気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

Komaza 43週目:ムーンショットに向けて

今週の7月24日に27歳になった。
ちょうど50年前の同じ日は、アポロ11号は月から地球に帰還した日らしい。
ケネディ大統領の1960年代中に人類を月に着陸させ、無事に帰還させるという一大ミッションが達成された日であり、最近流行っているになっているMoonshotという言葉の語源になったイベントでもある。
 
話はそれるけど、Moonshotそのものは、今できることの延長上ではない高さに目標を設定して、あとはそこに向かってやれることを全部やっていくことで達成される、想像力との戦いだと思う。
ハイリスク・ハイリーターンで一発ヤマを当てるというよりは、大きなビジョンと細かな努力の組み合わせが最大限発揮されるとMoonshotと言われるような成果が生まれることになるのではないか。
そういう意味では、職業人生も同じようなものだと思うので、振り返りと目標設定もかねて書いてみたい。
 

職業人としての成長

27歳の誕生日は、CPIに向けてだす森林ファンドのコンセプト・ノートの編集をしながら迎えた。
と書けばかっこいいが、本当にダメダメな誕生日だった。
提出期限ギリギリまで追い込んで、最後にメールを送ろうとした時、自分の住んでいるエリアの電波が消えた。
慌てて色々な接続方法を試しても繋がらず、寝不足の頭をむしりながら、メールで状況を説明する。
屈辱的だった。
 
最近も仕事は増える一方で、マネージャーらしく、あちこちで人が作業しているのを進捗管理しつつ、出てくる分析結果を編集していくのが仕事になっている。
そんな中で、連日の作業と自分で抱えているプロジェクトに山のように積み上がった編集資料、急遽決まったマネジメントプレゼンに押しつぶされた自分は、自分にした約束さえ守れなくなっていた。
ずるずる延ばした自分への締め切り。いつもはなんとかラストスパートで解決して来たという過信。
些細なことかもしれないし、結果的に納得いくアウトプットが出たのだから、仕事としてはそれでいのかもしれない。
ただ、その過程でビジネスの基本をないがしろにしている自分に愕然とした。
 
職業人としての力量が、周りが誰も自分の期待以上の要求をされないところでこそ試されるのだとしたら、僕は完全に負けていたと思う。
現状に甘んじて、このあたりでいいかと思ってしまったり、突発事態が毎週のように出てくる中で、枠組みを持って仕事をするという意識そのものがぼやけてしまっていた。
そんな状況に気づかされる午前2時。
せめてもの救いは、ありえないことをありえないと指摘してくれる仲間がいたことだと思う。
プロフェショナルとしての矜持と仕事へのスタンダードは自分たちで守っていかないといけない。
大企業でもグローバルファームでもない以上、自分の成長は100%自分の責任だ。
ベンチマークを下げずに仕事をしたい。
 

ケニアのソーシャル・エンタープライズに来て変わったこと

ケニアに来てから約9ヶ月、CEO直属のスタッフとして期待以上の成果を目標に仕事して来た。
大学で出会ったソーシャルセクターとビジネスの世界、総合商社で見た投資と経営の世界、自分のオリジナルなキャリアを作るために仕込んで来た集大成だと思って、取り組んでいる。
いくつもの幸運もあって、会社の規程類づくりから、ファイナンスチームの立ち上げ、森林ファンドのコンセプト立案まで、何もかも手の届くものは全て掴んで形にすることができた。
ここまでで枠組みは6割ぐらいはできてきたので、そこから何を残せるかという勝負に突入する。
毎回のように書いている気がするけど、「いよいよ本番」という実感は日に日に強くなっている。
 
アショカのBill Draytonは”Entrepreneurship is Contagious”(起業家精神は感染する)といっていたけれど、常識の枠を超えて、想像力を限界まで引き伸ばしながら、理想に向かって手を動かし続ける毎日は僕の人生への向き合い方を変えたと思う。
ロジックを重視してフレームワークを作り、落とし所を探りつつ質を高める、といういわゆるアナリスト的な視点しかなかった自分が、本質だけをとことん突き詰めて、ギリギリで形にするというやり方を学んだ。
それもアドレナリンが吹き出しながら仕事をする快感に突き動かされて。
CEOに対して本質的な貢献をしようとすれば、目線をあげることになり、目線を上げてファイナンスで学ぶ道具を使って見ると新しいアイデアがどんどん湧いて出てきた。
ファイナンスという世界だけでも広大な海のようなのに、それにさらに経営やオペレーションといった要素が入って来て、変数が無限にあるカオス溺れながらも、溺れながらしか学べない勉強ができている実感がある。
 

