気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

Komaza 66週目:映画「RBG」

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日曜日に出発しいよいよケニアに戻ってきた。
日本滞在中も半分強の時間を仕事や勉強にあてていて、会いたいメンバーの人に会えていなかったのが心残りだけれど、ぎっしり学びが詰まった日本滞在だった。
さて、今週のブログはケニアへの飛行機で観た「RBG」というドキュメンタリー映画について。
 
主人公のルース・ギンズバーグは、アメリカ80歳を超えてなお現役のアメリカ最高裁判官の一人。
70年代には"Frontiero v Richardson”(空軍で働いていた女性が男性職員と同じ福利厚生を受けられなかったことへの訴訟)をはじめ、男女平等を実現する画期的な案件を担当した。
彼女のアプローチは、当時確立されつつあった、Equial Protection of Lawという公民権運動で使われたロジックを女性に拡大していくというもので、案件固有の論点に集中するのではなく、女性が自由で平等であるはずのアメリカ社会において、”Branded Inferior”(劣等なものと決めつけ)とされSecond Class Citizenに甘んじている現状を訴えかけ、勝訴を勝ち取った。
ただ、ルース本人は、単一の判決による大掛かりな変革よりも、幾つもの象徴的な判例を重ね合わせ、複数のアングルから包括的に社会と法制度のあるべき姿を法曹関係者に植え付けていく戦略を好んだ。
当時を振り返る関係者はまるで”Knitting a sweater”(セーターを編んでいくような)と表現する。
こうした功績もあって、1993年にはクリントン政権の時に、最高裁判官に指名された。当初は中道に近くConsensus Buildingを重んじていたギンズバーグも、保守的な主張の判事が増えるにつれ、リベラルの旗手としての立場をとるようになり、近年では彼女のDissenting Opinion(最高裁の判決に不満がある時に、判事が発表する反対意見表明)が度々メディアで取り上げられる。
 
白人上流階級かつ極めて男性的なアメリカ法曹社会で、今日であればありえないような偏見を当たり前の前提として扱う判事を相手に、”Always see an opportunity to teach”(怒りに燃えるのではなく、常に相手に伝えるべきことがあると思うようにする)という態度で粘り強く接していった。
彼女いわく、相手本人のことよりも彼らの娘や孫娘の時代のあるべき制度を語り続けたのが、成功の秘訣だったらしい。
社会のビジョンを表現する変革者には、急進的でドラマチックに社会を動かそうとする人が少なくない中で、彼女の粘りあるアプローチは一層力強く見える。
法律的には真逆の立場にあるスカリア判事とも冗談を言ったり一緒にオペラに行く仲で、違う意見の人ともお互いを尊敬し良き友人でいられることは彼女の特質だと、彼女と70年代に女性差別と闘った女性弁護士たちも語っていた。
 
コーネル大学で出会い結婚した夫と一緒にハーバード大ロースクールに進学するも、突然の癌で闘病生活を強いられる夫の勉強を助けつつ、生まれたばかりの子育てをして、なおかつ成績優秀者としてロー・レビューにも名を連ねた。その後、夫がニューヨークに就職したのを受けて、卒業前だったルースも帯同、ニューヨークにあったコロンビア大学に編入した。ただ、この後、ルースがワシントンでの判事の仕事を受けることになった時、「ニューヨーク1番の税務弁護士」だった夫はルースに帯同し、その後の最高裁の判事ノミネーションに際しては、控えめで自己主張が苦手なルースに代わってロビイングを主導、当時は22−3番目の候補だったルースを一気に最有力候補に押し上げた。
本人も議会のインタビューで語っているように、女性が男性の付属品でしかないと思われていた時代に、お互いに対等な存在として尊重し、知性と仕事の意味を認め合った関係は本当にユニークだったのだろうと思う。
 
映画自体はドキュメンタリー仕立てで簡潔にルースの判事の功績と人となりを説明していて、いい映画だと思った。
大学生時代みたいだけれど、今度は彼女の直近のDissenting Opinionや70年代の裁判記録、93年の議会スピーチを読んでみたい。