気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

Komaza 25週目:なぜ日本人が途上国で貧困削減に取り組まなければならないのか?  

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ちょうど、Komazaに入社して半年になるので、そもそもどうしてケニアのソーシャル・エンタープライズなのか、という問い(考えてみれば、ちゃんと書いていなかった)について、振り返りもかねて書いてみたい。

 

ソーシャルセクターに対する僕の考え方は、8年前ブラウン大学への願書で書いていた頃から、日本で働いた数年を経て決定的に変わっている。

高校生の卒業式で答辞を読んだ僕は、「日本は国力に見合った貢献を世界の未来に対して果たしているのか?」と問いかけた。

「リーダー不在の国」と言われた日本が、世界第2位(だった)の経済大国として国力相応の責任感を持って自国以外の国と関係を築き、よりよい世界を共に創ることがリーダーシップだと信じていたからだ。

その点、ソーシャル・セクターとの関わりも、こうした「高貴なる義務」の一環として始めたことだった。

 

一方、今の僕の認識は高校生の時からかなり悲観的なものになっている。

日本の経済力、技術力、ひいては社会的資本が衰退の一途をたどり、世界どころかアジア圏内でもすでにNegligibleになった今、実は日本こそが富める国から貧弱な国へと変わりつつというのを、訪れた先進国・新興国の先々で実感した。

20世紀の開発経済学を支えた、産業を育て、経済を伸ばせば、皆豊かになるという発想には、「豊かになった後」の社会の姿は欠落していた。

アメリカのトランプ政権誕生をめぐる格差の議論など、実は「先進国」と呼ばれる社会にこそ、かつて途上国支援の枠組みで語られることが多かった貧困解消やコミュニティ作り、社会的インフラの整備、金融包摂、行政サービスへのアクセス、といったアプローチが求められるようになっているのである(ちなみに、途上国支援のイメージが強いマイクロファイナンスは、実はフランスやアメリカといった先進国でも活用されている)。

 

そして、かつては「支援してもらう側」だったケニアを始めとする新興国では、社会の多数を占める若者が続々と起業し、新しいテクノロジーをどんどん活用しながら、身近な社会課題を解決している。

とりわけ、先進国の老朽化したインフラを前提としない、一足飛び(例えば銀行口座を使う前に、電子決済インフラを使う、大型発電所を作る前にオフグリッドにするなど)の社会の発展をLeapfrogging(カエル飛び)と呼ばれ、欧米からも熱い視線を浴びている。 

イノベーションといえば、シリコンバレーであるのと同じように、ソーシャル・イノベーションのメッカは新興国にあるのだ(実際、新興国のソーシャル・イノベーションに投資するためのファンドが続々誕生して、欧米の一流起業から数百億円単位で投資を受けている)。

 

こうした背景を理解するにつれて、かつて日本が世界を救う一助になるためのツールであった、ソーシャル・ファイナンスや技術力は、落ちゆく日本を守るための最終兵器に見えてくる。

日本の経済成長は今後も望めないだろうし、深刻な労働人口現象と高齢化は日本が最後まで守り続けてきた社会のレジリエンスをも蝕んでいくだろう。

そうした絶望的な社会環境を、どう支えていくのか、そのヒントを得るために自分はケニアにいなければならない。

日本で今困難な社会課題に挑み続ける先輩方や同志たちに加わり、未来の日本を導くためにこそ、今僕は日本にいてはならないのだと思う。

 

なんで日本の国旗を背負って仕事ができる商社をやめて、ケニアなのか?

日本という自分のテーマから逃避しているだけではないか?

途上国と先進国では、ソーシャルセクターのあり方もぜんぜん違う。

 

そういった問いに少しは答えられただろうか。

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