気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

Environmental Finance誌が選ぶImpact Investment of the Yearを受賞しました

IMPACT Awards 2020

 

グリーンファイナンスや、カーボン市場、ESG投資などの記事で知られる業界紙、Environmental Finance誌が選ぶ、Impact Awards 2020でKomazaのSeries Bが”Impact Investment of the Year”に選ばれました。

世界最大の森林保護NGOであるConservation Internationalのような森林領域の新興ファンドに加え、機関投資家のAXA、開発銀行のFMOといった、多様な投資家が参加したことが評価されたようです。

新興国テック投資や伝統的森林投資など、既存のアセットクラスに収まらない事業に対して、規模感のある投資を実現し、業界レベルのインパクトを出そうと取り組んできたので、嬉しいニュースです。

Komazaは、インパクト投資、Climate Finance、新興国ベンチャー投資、森林投資など、いくつものアセットクラスに接点があるからこそ、業界の想像力の限界を引き延ばす責任があるのだろうと感じています。

象徴的な案件、新しい案件をインスパイアできるようなディールを、投資家と事業の両側の架け橋になって作っていく所存です。

投資・応援して下さった方々の負託に応えるよう、これからも淡然と仕事をしていきます。

 

www.environmental-finance.com

"Scent of a Woman," "The Majestic,"「怒り」など

Series Bが終わってから数週間、深夜の電話会議がなくなった時間を利用して映画を観ていた。
アマゾンのレビューを見比べたり、知り合いにオススメを聞いたりしては、気に入った作品を観ていて、せっかくなので、簡単なレビューを書いてみる。
 
「Ford vs. Ferrari」
ヨーロッパ勢の独壇場であった、ルマン耐久レースにアメリカが誇るフォードが参戦した時の物語。
ドラマとしても、実話としてもエピソードが尽きない名作。
スリリングなレースシーンはさることながら、大企業病のフォードとレーサーとの駆け引きなど、見ごたえ抜群。
男くさい、戦後のアメリカ!という感じ。
 
「天気の子」
新海誠作品は秒速5センチメートルから観ているので、日本にいなくて見逃した本作をアマゾンでポチり。
東京の街並みの描写、とりわけ雨に降られた大都市の美しさというか情緒というか、情景描写は圧巻の一言。
一方、ストーリーは前作「君の名は」の方がよかった。
脚本はひねっているようで、人物の輪郭がいまいちはっきりしておらず、パーツや伏線が多いからといって深みが出るとは限らないんだと実感する。
 
「ノッティングヒルの恋人」
ラブコメディーの殿堂ということで有名な本作。
新海誠作品の「運命のめぐりあわせ」重視のファンタジーを観た直後だと、主人公のドタバタっぷりや惹かれ合いながらも立場が全く違う二人の食い違いに妙にリアリティを感じる。
とりあえず、ジュリア・ロバーツの笑顔がヤバい(語彙力)。
 
「The Majestic」
「いかにもアメリカ!」な映画。
赤狩りや第二次世界大戦、ハリウッドと政治など、歴史的なコンテキストを織り交ぜながら、最後はハッピーエンドという充実した構成。
経済成長でイケイケなアメリカの少し前、戦争や冷戦の傷跡が残る田舎町を舞台にしたストーリーは、とかく美化されがちな「古き良きアメリカ」とは少し違った味わい深さがある。
 
「Scent of A Woman」
アルパチーノの迫真の演技を観れただけでも幸せ、という一本。
限られた登場人物しかいないのに、はじめからおわりまであっという間に感じる作品。
アドベンチャー要素も多分にありがながら、思い出させるように主人公の絶望と怒りがテーマとして立ち顕れる。
冒頭と終盤で、アルパチーノ演じる盲目の元陸軍大佐とクリスオドネル演じる名門校の高校生の顔つきが全然違う。
単なる感動作に終わらせない、クライマックスの演説もなかなか見ごたえがある作品。
”Dead Poet Society”が好きだった人ならきっと刺さる。
 
「怒り」
狂気と正気がぐちゃぐちゃになって、とにかく揺さぶられる衝撃作。
3本の並走する悲劇それぞれが十分にひとつの物語になるくらい重いのに、それが組み合わさって全体を作る。
独特のストーリーを3本への並走させることで、個別のストーリー単体では作り出しえない一般性を獲得している。
 
