組合のナゾ
入社から1年過ぎた頃から、仕事で「これぞ日本企業!」的なイベントに遭遇する機会がめっきり減っていたのだけれど、今日は久しぶりに新ネタを発見。
いわゆる「労働組合」なるものの委員に選ばれて、会議中ずっとこの「日本的」と言われる組織の中の組織について考えていた。
アメリカとかでユニオンといえば、もう少し闘争的で、利益相反を丸呑みにして経営陣とうまくやっていく為のコミュニケーションツールとして機能している日本の労働組合とは趣が違う。
しかも、聞けば日本における組合経験者は、出世コースとされているというから、未だに冷戦時代のアレルギーが残るアメリカ資本主義社会から戻ってきた自分にはかなりのカルチャーショック。
とはいえ、無駄な組織がただ残るということもないと思うので、いくつか「なぜ組合が日本企業で求められるのか?」というお題で考えていたことを書いてみる。
※多分に他社の友人から聞いた話や本で読んだ話もあるので、うちの会社とは直接関係ないことは強調しておく
その1:シニアと若手のコミュニケーション
360度評価が一般的ではなく、仕事の責任関係も曖昧な日本企業において、偉くなればなるほど現場の生の声から遠ざかっていくことはさけられない。
そんなコミュニケーションの断絶の中で、日々意思決定をするときに、組合であれば、事前にリスクを取らずに壁打ちする相手になりうる。
まさか普段上下関係をひっくり返して、部下に意見を求めるわけにもいかない、体育会型の組織ほど効果があるのではないかと思う。
組合対経営陣という図式はかつては健全な対立からバランスをとるものだったのかもしれないが、歌舞伎や茶道と同じく「立場」と「型」としての「対話」はかつての熱気を失って、むしろ普段は上下にいる人間が対等な立場を演じるロールプレイになっている。
また、ロールプレイであるからこそ、組合の場での率直なやりとりは、普段の仕事での上下関係に影響せず、権威も損なわれない。
経営陣からすれば、安心して様子を探れる便利な場所なんだろうな。
組合員からの「質問原稿」まで作ってくれる気のきいた組合もあるというから興味深い。
その2:社内ネットワークの場
ロールプレイとはいえ、普段は雲の上の役員やら上司やらと会社のあり方について率直に話せる場は若手にとっても貴重な場になるはず。
会社の方針などについて、生の話が聞けるというのもそうだし、中間管理職をすっ飛ばしてお偉方と交流できるのは若手にとっては魅力的な機会となる。
加えて、組合が大好きなアンケートやイベント、特別企画の類は、専用にフルタイムの人がつくのも一般的らしいので、普段は部署の垣根を越えない会社でも、そこの担当者同士としてなら自分の属性をいったん離れてネットワークを広げられる。
社内に知り合いが多いことは、終身雇用の日本企業においてはすぐさま強みになる。
その3:才能発掘の場
最後に、こうした会社の縦と横の人脈をつなぎ、普段断然しているコミュニケーションを補う組合の場は、会社にとっては才能発掘の場にもなる。
そこでは人望が評価されるだけではなく、時には経営上・人事上のきわどい施策に対して、経営陣と一般社員の利害の仲裁者として「大人の対応力」が求められる。
もちろんこれは利害代表というよりは、折衝なのはいうまでもなく、組合のトップともなれば何十年も年次が上の経営陣の部屋にも自由に出入りして交渉を行う。
ここで実力(いい感じに空気を読みつつ、若手をまとめ上げるサラリーマンスキル)を認められれば、会社としてその人にいいポストが行くのは当然とも言える。
会社から見れば、優秀そうな若手に仕事を任せるわけにはいかなくても、管理職が制度上入ることを許されず、平均年次の若い組合という場なら、自由にやらせてみても害はないのだろう。
と、妄想をしてみた。ほぼ、山崎豊子の「沈まぬ太陽」のイメージに流されているので、別に自分の会社がどうとかではないことだけはご承知あれ。
MITオンライン授業で共同プロジェクトはできるのか?③_反省編
月曜日からずっと書いているMITのフィンテック講座。今日の正午がMITのクラスの課題締め切り。
初のグループワークは絶望的な状況からなんとか巻き返し、チームの底力もあって無事に今朝一番には全員のタスクが完了して、課題を提出できた。
とにかくフルタイムで仕事をしないといけない中で、こんなギリギリは一歩間違えれば確実に致命傷になっていたと思うと、やり遂げた感覚よりもむしろ反省ですね。
間に合わせる為にやったことは炎上マネジメントのほぼ定石で、できるところから人を巻き込んでムーブメントにしていくという感じなのだろうけど、ここまで見ず知らずの人とプロジェクトをするのにかなり無警戒だった自分に対する反省もあり、そもそも炎上させないためにどうしたらいいんだろうということを考えている。だって、炎上させたらプロジェクトマネジメントじゃないし。
反省編:締め切りより早い段階で作業の割り振り・見通しをつけておくべきだった
コースの紹介部分では一週間あたりの平均コミットは10−15時間と書かれており、それなりの時間をクラスに振り向けることを前提に参加している。
僕自身も基本的に座学は土日にやって、足りない分は平日のランチ時間や帰宅後に時間を作っていた。
課題の提出は一週間ごとなので、日々追われることになるのだが、面倒なことに次の週のレッスンは提出の一週間前まで公開されない。どんな課題をやるのかは毎週水曜日にならないとわからないのだ。
とはいえ、急な用事や他にもやらねばならない仕事関連のタスクは山積みなので、少しずつ作業が遅れて気がつくと仕事のあとに睡眠時間を削る羽目になる。
個人ベースの課題はこれまでも毎週出ていたのだけど、「えいやっ!」でやりきる個人技が通用しないだけに、翌週の課題がでたらすぐにコラボの手配をすべき。
