気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

Knight Hennessy Scholarとしてスタンフォードに行きます

今年の秋からKnight Hennessy Scholarとしてスタンフォード大学の経営大学院に進学することになりました。

学生時代に教育NPOで活動して以来、一貫して社会的インパクトとビジネスの結節点を模索してきました。

社会人になってからはインパクト投資をテーマに、ファイナンスのキャリアを歩んできました。

日本人初となるスタンフォード大学の全額奨学金リーダーシッププログラムへの参加を通して、身の丈に合わない挑戦を求めていこうと思います。

(奨学生の活動拠点となるDenning House:PC Tim Griffith)

 

Knight Hennessy Scholar

Knight Hennessy Scholarshipは、スタンフォードの全大学院に進学する学生を対象とした奨学金・リーダーシッププログラムです。

KnightはスポーツブランドNIKEの創業者フィル・ナイト、Hennessyはスタンフォード大学第10代学長で現在はGoogleの親会社Alphabetの会長を務めるジョン・ヘネシー。

スタンフォードにいるあらゆる専門知と経験を横断的に束ねるプログラムとして設立されました。

"Collaborate and prepare to address important challenges and opportunities facing the world"(世界にとって重要な意味をもつ課題や機会に取り組む)ことを目的に掲げ、ビジネス、エンジニアリング、医学、法学などのProfessional Schoolのみならず、文化人類学や社会学、自然科学まであらゆる分野から、70名の学生を選出しています。

選出された学生は、3年までは学費・生活費の全額が支給され、Denning Houseという専用の施設で様々なプログラムに参加するほか、在学中・卒業後も様々な支援を受けます。

合格率2%未満と呼ばれる狭き門であり、日本人としては初の選出ということで、とても嬉しく思います。

knight-hennessy.stanford.edu

 

人生を変えた一本の電話

学部時代に留学を決めた時も、新卒で就職活動した時も、「進路で悩むときは選択肢を勝ち取ってから考える」という方針をとってきました。

今回は、会社の仕事も忙しく、大学院に行くベストなタイミングか否かを考えていても、結局タイミングが合わないかもしれないし、仕事で転機があるかもしれないし、あらゆる可能性があるし、らちが明かない状況なだけに、「受からなければ選択肢も存在しないのだから、とりあえず受けてみよう」と考えました。

結果、出願したのは気候変動に特化したE-EIPERSプログラムやソーシャルイノベーションで知られるスタンフォード一校のみ。

合格通知を受け取ってからも、仕事でいっぱいいっぱいになっていて「今は考えられない」と無感情に先延ばしをしていました。

 

事業に関わる人々に誠実な選択をしなければならないという現実的な問いに加えて、「今の仕事は楽しく、やりがいもある。貧困と気候変動という人類の2大テーマを最前線でチームと解決する意義に勝る理由があるのか?」という問いに、どうしても答えが出せず頭を抱えました。

高額なMBAの学費と2年間の機会費用を払うより、自分で起業したほうが良いのではないかとも考えだすと、キリがありません。

アフリカベンチャーの第一線で仕事をするから見えてくる世界や、現場にいるからこそ出会う機会はどうなるのか、先進国の小さなバブルの中で本当に世界が変えられるのか、堂々巡りです。

 

悶々としていたある週末の夕方に、携帯にUSの国番号で電話がかかってきました。

"This is John Hennessy. Congratulations, you are selected for the Knight Hennessy Scholar program! Are there any questions I can answer about the program?"という声を聞いたときに、悩みが氷解していくのを感じました。

世界中のあらゆる分野でトップの人材を集めるスタンフォード大学が総力を結集するプラットフォームとしてKnight Hennessy Scholarsが設立されたことは知識として理解していました。

ただ、Googleの親会社Alphabetの現会長で、Marc Andreessenが"Godfather of the Silicon Valley"と呼ぶJohn Hennessy本人が合格者へのリクルーティングをしているという事実に象徴的な意味があるように思えたのです。

学費・生活費を全額支給、というのは世間一般の常識からみて破格の待遇といえます。

いわば「世界の食客」の立場で、「世界の課題」に自由に挑んでほしい、出来るかどうかは分からないが、最高のメンバーを最高の環境に集めて真っ白なキャンバスの前に立たせたら、誰も思いつかなかった何かが生まれるかもしれない、という、人類の未来を託されるような期待を感じました(少し大げさかもしれませんが、あまり外れてもいない気がしています...This is Silicon Valley!)。