登場人物ごとにいくつもの人生があり、それぞれに怒りや悲しみ叫びと赦しが混在している。
重層的で多面的な生をまとめて同時に突き付けられると、観る側としては特定の人物に共感さえする余裕がない。
一度観ただけでは、さらっと感想が書けない、感情のオーバードースという感じ。
 
映画の題名にもなっている「怒り」の別の一面として描かれるのが「信じる」というテーマ。
信じていた人に裏切られて怒る人、大切な人を信じることができなかった自分に怒る人、信じていなかった人を信じるようになることで怒りを乗り越える人、怒りと信頼という人と人の対照的なつながりが異なる設定・登場人物を通じて描き出される。
その点、個別の設定だけ見るとかなりどギツイものの、”American Psycho”のような挑発的な意図はなさそうで、一部のレビューにあるような沖縄問題等個別の社会課題への批判というわけでもなさそう(だとしたら、3本のストーリーを別に組まずに、統合だってできたはずだ)。
むしろ、人間を駆り立てる感情の波をありのままに肯定するヒューマニスト的な作品だと思う。
人は信じるからこそ怒るのだと訴えかけてくる。

149-151週目:Convictionを生み出す過程

自分は今、転換点いるという感覚がぼんやりと続いている。
Series Bのクロージングを終えて、2週間休暇を取った。

自主隔離で外に出られないのもあって、いままでにないくらい空白の時間を過ごした。
本を読んだり、NHKのプロフェッショナルを観たり、映画を流したり、いつもは気ぜわしく食事するだけの家族とゆったり話したり、無為な時間が流れている。
休暇に入った時の自分は、完全に燃え尽きていて、何をしても頭が動かず、簡単な意思決定さえおぼつかず、意欲と実行力の両面で泉が枯れてしまったような感覚があった。


たとえ、元気とやる気を完璧にチャージしたとしても、また仕事に戻った時に自分がPrepared for the jobであるという実感が湧かない、いわばConvicationがない感じ。
Convictionがないというのは、不確実な中で仕事をするスタートアップにおいては、命取りになりかねない。

頭と体を休めながら、同じく長い期間頭と体を酷使する将棋のプロ棋士の本などを読みながら、どうすれば数年ではなく数十年単位で成果を上げていけるのか、考えていた。

いつもだったら、温泉宿でパーッと気晴らしをするところ、それができない分今回は内省で解決せざるを得ず、独り言の延長のようなブログで今考えていることを書いてみる。

 
Series B、アフリカのスタートアップでの仕事
スタートラインに立つことができた、というのが正直な実感。
業界で最大規模だとか、色々な「初」が達成されたとか、言い出せばキリがないのだけれど、当事者の自分でさえも「のるかそるか」不安になりながら、戦い抜いて良い結果につながった経験そのものが、これまでは「自分には何もできないのではないか?職業人として何か価値を出したことがあるのか?」と自問し続けてきた人生にかけがえのない節目を残してくれた気がする。
ここに至る過程で何回か地獄の釜が開いたこともあって、その度に職業人としてストレッチされるばかりではなく、自分自身の未熟な世界観・人生観を矯正させられた。
窮地で決断を迫られ続けるなかで、「人間とは?人生とは?自分とは?」という問いが何度も頭をよぎって、今も消化しきれていない。
仕事は、自分自身と世界の合わせ鏡のようなもので、あり姿を鮮明に映し出すこともあれば、むしろ無限に反射し続ける自分の姿に飲み込まれそうになることもあるのかもしれない。

日本に帰ってきて、前回一時帰国した半年前の自分の生活圏にいきなり戻ると、今と当時の世界観の変化に驚く。

前は気にならなかったことが気になったり、違う考えを抱いたりする。

目の前の風景や人々はそんなに変わっていないはずなのに、受け取り手の自分が戸惑って初めて、自分が以前とは違う人間になっていることに気づかされる。


解像度が上がる
仕事で大切なことは、アイデアを考えた時に、頭の中であるべき姿、実現に至るプロセス、その過程における主要ステークホルダーの動きが、動画的にイメージ出来ることだと常々意識している。
慣れてくると、「これはイケる」とか「なんか気持ち悪い」とか直感として筋道がわかってくる。


