Komaza 59週目:「西郷南洲遺訓」と事業に学ぶこと
今週はこの2週間毎日睡眠を削って取り組んできた大仕事が無事に形になる。
来週のクロージングでひと段落と思うと、ようやく一仕事という感じ。
今週末は気分転換に、日本から持ってきた西郷南洲遺訓を読む。
西郷隆盛といえば、幕末という時代に殉じた代表的な志士で、明治維新の時流の中で失われつつあった武士の世界観を最後まで貫こうとした人物。
その発言や手帳をまとめたのがこの本で、百ページちょっとなのに中身が重い。
マルクス・アウレリウスの「自省録」を彷彿とさせる、苦悩に満ちた実務家としての哲学がぎっしり詰まった一冊だった。
本書が向き合うのは、本来の目的を見失うことなく、安直な道に逸脱しないためにはどうしたら良いのか、といったストイックな問いだけではない。
愚直なだけを取り柄に成果を無視するのではなく、人を動かして正しい仕事をしながら、まっすぐに生きるにはどうするべきか、そうした職業人(昔なら侍)が向き合ったであろうリアルな問いに対して示唆を与えている。
今は、当時の封建的主従制度とは全く違って、誰もが人生の主人公としてオーナーシップを持てる時代だ。
だからこそ却って、昔のような明確なミッション(例えば主人への奉公)をもつことが難しい。
ソーシャル・アントレプレナーシップの教科書を開くと、起業家がどこかで面倒な目にあったり、社会的な理不尽を目にしたストーリーと合わせて、ミッションあって始めて事業がある、といういかにももっともらしいレッスンが載っている。
けれど、ケニアで社会起業家と仕事をする中で、事業の出発点となるミッションと、事業が成長する過程で明らかになってくるミッションは、質も解像度も全く違っていることを痛感した。
なので、ちょっとイレギュラーな解釈かもしれないけれど、有名な「辛酸を幾たびか歴て志始めて堅し。丈夫玉砕瓦全を愧ず」の一節も、事業を始めた時の志は「志」としてはあくまで未成熟なもので、事業を本気でやる中で直面するいくつもの困難を通して始めて磨かれ鍛えられた本当の「志」が生まれるというように、今の自分は読んでいる。
実際に自分の仕事が社会に対して持っているミッションを理解し、言語化するにはそれなりに時間がかかる。
そういう意味で、人は事業に向き合うことを通じて、ミッションを理解するのかもしれない。
前回の記事と同じく、気になった文章を抜萃しておく。
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辛酸を幾たびか歴て志始めて堅し。丈夫玉砕瓦全を愧ず。一家の遺事人知るや否や。児孫の為に美田を買わず。
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学に志す者、規模を宏大にせずんばあらず。。。規模を宏大にして己に克ち、男子は人を容れ、人に容れられては済まぬもの。
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人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を盡(つくし)て人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。
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己を愛するは善からぬことの第一也。修行の出来ぬも、事の成らぬも、過ちを改むることの出来ぬも、功に伐(ほこ)り驕慢の生ずるも、皆自ら愛するが為ならば、決して己を愛せぬもの也。
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道に志す者は、偉業を尊ばぬもの也。
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事の上には必ず理と勢との二つあるべし。。。「理に當って後に進み、勢を審かにして後動く(當理而後進、審勢而後動)」ものにあらずんば、理勢を知るものと云うべからず。
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事の上にて、機會といふべきもの二つあり。僥倖の機會あり、又設け起す機會あり。大丈夫僥倖を頼むべからず、大事に臨では是非機會は引き起さずんばあるべからず。英雄のなしたる事を見るべし、設け起したる機會は、跡より見る時は僥倖のやうにみゆ、気を付くべき所なり。
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變事俄に到来し、動揺せず、従容其變に應ずるものは、事の起らざる今日に定まらずんばあるべからず。變起らば、只それに應ずるのみなり。古人曰、「大丈夫胸中灑々(しゃしゃ)楽々。光風雲月の如く、其の自然に任ず。何ぞ一毫之動心有らん哉。」と。是即ち標的なり。
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毀誉得喪は、真に是人生の雲霧、人をして昏迷せしむ。此の雲霧を一掃せば、即ち天青く日白し。
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誣(し)ふ可からざるは人情なり、欺く可からざるは天理なり、人皆之を知る。蓋し知って而して未だ知らず。
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学は自得を貴ぶ。人徒に目を以て有字の書を読む、故に字に局し通透することを得ず。當に心を以て無字の書を読むべし、乃ち洞して自得すること有らん。
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憤りを発して食を忘る、志気是の如し。楽んで以て憂を忘る、心体是の如し。老の将に至らんとするを知らず、命を知り天を楽しむ者是の如し。聖人は人と同じからず、又人と異ならず。
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真己を以て假己に克つ、天理なり。身我を以て心我を害す、人欲なり。
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心静にして、方に能く白日を知る。眼明らかにして、始めて晴天を知り會すと。。。青天白日は、常に我に在り。
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胸次清快なれば、すなわち人事百艱亦た阻せず。
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人は須らく忙裏に閑を占め、苦中に楽を存ずる工夫を著(つ)くべし。
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遠方に歩を試る者、往往にして正路を捨て、捷径に走り、或は誤って林莽に入る、嗤う可きなり。人事多く此に類す。