肩の力がすっと抜けて、「ああ、この挑戦は受けて立たなければいけないな。Challenge acceptedだ」と思ったのを覚えています。

 

(Denning Houseその2:PC Tim Griffith)

 

気候変動をテーマに

Komazaでの仕事は、人類の20世紀の主要課題である貧困と、21世紀の主要課題である気候変動の結節点といえるものでした。

21世紀後半の人口動態の中心をになうアフリカというダイナミックな環境に身を置く意味も小さくはありません。

インパクト投資に関心を持った自分は、お金を動かすことよりも、お金を事業として形にして、インパクトそのものを生み出す過程を理解するために、5年前ケニアのベンチャーに転職しました。

貧困削減などと大上段のテーマで先進国から投資をするより、事業の作り方、経営のリアリティ、ステークホルダーとの関係などを現場で感じ取りたいと思ったのがきっかけです。

当初転職するために話を聞いたインパクト投資家たちも、業界に必要なのは投資ではなく現場で事業を作るリーダーだと口をそろえていました。

アフリカ、貧困、気候変動という今後1世紀を動かす主要なアングルが重なるKomazaを選んだのは、現場で日々奮闘しながらも、世界の未来とつながりを持っておきたいという、戦略的な判断だったように思います。

 

たった5年の間に時代は移ろい、当初はSmallholder FarmerがキーワードだったKomazaはClimate TechやNature Based Solutionsと呼ばれるようになりました。

気候変動が今世紀最も人類にとって重要な課題なのは疑いがありません。

貧困から気候変動へテーマが映るにつれて、改めて実感したことがあります。

それは、貧困には「現場」があるのに、気候変動には「現場」がないという事実です。

異常気象など局所的にダメージがありながら、根本では全地球的な課題であるところに、気候変動の難しさがあります。

目の前のインパクトがとりわけ重要な社会的インパクトの世界以上に、学術的な理解も含めた地球レベルの視座と、課題への専門性、さらにはローカルな泥臭いオペレーションのすべてを統合することが、21世紀を変える気候変動スタートアップには求められるでしょう。

その差分を埋めるために、分かりやすい現場を離れて、アカデミアの近くに身を置く決心をしました。

気候変動を解決するために、Climate FinanceとClimate Venture Managementのプロとして自分に何ができるのか、何をすべきなのか、大きな問いに挑む準備がようやく整ったのではないかと思います。

せっかく自由な時間があるからこそ、構造化やスコーピングができない、扱いきれない大きな課題にだけ挑んでいきます。

「これはいける!」という確信よりも、「これなら挑戦する価値がある!」と思えるかどうかを大切にしていきます。

 

Komazaでの5年間について 

20代の半分を捧げたKomazaを離れるのは苦しい決断でした。

チームや投資家などお世話になった方々に報告して、"I am so happy for you! Can't wait to see what you will do next!"と言われるたびに、正直胸の奥がズキズキと痛みます。

ベンチャーにいればやらなきゃいけないことは無限にあり、会社が成長する中で出来ることの幅もどんどん広がっていきます。

Komazaでの仕事は、始まりも終わりも、チームの存在が最も大切なものになるのではないかと考えています。

Komazaでの初出社の日にCEOに長期のファイナンスが事業の継続性・成長性に直結する森林領域のベンチャーには投資家と同水準・規模の専門チームが必要だとピッチして、Corporate Financeのチームを立ち上げました。

何人もの優れたプロフェッショナルが世界各地から集まり、業界を驚かせるディールや複雑な社内プロジェクトを実行してきました。

投資家がDDのデータルームをみて、”Best ever!"と感嘆の声を漏らしたり、新しいプロジェクトの現場レベルの創意工夫が業界のベストプラクティスとして取り上げられたりするたびに、現場で変化を形にしていく醍醐味を感じてきました。

スタートアップでありながら、いやだからこそ、業界を主語にして、メンバーひとりひとりが創意工夫をしている今のチームは、僕にとってかけがえのない存在です。

 

だから、生半可な覚悟ではこのチームを去ることは出来ないと考えてきました。

大学に戻るという選択は、もう一度自分をまっさらにすることでもあります。

ゼロから挑戦して、チームを驚かせるような成果を上げられるかと自分に問うたび、背筋がピンと伸びて胃がきゅっと締まります。

最近、チームについて言われて一番うれしかったのが、"They are not just a strong team. They are a team of strong individuals."という言葉でした。

