Komaza 58週目:人生の転換期と「遠い太鼓」
このエッセーの題材となった南ヨーロッパでの生活は、「ノルウェイの森」で空前の大ヒットを記録する直前の村上春樹の30歳の終わりの3年の出来事だ。
30代から40代に切り替わるとき、漫然と人生を続けるのか、区切りを自分で見出し、小説家として新しいフェーズにギアを入れ替えるのか、という自問からこの旅行記は始まる。
漠然とした違和感を具体的な生活の変化によって、なにがしかの形にしようとした作家村上春樹の学び続け、変わり続けることへの敏感さは、20代後半の僕にも突き刺さるものがあった。
ただ変化を記録するだけではない。
小説家としての自分をいかに励まし続けるか、肩の力が抜けたDetachedな自分と、できることはやってやろうという野心家で楽天的な自分がちょうどいいバランスで垣間見えるのもこのエッセーの魅力だろう。
Detachedなだけではただのヒッピー放浪記だし、野心だけではチープな自己啓発本になってしまう。まるで優れたドキュメンタリー作品を見るような、ちょうど良い距離感がある。
毎日の生活では肩の力を意図して抜きながら、遠くから自分を見つめる眼差しはどっしりと構えている。
自分のフェーズを体感する、あるいは風の音を聞けるようになること。
自分の中にある「芽生え」を自覚的に察知して、開花できる場所まで自らを持っていく力は、才能を幸福に転換するために大切な能力だと思う。
ケニアでベンチャー武者修行中の自分は、この転換期のど真ん中にいるのだと改めて実感した。
村上春樹も、転換期を意味のある時期にするために日本のしがらみを振り捨てて外に飛び出してなお、日々は驚くほどそれまでと変化のない、淡々とした翻訳と執筆に向き合っていた。
転換期だからといって何も特別なことは起きないし、無理やり特別にしようとする焦りこそが、「転換」を妨げる事になる。
僕自身、将来のことを不安に思ったり、行き先を悩んだり、心配事は尽きないけれど、そんな時にこそ日々のルーティーン、当たり前の仕事を新しい環境で黙々とこなす強さを学ぶ機会だと思って、心を定めたい。
以下は気になった言葉の抜萃。。。
- きっかけ
- 日本にいると、日常にかまけているうちに、だらだらとめりはりなく歳を取ってしまいそうな気がした。…僕は、言うなれば、本当にありありとした、手応えのある生の時間を自分の手の中に欲しかったし、それは日本にいては果たしえないことであるように感じたのだ。
- 僕が怖かったのは、あるひとつの時期に達成されるべき何かが達成されないままに終わってしまうことだった。それは仕方のないことではない。
- ある朝目が覚めて、ふと耳を澄ませると、何処か遠くから太鼓の音が聞こえてきた。ずっと遠くの場所から、ずっと遠くの時間から。その太鼓の音は響いてきた。とても微かに。そしてその音を聞いているうちに、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。
- 異質な文化に取り囲まれ、孤立した生活の中で、掘れるところまで自分の足元を掘ってみたかった(あるいは入っていけるところまでどんどん入っていきたかった)のだろう。
- 小説を書くこと
- 文章を書くというのはとてもいいことだ。少なくとも僕にとってはとてもいいことだ。最初に会った自分の考え方から何かを「削除」し、そこに何かを「挿入」し、「複写」し、「移動」し、「更新して保存する」ことができる。そういうことを何度も続けていくと、自分という人間の思考やあるいは存在そのものがいかに一時的なものであり、過渡的なものであるかということがよくわかる。そしてこのようにして出来上がった書物でさえやはり過渡的で一時的なものなのだ。
