気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

156週目:チームのコンピテンシーとは何か?

ケニアに戻って2週目はKilifiで過ごす。

一時はナイロビに完全移行することになっていたチームもコロナで全員Klifiにとどまっているので、2か月ぶりのFace to Faceでの仕事をする。

資金調達の終盤戦であった2020年は、基本的には猛烈な圧力の下でチーム一丸となって打ち返す毎日だった。

その結果として、生き延びたチームには圧倒的な戦闘力がついている。

ただ、死地を一緒にかいくぐった経験だけでは、プロフェッショナルとしての成長機会、とりわけ自分自身で仕事を作り、実行し、新しいインパクトを現場で出していくことはできない。

そのためにチームのコア・コンピテンシーを作っている。

業務の根幹となる知識やスキルを多少の単純化を恐れずに、レベル別に定義し、個別にレビューを行う。

ベンチャーとしての全社評価フレームワーク以上に密度が高く、具体性があり、日々の共通言語として使えるツールにしたい。

実のところ、書いている僕本人が一番勉強になる。

そして、書いている本人以上のコンピテンシーが定義できないという恐ろしさに震える。

あえて、定義のプロセスを公開して、ひとつひとつ説明しつつ、議論していくのが思いのほか反応が良かったので、滞在を延期した。

個人としてプレーするのも楽しいし、アドレナリンがガンガン出る修羅場も悪くないんだけれど、それで残るものはあまりない。

生き延びるための施策は下、チームを育て人を残すことこそ上策。

 

追記:

キリフィに来るたび、深夜に海辺に出て坐禅をしている。

海風に当たりながら月明かりに照らされるインド洋を眺めると、色々な感情が去来する。

教科書的には自然の中で自分を溶け込ませるべきなのだけれど、俗世間の煩悩にまみれた自分は、海でキラキラ光る漁師の懐中電灯が気になる。

やれファイナンスだの経営だのインパクトだの大上段でえらそうにしている自分とは、おそらく対照的な生活があり、そこにどこまで自分が繋がれているのか、地に足がついているのか、考えてしまう。

三昧とか悟りとか呼ばれる世界は、大自然の雄大さ以上に、こうした人々の生活の中にあるのではないか。

自意識にのまれやすい仕事だと思っていないと、勘違いしてしまうのを、忘れないようにしたい。

今週は思い付きで書き出した新興国スタートアップの記事が注目を浴びた。

事業や経営やファイナンスについて自分はまだまだ全くわかっていない。自戒。自戒。

 

新興国のスタートアップが失敗する15のパターン

新興国でプレーするなら、まず現地で仕事をしてみることを勧めている。

日本での就職相談やキャリア相談とは違って、ケニアを始めアフリカは環境の変化が激しいし速い。

なので、1万キロ離れた日本にまして日本語で情報が伝わるころには、状況が変わっているというのがほとんどで、ましてそこで日本企業的なゆっくりとしたペースで企画を練っていたのでは、とても歯が立たない。

当地に裸一貫で乗り込んで起業している方々は、本当にすごいと思う。

日本などでの安定した仕事をかなぐり捨てて、泥臭く現場に入って、数年かけてPMFをしていたりするのがザラで、辛抱強く異国の地でビジネスを作っていく姿勢に頭が下がる。

 

さてさて、前置きが長くなった。要は現場に行くと、みんないろんな事業の話をしていて、ゴシップに聞き耳を立てているだけでも勉強になるよね、というのが今回のブログの趣旨。

思い付きでツイートしたら一晩でいいねが50集まって、しかも業界関係者の方も多いので、若干ビビりながらもタイトルの通り、ナイロビのスタートアップ関係者とのゴシップ談によく出てくる失敗パターンを書きだしてみた。