これから

今いるKomazaではやりたいことが山ほどある。
やる気の分だけ打ち手があり、それを気兼ねなく実行する自由度がある。
こんなにのびのびと真剣勝負できるのは、大学以来だと思う。
やるべきこともやりたいことも無限に溢れる中で、全部の機会を物にしようとガムシャラに仕事してきたものの、この辺りでガムシャラの価値もひと段落している気がする。
ロケットがフェーズごとにエンジンを切り離していくように、気持ちを切り替えて、仕事量ではなく結果によって評価されるように今まで以上に意識を向けて行きたい。
 
常人ならざる成果を上げるために非凡な努力をすることは大前提なのだけど、その非凡さは過剰さとは限らない。
ハードワークは前提であって、そこから非線形的な成果(ムーンショット)ができるのかがここからの勝負どころ。
「ファイナンスを経営のリミッターにしない」ということと「起業家・経営者に寄り添う」という当初の目標に近づきつつある今、起業家・経営者の想像を超える成果をいかに出せるか、自問を続けたい。
 

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Komaza 42週目:

投資家向けのメモ作成と森林ファンドのDDが両方同時に大詰めを迎えており、なかなかストレッチされている。
Komazaは、林業や森林保護、社会的インパクト、新興国ベンチャーなど様々な分野の投資家から注目されるため、ほかのNGOやベンチャーと比べて、ファンドレイズで興味を持ってもらえるアングルが多いのが強み。
一方で、それぞれの分野の投資家はお互いに全く異なるものの見方や業界観を持っているので、どこにもスッキリはまらないKomazaはDDで山のように質問が寄せられる。
Twitterでみるベンチャー投資の世界では、起業家に投資したり、Revenue Multipleでバリュエーションが決まったり、ユーザー数の伸びを強調したり、とわかりやすい比較感覚が業界で確立されている一方、Komazaの接する投資家はどちらかというとインフラ投資やバイアウト投資、開発銀行のようなイメージで、厳密なデータ検証や20年単位の経営計画を求められることだってある。
 
ビジネスとしての事業戦略・成長戦略は何か?というわかりやすい内容から、木は盗まれるのか?、地質・水質への影響はないのか?、社会的・環境的インパクトとリスク管理は?、育成木材種の成長予測と特質は?といったマニアックなものまで、長すぎず短すぎず、社内にあるあらゆるデータ(文書になっていない、属人的なノウハウ含む)を駆使して、約20近いリサーチを1ヶ月ほどでまとめていく。
 
入社してから最初の半年はチームもなく一人で走り回っていたのが、今ではチームのメンバーで作業を分担しながら、徐々にドラフトよりも編集の方に時間を書けられるようになってきた。
数ヶ月前まで全く知識がなかった分野も、各部門のデータベース全てにアクセスし、主要な書類やトレーニング資料をほぼ全て通読した甲斐もあって、部門長レベルと彼らのオペレーション内容について粒度の細かい話もできるようになったのも嬉しい。
ファイナンスを通じた事業そのものへの貢献をするのが中長期の目標なので、雑多なことも少なくないけれど、今は今は目の前のリサーチを千本ノックのように黙々とこなしている。
チーム全体もこうしたプロジェクトを通じて、オペレーションや現場の知識を蓄積すれば、チームとして機能を発揮できるようになる日も遠くないはず。
そこに向けて、歯を食いしばりたい。
 

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モンバサの近くのモールに二週連続できている。美味しいコーヒーと良質な糖分(神々しく太陽を浴びるクリームブリュレ)があれば、終わらない仕事もなんとかなる(はず)。
 
 
 