優秀なメンバーがリーダーシップを発揮して、不可能を可能にしていく。

僕が最もKomazaを去りがたい理由は彼らチームの存在であり、同時に、僕が次に進んでも会社は大丈夫だろう、もっと成長するだろうと確信できるのも彼らチームの存在があるからです。

残りわずかですが、最後の一日まで自分の職業人としてのベストをチームにぶつけたいと思います。

(マサイマラでのオフサイトでチームと)

 

252-253週目:思えば遠くに来たものだ

思えば遠くに来たものだ。

留学したときも、日本に帰国して就職したときも、ケニアで仕事をしているときも、出張で飛び回っているときも、ふとした瞬間に自分が今どこで何をしているのかわからなくなる。

直感的に行動してきただけなのに、目指したわけでもなく無国籍的、無所属的な存在になってしまったのではないかと不安になる。

気候変動やインパクト投資という抽象的な未来像を追い求めると、意味を持つのは実績と実力だけで、帰属意識はかすんでいく。

グローバルといえば聞こえが良く、根無し草といえばものかなしい。

世界という大きすぎる主語との一体感は、さほど安心感をもたらしてはくれない。

 

今日で31歳になったのだけれど、特段の感慨とか意気込みは感じない。

これまでは、毎年目標を立てて頑張ってきた。アグレッシブに差分を設定して、埋めるために限界に挑んできた。

今年はそうではない。

なんというか、今までの経験全てがめぐりめぐって力が抜けている。

20代で、人とは違う経験をして、人一倍変化しようとしてきたからこその実感なのかもしれないが、この1年は力を抜いてありのままを見つめる時間になる気がする。

社会課題という大上段の主語で、アフリカという新興市場に飛び込んでいって、国境関係なく仕事をしてきた。

不可能と言われれば、何とかやってみようとしてきた。

ときには堅い壁に頭を打ち付け続けるような無力感と痛みにさいなまれることもあった。

仲間の存在がきれいごとではなく生命線となり、自分のひとりの力で社会を変えられるという幻想が叩き壊された。

誰も解決したことのない課題は、やはり難しくはあったが、冒険的なスリルがあって楽しかった。

大変な経験はあっても、悲壮感はなかったように思える。

 

身の丈に合わない問題を解決しようとし続けた10年で、もっとも変化が大きかったのは、課題解決の能力そのものよりも、解決できない課題と向き合い続ける忍耐力だったり、解決できない辛さに対処する心の持ち方だったりする。

理不尽には今も憤るし、不可能には挑んでみたくなる。持て余している感覚や社会へのDefiantな姿勢はこの先も変わらないだろう。

ただ、取り組むことそのものの意義が、何をやってもトライアルとして価値があった20代からは変わってきている気がする。

今一度、冷静な目で世界を眺め、自らを省みて、何を人生でなすべきなのかを考えるのがこの一年になるのだろう。

251週目:社会への参画について

安倍元首相の暗殺という衝撃的な事件があって、心の中にぽっかりと穴があいたような、形容しがたい違和感と無意識に戦っている。疲れた。

政治的信条に基づくテロルではないとしても、こうした事件は時代の空気の象徴となって、うねりを作っていってしまう。

意図的であるかによらず、いくつかのランダムな出来事が重なり合って、時代の歯車が大きく食い違うなんてことは、歴史を振り返れば何度も起きている。

社会が過渡期にあるなかで、コロナや不況といった追加的な負荷が加わった時に、自分のことだけではなく、(とりわけ声なき)他者に想像力を働かせられるかが問われるのだろう。

選挙で投票することも、自分自身の日々の仕事も、「社会への参画」という点では、遥かに遠い道のりに思えてしまう。

けれど、小さな一票、小さな一歩を人々が積み重ねた先に、市民社会の未来は形作られるのだから、遥かに見える道こそ、正しい参加の形なのだ。

暴力や汚職といった「変化へのショートカット」は、市民社会において最も遠ざけられるべき道のりだ。

もどかしさをぐっと飲み込んで、やるべきことをやっていくのが市民としての成熟であり、社会としての矜持ではないだろうか。

249-250週目:ケニア初となるSawmillのオープニング、ファイナンスの意味

今週は、会社を上げて取り組んできた、ケニア初・東アフリカ屈指となるOl Kalou製材工場の落成式があった。

ケニア政府からはChief Conserverter in Forestryを始め高官が参加し、投資家からは三井物産の森林事業チームの皆様とサステナブル領域に特化したアセットマネジャーMirovaのCEOにスピーチをして頂いた。