関係者の間では「あ~、それは難しいかもね~」となるものの、意外と避けるのが難しいトラップで、完全に無縁な事業はあまりない気がする。

ただ、リストにして振り返る、自己点検にはいいのではないかと思う。

  1. 先進国でウケるような事業を目指す:飛び込むにあたって仮説はあったほうがいい。ただ、国際機関のレポートを鵜呑みにしたり、開発界隈のカンファレンスでウケの良いバズワードに引きずられて事業をすると、高確率でうまくいかない。現場で何かできない障害があるから、国際機関のような非営利組織がかかわるようになっている、と疑ってかかったほうがいい。あとアフリカの人口のXパーセントはとかも、先進国のように消費者や市場がつながっていないので、あまり意味のない統計だったりする。仮説をもって飛び込むのはいいことだけれど、先進国目線の仮説設定がそのまま課題設定になるとは思わないほうが良い。フィードバックはマーケットから得るべきであり、出身地で応援されることをフィードバックと勘違いしてはいけない。
  2. 原体験重視のため目の前の質を追求してスケールできない:スケールする必要は特にないので、地域密着型の手厚いプログラムというのもアリだと思う。一方、投資家に向けて語っていた原体験がだんだん自己暗示になって事業そのものが向かっている課題の多様性を見逃したり、目の前の質にこだわって自分が直接コントロールしないといけないチーム構成になったりすると、伸ばすのが難しい。当たり前のようで、結構よく見る落とし穴だ。
  3. 同質のチームで立ち上げて自然消滅する:仲良しグループでつるんでスタートするプロジェクトは刺激的だし、一体感もある。ただ、熱しやすくて冷めやすいという面もあり、また最終的にスケールしていく中で誰がリーダーになるのかでも揉めたりする。血みどろの争いになることはまれで、むしろだんだん仕事が大変になってくるにしたがって、ひとり、またひとりと抜けていったりする。誰もが知っている起業家と話したら、実は共同創業者が4人いた、とかはよく聞く。役割分担をいきなり決めるのは難しくても、意図的に多様性を高めて専門別に振り分けができると理想的。
  4. エコノミクスが回らない:アフリカはじめ新興国はとにかく何をするにも手間がかかり、時間がかかる。なので、たとえユニットエコノミクスが回っていても、進捗が遅れる確率が高く、キャッシュには余裕が必要。ぎりぎりのグロースストーリーは資金調達には必要かもしれないが、きちんと第二のストーリーをもっておく必要がある。前にも書いた気がするけれど、テクノロジーに依拠しない。
  5. アクセルのメリハリがなく、中くらいのまま:NGOにするかビジネスにするか、はケニアのみならずアフリカ起業あるあるな質問。小さい規模で仮説検証したり、目の前でコントロールできる範囲内で質の高い事業をするためなら、営利・非営利はあまり関係がなかったりする。一方で、成長するとなると、チームに投資する必要があり、まとまった資金が必要になるので、会社にしていくことになる。会社にしてからも、ローカルでうまく小事業を立ち上げて回してポートフォリオにするのか、一本柱を立てて多国展開を視野に入れるのかで、先行投資の規模もグレードも変わってくる。たまに目にするのが、本人は大きなビジョンを語っているのに、目の前のコントロールに気をとられてチームや設備への投資に向かって舵をきれないパターン。本人の期待や器以上の事業をやる必要もないが、圧倒的スケールを語っているからには、ある程度先行してリスクをとる必要がある。
  6. 次のレベルの相手と話ができない:資金調達に限らず、急成長するベンチャー経営陣は常に今の組織に見合った能力だけではなく、次のフェーズに見合った能力を身に着けている必要がある。採用であれば、小さなビジネスでしかない時に、グロースフェーズに足る人材を口説かないといけないし、資金調達であればインパクト投資家やドナーよりも難易度の高い投資家に話を持ち込まないといけない、営業であれば今のキャパシティを超えた投資を可能にする顧客にぶつからないといけない。事業のレベルはそこに集まる人のレベルによって制約され、とりわけ最初から最後まで会社とともにいるファウンダーチームの成長は線形的ではなく、段階的、非線形的である必要がある。大前研一の場所を変えるか、付き合う相手を変えるか、時間配分を変えるか、でいえば、時間配分と付き合う相手が変えられるように、自分を変えていくべき。
  7. 高度・複雑すぎる:先進国は時間を失わないため、競合に先んじるため、スピード重視で同時進行で様々なプロジェクトを走らせているのが普通かもしれない。ただ、先進国のノリでの成長は、人材確保の点でも、不確定要素の多さでも、ほぼ不可能に近い。ハンズオンするためには現場の近くにいないといけないが、経営リソースを拡張して振り分けるには先進国にもう片足を突っ込まないといけない。そんな環境で、すべてのピースが時間通りにそろわないと起動しないビジネスというのはリスクが高い。事業環境として、いろんなところで障壁があり、当たり前を当たり前にするためのインフラ作りがしょっちゅう必要なアフリカのビジネスで、必要な開発を最小限にしていく努力は、ROIが高い。アーリーとグロースのはざまで、厳しい選択を迫られることも少なくない。
