気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

224週目:考えてみること

生まれてから今に至るまで最大の勇気をふりしぼってメールに「休暇中」の自動返信を設定して2週間目。

去年の振り返りと今年の目標設定という初歩的なタスクが全く手につかないままでいる。

帰国中は予定を詰め込むのが鉄則だが、今回は別。

頭がまったく雑然として使い物にならないので、一度諦めて他の事をする。

5年くらい前から読みたいと思っていたユルスナールの「ハドリアヌスの回想」を読んでいる。

高校・大学と好きだったマルクス・アウレリウスの「自省録」に対する返答のような内容で、衝撃を受けた。

「自省録」について自分が持っていた違和感を言語化して、さらに何歩も進めた展開で、何度も読み返す。

本から受ける最初の衝撃は、たとえ理論書であっても、往々にして感情的なもので、インスピレーションを得たと感じたとしても、具体的にそれが何だったのかはきちんと分解して整理したい。

何に自分が反応しているのか、なぜそこに意識が向かうのか、なぜ作者がそこに非凡な表現を試みたのか、歴史書や自叙伝の類は、作者の意図と自分自身の反応を丹念に読み解くところに、おもしろさがある。

初読で線を引き、コメントを入れた内容を、もう一度読み返しながら、ノートを作る。

読み返す間に、初読の感動は幾分理知的で分析的なものになり、自分の初読のコメントに対するコメントがつけられるようになる。

コメントに対するコメントにヒントを見出して、休み中に片付けないといけないと悩んでいた問題が10個くらい片付いた。

飽きもせずにそんなことをやっていたら、あっという間に一週間が過ぎた。

223週目:金沢

新年にようやく公私ともに用事が片付いたので、思い切って旅行に出かけた。

行き当たりばったりの旅は、学生時代のバックパック旅行から好きで、コロナ禍でできなかったことの一つ。

ケニアにいると大自然に触れる旅はできても、新しい町や歴史を散策するのは難しかった。

今回の行き先は、金沢。想像していたほどの雪はなくとも美しい。

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1日目:

思いつきで往復の自由席券を買って、新幹線に飛び乗る。宿は定宿。駅前温泉付き以上に必要なものなどない。

新幹線で店をリストアップ。ホテルから電話するも、どこもかしこもお休み。正月きつい。。。

ようやく見つけた蕎麦屋に行くもラストオーダー30分前なのにしまっていた。。。金沢カレー屋も5分差でだめ。タクシーに乗るべきだったと後悔して近くの中華料理屋で定食を食べる。

帰り道にとても素敵なジャズが聞こえてきて足を止める。

遅く入ったのがラッキーでミュージシャンの方々と相席に。

街を歩いていたら、ジャズが聞こえて店に吸い込まれるなんて、ニューオリンズみたいですねと盛り上がる。

実は50年以上続く金沢最古のジャズバーらしい。

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一日目でたどり着けたのは、幸運だった。

出会った人たちが皆暖かい。ジャズの後に立ち寄ったバーでも、色々な人と話をした。

嗅覚を信じ、好奇心に従って飛び込んでみる。

人の温かさに身を委ね、オススメを素直に受け入れてやってみる。

初めて会った人と積極的に仲良くなる、あらゆるステップが心地よいリハビリだ。

今回の旅はうまくいく気がして、気分が良い。

 

 

2日目:

昼前に稼働開始。前日にバーでおすすめされた、大河のラーメンを食べる。

北国らしい、しっかりした味噌ラーメン。お勧めされたイカ墨ラーメンを食べる。

今回の旅の目的であった、県立美術館の古九谷を見に行く。

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国宝・重文にも指定されている仁清の雉は相変わらず隙がない京焼の最高峰だが、古九谷のDefiantな意匠には到底かなわない。

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(色絵鶴かるた文平鉢:写真は石川県立美術館からお借りしました)

徳川幕府のもとキリスト教が禁止された17世紀にハートやスペードといった西洋的なモチーフを使ったり、はっきりとした色使いと自由奔放な筆さばきで京にも江戸にもない新たな芸術を作った無名の職工たちを想像する。

