
計画も、解決も、人の世の夢に過ぎない。
すべては尽きることなく、途切れることなく延々と続いていく。
明確な終わりがないのなら、明確な安息はもちろんない。
そのなかでいかに生き、どう運命と人生に向き合うかが、試されていく。
肩の力をぬきなさい、と昔恩師に言われた意味がすこし分かるような気がした。
【組織のありかた、創業者の責任】
不毛地帯の最終幕。土門社長の勇退のシーン。
創業者として一代で繊維問屋を総合商社にまで育て上げた辣腕経営者は、過去の成功に取り付かれて経営判断を誤る。社長の勇退を見届けて、次期社長確実の呼び声高い副社長の壱岐は、辞表を願い出る。
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土門社長「これから、会社はどないなるねん?」
壱岐副社長「次の世代は育っております。組織です。これからは、組織で動く時代です。」
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ファウンダーの時代はもちろんある。意気盛んで辣腕の創業メンバーたちが作り上げた芸術品を、いかに自然な形で手放すことが出来るのか。
こんなんでは全然ダメだと、今ひとつ納得がいかないと、感じることもあるはずだ。
だが、しかるべき仕事をなしたなら、そこからは次の代に任せなくてはならない。
自分がそれまでに作り上げてきた仕組みを信じて、組織が仕事をできるようにしなくてはならない。
そうしない限り、組織も自分も傷ついてしまう。
引き際の難しさは、タイミングもその準備も、人類の歴史が証明する通りだ。