- 毎日小説を書き続けるのは辛かった。ときどき自分の骨を削り、筋肉を食いつぶしているような気さえした...。それでも書かないでいるのはもっと辛かった。文章を書くことは難しい。でも文章の方は書かれることを求めている。そういうときにいちばん大事なものは集中力である。その世界に自分を放り込むだけの集中力、そしてその集中力をできるだけ長く持続させる力である。そうすれば、ある時点でその辛さはふっと克服できる。それから自分を信じること。自分にはこれをきちんと完成させる力があるんだと信じること。
- 雨が降っていないときを見計らって、毎日リージェント公園を一時間ほど走った。それくらいは体を動かしておかないと、頭がどこかにイッテしまう。頭がイカないように、体をイカせるのだ。
- 僕はもともと長編小説を書くときは他の仕事を全部放り出して、徹底的にそれひとつに集中するので仕事のペースはかなり早い方である。しかしヨーロッパにいると一切誰にも邪魔されずにすむから、いつにも増して早いスピードで書きあげることができた。この本の中でも書いたけれど、文字通り朝から晩までどっぷりと首までのめり込んで小説を書いていた。小説以外のことはほとんど何も考えなかった。なんだかまるで深い井戸の底に机を置いて小説を書いているような気分だった。
- 長い小説にとりかかると、僕の頭の中にはいやおうなく死のイメージが形成されてしまう。そしてそのイメージは脳のまわりの皮膚にしっかりとこびりついてしまうのだ。僕はそのむず痒く、気障りな鉤爪の感触を常に感じつづけることになる。そしてその感触は小説の最後の一行を書きおえる瞬間まで、絶対に剝がれおちてはくれない。いつもそうだ。いつも同じだ。小説を書きながら、僕は死にたくない・死にたくない・死にたくないと思いつづけている。少なくともその小説を無事に書きあげるまでは絶対に死にたくない。この小説を完成しないまま途中で放り出して死んでしまうことを思うと、僕は涙が出るくらい悔しい。あるいはこれから文学史に残るような立派な作品にはならないかもしれない、でも少なくともそれは僕自身なのだ。もっと極端に言えば、その小説を完成させなければ、僕の人生は正確にはもう僕の人生ではないのだーーー長い小説を書くたびに多かれ少なかれそう思うし、その思いは僕が歳をかさね、小説家としてのキャリアを積むにつれてますます強くなってくるように思える。
- 僕はもう一度小説を書きたいという気持ちになっていた。僕という人間の存在証明はおそらく生きながらえ、書きつづけるという行為そのものの中にあるのだと僕は思った。それが何かを失いつづけ、世界に憎まれつづけることを意味するとしても、僕はやはりそのように生きてしていくしかないのだ。それが僕という人間であり、それが僕の場所なのだ。
- 旅すること・走ること・生きること
- ある種の人々が知らない土地に行くと必ず大衆酒場に行くように、またある種の人々が知らない土地に行くと必ず女と寝るように、僕は知らない土地に行くと必ず走る。「走りごこち」という基準によって、はじめて理解できるのも世の中にはあるのだ。
- 僕らはこのカナーリさんが一目で気に入って、それでこのひどい地下室でもまあいいやと思って、我慢して住みつづけたのだ。世の中というのはそういうものだ。その状況の向こうにいる人間の姿がきちんと見えていれば、大抵のことには我慢ができる。逆にそれほど悪くない状況に身を置いていても、ひとの姿が見えていないと苛立つし、不安になる。
- 「平和のために生きることは美しい。平和のために死ぬことは尊い」
- たっぷり三十分くらい泳ぎ、そしてビーチに横になって眠る。とてもいい気分だ。眠る時にもう一度天安門のことを考える。そして自分が世界のはしっこに一人で取り残されているような気持ちになる。いや、僕はもう既に世界のはしっこからころげ落ちてしまったのかもしれないな。
- でも僕はふとこういう風にも思う。今ここにいる過渡的で一時的な僕そのものが、僕の営みそのものが、要するに旅といいう行為なのではないか、と。そして僕は何処にでもいけるし、何処にも行けないのだ。