作品が放つ挑発的なエネルギーに刺激されて、展示場を2周した。

名品展も開催されており、加賀友禅と吉田窯の後期復興九谷に目を奪われた。

古九谷ばかり見ていたが、古九谷の断絶から一世紀余りを経て再興された骨のある作品の存在を知る。翌日に県立九谷焼美術館にいくことを決めた。

 

上野から移転してきた国立工芸館は、アールヌーヴォーの展示。

ジャポニズムの流れが西洋のガラス工芸に触れるとどうなるのか、底流に共通する自然への耽美的な視点を感じる。

媒体が陶磁器からガラス器に代わっただけで、そのまま茶碗でもできそうなくらい敷居を感じなかった。

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鈴木大拙館は、何がやりたいのかよく分からなかった。小ぎれいにまとまっているが、Scratching the surfaceという感想を超えない。龍安寺の石庭や円覚寺の道場の方がはるかによく禅を捉えていよう。設計者、運営者の自意識が煩い。

 

電話会議を挟んで、夜はまいもん寿司の本店へ。少し歩いてタクシーを拾おうとしたが、そもそも住宅地にタクシーが来ない。2キロ余り歩く羽目になり、30分で寿司をかきこんだ。前日にバーでお酒を飲んだ地元の人たちに勧められただけあって味もなかなか。白眉はのどぐろの炙りと白子の軍艦。お店の人たちが親切で、閉店間際に滑り込んだ僕を気の毒がって親切にしてくれた。心のあるお店だった。

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3日目:

朝は振り返りやメールなど、溜まっていた作業を少しする。

気持ちを落ち着ける意味でも、アウトプットをし始める元気が出てきたのは良いことだ。

本当は金沢城あたりを散策予定だったのだが、前日の九谷焼が忘れられず、復興九谷焼を深掘りしようと意気込んで、石川県立九谷焼美術館がある大賞寺へ。

ローカル線で1時間かけていく道すがら、ランチを調べ、当地の名物である伝統猟法の鴨料理の店を見つける。

鴨の治部煮定食と焼きを頂く。治部煮は白みそ煮込みのような甘くてしっとりとした味わい。だが、聞くところによると、味噌の類は一切入れず、加賀名産の甘口醤油とみりん、酒にとろみをつけて、同様の味をつけているらしい。

上品な甘さが、都会的で田舎らしい、忘れえぬ味だった。

ちなみに、お正月の付け合わせになっていた、縁起物の数の子と巻物の味付けは、絶妙な甘辛さで勉強になった。

甘さが寒い気候にとてもよくあっていて滋味を感じる。

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食後はそのまま県立九谷焼美術館へ。特別展「吉田屋と粟生屋の至宝」がお目当て。昔は古九谷にばかり気を取られていたが、古九谷断絶後1世紀あまりを経て復興した後期九谷も素晴らしい。当初のいかめしい創作性こそ失われているが、技術的な展開の多様性、技巧的な進化、京焼など他地域の芸術との交流は、豊かな芸術を育んでいる。

大学生の時の自分は鮮烈な古九谷にばかり気を取られていて、発展形の面白さを見落としていたのだろうか、と反省した。気持ちが高ぶったので、全展示を2周して、目録と地元作家の作品を買う。いわゆる五彩手の古九谷的意匠で、ちょっとした楽しみになればよいと思う。

 

ここまで来たので、こうした焼き物が焼かれた、史跡九谷焼窯跡を訪れる。

焼き物が何度も窯を通るのは誰もが知っているが、九谷焼の多様な表現をどのように焼き分けるのか、細密な描写をどのように守るのか、など技術的な説明が興味深い。

今は電子窯が主流であっても、一時は3か月かけて窯をいっぱいにしては焼いていたという史跡を見るのは想像力を掻き立てられる。

細々と芸術家が取り組むというよりは、ひとつの産業である。

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最寄り駅は加賀温泉、山代温泉・山中温泉もあるのだが、今回は時間がないのでパス。

駅についてダメもとで知り合いから勧められた超人気の鮨屋さんに電話をすると、なんと5時(1時間後)なら空いているという。

慌てて特急に飛び乗って、鮨屋に直行した。

 

