人生初の途上国生活3ヶ月目で見えてきた3つのこと
この前、日本にいる友人とスカイプをしていたら、「初途上国生活で何か心境の変化はあった?」と聞かれたのだけど、改めて考えてみると当初の「何が起こるかわからないからとりあえず全方位警戒」というフェーズは早くも抜け出しているような気がする。
せっかくなので、これは明らかに変わったなと思うことを3つ紹介したい。
①脱かわいそう目線・脱遠慮
今いる会社のオフィスは幹線道路から脇道にそれたところにある。
下の写真を見るとわかる通り、オフィスのある建物の真ん前には小さな農家が木の枝と泥壁で建てた家に住んでいて、子どもたちの多くは靴も履かずに遊びまわっている。
現地ではそれが当たり前でも、最初来た時はそれなりに衝撃があった。
特に、会社の本拠地であるキリフィ群は沿岸部は外国人が別荘を構えるリゾート地であり、その世界観との生々しいギャップに毎日違和感を覚えた。
街に出れば、毎日通勤に使うオートバイの運転手から、燃料代をせがまれたり、家族が急に病気だから一時のお金を貸してくれと頼まれたりする。
持つものと持たざるものの力関係をこちら側も向こう側も常にヒリヒリと感じている状況に、正直耐えられなくなったのが最初の2ヶ月ほどだったと思う。
何度かいろいろな「せびり」や「厚意」に接し、喜んだりがっかりしたりした頃から、言葉は悪いけど金額とリスクさえ限定的であれば「どうでもいい(というより仕方ない)」というポレポレ状態になり、そうすると気のせいか以前のように外国人としていろいろな要求を突きつけられることもなくなっていった。
そういう意味で、前はなんだかんだ言って持つ者の立場から、持たざる者に対する無意識の遠慮があったのかもしれない。
渡航前にネットで見たケニア大使館の健康案内に、几帳面さや心配りが得られなくて精神を病んでしまわないよう、「受け入れたくない物は無理に受け入れない」という注意文を見つけて笑っていたんだけれど、良くも悪くもこれは本当に大切なことだった。
(リゾートとしてのキリフィは、アフリカ有数のヨットの停泊地だ)
②善意と善行の違い
僕は、世界のNGOやNPO、社会事業の約半分は特に意味のない無駄だと思っている。
今回、零細農家を対象としたビジネスを選んだのも、あくまでもビジネスベースでかつ成果をドナーに依存しなくてもいい形が、自分の描く社会事業像に近かったからだ。
アントレプレナーの美点は、新しいこと、突き動かされて始めたちあげてしまうエネルギーにある。
一方で、そこからさらに突き詰めて、自分のやっていることは果たして自分目指しているインパクトの実現につながるのかを自問し続けることは忙しいスタートアップなら特に難しい。
善意が善行につながることは、ほとんどないのだ。
どんなに間違った政策も、事業モデルも、元をたどれば思いついた人の無邪気な善意だったりする。
だからこそ、善意をきちんと善行に至らせるだけの、仕組みが必要になる。
それをすることが現場レベルでいかに大変かを今身をもって痛感している。
これは、投資家サイドや中間支援者、ましてアドボカシーでは得られない生々しい実感だと思う。
③100%理解なんてできないし、同化なんてできないから差別化
①の内容にも通じることだけれど、「一緒になりたい、自分もみんなも同じでいたい」という甘い考えの延長には、自己満足(しょもないことを根拠に「一緒になれた」とぬか喜びする)か不毛な努力(一緒になれないことに焦りを感じて、真似事に走ったりコミュニテイに入り浸るだけになる)に陥ってしまいがちだ。
同じ釜の飯を食べたり、一緒に寝泊まりして生活を体験したり、自分のできる範囲で相手を理解しようとする努力自体には価値がある(それは友達と仲良くなるプロセスと同じだ)。
ただ、どんなにそうした行為を繰り返しても、100%自分の文化や経験としてそれをアイデンティティに取り込むことはできないし、ケニアの地元で育った農家と先進国で生まれ育った人間が同じような生活様式や価値観、行動様式を今更共有したところで、当事者の状況は変わらない。
むしろ、今まで自分が世界から与えられた幸運(経済的自由や、教育、経験など)を最大限レバレッジして、目の前の人の生活を変えられるかに注力する方がきっと有意義なのだろうと、Paternalistになるのではないかとビビりながらも割り切るようになった。
どのみち謙虚に仕事をするしかないのだったら、相手と同じになれないことに罪悪感を感じるよりも、自分は最大限自分にレバレッジをかけているのかを自問し続ける方が、成果につながるプレッシャーだと思う。
以上、未熟を承知で書いてみた。
開発学や文化人類学の専門家から見たら、きっと既出の論点やらわかりやすい間違いだらけなんだと思うが、あくまでも勉強途上の記録として、ご笑覧頂ければ幸いだ。
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