ベンチャーにおいて、新しい事業やイベントは常にお祝いすべきものなのだが、今回のイベントはメンバーにとっても僕自身にとっても特別な機会となった。

自分の仕事では割と落ち着いている方なのだが、今回のイベントは終了後に感極まって深夜にLinkedInに長文ポストをしてしまった。。。

www.linkedin.com

 

Taking Risks in Emerging Market 

5年前、Komazaに入社した時、形の上ではシリーズAを終えていたこの会社に、売上という概念は存在しなかった。

NGOとして小規模農家と木を植えてきた実績を評価されていたものの、林業不毛の地と呼ばれた東アフリカでまっとうなビジネスを作れるかは分かっていなかった。

植林された面積から算出される木材供給量のプロジェクションを眺めながら、いつかは世界水準の工場を建てるのだと意気込みだけは十分だった。

 

2年前、KomazaはシリーズBを調達した。28百万ドルという金額はグローバルではそれほどではないが、当時は全アフリカのベンチャー調達のTop5にランクされ、2020年のケニアのベンチャー調達額のほぼ10%を占めるディールとなった。

このディールを支えてくれたのは、本流の林業投資家ではなかった。

数十年にわたってアフリカ投資をしてきた開発銀行は軒並み失敗を重ねていたし、林業経験豊かな投資家たちも、Komazaの新しいビジネスモデルに懐疑的だった。

一方で、気候変動やベンチャー投資で新しい時代に向けてリスクを取ろうとしてくれたのが、シリーズB投資家たちだった。

不確実性を飲み込み、投資委員会の疑問をひとつひとつ解消し、ベンチャーも投資担当者も一丸となって取り組んだ結果が、KomazaのシリーズBだった。

当時、最も熱い論点となったのが、植林にフォーカスを置いてきたKomazaに果たしてまっとうな製材加工ができるのか?というもの。

今回の製材所は、ブラジルやドイツなど世界各地から最適な機材を集め、ユニリーバ出身の工場長の指揮のもとオペレーションを構築したグローバルスタンダードの”結果”であり、会社にとっても投資家にとっても社員にとっても大切なマイルストーンだ。

 

Investing in Global Talent

リスクをとる、というと投資家を思い浮かべがちかもしれないが、無謀にも思える野心的な目標を掲げるベンチャーに入社して誰もやったことのない課題に挑む社員たちこそ、本当の意味でリスクを取っている。

Life as Equityと僕は思うのだけれど、自分の職業人生を賭けて難しいベンチャーに挑む人たちは、キャリアそのものを100%エクイティ出資しているようなものだ。

 

確立された産業がなければ、人材は集まらない。

Komazaにとってはこれは死活問題だった。

経営陣を集めようにも、アフリカのレイトステージベンチャーなんて数社しか存在しない。

投資・財務のプロを集めようにも、そもそもグローバルな投資銀行がないので、人材を求める先がない。

林業の専門家を探しても、東アフリカには小規模な工場くらいしかなく、数億円規模の工場を設計したり、運営したりできる人など存在しない。

だからこそ、資金を調達し、ビジョンを語り、世界中から人材を求めなければなかった。

シリコンバレー出身の経営陣、海外経験豊かなファイナンス、南アフリカ出身の製材のプロ、事業の土台を支えるローカルのマネジメント、すべてを揃えて初めて、このプロジェクトは可能になった。

”You invest in global talent, you will get a global standard result.”

ユニリーバでエンジニアリングのヘッドをしていた工場長の言葉が忘れられない。

目の前の課題も大切かもしれないが、Availableなリソースだけに頼ってはいけない。

大きな課題には、優秀な人をぶつけていくべきだ、という考え方だ。

 

Why Venture? Why Finance?