  8. ロジを見過ごす:何度も書いている気がするが、アフリカはあらゆる当たり前が当たり前ではない。マーケットに出せばユーザーが集まることもないし、プログラマーがうろうろしているわけでもないし、支払いの決済が安定しているわけでも、そもそも預金の通貨も安定してはいない。だからこそ、先進国の「これはイケる」という感覚に、いったん立ち止まって「本当にロジは回るだろうか?」と冷めた目を向けてみる必要がある。
  9. 「マーケット」を作らないとアクセスできない:製品が良くてマーケットの感触が良いために、事業が一気に拡大する、いわゆるPMFの瞬間は、先進国のように急激には訪れない。なぜなら、製品を載せるプラットフォームがなかったり、確立されたサービスの拡大チャネルがないから。先進国にいると、誰かが営業して開拓したセクターの一部に乗っていることがほとんどだけれど、新しい領域を新しい地域にパイオニアとして広げるスタートアップは、時としてそうした巨人の肩に乗ることができず、市場開拓というか市場・業界作りそのものにリソースを割かねばならない。
  10. 課題が見えなくなる:スタートアップにもつきものの、課題意識の喪失。スケールしたり、技術開発したり、資金調達したり、事業が軌道に乗ると一気にやることが増える。そうすると、全員が目の前の目標に走っていて、全体を貫くテーマや課題意識が見えなくなるということがある。常にだれかが見ているというのはスタートアップの性格上難しいので、きちんと節目を作って正しい課題に、正しい優先順位で取り組んでいるのかを定期的にレビューする必要がある。
  11. 政府やステークホルダーからの妨害に遭う:笑えないけど結構ある。Disruptされるのは誰もが嫌なので、儲かっている事業や領域こそ、きちんと政府やステークホルダーを味方につける必要がある。大きなアナウンスをするときは政府関係者を招いたり、花を持たせてあげる。規制や法律だけではなく、人をインターフェイスとした介入に備える。むやみに宣伝しない。国内でそれなりに規模のあるNGOなどがボードやGovernment Relationsに起用しているのがどんな人材か見極めて、模倣する。
  12. ローカルマネジメントとの関係性が悪化:この記事は外国人がアフリカで起業する前提で書いているので、やはり触れておく必要がありそう。現地に根差した事業を作るために、パートナーを探すのは急務。国によってはBoardへのローカル人材の採用を求めていたりするので、実際に仕事上必要かどうかは別としても、ローカルで信頼できるマネジメントチームなりステークホルダーの母集団形成ができるかは、中長期で事業のアキレス腱になる。ミスると訴訟になったり、創業した会社のコントロールを失ったりする。
  13. ガバナンスの崩壊:言うまでもないですが、賄賂や不正などのリスクはあちこちにあるので、大規模なやらかしがあったり、隠蔽されたり、投資家の信頼を失う状況になると店をたたむことになる。とくに、投資家のLPに財団や開発銀行など公共性の高い資金が入っていると、政府の汚職などは一発アウト。多少のトラブルは仕方がないので、そのあたりはきちんとレポートする。
  14. Rule of LawなのかEnforcementなのか:当地にいる人はもはや読み流してほしい、違法だからと言って抑止されているわけではない、というありふれた事実。外国人はただでさえも立場が危ういので、自社でリーガルリスクがありそうな場合は当然顧問弁護士に意見を求める必要があるが、法律が自社を守ってくれると考えるのは危険。たとえ法律があっても、行政機関が黙殺することもあれば、下手したらステークホルダーがグルになって利権をかこっていたりする。法律をバックストップにすると、底が抜ける。
  15. 先進国と似た課題を同じテクノロジーで解決する:スタートアップには必ずと言っていいほどストーリーがあり、解決しようとするペインがある。ただ、数歩下がってみると、中長期的に苦しいケースが多いのが、先進国モデルの輸入である。ひとえに先進国モデルといっても、基礎インフラや生活上のペインは先進国でもコモディティ化している普遍的なサービス・商品であることが多い。コモディティ化されたペインは事業価値をつけやすい。一方、Uberのようなモビリティ、その他世界で見て最先端のテクノロジーを扱う場として、新興国を選ぶのは、ROIの原理原則を考えた上にすべきだ。というのも、技術の先端性を競うのであれば、基本的に投下できる資金量が多いことが(規制がないなど一部のリープフロッグ環境を除けば)勝利のドライバーになる。であるならば、同じ顧客の同じ量のペインを解決したとして、顧客あたりのLife Time Valueが高いのはほぼ間違いなく先進国であり、新興国ではない。(いうまでもなく、顧客あたりLTVが高いということは、中国のようなマーケットを除けば、TAMが大きく、バリュエーションもつきやすく、資金調達もしやすく、事業拡大もしやすい)とすると、同じ組織を作って同じオペレーションを回して同じだけのサービスを提供して得られる収入、すなわち投下可能資金は先進国の方が構造的に常に高くなる。しかも、先述の通り先進国と同じレベルのスタートアップを新興国で作るのは並大抵ではない。したがって、ドローンやフィンテックのように実証実験のハードルの低さなどを理由にしない限り、先進国のスタートアップとガチンコ勝負するのは、分が悪い。最終的に先進国のメガベンチャーに売却するのが目的でない限り、とりわけアフリカはインプット(資金、人材、LTV)とアウトプット(質の担保、オペレーションのハードルなど)の両面で厳しいのではないか。これは完全なる僕個人の仮説なので、賛否両論コメント大歓迎です。

