気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

Komaza 68週目:”Darkest Hour”

金曜日の夜にAmazon Primeで映画”Darkest Hour”を観た。 
 
 
 
5年以上にわたる戦争の一番初めの1ヶ月余り、宥和政策に失敗しナチスの台頭を許したチェンバレンの失脚から、異端児として忌避されながらも首相に就任したチャーチルが有名な「血と汗と涙」演説をしてドイツとの全面対決に向かう、イギリス史の転換点に焦点を当てた作品。
演説の名手として知られ、迷いない言葉でイギリス国民を一つにまとめ上げたチャーチルが、まだ首相になったばかりで迷っていた時の葛藤が生々しく描かれている。
 
国王からも信頼されず、党内からも四面楚歌、自分の中でも海軍大臣として過去に失敗した作戦を思い起こして戸惑うチャーチルに、
 
"You are strong because you are inhearted, you are wise because you have doubts” (「思いやりがあるからこそ、強くなれるし、自分を疑っているからこそ、賢明な判断を下せる」)
 
と夫人が励ますシーンや、
 
”Nations that go down fighting rise again, but those who surrender tamely are finished”(「一度武器を取ってなお破れた国には未来があるが、なすすべなく降伏した国に再興の機会は訪れない」)
 
と国王に全面戦争を勧めるシーンなど、映像で観客を圧倒する「ダンケルク」とは対照的に、名セリフで心を掴む内容だった。
 
 
一番心に残ったのが、チャーチルが決心を固めて、”Lays of Ancient Rome"を引用したこの言葉。
 
"To every man upon this earth
Death cometh soon or late.
And how can man die better
Than facing fearful odds,
For the ashes of his fathers,
And the temples of his Gods”
(抄訳:生きとし生けるものすべてに、遅かれ早かれ死は訪れるという。
それならば、自分でも恐ろしくなるような挑戦に立ち向かう以上に、
意義のある死に方がどうしてあろうというのだろうか。)
 
 
ベンチャーは、人が死ぬことはほぼないけれど、自分の限界を超えてFearful Oddsに挑んでいくという点で強く共感した。大変な時に読み返したい言葉だと思う。
「ガンジー」や「Invictus」もそうだったけど、歴史上の人物の映画は、見る度に受けるメッセージが違うので、定期的に見返して内在化させていきたい。
 
---追記---
書こうか悩んでいたけれど、こういうことはきちんと残しておきたいと思う。
今週のナイロビでのテロは、日本の大企業や国際機関など多くの知り合いがいる場所で起きた。
Kilifiはナイロビからは数百キロの場所にあり、Komazaの同僚や家族は全員無事だったのは不幸中の幸い。
それでも21人の命が奪われ、大使館からは要警戒のメールが飛んできている。
業界という意味では、アフリカの農林業と零細農家の支援をしてきたGatsbyのDirectorや、新興国市場でも数少ない投資銀行・アドバイザリーをしていたI-Devの創業者も亡くなった。
被害者の方はもちろん、現場やナイロビにいる人たちの心中は計り知れない。
 
同時に、「明日は我が身」というか、見ず知らずの土地で仕事に没入していて、こいういう事態に巻き込まれる自分を想像してしまう。
先に引用したホラティウスの詩ではないけれど、悔いのない仕事をして、悔いのない一日を過ごしたい。
 
 
 

Komaza 67週目:仕事始め

ケニアに到着して本格的な仕事始め。
年末年始から準備してきた作業がキックオフされていく。
 
去年の一大反省点として、自信のなさゆえにポジションを取りきれず、最終的に案件が炎上したり、二度手間になったりしたので、今年は思い切って拙速を恐れず意見をバシバシ出していこうとしている。
今のところ結果は上々で、学習者として謙虚であることと、マネジメントとして意思決定から逃げないことは全く別物であるとの認識を新たにした。
心身ともに充足させることが結果的に1年通じて困難に折れない判断力に繋がると実感した去年の教訓をもとに、きちんと睡眠を確保し、運動と瞑想をして、ペースを作っていきたい。
冬休みに相談に乗っていただいた先輩方やメンターの方々からの言葉に勇気をもらい、「顔に鉄板を貼って」(商社の大先輩のアドバイス)挑戦をしていく。
 