Komaza 41週目:メリア実験林の視察

今週のスタートは、ナイロビとモンバサの中間地点にある、キブウェジ(Kibuwezi)という町への出張で始まった。
朝5時に起きてキリフィを出発、海沿いのモンバサから内陸に約300キロほど陸路で進むと、バオバブが群生する田舎町に到着する。
道中には、アフリカ象で有名なツァボ国立公園や中国が受注して話題になったモンバサ・ナイロビ新幹線も通過するので、ちょっとだけワクワクしていた。
 
今回の出張はファイナンスとは全く関係のない、林業関係のプロジェクト。
僕もKomazaに来るまで知らなかったのだが、日本とケニアの林業を通じた交流には長い歴史があるらしい。
そもそも、ケニアの林業行政には、Kenya Forestry Service(KFS)とKenya Forestry Research Institute(KEFRI)という政策実施・技術研究の2機関が中心的な役割を果たしているのだが、この両方とも発足時から日本政府による資金と技術両面での支援を受けている。
JICAのウェブサイトによると
JICAでは、森林保全・劣化防止を重点支援分野とし、特に半乾燥地における森林保全については1987年から2009年までの22年間にわたって、農地への植林を推進する社会林業強化に係る支援を実施してきました。
というから、長くても数年、短いと数ヶ月単位になりがちな国際支援のなかで群を抜いて長期の取り組みをしていることになる。
 
そんなこともあり、ケニアにくる前にお会いした国連機関の方にもケニアでFarmer Forestry(零細農家向けの林業)プログラムに関わった人がいたり、Komazaが農家と植えているMelia Volkensi(メリア)という樹種を実はJICAが数十年単位で研究支援していたり、思いがけない縁がつながることが何度もあった。
 
今回の出張も、JICAとKEFRIが取り組んでいるMeliaという樹種の開発現場を見学するというもので、普段パソコンの前でしか仕事していない自分は大興奮。
林業という短くとも5年、長ければ数十年という単位で育種している方には、頭が下がるし、時間がかかる分計画に頭を使っているので、同行した育種の責任者と二人で勉強になりっぱなしの1日だった。
「現場で頑張っている日本人がいるのなら」と訪問を快諾してくださったJICAの方々には本当に感謝です(もちろん手ぶらにならないよう色々準備はしてますが)。
 
ファイナンスに関わると面白い人にあったり、ビジネスにつながる情報をつかんだりすることが間々あるので、逃さず事業のために案件化すべし、という三菱商事の先人の教えはスタートアップには特に大切だと思う。
領域外でも出せる成果にこだわって、付加価値のあるファイナンス部隊を作って行きたい。

 

 

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日本のJICAとの協力が入り口に掲示されている)

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(広大な敷地でメリアとアカシアという耐乾燥性の高い商業作物のテストが行われている)

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(メリアの花)

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(アカシアの実験林)

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(メリアの林)

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(メリアの果実。この中に種が入っている)

 

 

Komaza 40週目:

びっくりした。もうKomazaに来てから40週目、280日たったのだ。
今週は月曜日の朝早くに日本から戻って、そのまま仕事始め。
キャッチアップしたり、仕切り直したりとやることは山積みだったけれど、休暇のリフレッシュ効果は抜群で、サクサク仕事が片付いていった。
休みのタイミングを欧米の夏休みシーズンと合わせたのは正解だった。
 
とはいえ、月末からはクレージーなファンドレイズの波がくる予定なので、それに備えて粛々と準備をして行きたい。
火の手があちこちで上がってからトリアージするのがスタートアップと言われても、きちんと考えた施策の方がとっさの機転よりもほとんどの場合正しいはずなので、弛まずたゆまず課題の事前発見・解決に注力していく。
 
ありがたいことに2週間マネージャーが不在にしていたとは思えないくらいチームも冴えているので(ウィル・スキル両方ある人を採用して大正解)、徐々に脱個人商店化を進めていきたい。
作業をしていればいいフェーズから、仕事を定義し、リソース配分含めて考えないといけない。
正直ここは暗中模索なので、本や記事も参考にしながら、必要なスキルを身につけていきたい。
 

f:id:tombear1991:20180610124242j:plain(ビーチライフに戻って来たものの、気温が20度で寒い!)