余談だけれど、京セラ創業者の稲盛和夫氏は、セラミックの完成品の色合いが「思い描いていたものと違う!」といって、さらに改善したりしていたらしい。最近何となくわかる気がする。
将棋やチェスのプレーヤーが、若いときは定跡の研究に基づいた知識・思考の勝負、成熟期は経験に基づく大局観で勝負するように、思考のショートカットができると、より多くの案件を同時進行で進めることができるようになる。
今回の資金調達をはじめとする一連の取り組みは、複雑怪奇かつ思いがけない相関もあったりして、自分の想像力の幅が一気に広がった。
同時に、自分の他者に対する期待値と実際のギャップや、思考・行動のクセも見えてきた気がする。
仕事の日誌をつけてログは残しているので、判断の良悪ふくめ、じっくり数年かけて検証していきたい。

 

Learn to Manage, Learn to Change

ユニクロの柳井さんの愛読書、ハロルド・ジェニーンの「プロフェッショナルマネジャー」の冒頭に、たしか”Managers need to manage."という言葉があった。

プロフェッショナル業的な仕事とスタートアップ的ななんでも屋さんと両にらみで仕事をしてきて、これからはなんでも屋さんxチームで成果を上げないといけなくなってきている。

3年かけた仕込みがついにスケール感のある案件として実現しつつあるわけで、ここを淡々と形にしていく安定感が求められるのではないか、と秋から取り組むプロジェクトのタイムラインを見て直感した。

そこにきて、”Managers need to manage"という言葉が凄みを持ってくる。

難しいことも、相手次第のことも、色々あるなかで、きちんとゴールを達成し続けるのがプロフェッショナルマネジャーであり、ConsistencyをもってManageできる人は意外と少ない、という同氏の言には重みがある。

 

また、資金調達を経て次なる成長フェーズに会社が向かう中で、僕自身も変わらねばならない。

自分が偉くなるわけでも会社のお金が自由に使えるわけでもなく、グロースフェーズにある会社としてどうあるべきか、そのために必要な会社の成長、ひいては自分の成長を前のめりで定義する必要がある。

資金調達、とりわけクロージングは作業的に大変ではあるものの、やるべきものはトラブルシューティングなので、ビジョンから逆算して仕事をしていく能力はしばらく使っていない。

それを自覚したうえで、会社のあるべき姿、マネジメントの優先事項、自分の果たすべき役割を定義しないと、ブレブレになってしまうだろう。

Learn or DieというかChange or Quitというか、そういう緊張感は持たないといけない。


Convictionは生み出すもの
新しいことをやるときに、「これは必ず出来る」というConfidenceを持つのは難しい。
とりわけ、際どい挑戦であればあるほど、頭で考えて良くて五分五分、実際にやってみて初めて活路らしきものが見えることも少なくないわけで、そもそもConfidenceが高すぎる挑戦は自分のComfort Zone内にあって本当の意味でストレッチにはならない。
一方、「絶対にやってやるし何とかしてみよう」というConvictionは、意志の力を借りる分、作り出すことができる。
活躍している起業家や投資家が「これしかないと思った!」とか「天命だと感じた!」みたいな発言をよくしているけれど、そういうのは「~なら出来るだろう」というConfidenceではなく「~なら出来るに違いないし、やってやる」というConvictionの方なのではないか。


LogicやIdeologyとして当然というだけでは不十分で、NecessityとかUrgencyがあれば、それもまたConvictionのベースになりうる。
あるべき姿に限らず、やらないわけには行けない、というのも仕事への意欲を掻き立ててくれる。
そもそも、業務範囲が変わっていくベンチャーにおけるリーダーシップは「こんなことをやってみよう。いややらないわけには行けない!」と勝手に着火して燃焼していく自燃性のものになる。


不特定多数の人が読むブログで書くのも妙な気がするけれど、Fake it till make itという部分は完全には排除できないというのが、今の仮説。

幻想であってもそれを絶えず想像し、自分なら出来ると自分に言い聞かせて、出来る前提で行動していくことで、状況が次第に好転していく、ということは少なからずあるように思われる。

トイレの壁に目標を貼る人もいれば、毎朝目標を口に出す人もいるし、思い入れのある品を身の回りに置く人もいる。

大学時代から始めたこのブログも、自分の中に芽生えたConvictionを言語化して、自分に暗示をかけるためのツールといえるかもしれない。

先の資金調達もいよいよクロージングというタイミングで、ちょっと高いペンを買って、そのペンを毎日見つめながら、「このペンでClosing Documentにサインする!」と強烈に自己暗示をかけたりしていた。