作業という意味では、大学時代のインターン以来のバリューチェーンのコスト分析をやりことになり、コンサルのケース面接を思い出しながら、仕事をする。
知力と体力の限界が来ない限り、「できない」という答えは少なくとも分析という作業においてはあり得ない。
手元にデータがなければ、データを取りに行く、それも難しければ類推可能なレファレンスをとる、そうした粘り強さと真実に向かって突き進む意志力がなければいけないと思う。
問いを明確に定義し、そこへ至るフレームを固め、そこに向けてデータを集め仮説を磨いていく作業は、数年ぶりなのになんだか楽しい。
とはいえ、分析をするだけが仕事ではないので、飛び道具も含めてしっかりコーポレートファイナンスのプロとしての仕事をしたい。
 
準備は本業の財務だけに限らない。
金曜日は全社に向けてコーポレートファイナンス部門のプロジェクト紹介をプレゼンした。
こういう作業ははっきり言って時間を食うし、面倒なのだけれど、同僚に仕事を理解してもらい必要な時に協力してもらったり、逆に大切な案件に絡ませてもらえることは部門としてとても大切だと考えているので、辛いとかきついとかめんどくさいとかを棚に上げて積極的にやることにしている。
専門性が高く、オペレーションから離れがちなファイナンスこそ、全社からの理解と信頼が重要になる。
 

Komaza 66週目:映画「RBG」

日曜日に出発しいよいよケニアに戻ってきた。
日本滞在中も半分強の時間を仕事や勉強にあてていて、会いたいメンバーの人に会えていなかったのが心残りだけれど、ぎっしり学びが詰まった日本滞在だった。
さて、今週のブログはケニアへの飛行機で観た「RBG」というドキュメンタリー映画について。
 
主人公のルース・ギンズバーグは、アメリカ80歳を超えてなお現役のアメリカ最高裁判官の一人。
70年代には"Frontiero v Richardson”(空軍で働いていた女性が男性職員と同じ福利厚生を受けられなかったことへの訴訟)をはじめ、男女平等を実現する画期的な案件を担当した。
彼女のアプローチは、当時確立されつつあった、Equial Protection of Lawという公民権運動で使われたロジックを女性に拡大していくというもので、案件固有の論点に集中するのではなく、女性が自由で平等であるはずのアメリカ社会において、”Branded Inferior”(劣等なものと決めつけ)とされSecond Class Citizenに甘んじている現状を訴えかけ、勝訴を勝ち取った。
ただ、ルース本人は、単一の判決による大掛かりな変革よりも、幾つもの象徴的な判例を重ね合わせ、複数のアングルから包括的に社会と法制度のあるべき姿を法曹関係者に植え付けていく戦略を好んだ。
当時を振り返る関係者はまるで”Knitting a sweater”(セーターを編んでいくような)と表現する。
こうした功績もあって、1993年にはクリントン政権の時に、最高裁判官に指名された。当初は中道に近くConsensus Buildingを重んじていたギンズバーグも、保守的な主張の判事が増えるにつれ、リベラルの旗手としての立場をとるようになり、近年では彼女のDissenting Opinion(最高裁の判決に不満がある時に、判事が発表する反対意見表明)が度々メディアで取り上げられる。
 
白人上流階級かつ極めて男性的なアメリカ法曹社会で、今日であればありえないような偏見を当たり前の前提として扱う判事を相手に、”Always see an opportunity to teach”(怒りに燃えるのではなく、常に相手に伝えるべきことがあると思うようにする)という態度で粘り強く接していった。
彼女いわく、相手本人のことよりも彼らの娘や孫娘の時代のあるべき制度を語り続けたのが、成功の秘訣だったらしい。
社会のビジョンを表現する変革者には、急進的でドラマチックに社会を動かそうとする人が少なくない中で、彼女の粘りあるアプローチは一層力強く見える。
法律的には真逆の立場にあるスカリア判事とも冗談を言ったり一緒にオペラに行く仲で、違う意見の人ともお互いを尊敬し良き友人でいられることは彼女の特質だと、彼女と70年代に女性差別と闘った女性弁護士たちも語っていた。
 