深い深い自戒を込めて。また新しいパターンにであったら、追記します。

155週目:4年目のはじまり

月曜日に日本からケニアに戻ってきた。

カタール航空のフライトは、接続フライトがキャンセルになり、31時間の長時間フライト。

飛行機はそれなりに混んでいて、8月に出国した時から比べると少しは戻っている気がするものの、カフェやベンチを探すのも苦労した年初の盛況からみれば、という感じ。

 

幸いに時差ボケもなく仕事に入れている。

日本からも時差的には仕事ができて、日本時間は朝を一人の作業に使えて夜にコールを詰め込めるので、特にコロナでディナーのアポがない中ではむしろ効率的ともいえる。

しばらくは、21世紀の働き方として、リモートでチームが仕事をするのもアリかなと考えたりしたのだけれど、ただでさえもオフィスで顔を合わせる機会もないなかで、時差まで加わると、些細なことだけれどもコミュニケーションの負荷がさらに高まることになる。

そこまでして海外から仕事をするかというと、正直答えはNoだった。

 

アフリカのスタートアップは、一定のスケールになると、マネジメントチームをヨーロッパに移籍したりする。

人材市場が薄いアフリカでの採用はシニアになるほど本当に難しいので、仕方がない面もある。

ただ、先進国で新聞を読んでいるだけではわからない、現地の情報があり、生のネタと距離を持つのは、よほど注意しないといけない。

システムも顧客層もすべてが伸び盛りのスタートアップにあって、いかに現地現場現物に肌触りを持てるか、は必須ではなくてもそれなりに大切だと思う。

まして、自分のように数字や文書、スライドを生業とする役割の人こそ、現場にいないとファンタジーが膨らんでしまう。

現場の緊張感を体のどこかで感じながら、やるべき仕事をこなしていきたい。

 

