ケニアスタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

185週目:社会的なアジェンダを持つときに大切にしたいこと

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ソーシャルセクターに興味本位で首を突っ込んで10年になる。

社会的インパクトや貧困削減、気候変動、社会的起業、あらゆるテーマに首を突っ込みながら、先人たちの後ろ姿を無心に追いかけてきた。

今の僕のキャリアも、取り組んでいる仕事も、何もかもが同じような目標をはるか昔に追いかけた先達の部分部分を組み替えて生まれている。

いくつもの難しい課題の結節点で、日々剣道の地稽古のようにガムシャラに仕事をしているのも、各分野を確立した起業家や専門家たちの巨人の肩にのっかっているだけともいえる。

だから、Mainstreaming(主流化)の波に乗って大きなアナウンスがあったとしても、それはとるに足らないことだ。

本当の意味で自分の道は始まっていないわけで、自分に対する戒め、あるいは道標としていくつか大切だと思うことを書いておきたい。

 

社会的課題というのは、どこにでもある、ありふれたテーマだ。

ちょっと意識の高い大学生ならだれもが一度はレポートを書いたことがあるだろう。

社会人になっても新聞を読んだり、SNSで意見を発信したりできる。

お手軽な社会参画は決して難しくないのが、ソーシャルアントレプレナーシップやアドボカシー、アクションの良さでもある。

ただ、そこにこだわりをもって、職業的に自分を鍛錬しつつ、数年以上粘れる人というのは思いのほか少ない。

教育、環境、貧困、差別、何をとってもいい。おそらく毎年数百万人が、パソコンで調べ物をしたり、レポートを書いたり、SNSに投稿したりしているテーマで、実際に行動できる人、まして行動し続けられる人はごくわずかである。

 

今僕が他者に秀でているとしたら、ねちっこく経ち続けるしぶとさ以外には何もないだろう。

新しい通念を打ち立て、ビジョンに向かって人生を賭けた先人の勇気に強烈な嫉妬と憧憬を抱く。

そして、自分の持てる限りの能力と行動をぶつけては挫折し、それでも食い下がって一歩一歩仕事をする。

自分の能力不足を潔く認め、ギャップを埋めるためならあらゆる修練をする。

「業界研究」をして分かったようなつもりで語っていた方法論はほとんど当てはまらない。

考え抜いて行動してを繰り返す泥臭い世界だけが超過的な努力となり超過的な成果を生んでいく。

 

社会人になって6年余りが経ち、周りで学生時代と同じことを言っている人はほとんどいなくなった。

善悪は関係ない。そういうものなのだ。

大人になるという過程を経て社会に適合していく人がいるから社会は成り立つ。

他方で、社会の中であえてニッチな領域で突っ張ると決めたからには、自分はこの道を進んでいくんだと思うし、挑戦をすればするほど自分の非力を痛感していくだろう。

ただ、そこでくじけず、卑屈にならず、まっすぐに課題に向き合い続けられるか、というのが自分が「どこまでいけるか」を決めるのだと直感する。

新鮮な野望を行けるところまで持ち続けていきたい。

何もなかったのかのように模索を続けていきたい。

それを自らの評価の尺度にしたい。

20代は先達の背中追いかけてきたが、30代は自分の野心を原動力にオリジナルな仕事を残したい。