コーネル大学で出会い結婚した夫と一緒にハーバード大ロースクールに進学するも、突然の癌で闘病生活を強いられる夫の勉強を助けつつ、生まれたばかりの子育てをして、なおかつ成績優秀者としてロー・レビューにも名を連ねた。その後、夫がニューヨークに就職したのを受けて、卒業前だったルースも帯同、ニューヨークにあったコロンビア大学に編入した。ただ、この後、ルースがワシントンでの判事の仕事を受けることになった時、「ニューヨーク1番の税務弁護士」だった夫はルースに帯同し、その後の最高裁の判事ノミネーションに際しては、控えめで自己主張が苦手なルースに代わってロビイングを主導、当時は22−3番目の候補だったルースを一気に最有力候補に押し上げた。
本人も議会のインタビューで語っているように、女性が男性の付属品でしかないと思われていた時代に、お互いに対等な存在として尊重し、知性と仕事の意味を認め合った関係は本当にユニークだったのだろうと思う。
 
映画自体はドキュメンタリー仕立てで簡潔にルースの判事の功績と人となりを説明していて、いい映画だと思った。
大学生時代みたいだけれど、今度は彼女の直近のDissenting Opinionや70年代の裁判記録、93年の議会スピーチを読んでみたい。
 

2019年「証明の年」から「実行の年」へ

昨年のブログでは、2018年を「証明の年」と位置付け、「準備」を開花させることを掲げていました。
 
実際この1年間は、紛れもなく証明することを毎日求められた年でした。
仕事に慣れて、評価もある程度確定した安住の地を離れて、縁故の全くない場所でゼロから信頼を作りあげるプロセスは、一味違った刺激がありました。
留学生として至れり尽くせりの環境を与えてもらった学部留学とは対照的に、ゼロから自分の役割を定義し、成果をデリバーするというのは、自由度もやりがいもはるかに高かったです。
 
多くの幸運や巡り合わせに恵まれて、気づけば急成長するスタートアップの中でも在籍年数が長く、新しい経営メンバーの採用の度にブリーフィングを頼まれるようになりました。
スタートアップらしいHard Thingsもあり、目の前が真っ暗になりそうになりながらも、チームの力を借りてなんとか立て直すということもありました。
この一年で、プロフェッショナルファームと比べて、スキルがどこまで成長したかは、正直微妙だと思っています。
ただ、スタートアップの中で生き残ることへの執念を持ち続けること、大企業ではあり得ないようなイベントにも動じずに対応し続ける胆力を身につけられたこと、事業とその先にいる受益者やお客さんを信じて、辛くともインパクトを最大化すべくリスクをとって挑戦すること、といったAttitude(心構え)は12ヶ月前とは全く違います。
 

 