やることが山積みで、自分でこじ開けたオポチュニティを片っ端からクローズしていく日々が始まる。

Komazaでの4年目の仕事がスタートする。

藤沢武夫「松明は自分の手で」

 

「企業の中には、前を行くもののの灯りを頼りに、ついてゆく行き方をする会社もある。しかし、たとえ小さい松明であろうと、ホンダは自分でつくった松明を自分の手で掲げて、前の人たちには関係なく好きな道を歩んでいく企業とする」という言葉には、ベンチャー経営者の闘魂が詰まっている。


あらゆる企業が雨後の筍のようにぐんぐん伸びていく世界を見たことのない自分の世代は、どうしても大企業を作り上げた成功者としてこうした起業家のことを思ってしまう。

ただ、本当は何万、何十万の同じような事業が競い合いながら、だれもが自分こそ大事業になるのだと信じて仕事をしていたのだという、ごく当たり前のことを忘れがちだ。

 

小学校の頃、日本の挑戦者たちを描いたNHKの番組「プロジェクトX」に夢中になった。

ひときわ輝いてみえたのが、ホンダだった。数ある日本企業の中で、ひとりの天才エンジニアが無謀とも思える挑戦を重ねて成長していく姿もさることながら、戦後の代表企業のほとんどが、天才創業者の後継者が見つからないまま90年代以降迷走した中で、早い段階で組織に着目し、後継者たちをチームとして育て上げ、見事に引退を飾った先見の明に、ただただ尊敬の念を抱いた。

先日Twitterで紹介したSchwarzmanの”What It Takes”が20代のベストビジネス書なら、本書「松明は自分の手で」と「経営に終わりはない」は10代のベストビジネス書だった。

 

ルマン24時間耐久レースでの勝利やF1への電撃参入など、華々しい技術的成功が語られる同社の歴史も、実は優れた経営者によって支えられていた。

技術の本田、経営の藤沢と呼ばれた二人の歩みを理解することなくして、この会社の本当のすごさは測り知れない。

冒頭のインタビューで、ホンダの成功を支えた、本田宗一郎と藤沢武夫のパートナーシップについて藤沢は次の5点を挙げている。

  • 藤沢は本田の天才にほれ込んで、全面的に応援した
  • お互いに金に潔白で、経済的成功は業績達成の尺度であって、何事かを達成することを重んじた
  • 技術では本田、その他すべては藤沢という完全な信頼・分業関係
  • 本田が藤沢の経営的視点に耳を傾け、意見を聞いた
  • 藤沢は女房役に徹して表に出なかった

 

互いに絶大な信頼を寄せ合う二人のやりとりを追うだけでも、素晴らしいドラマになるけれど、単なる施策の巧拙を超えた、意思決定の判断軸が一貫して技術的挑戦と組織としての永続性を指向するホンダの歴史は、学ぶたびに新たな示唆を与えてくれる。

「浜松のエジソン」と呼ばれた天才技術者本田宗一郎を「世界のホンダ」に引き上げたパートナー経営者、藤沢武夫の著作から、印象深かった箇所を抜萃してみたい。

 