明日はプログラムとか、オンライン授業で共同作業をするメリットとデメリットについても書いてみたいと思う。
オンライン授業で共同プロジェクトはできるのか?②
昨日に続き今日も残り12時間ほどに迫った締め切りに向け、見ず知らず、所在国もバックグラウンドも違うメンバーがいきなりプロジェクトをできるのかを考えてみたい。
昨日の記事を投稿した時は、「もうこんなの無理だー!」と正直投げ出しかけていたのだが、さすがにこのまま黙ってうん十万の学費をどぶに捨ててしまうわけにも行かないと我に返って、いろいろと試してみた。
試したこと1:とりあえず、メッセージ機能を使って全体・個別に再度声をかけてみる
週末に全体のディスカッションページにポストしたのに返信がこなくて挫折していたので、今度はチャネルを変えて、個別メッセージ機能で投稿してみた。
試したこと2:返信がきた一人と深夜の電話
期日が迫ってヤバイ!と感じていた香港の参加者からリプライが来て、まだあまり読めてないのだけど、確かにヤバイよね!というメッセージが来る。
ということで、課題の現状確認と次にやるべきアクションを確認するため、急遽電話会議。
全体フィードで議論しても良かったのかもしれないけれど、時間がかかるのがじれったいので、とりあえず電話。国際電話は高いので、Whatsappを使用(自分のタイムゾーンはアジアの参加者が多いせいか、Whatsappが人気のよう)。
試したこと3:集団の意思決定を勝手に決めてしまい、共有ドキュメントも作ってしまう
今回の課題は、いくつか提示された候補の中から面白いフィンテックベンチャーを選んでリサーチするもの。
週末全体のディスカッションページにどれにしようか聞いても特に返事ないので、先ほどの電話中にノリと勢いで決めてしまう。
そして、レポートをみんなでかけるよう、役割分担のドキュメントと、レポート記載用のドキュメントを、グーグルドライブで共有。
試したこと4:もう一人の人に煽ってもらう
電話した相手はグーグルドライブに不慣れということで、代わりに個別メッセージ でまだ会話に入ってきていないメンバーをどついてもらうことに。
フィードは彼と僕のやりとりで埋まるんだけど、徐々に人が集まってくる。
結果:なんとかキックオフ←イマココ
協力してくれた香港の参加者のおかげで、なんとかプロジェクトが始動。
あとは今夜か明日の早朝に全員のアウトプット(すでにグーグルドキュメント形式で保存)をワードに変換して提出するだけ(やってないやつとかでそうで非常に不安なので、アサインメントを一人くらいやらなくてもなんとかなるように若干タスクを被せているのが功を奏することを祈る。祈る。祈る。)
オンライン授業で共同プロジェクトはできるのか?①
MITが外部向けに有料で提供しているフィンテックのクラスに参加している。
約三ヶ月にわたって、世界中に散らばった1000人弱の参加者がフィンテックについてのオンライン授業を受けつつ、ビジネスプランを作り上げるというカリキュラムだ。
自分がエントリーしたのは9月の回で、ようやく座学からビジネス・プラン・プロジェクトが動き出している。
ところが、チーム作業になった今週、いきなり躓いた。
参加者の多くが社会人のせいか、はたまた時差のせいか、とにかく見ず知らずのメンバーでランダムに作られたチームでは、共同課題に歯が立たないのだ。
水曜日に課題提出の期日が迫るなか、そもそもオンラインポータルにログインしているメンバーが過半数にすら満たない。
それでも二日後にはなんとかして、課題を出さないといけず、そのためには普段仕事をしている社会人がなんとか分業をして、作業をしなくてはならない。
さあどうするか。。。
いろいろ試してみて、タイトルの問いに答えられるようになりたい。
執筆者として自らに問うこと
週末にPCデータ整理をしていたら、ちょうど2年前に卒論を書いていたときのメモが出てきた。
研究の道へは進まなかったけれど、当時300ページ近い論文を書きながら学んだことは、仕事の上でも大事だと実感することが何度もあった。
論文の価値は自分の価値であり、社会へ自分の問いを突きつけることは何も学問に限らず事業でも同じくらい重要なはず。
一足飛びの横着な未来観を持っても、地道に積み木を積んでいく者にはかなわない。
仕事の方でも、ちょうど明日から新しいアサインメントが始まる今のタイミングで、肝に銘じたい。
- 自分は読者をどう導きたいのか?明確な意志はあるか?
- 自分の論文の価値はどこにあるのか?情報なのか、考え方なのか?
- 自分のアイデアから逃げていないか?
- 伝わらないんじゃないか、意味が分からないのではないか、という恐怖に対抗する唯一の方法は書き続けること。そして、書いては直し、書いては直し、という作業を地道に継続すること。恐れることなく、周囲に感想を求めること。
- 一旦筆を執ったなら、評価判断を保留しない。
- 思考する自分と、書き上げる自分と、そして批評し編集する自分は別々に持たないと行けない。今の自分が同時にやろうとしても、筆が止まり、思考が停止し、編集するべきものが生まれなくなる。思い切ってそれぞれの行程をやりつくすことこそ、最良の文章を生むための条件。
- 分からなくなったり、つまらないか不安になることを見越して、あらかじめフィードバックを受けられる環境を用意しておく。
- いくら面白くても、本筋に関係ないなら、早い段階で切り捨てる。書けば書くほど、のめり込み、挙げ句の果てに全部削除することになる。
- 執筆は積み木。毎日小さなピースを削りだし、整えて積んでいく。
- そしてあるとき振り返って、修正する。違和感があるときにした小さな妥協が全体のひずみになっていく。愚直に、謙虚に、容赦なく。