2018年にやったこと

  • 仕事
    • 森林ファンド: 
      • Komazaが実践する零細農家が主体となった林業は、イノベーションとして注目されている。これを支え、スケールするためのファイナンス形式として新たな森林ファンドのコンセプトを開発。Climate Policy InitiativeでInnovative Climate Financing Ideaとして表彰されたほか、世界の主要な機関投資家からも注目を浴びている。自分が最初からボールを持ってるプロジェクトで、今となっては会社のバリュエーションを左右する重要案件になっている。コンセプトで終わらないために、粘り強く慎重に仕事を進めていきたい。
    • 資金調達:
      • ブレンデッド・ファイナンスに関わるグラントからエクイティまであらゆる業務を実行した。エクイティ調達は現在も継続中だが、グラントについては英国政府からの1億円超のプロジェクトのドキュメンと管理体制構築をしている。開発銀行からファミリーオフィス、林業関係者から、VCに至るまであらゆる投資家と仕事で接点を持てたのは貴重な経験となった。
    • チーム:
      • Corporate Finance部門をゼロから立ち上げる。優秀で献身的なチームに恵まれて、等比級数的に増える仕事をこなしきる。結果的に、戦略的な施策にも関わることになり、来年以降も拡大していく。
    • ポジション:
      • CEO直属のスタッフとして入社して、マネージャーとして全社横断型プロジェクトを複数まとめることになった。実質的にHead of Departmentとしての役割に加え、CFO役のメンバーが家庭の事情で退職した秋からは、Interim CFO的にファイナンス関連全般のプロジェクトマネジメントをしている。かなりストレッチされたがいい経験。新年度からは新しいポジションにも就任予定。
  • その他
    • ヨット:
      • 英国ヨット協会(RYA)のBeginner Course Level 1とLevel 2を修了。年間パスも買って、今年で50時間以上は海の上にいた計算になる。Coastal Kenyaに住んでいる醍醐味だと思うので、来年からはレーシングかより高等テクニックのクラスに進む予定。
    • テニス:
      • 今住んでいる家の敷地にあるテニスコートで、同居人たちと密かに練習をしている。ラリーも繋がるようになってきたので(最多記録147回)、趣味にできるレベルまで続けていきたい。
    • マラソン:
      • 9月のミニ・トライアスロン大会で5キロ走った以外は、大会には参加できておらず、反省大。仕事に飲まれてトレーニングできていない期間が長かった。家の外を走るのは気持ちいけれど、時間とスピードを管理したトレーニングはしづらいので、来年はジム通いを検討中。毎週20キロ走ることが目標。
    • 旅行:
      • 仕事に飲み込まれてあまり行けていない。ケニア国内やアフリカ諸国もちゃんといきたい。
        • ドイツ:フランクフルト・マインツ
        • アメリカ:ニューヨーク・ボストン
        • ルワンダ:キガリ
        • 日本:長野県(上田・黒部ダム)
    • ブログ:
      • 「ブラウンの熊たち」で留学ブログを書いていた時と同じく、毎週1本を目標に書き続けてきて、すでに1年3ヶ月。読み返すと恥ずかしい内容ばかりだけれど、それは成長の証とポジティブに捉えて書き続けていきたい。Komaza入社からの一連の記事は、このリンクから見れます。

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Growth Opporunity: 

  • マネジメントと判断すること:
    • スーパー担当者から脱却することは、一時は5人以上の上司にレポーティングしていた総合商社時代からの最大のアンラーニング。企画から完成までの一連のプロセスをボールを持って走り、途中のエンドレスな修正を乗り切っていく担当者としての成長の限界点が見えつつある。個人の生産性をあと10%−20%伸ばすことはできるのだろうけれど、会社の成長フェーズからして、課題解決を数倍にしていく必要がある今、投資すべきはチームを通じたデリバリーになる。そのためには、プロジェクトをマネージし、必要な判断をより的確かつ迅速に重ねていくトレーニングが必要になる。これは全くの未経験領域なので、やりながら学んでいくしかない。個人的に一番おそろしいと感じたのは、自分がマネージャーを自称して単なるマルチタスクプレーヤーになっていると気づかなかったこと。
  • アクセルとブレーキ:
    • CEOは仕事はマラソンだ、とよく言っているけれど、今年の仕事はスプリントを繰り返す、シャトルランのようで、鍛えられたけれどサステナブルな働き方ではなかった。大企業のようにバッファになってくれる人がいない中で、自分の心身が消耗してしまうことはリスクが高い。特に"Shit can always happen”なアフリカのスタートアップでは、先進国では起こりえないハプニングと相まって追い詰められる可能性だってある。無限にやるべきことが降り注ぐ中で、フォーカスを切らさないよう、スコープの判断をシビアにするべき(Must Doに注力、Nice To Haveは余程のことがないとやらない)。週末の休み方は課題が残っている。
  • 成長を見越したチーム作り:
    • 会社のお金周りを見る仕事をしていると、Burnというのが嫌でも頭にこびりついてくる。もともと、プロフェッショナル集団を作ることを目標としていたので、少数精鋭を掲げ安易な採用は避けてきた。これは貧乏性だったと反省している。会社の成長スピードに合わせて、ファイナンスの観点から解決すべき課題も等比級数的に増えてくるので、そこを目指して採用のアクセルを早めに踏むべきであった。これは年末年始の採用でカバーしていく所存。
  • スキル・知識面での自己投資:
    • アフリカのスタートアップという前例の乏しい業界なので、とにかくOJTに徹して自分の限界を伸ばしてきたのが入社からの1年余りだった。社内プロフェッショナルとしての最大の貢献は、プレーヤー個人が全知全能化すよりも、効率的に社内外のリソースを統合し、(めちゃくちゃ難しいけど)大企業と遜色ないレベルの経営判断と実行を支えることだと思うので、浅く広く勘所を掴んでいく学習スタイルになる。それ自体は有効であったと思うものの、1年以上が経つと、それも逓減してくる。もう少し突っ込んだテクニカルな学習に時間を使うことで、相対するプロフェッショナルと同等かそれ以上の貢献ができるようになるのではないかと思う。仕事だけで燃え尽きている今の仕事ぶりでは、決してできない。そして何より、このままでは自分の成長が組織の成長のボトルネックになってしまう。
 