Komaza 39週目:長野旅行

2週間の日本帰国から、ケニアに戻ってきた。

留学時代から基本的に一時帰国はお世話になった方々へのご挨拶や友達の飲み会などでぎっしり予定を組んできたのだけど、今回は1月から走りっぱなしだったこともあり、心身共に燃え尽きていた。

本当は直接進捗報告したかった方々にもきちんと会えなかったのは、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

しっかり寝込んで体力も気力も回復したので、残りの半年も全力投球していきたい。

 

せっかくなので、何枚か写真を。

 

黒部第四ダム

今回のハイライトは、「黒部の太陽」でも有名な黒部第四ダムの見学と長野旅行。

ファイナンスの仕事は、まだできていない、みえていないものを支える仕組み作りのようなもので、建設や起業のようにものを手触り感を持って作る仕事とは性質が違う。

 

日々投資家と会話する中で、数十億円とか数千億円とか、時には数兆円という単位で議論をすることも少なくなくて、そういうスケール感で仕事について考えられるのはファイナンスの醍醐味だと思う。

一方、全てを数字に落とし込んでいると、時々肌感覚として金額の持つスケールや現実世界における意味みたいなものの実感値が薄れてくる。

例えば不動産だったら「ロンドン中心地のオフィスで〜平米」、エネルギーなら「国内のソーラー〜MW」、企業なら「〜業界でEBITDA〜億」といった具合に、具体的な情報がさほどなくても、主だったベンチマークだけで金額が見えてきてしまう。

本当なら、利用者や地域のコミュニティなど人々の実生活へのインパクトがあるはずなのに、ほとんどの情報は頭の中で記号化され、比較可能な形になってしまう(というか新卒の時からそうするトレーニングをしてきた)。

 

業務上はDD以外で「手触り感」は特に求められなくとも、ファイナンスを仕事にする以上はプロジェクトの目的やそこに注入された熱意も感じ取れる存在でありたい。

そう思って、高度経済成長の出発点であった工業化、それを支えた一大プロジェクトの黒部第四ダムの現場を見てみようと思ったのが、今回の旅行のきっかけ。

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(放水中の黒部第四ダム)

このダムの総工費は1950年代当時で513億円、当時の関西電力の資本金の5倍を投下した国家プロジェクトで費用の4分の1は世銀からのドル借款で賄ったというから、戦後日本のプロジェクトファイナンスの歴史の中でも重要な案件だったようだ。

 

ラッキーなことに観光放水もやっていたので、写真をとるには絶好のタイミング。トンネルの中はひんやりとして上着がないと寒いレベルだった。

東京からは新幹線で長野まで行って、そこからバスで約2時間。

道中に見える日本アルプスには6月とはいえ雪が残っていて、清々しい気持ちになる。

おすすめです。

 

 

別所温泉

古くは平安時代に遡るという信州の古湯。

高校の地理で習ったような山間集落に、国宝や重文に指定された神社仏閣が密集していて、かなりディープだった。

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(常楽寺境内にて)

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(安楽寺 国宝八角三重塔 屋根が4段あるが、構造上1段は飾り屋根になっていることから三重塔と呼ばれ、日本最古の木造八角仏塔)

 

上田市

乗り換え駅だったので、途中下車して散策。

武勇で鳴らした真田幸村が徳川軍を破った上田城も趣があったけれど、個人的には藩主の住居跡をそのまま使った上田高校の校歌が一番印象的だった(マニアックですが、文語調の名文だと思うので掲載しておきます)。

秋玲瓏(れいろう)の空衝(つ)きて ゆふべ太郎の峰高し
春縹渺(へうべう)の末けむる あした千曲の水長し

関(くわん)八州の精鋭を ここに挫(くじ)きし英雄の
義心(こころ)のあとは今もなほ 松尾が丘の花と咲く

古城の門をいで入りて 不動の心山に見る
我に至高の望あり 挙世の浮華(ふくわ)に迷はむや

たふとき霊(みたま)血に承(う)けて 不断の訓(をしえ)川に汲(く)む
我に至剛の誇あり いざ百難に試みむ

自分を卑下することがない、健全な野心が清々しい名文で、どんな卒業生がいるのかと思ったら東急財閥の創業者、五島慶太もここの出身らしい。

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(真田神社)