自分を絶え間なく励まし、背伸びさせていく努力がConvictionを生むのではないだろうか。


当然、勝算や目標設定の正しさについては十分考えを巡らせたうえで、仕事に取り組んでいる。
それでも「もうひと頑張り!」というタイミングでは、誰よりも可能性を信じて、自らに暗示をかけるようにして周囲を巻き込んでいくことも大切だ。
信じるからこそ、説得できるし、説得できるからこそ物事が動き出す。


自主隔離中に延々とNHKのプロフェッショナルを50話くらい見ていた時に、エピソードのどれをとっても取材されている人は悩んでいたし、もがきながら考えていたし、それでもはっきり自分の意見を言いきっていた。
自分には経験がないとか、出来るかどうかわからないとか、こんなことでいいのかとか、将来どうしようとか、思ってしまう自分を導いていきたい(ふと、「自省録」の指導理性という言葉を思い出した)。
 
日本での滞在も残すところわずか、体のメンテナンスと並行して自分の中のConvictionを高めていきたい。

148週目:休暇

燃え尽きたので、休暇のため日本に帰ってきた。

ともかく2週間は外出を控えていることもあり、一晩ゆっくり寝たらキツキツの予定をこなす毎度の一時帰国とは打って変わって、時間を持て余している。

人と会ってインスピレーションをもらうのも大切だけれど、静かに本を読んだり勉強したり考え事したりする時間のありがたみを数日目にして早くも感じる。

 

シリーズBにむけて2年あまり気の休まることなく仕事をしてきたこともあり、ここにきて心身ともに休みを取らないといけないと実感している。

長い文章がレビューできなかったり、意思決定に時間がかったり、手足がしびれたりと、肉体的にもここで一度休む必要が出てきた。

 

数週間まえに、CEOとの休暇のタイミングを合わせようと相談したら、即答で却下された。

「今の計画の前に1週間、後ろにもう1週間足して、少なくとも8月は仕事をするな」というお達しで、当初はそんなに要らないと思っていたけれど、実際のところしっかり充電して、目の前の仕事を大局的に考え直す機会としたい。

 

いろいろと考えていることもあるので、その辺はまたブログで。

 

147週目:キリフィ・チームとの再会

今週は2月から戻っていないKilifiでチームと再会。

ファンドレイズのための出張に、DDのためのSite Visitsで飛び回っており、ひと段落するところでCOVID19でケニア国内の移動が禁止されてしまった。

さらには、ケニア国内でも僻地中の僻地であるはずの人口5万人の町Kilifiで、なんとケニアで最も初期の症例が出てしまい、Kilifiそのものも封鎖対象になってしまうという想定外の状況。

血税でヨーロッパ周遊に出かけた副知事が媒介となり、大騒ぎ。

一時はナイロビ以上に厳戒態勢が敷かれて、自家用車以外での外出禁止など相当厳しかったらしい。

それはさておき、自分以外のチーム全員は、ビーチもあって、ナイロビのように感染・動乱リスクが高くないKilifiに残る決断をしていた。

どこにいようとも、WFHなので関係ないし、チームのメンバーもひとりひとりがしっかりと案件を進めてくれたおかげで、正直どこからでもハードワークできる最強のチームが出来上がっている。

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とはいえ、資金調達で眠らない数か月を戦ったからには、きちんと対面で話もしたいし、食事もしたかった。

幸いにチームといっても数人の小さな所帯なので、換気やスペースに注意しながら面談とディナーを設定する。

引き続き、KilifiのHQは最少人数での運用になっていて、いつも会議室の取り合いをしていたのがうそのよう。

ミーティングルームからもイスが撤去されていた。

週明け月曜日に大統領声明が出て、レストランでの酒類の提供が禁止されたので、締め切りぎりぎりでディナーとなった。

ビーチ沿いにある自然換気が完璧なバーで祝杯を挙げる。

8月はチームの休息と9月からの複数案件のキックオフ準備に充てる。

シリーズBのクロージング後もなんだかんだやることがあったのだけれど、年終盤の仕込みも含めてしっかり形になったので、しっかり休みたい。

 

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