156週目:チームのコンピテンシーとは何か?
ケニアに戻って2週目はKilifiで過ごす。
一時はナイロビに完全移行することになっていたチームもコロナで全員Klifiにとどまっているので、2か月ぶりのFace to Faceでの仕事をする。
資金調達の終盤戦であった2020年は、基本的には猛烈な圧力の下でチーム一丸となって打ち返す毎日だった。
その結果として、生き延びたチームには圧倒的な戦闘力がついている。
ただ、死地を一緒にかいくぐった経験だけでは、プロフェッショナルとしての成長機会、とりわけ自分自身で仕事を作り、実行し、新しいインパクトを現場で出していくことはできない。
そのためにチームのコア・コンピテンシーを作っている。
業務の根幹となる知識やスキルを多少の単純化を恐れずに、レベル別に定義し、個別にレビューを行う。
ベンチャーとしての全社評価フレームワーク以上に密度が高く、具体性があり、日々の共通言語として使えるツールにしたい。
実のところ、書いている僕本人が一番勉強になる。
そして、書いている本人以上のコンピテンシーが定義できないという恐ろしさに震える。
あえて、定義のプロセスを公開して、ひとつひとつ説明しつつ、議論していくのが思いのほか反応が良かったので、滞在を延期した。
個人としてプレーするのも楽しいし、アドレナリンがガンガン出る修羅場も悪くないんだけれど、それで残るものはあまりない。
生き延びるための施策は下、チームを育て人を残すことこそ上策。
追記:
キリフィに来るたび、深夜に海辺に出て坐禅をしている。
海風に当たりながら月明かりに照らされるインド洋を眺めると、色々な感情が去来する。
教科書的には自然の中で自分を溶け込ませるべきなのだけれど、俗世間の煩悩にまみれた自分は、海でキラキラ光る漁師の懐中電灯が気になる。
やれファイナンスだの経営だのインパクトだの大上段でえらそうにしている自分とは、おそらく対照的な生活があり、そこにどこまで自分が繋がれているのか、地に足がついているのか、考えてしまう。
三昧とか悟りとか呼ばれる世界は、大自然の雄大さ以上に、こうした人々の生活の中にあるのではないか。
自意識にのまれやすい仕事だと思っていないと、勘違いしてしまうのを、忘れないようにしたい。
今週は思い付きで書き出した新興国スタートアップの記事が注目を浴びた。
事業や経営やファイナンスについて自分はまだまだ全くわかっていない。自戒。自戒。