  • 経営の経の字はタテ糸
    • 布を織るとき、タテ糸は動かずに、ずっと通っている。営の字のほうは、さしずめヨコ糸でしょう。タテ糸がまっすぐ通っていて、始めて横糸は自由自在に動くわけですね。一本の太い筋は通っていて、しかも状況に応じて自在に動ける、これが経営であると思うんですよ。
    • 明け方三時、四時まで話し込んじまうなんてこともしばしばでした。この対話から生まれてきたのが、本田技研のタテ糸になったわけですが、このタテ糸を性格づけたのは、本田のヒューマニズムであり、私のロマンチシズムだったといっていいでしょうね。
    • ただ、自分の画いた経を、とにもかくにも退陣するまで守り続けられたことがうれしい。守れないときは会社を辞める覚悟でした。ですから、たとえ外部の人に理解してもらえないような事柄にも、従業員は理解し、協力してくれました。
    • トップが一緒に行動する必要がどこにありますか?年中一緒であるということは、裏返せば、お互いの意思が完全につながっていないことを示すものではありませんか。タテ糸が通っていれば一見お互いにばらばらの行動であってもいいんですよ。
    • 近代産業のトップ経営者の動きは、二十世紀後半の音楽みたいなものだと思うんです。グループでくっついていなければなトップでないなどというのは、おかしい。トップは、それぞれの分野において独自の行動を果敢になさねばならないので、それぞれの行動の集積が一つの目標に向かう経営の世界をつくればいいんじゃないですか。創業者の場合、とくにこのことが大切だと思います。
  • 仕事の原則
    • 私は仕事を片付けるとき、あとでそれが癌にならないよう、多少手荒なことがあっても、将来のことを第一にいつも考えていた。企業には良いことも悪いこともあるので、禍を転じて福と為す、その橋を見つけ出すことが、経営者。
    • 企業がスムーズに展開されて障害がなく、これからも同じように阻害さるべき要素を、未然に探求しておくことが、私は、経営だと思っている。
    • 私は十分に段どりしないでは、やたらに仕事に手をつけない性です。将来問題となるものを予知できないくらいなら仕事なんぞやるな、というのが建前でね。
    • (海外進出で現地法人を自前で設立した理由について)他人の褌を利用しようなんて思わないで、自分で作る褌なら、本数に制限はないし、思い通りにできる。
  • チームと教育
    • 本田も私も無我夢中ですし、遠くの方から命令して仕事をしているのではありませんから、まっ先に飛び出していって、そばにいる者に自分のからだでおしえていっちゃうんですからね。俺ができるんだから、おまえも出来るんだといった調子ですよ。
    • 人間なんてものは、叱られるようなこと、教えなければならないことは、みんな同じなんですよ。だから、まとめて、全部の人に教えちまう。それは馬鹿でっかい声で派手にやるに限ります。このやり方は私自身の勉強にもなる。うっかりした叱り方じゃあ、皆に軽蔑されますからね。
    • みんなが急速に伸びているときですから、生半可な組織で固めてしまうのはいやだということで、組織を作らなかった。
  • 技術革新と業務改善
    • 外注の社長さんや従業員が、過去の経験から「とてもそんなことできません」と答えると本田は「こうじゃあ、どうだね・こうすれば」と一向に退かないで、部品を一緒にひねり回す。そんな姿をよく見かけたものです。一つができると、外注のほうも、自分たちで次の山へと挑んでいく。(略)二番手、三番手のメーカーは、研究努力もなく、企業の危険も賭けずに、確実な部品を入手できるんですからね。
    • 「ドイツには向上に伝票がないぞ。うちでも伝票をなくせ」と声をかけた。ここで事務管理委員会を設置しました。たしか委員長は私ということで、委員は職場を離れないのが条件。何人かの課長、係長が委員になりましたが、事務にしろ、現場にしろ、ほとんどが第一線の人でした。そして、この委員会だけの独断で仕事はしないこと、言い換えれば、油の役目はするが、歯車にはならないということを決めました。(略)私の提案に基づいて、現場がアイデアを出し合ってつくられたものですから、それぞれの仕事にぴったりしていて、従業員にスムーズに受け入れられたわけです。借りものじゃない。
    • 本田宗一郎という人は、合理主義者なんですね。大勢の人間が集まって仕事をするときも、すべて合理主義で割り切ろうとしました。もちろん、みんなに納得させる理論を真向から振りかざすときは、そうでなくてはならないはずだし、そうであって初めて事業が急上昇できたわけです。けれども、合理主義では割り切れない仕事をやるのが、私の役目だったですね。労働問題もそうですが、こんな事件の時、直感的解決を見出す判断は私のものです。
  • 組織の永続性、本田・藤沢なきあとのホンダづくり
    • 本田技研の将来の発展は、もう一人の本田宗一郎、もう一人の藤沢武夫、いや、数え切れぬほどの本田や藤沢が生まれてくるかどうかにかかっているといっていいんです。