つまみは、素材・調理ともに申し分ない仕上がりで、搾りたての生酒との相性も抜群だった。

ぶり、かに、白子、いか、それぞれに素材の味が活きる。

にぎりは、大将の絶妙な手さばきにくぎ付けになってしまった。

握っているようで、束ねているだけのような仕草で、流れるようにお鮨が出てくる。

ひとつの握りとしてまとまっているのが奇跡と言えるようなふわっとしたしゃりは、口に入れるとあっという間に溶け出して、魚のうまみと一体化する。

2年ぶりのSUSHIではない鮨で、感動して言葉を失ってしまう。

正直この鮨を食べるまで、鮨そのものへのこだわりを忘れかけていた。

分かった気になってしまったり、忘れていることに気付かなくなってしまう、鈍麻とは恐ろしいものだと、自戒する。現地、現物、現場である。

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AdhocでImprovisedな旅としては最高の終わり方。ほかにも散策しようかと考えていたが、満足して何もやる気がしないので、宿に戻って温泉に浸かった。翌日、新幹線で帰京した。

 

 

総評:

バーンアウトはこれまでにも何度か経験があり、その度ごとに違う方法で復帰してきた。

肉体的な疲労だけなら睡眠で解決するが、気力の消耗に必要なのは休息だけではなく、一種のショック療法だったりする。

眠ろうとする焦りで寝れなくなる不眠症と同じで、気力を取り戻そうとする焦りがさらに心を消耗してしまう。

だからこそ、今回は無気力を押して、美しいもの、自分がかつて感動した古九谷を見に行こうと思った。

 

一人旅は心の洗濯だ。不確実な中で情報を集め、ベストな判断をしようとして、それでいてセレンディピティというか、場の流れに委ねる。

直感に従うことも忘れない。人のふれあいから新しい世界を垣間見る経験。

九谷焼の創造性と反抗心に勇気をもらい、自分の積極性が人生を動かしうることを思い出させてもらった。

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222週目:新年第一週目

年末年始、いつもなら一年の振り返りをして、新年の目標設定をする。

今年はまだ年末からいっぱいいっぱいになってしまっている。

仕事の面でも野心的に取り組んだし、コロナ禍で外部との接点が減る分フェローシップなど複数同時進行で参加した。

クリスマス後に仕事がひと段落つくと今度はコロナもあって後手後手になっていたプライベートが待っていて、文字通り息つく暇がなかった。

力を尽くすことで見えてくる世界があったのは間違いなく、新しい局面を迎えられそうだという感覚はある。

 

一方で、力を尽くすという文字通り、気力と体力を限界まで使い果たしてしまうこともある。

あっちこっちで火の手が上がる中で、火消しに奔走するカタルシスは、うまく使えば信じられない力を出させてくれる。

ただ、忘れてはならないのは、緊張感の糸がプツンと切れてしまうときのことだ。

燃え尽きて退場していく人を、学生時代から何人も見てきた。

彼らの問題は、燃え尽きるまでやり抜いてしまうことではなく、燃え尽きてからのリカバリー方法を確立していなかったことだと思う。

燃え尽きてしまうリスクを冒す者は、常にリカバリーの手段を持たなければならない。

閾を超えてしまったら、一歩一歩ステップを踏んで、立て直していく。

大丈夫、今まで何度も通ってきた道だ。

 

海外では一足先に仕事が始まる。思考はそれを先んじねばならず、準備を怠ればあっという間に取り残される。言い訳は許されない。自ら働きかけなければ、人生はあっというまに自分を置いて行ってしまう。

今この場で上げられる実績以上に、闘い続けられることはインパクトのドライバーであることを忘れてはならない。

焦りに背を向けて、まずは自分を立て直すところから始めたい。

InspirationやConvictionなしに、優れた仕事はできないのだから。

217-221週目:年末のラストスパート

忙しく、心の余裕も全くない1か月だった。

年末に向けてタイムラインを引いていた案件と最後まで格闘していたら、クリスマスになっていた。

細かくは書かないが、また面白い発表ができそうである。

 

