気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

「不安な個人、立ちすくむ国家」

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今週ソーシャルセクター界隈の人々の間で、経産省が発表した「不安な個人、立ちすくむ国家」という資料が波紋を呼んだ。

この資料は、産業構造審議会という2001年から続く会議体の配布資料として、公表されたものだ。

1ページ目をめくると飛び込んでくる「昨年8月、本プロジェクトに参画する者を省内公募。20代、30代の若手30人で構成。 メンバーは担当業務を行いつつ、本プロジェクトに参画。」という文言からして、政府文書につきものの「お役所感」がないし、投資を高齢者から子どもへ切り替える、というメッセージも相まって特に注目されたのではないかと思う。

 

資料のポイント

さらっと流し見た限り、主だったポイントは次のようにまとめられると思う。

 

不安定化する社会と不安な個人

世界が変化し、何をやったら100点かわらかない中で、決断を求められることで人々は不安になっている。「自由の中にも秩序があり、個人が安心して挑戦できる新たな社会システム」が必要。

 

なぜ日本は変われないのか?

「昭和の人生すごろく」に基づく社会システムは無理ゲーになっており、「個人の選択をゆがめている」。今は、人生100年の時代であり、二毛作・三毛作を前提とした人生のあり方が示されるべき。→旧来の制度・価値観がそうした変化を阻んでいる

 

3つの課題

 ①幸せでない高齢者:働きたいのに働けない。手厚い年金や、高度な医療も、幸せに結びつかない。現在の政府投資は実を結んでいない。

②繰り返される貧困:母子家庭の貧困率は世界トップ、「貧困→進学率↓→非正規雇用率↑平均所得↓」という貧困のサイクルが拡大している

③若者の社会参加:若者の社会貢献意識は高いのに、参加の機会は与えられておらず、優秀な若者は海外に目を向け、困難な状況にいる若者は希望を失いつつある。

 

提言

①「高齢者=弱者」という社会保障からの脱却、働ける限り貢献する

②子どもや教育への投資強化、変化を乗り越える力を身につけ、思い切った挑戦ができるように

③「公」は政府だけではなく、「意欲と能力のある個人」が担う

 

 

ディスカッションしてみた

せっかくなので、酒飲み仲間の教育NPO関係者やら、ビジネスマンやら有志数名でディスカッションしてみたので、面白かった意見を備忘録的に紹介したい。

今回のプレゼンテーションはどちらかというと意欲的なメッセージ発信だというのは、参加者の間でも認識が一致していた。

一方で、ポリシーペーパーとしてはふわっとして、定義や情報やロジックの肉付け不足に違和感を覚える人も少なくなかった。

 

・課題の整理やポリシーペーパーというよりは、マーケティングという印象

・要すれば、雇用の逼迫を高齢者と女性で賄い、財政揺るがしかねない医療費を圧縮したいだけ。

・財政が逼迫しているのはわかるが、支出(投資)のことばかりで、歳入に関する議論がないのは違和感がある

・キーメッセージは自己責任論の転換。これまでは、貧困層や弱者、教育を「自己責任」とみなし、高齢者を無条件の保護対象としていた。これを逆転させ、貧困層や弱者、これから育てる子どもたちの教育を支援対象、二毛作・三毛作しなければならない高齢者を自己責任にしている。

・選択肢があることは幸福なのか?冒頭では膨大な選択肢と可能性が不安を喚起している一方で、最終的には選択ができることがやたらと強調されている。

・「秩序のある自由」って一体なんのこと?セーフティーネット?

 

霞が関からのSOS?

ちなみに、このスライドを見た何人かから、「問題提起かもしれないけれど、ソリューションの記述がない!」というヒステリックな反応があったが、ちゃんと経産省のページには現在検討中の「「新産業構造ビジョン」骨子(案)」という資料も載っているので、こちらも見てみてほしい。

とはいえ、こちらはいわゆる「お役所ビジョン」で、お世辞にも先のプレゼンのようなマクロ観と危機感あふれる感じは伝わってこない。

問題提起のメッシュと、応答のメッシュは全く噛み合っていない。

そういう意味では「経産省からのSOS」というコメントはあながち外れてはいないかもしれない(他にも、 ロビーイングを目的にしたプロパガンダだとか、いろいろなコメントがあったし、それには納得感もある)。

 

まとめ 

資料によると日本の若者は、社会貢献に対する意欲が高い一方で、社会参画の実感に乏しく、能力のあるものは国を見捨て、苦境にあるものは現状を諦めているらしい。

このメッセージの意図やデータの信頼性はさておき、公共を一手に担い、かつての官僚統治の成功例とされた"Notorious MITI"からこんなフレーズが出てくること自体が象徴的だと思う。

ソーシャルセクターがますます重要になり、それを担うアントレプレナーがますます必要になる時代に、何ができるのかが自分たちの双肩にかかっている。

思っていたより、残り時間は少ない。