    • それでは、本田宗一郎、藤沢武夫の特徴は何かといえば、一言でいって、エキスパートであるということでしょう。面倒見のいい管理者タイプでは決してありません。本能と直感で動きます。こういう人間は、世間一般の組織図で固められた集団の中では生きられません。せいぜいできの悪い管理者になって、才能をすり減らしてしまうのが通例でしょう。しかし、エキスパートを生かせぬかぎり、ホンダがユニークな企業として生き続けていくことは望むべくもないのです。
    • 専門職制度にしても、十五年の間に飽きてしまったら、なりたたなかったでしょう。この間、従業員の情熱の火を燃え続けさせたところに、経営の仕事があると思うし、また経営者の義務があると思うんです。私の漠然とした夢のような組織のあり方を、永い年月をかけて全社員で討議し合ったこととは、企業の将来の発展と個人の生活との関係を全員が深く理解するのに、大変役に立ったと思います。(略)これができたとき、初代の脇役としての仕事は、全部完了したと思いました。
    • 本社の営業業務にいる人を理論的に教育して”経を通じ合う男”にするのが私の役目でした。いろんなことにぶつかるたびごとに、その処理の仕方を見せては教え込んだ。ここで教えたものの数はかなり多くて、営業だけでなく、製作所にも、他の部へも回っています。
    • (研究所の分離独立について)若い時分に読んだ漱石の本の中に、日露戦争で国を挙げて大騒ぎをしていたときに、大学の地下室でガラスを磨いていた学者の話がありました。この話が、私の頭にこびりついて、以来四十余年離れないんです。企業にのぞまれるのは、このガラスを磨いていたような人が心穏やかに落ち着いて仕事ができる環境を作って差し上げることですよ。それでこそ、技術者の層が厚くなって、企業を守る商品を見つけ出してもらえる。
    • ピラミッド型の組織だと課長の数には制限があるが、部下なしの文鎮型組織の研究所なら何百人課長がいてもふしぎはない。新入社員でも技術が優秀なら、必ず主任研究員になれるし、主席研究員になれる。また、人数に制限のあるピラミッド型組織と違って、人間同士の摩擦がない。
    • (役員室制度について)「重役は何もしないんだよ。俺もそれでやっていた。何もない空の中から、どうあるべきかを探すのが重役で、日常業務を片づけるのは部長の仕事だ。所長であり重役であるのは対外的な面子から、交渉の時もまずいということでそうなっているだけで、重要な問題ではない。だから、役員は全部こっちへきて、何もないところから、どうあるべきかをさがすことをやってほしい」といったのです。(略)そうやってみんだで大部屋に入って、毎日ムダ話でもしていてほしいといっているうちに、いろんなことが出てきます。それは重役の共通の話題です。それまでは、部の中における話題だったものが、つまらないことでも重役として話題に出ると、そこには共通の広場ができ、それがどんどん分厚くなっていきます。たとえば、現場の人が本社の経理や営業のことを知り、営業の人が現場や研究のことを知るので、共通の広場のレベルがどんどん高くなっていくわけです。
  • 創業者の役割
    • 企業を興すことのできる人は、異常に近い努力をする。その魅力に、多くの従業員は”それ行け、やれ行け”と知恵、知能、努力でついて行く。”無から有を生じないはず”を生み出し、新しい企業が誕生する。
    • 私は現在、企業に利益があるとかないとかよりも、その仕組みができたこと、そして全体のレベルを上げるべきだという社長の考え方がその中に織り込まれてあること、これが何よりも大切だと考えています。本田も私も、企業を興すときはおもしろがってやってしまうほうですが、もしもこれをつぶすような芽をつくったら、企業を興す功どころか、かえって社会に害悪を残すことになります。やらなければ迷惑の掛かる人はいないが、やる以上、迷惑が掛からないようにするにはどうあるべきかというところまで考えて組織を作らない限り、創設者の意味はない、というのがいまの私たちの考え方であったわけです。
    • われわれが知らなければならないことは、われわれのおかれている位置が、われわれの進んでいく方向が、正しいか正しくないか、ということを知るのが、一番大事である。だから、いま現在、繁栄しているかどうかということは、それは二番目になってしかるべきである。(略)みんなが将来ほしいであろうというものを、じっくりと考えて、それに向かって進んでいくことが必要である。
    • 危機がひととおり解決したとき、私は自分に何か限界を感じたので、本社と離れた銀座の越後屋の二階の二十坪くらいな事務所を借りた。(略)四囲が真っ黒な壁でした。当時、非常に評判が悪くて、実は困ったのでしたが、大企業への足掛かりを生み出そうと、考えて、一人で暮らした。(略)私の毎日の日課は、この室で、膨大なチャーチルの「第二次世界大戦回顧録」と向かうことだった。大事なところは何回も繰り返し読んだ。せっぱ詰まったとき、どうしてゆとりある考えになれるのでだろうか。
    • 中小企業の良さは、小回りが利くことにある。人材が見つけやすい。が逆に、人材の入社が少ない。大企業の欠点は、その巨大な組織が人材の登場を困難にしているように思われた。そこで、目的を明瞭に、全従業員に告げて、現場の第一線の人から第二、第三の本田宗一郎がその能力を発揮できるよう、登場できるような組織を作ってもらうことを提案した。これを私の責務としようと決心した。種々に角度を変え、次から次へと提案し続けた。