12月に入って、日本政府が海外からの帰国者の航空券予約を停止するよう要請を出すという事件があった。

僕自身去年の年末は帰っていないし、同僚の日本人も夏休み返上だったので、なんとしても帰りたい、ということで、急遽フライトを手配して日本から最後の仕事をした。

3日間隔離は、日本に到着した日にそれまで認可されていなかったケニア政府のワクチン証明書が有効となり(なんというタイミング!)、その日のうちにハイヤーで都内に戻り、14日間の自主隔離。

ケニア時間・ヨーロッパ時間・北米(東・西海岸)という厳しいタイムゾーン勤務で、自主隔離というか記憶にある限り仕事しかしていない。

たまのUberEatsで懐かしい味やちょっとおいしい料理を頼んで正気を保った。

一緒に踏ん張って仕事をしてくれているチームに支えられもした。

 

そんなことでバタバタしていたら、ぎっくり腰になる。

リカバリーに時間がかかるような働き方はしないのが原則だが、今回はどうしても押し切る必要があった。

今となっては、人と話したり、まとまったメールを打つのも厳しい。やりたいことはまだまだあるが、休息・リハビリ期間に入る。

クリスマスの土日はひたすら寝て体力回復に専念した。

これから年末にかけては、2年余りほったらかしてしまったプライベートの用事も片付けねばならない。

「一時帰国は休めない」というのは留学時代からのあるあるなのだけれど、数年ぶりのレベルで燃え尽きているので、年初にまとまって時間をとろうかな。

216週目:「幸せか?」という問いについて

週末体調を崩していたので、今週は印象に残ったことだけ手短に。

余裕ぶって見えるらしいが、無理を重ねて心身共にギリギリなので、残りの1か月は気を付けて回したい。

 

一年余り続けてきたプロジェクトの発表があった。プロジェクトをリードする担当マネージャーが、修羅場をかいくぐった人の発する覇気というか自信に満ち溢れていてとても良かった。

僕はセットアップのお手伝いと途中で必要なときだけ応援していた本案件、チームのリーダーシップでアフリカ初・世界初の仕事ができていて、すばらしい。

最近頓に感じるのは、チームにぶつけたエネルギーは100倍くらいになって返ってくるということ。

最初はぶつかりもしたし、理解もしてもらえなかった(おそらく僕も理解できていなかった)けれど、コミュニケーションから逃げずにゴリゴリ容赦なく仕事をしてきたから、出来たのだと感じる。

その昔、チームは「お友達」ではないと言われたことがある。信頼感と緊張感の良いバランスを生むのは、ぶつかるのを恐れない気持ちなのではないか。

バランスそのものを目指すと、人は委縮してしまう。

 

Acumenの時にも聞かれたのだが、”Are you happy?"という質問が僕は苦手だ。

そもそも幸福というのは、自分にとっては刹那的な感情で、安定的なものではない。

親しい友人と談笑している間にも、メール一本で谷底に落とされることもあるし、頭のどこかは仕事の厄介事に無意識に割かれている。

ただ、現状に対する納得感ならある。自分が歩んできた道のりを、成功も失敗もひっくるめて、すべて自分の責任として(応援してくれた人や幸運には感謝しつつ)説明することができる。

おそらく、一般に言われる、幸せかどうか?という問いは、僕にとって「”Accountable”か?納得いっているか?」という言葉に置き換えられよう。

最近知人に指摘されるまで変わっていると意識していなかったのだが、自分は人生の意思決定については企画書を書いてその是非を定期的に問う。

だから、迷って苦しむけれど、立ち返ることがある。仮説があり、検証するための行動がある。だから、つらいけれど、自分自身の人生に対してAccountableであり続けられる。

それを失ってしまうと、糸の切れた凧のようになってしまわないか、と心配になる。

想定外のことは、語弊を恐れなければある程度想定されている。

本当に奇想天外なことも稀に起きるが、その場合も企画書には必ずヒントがある。

だから、自分は書き続けるし、書いたままに行動し続けるし、そこから自分を変化させ続けていく。

そこには、完成もなく、成功もなく、おそらく幸福も存在しない。