 
 

2019年は「実行の年」に

2017年9月から1年余りで「準備」と「証明」のフェーズが完了した今、2019年は「実行」の年にします。
会社からみたHigh Performerで終わるのではなく、会社をレバレッジして業界の歴史を塗り替えることに注力します。
 
具体的には、次の3つがゴールです。
どのプロジェクトも、これまでの準備と信頼の蓄積を最大限活かすことが、成功の鍵になっています。
 
  • CEOの伴走者としてFinancingを実現する:
    • そもそもケニアに来た理由はここにある。ファイナンスを武器の一つとして、社会起業家の伴走者として会社を成功に導くこと。そのためにも大型資金調達の実現は待ったなしであり、最重要ゴール。そのプロセスで関わる重要な戦略的施策については、アップサイドとして積極的に取り組んでいく。
  • 世界初の零細農家向け森林ファンドを立上げる:
    • 資金調達に奔走した2017年の約10%くらいしか時間を使っていないにも関わらず、やたらと人気を集めたこのプロジェクト。まだまだ考えるべきことが満載なので、業界の軽率さ・安直さに流されることなく、淡々とディテールを詰めていきたい。
  • 日本でインパクト投資のコミュニティを作る:
    • 20代も後半に入り、ファイナンスもソーシャルセクターも(ちょっとだけ)パブリックセクターも経験を積んできた中で、仲良しクラブではないプロフェッショナルとして尊敬できる仲間と勉強する場を作りたいと思うようになった。インパクト投資に実務で接点がある(Wanna Beではないことが大事)同世代を有志で募り、しかも言葉は英語だけという制約付きで勉強会を発足した。英語にしたのは、意識が高いからというよりは、現状のインパクト投資の事例や研究文献がほぼ全て英語であり、英語力なしに業界の一員になれないという部分が大きい。大学生の時のようなファンクラブ的な集まりでなく、実務に直結しているからこそ、インパクト投資というまだまだ狭い業界で価値を生めるのではないかと思う。まずは続けて見ることが大事だと思うので、じっくり育てていきたい。

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Komaza 63・64週目:日本に一時帰国

12月の中旬に日本に帰ってきて、走り回っている。

世界の片隅のスタートアップでしゃかりきになっていると、頭も心も目の前の仕事にばかりいってしまいがち。

束の間の日本帰国は、懐かしの日本滞在をエンジョイするだけでなく、視座をあげたり、新しいものに触れたりする大切な時間でもある。

 

帰国翌日には、前職時代の金融事業チームで忘年会、平日なのにしっかり朝までカラオケ。

20人近いグループの半分は退職して、スタートアップやポートフォリオ・マネジャー、バイアウトなどそれぞれの分野のトップ・ファームで活躍している。

世間では総合商社のジェネラリストの市場価値について、疑義が呈されることもままあるようだけれど、このメンバーは年齢関係なく好奇心と学習意欲にあふれていて(結果的に海外トップスクールMBAばかり)、「金融革命への疾走」 に登場する偉大な先人たちと負けず劣らずの感がある。

会社の名刺で仕事をしていた人より、自分の使命感で仕事をしている人は、客観的に自分を見つめて努力するし、「卒業後」も新天地で活躍している気がする。

休みらしい休みではないけれど、久しぶりに会う人々に刺激をもらいつつ、来年に向けて英気を養う。

クリスマスも終わって、日本より一足早い仕事始めに向けた準備をしていこうと思う。

 

 

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国会事故調査委員会の高校生向けプロジェクトでご一緒した黒川先生と

 

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編入留学について、元Teach For Japan代表の松田さんとセミナー登壇