152-154週目:日本→ケニア

ようやく仕事の調子が戻りつつある。

調子に乗って無茶をすると、その場は何とかなっても回復に時間がかかると新卒の上司に注意されたのを今更思い出す。

Do What It Takesが信条なので、経験、体調管理と体力づくりで、キャパシティを広げないといけない。

日本滞在は約1か月半、ほとんど自宅で過ごして外食をしていないにもかかわらず体重が+2キロ。

ケニアに帰ったらお茶漬け生活が待っている(本当にお茶漬けのもとを大量に購入している)。

 

クロージングから2か月たって、ほぼ忘れかけたころにEnvironmental Finance誌で、Impact Investment of the Yearに選ばれたとのニュースが飛び込んできた。

 

tombear1991.hatenadiary.com

 

 

評価されることはうれしいし、僕自身が仕事に人生を賭けている度合いが高いので、やりがいも感じる。

ブログでも書いた通り、賞をもらったのは結果であって、あくまでも本来の目的ではないので、淡々とやるべき仕事をしたい。

正直なところ、一番うれしいのは、このプロジェクトのためにいろんな難題と向き合ってくれたチーム(投資家側も企業側も)だと思う。

きっと良いプロジェクトになると信じてお願いして関わってもらった人に、きちんとお土産があるのは、日々大変な仕事を一緒にするなかで安心感になる。

難しい状況で「ついてこい!」と言える胆力も大事だけれど、それ以上についてきた人を不幸にしてはいけない。

新卒から新しい事業や投資をピッチし続ける生活をする中で、「信じていないものは売れ(ら)ない」という感覚がずっとある。

これからも大切にしたい感覚だ。

 

チームで仕事をしたり、業界に仲間ができたりすると、やりがいを感じる。

一方で、このやりがいに甘えている自分がいるのではないかとふと思って、慄然とした。

苦境の中でもがきながら何かを為そうとする気迫を自分に感じない。

苦労が報われて、色々な人が集まり、周囲の熱量が高まっているときこそ、今まで以上の熱量で仕事をしたい。

応援されているときこそ、甘えるのではなく、倍返しで応えたい。

辛いときに、「誰かが助けてくれればいいのに」とか「誰かが悩みを聞いてくれたらいいのに」などと期待するのも甘えだと思う。

自分から働きかけて、人を動かしていくのが原理原則。

ユリシーズの有名な一節、”Strong in will to strive, to seek, to find, and not to yield”という言葉で自分を励ましながら、ケニアでの生活に戻ろう。