初めて完成した工場を訪れた時、鳥肌が立った。

今回のセレモニーで誇らしげにしているメンバーを見て、あるいは、完成に至る数多の試練を克服した武勇伝を聞いて、Why Venture? Why Finance? という問いの答えが、出た気がする。

ベンチャーの仕事はチームで不可能を可能にすることだ。

誰一人として全体をコントロールすることはできず、あちこちで同時並行して不可能への挑戦がなされる。

挑むのは現場にいる一人一人の社員であり、同時に会社全体だ。

経営者として出来ることは、ビジョンを語り、人を集め、人を支えること。

そして、ファイナンスの役割は、最も難しい課題に、最も優秀な人たちをぶつけるための経営資源を集める、投資実行することだ。

複雑なディールをまとめるよりも、今回の工場落成に立ち会った経験の方が、ファイナンスの本質を伝えてくれたような気がする。

 

Can You Share the Same Dream with Others? 

起業家と二人三脚で仕事をしてきた。

工場なんてなかった時に、アフリカ最大の林業ビジネスを作ると言って、投資家を説得した。

東アフリカに中規模以上の製材所が存在しないときに、グローバルスタンダードの工場を建てることにこだわった。

カネもない、人もいない、知見もない、というないもの尽くしの状況を少しずつ変えたのは、野心的な目標とそれに共鳴する人々だった。

人と同じ夢を見れるか?と常に問いながら、カネを集め、人を集め、知見を集めることが、不可能を可能にしていく道のりだと学んだ。

ファイナンシングは、このプロセスの一部でしかない。

工場が稼働したのを見届けた時、今まで感じたことのない充足感があったのは、きっと一通りのサイクルが回ったのを感じたからだ。

社員や投資家だけではなく、政府関係者や林業業界の人々など多くの人々が感動し、祝ってくれたのは、Komazaの夢が国や地域、業界にとっても意義を持っているからではないか。

何度思い出しても胸が熱くなってしまう。

 

 

せっかくなので、現場の写真も載せてみる。

まずは、工場の様子から。

 

オープニングセレモニーは政府高官や投資家などに加えて、近隣農家やお客さんも合わせて数百人規模になった。

イベント当日の司会はテレビのキャスターとして有名なMike Gitonga氏。

 

我らがCorporate Finance & Strategyチーム。ファイナンスって紙だけじゃないよねと盛り上がった。

 

工場建設の指揮を執ったエンジニアたちと。

 

フランスのサステナビリティアセットマネジャー、Mirovaのチーム。業界の有名人のPhilippe Zaouati CEOもスピーチのために出席してくれた。

 

Komazaが世界最大の植林者になっているMelia Volkensiiをはじめ、ケニア林業を40年近く支援しているJICAチームにも出席いただいた。

 

三井物産、FMO、Novastarチームと。

 

Chief Conservator of Forestsや三井物産チームの皆さんと。



 

246-248週目:ありのままで挑む

専門性に関わる仕事をするからには、自分の領域できちんと準備をして、重要な局面に臨みたい。

自分の知識を広め、深めて、多様な状況に最適な助言ができる存在でありたい。

一方で、専門家としてのみ仕事をしたければプロフェッショナルファームにいるべきで、清濁併せ呑んで不確実性に突っ込んでいくベンチャーにいるからには、専門性は武器の一つでしかない。


難しい局面を乗り切るのは、知識や経験というわかりやすい武器ではなく、しばしば人格そのものになる。

プレゼンも、予備知識も、計画もないとき、いかに立居振舞うのか。

トレードオフを突き付けられ、暗闇の中で不確実な意思決定を下し続けるときに、何を考え、何を伝え、何を表現するのか。

専門性は助けにはなっても、答えそのものを教えてくれはしない。


特定の状況のなかにいないと見えない現実があり、外から見ないと分からない可能性がある。自分が見なければいけないのは、どちらなのか。それが分かれば、変に応じて誤ることなく、真に迫って揺るぐこともないだろう。

本当に難しい局面で、準備をするのは自信を高めるためでしかなく、一種のプラセボなのかもしれない。


人のリーダーシップが最も強く顕れるのは、状況が切迫して自己の中核が剥き出しになるときだと思う。

剥き出しのリーダーシップを発揮するには、剥き出しの自分である必要がある。

その時本、人は最もリーダーとして適格であり不適格であるという矛盾した状態にある。

不完全な自分でありのままに、思うがままに状況に対処するのは勇気と覚悟がいる。

頭で考えるより速いスピードで、心の声を聞き、自分の限界を受け入れつつも、可能性と向き合わねばならない。

自分の限界と可能性を信じ、チームを信じ、結果を信じることができるか。大きな問いがあるような気がしている。