気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

開発の世界への第一歩(続)

前回の記事の続編。ようやく本番の会議もひと段落ついたので、 振り返り。

  • 金曜日:引き続き、開発銀行・ファンド、政府機関との面談。同国の政策と主要なプログラムについては把握できつつある。行き先機関のプログラムは予習するようにしているが、12年がかりで進行することがほとんどの開発投資・政策プログラムは、実際に担当者にあって現在何をテーマにしているのか聞くことが重要であると学ぶ。公開情報をもとに、「この辺りは埋められるギャップがあるのでは」と仮説立てていた施策がすでに実行段階まで進んでいることが面談で明らかになったのは一度や二度ではなかった。夜は、翌週水曜日のコンサルテーションに向けた、コンセプト作りに向けた素案出しをして終了。
  • 土曜日:午前中はオフ。ホテルのジムでジョギングをして、気分転換。今回アドバイザーとして、担当しているCrop InsuranceCreditの既存政策と主要プログラムの調査。プライベート・セクターが入れない業界だけに、政府がガチガチに固めている補助金・補償スキームと個別政策、国際機関との協業案件など、調べるべきことは多数。
  • 日曜日:スライドを淡々と仕上げていく。毎食をチームで取りながら論点出し、長時間働くのには自信があったはずだったが、朝から晩まで同じメンバーでひたすら仕事の話は疲れる。夜担当スライドを書き上げると同時に腹痛。どうやらマヨネーズが原因、明け方までトイレにこもり、体力もさることながら、体調管理を全うしきれなかったUnprofessionalな自分に凹む。いやー、みっともない。
  • 月曜日:前日からの体調不良もあり、午前はチームと別行動。午後はカントリーオフィスで打ち合わせ。夜は調査とスライド作成の続き。前週末は簡単なスライド、と言っていたのに早くも80枚近いデックになる。そこから論点だしがさらに行われて、翌日また練り直しとなる。リージョナルオフィスから出張してきたClimate FinanceTheory of Changeスペシャリストの力量に脱帽しつつも、ここに来てようやく全体感が見えてくる。
  • 火曜日:コンサルテーション前日。関係諸機関との面談の中でも、金融のキープレーヤーの総裁・副総裁レベルとの面談。感触を確かめつつ、夕方からは翌日に向けた全体感の確認。スライドの大半がリメイクされ、よく明け方までメールのやり取りが続く。大人数での会議は基本的に避けるのがビジネス的には効率的でも、国際機関のコンサルテーションでは、ステークホルダーの巻き込みや合意形成には避けて通れない道らしい。
  • 水曜日:今回のミッションのメインイベントと聞いていた、コンサルテーション。関係諸官庁から40名以上が詰め掛けた会議室で、今回のミッションのリサーチ内容をプレゼン、今後のプログラムのコンセプトやToC(Theory of Change)、タイムライン、ステークホルダーマネジメント等について、朝9時から夕方までみっちり議論。結果的に今回リビューした政策分野は論点から外れてしまったので、若干残念ではあったものの、主要関係者との直前ミーティングが政府高官との急な打ち合わせに変わるなどハプニングもあり、終始ヒヤヒヤしていた。無事に会議が終了し、ラップアップとフォローアップに向けて、明日・明後日と頑張っていこう。

 

 

 

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開発の世界への第一歩

金融や農業の分野でたまたまご縁をいただき、ある国際機関のプロジェクトにオブザーバーとして参加している。

日曜日の夜の便で現地入り、月曜日から気付けばあっという間に木曜日になってしまった。

ビジネス・金融・先進国NPOぐらいしかリテラシーない自分が、開発本流のプロジェクトに関わるとあって、数週間レポートを読み漁ってきたが、不安で眠れない。

せっかくの経験なので、毎日感じたことを書き残しておこうと思う。

 

  • 月曜日:チームで合流、夕食がてらプロジェクトの概要についてチームリーダーから説明を受ける。 

 

  • 火曜日:チームで打ち合わせ、現地事務所に向かうも渋滞の恐れがあると言って、朝5時に出発。事務所のオフィサーから現地のプレーヤーについての情報を得つつ、プログラム全般についてブレスト、関係者のアポ入れを開始。たまたま時間が空いていた現地代表にも挨拶し、今後の流れについて合意。打ち合わせを兼ねた夕食で飲んだビールで疲れが出たのか早めにベットに入る。

 

  • 水曜日:政府機関との打ち合わせ、その後はチームでホテルに戻って論点整理。様々なボキャブラリーと略語の数々に翻弄され、自分が丸数週間かけて理解する内容を数時間でキャッチアップされる。金融という見方があるように、開発や環境、政策にも考え方のフレームワークがあるのだと痛感。3人いるチームでぶっちぎりの最年少、それどころか(専門知識という意味で)最低学歴なのが、辛い。必死に金融系のインセンティブやキャッシュフローを種にしてバリューを出そうと苦心しているが、どこまでAppreciateされているのかは不明。金融にしてもビジネスにしても、それなりに意義があり、ビジネスとしてmake senseすればいい、という世界観だったが、より大所高所から同時並行でいくつもの施策を並べながら考える行政の考え方は、全くの未知。議論が行ったり来たりして、気付けばチーム内でコンセンサスができるというプロセスについていけていない。深みのある問いやバリューのある情報を届けられるか、そもそもこの分野の「深み」や「バリュー」のツボさえも手探りで、ひたすら書類を読んでいく。

 

  • 木曜日:政府関連機関との打ち合わせ複数を間断なく続ける。政策に接点のある複数の省庁との調整が必要担っており、ピリピリする。政府間の縄張りの繊細な点については、事前に現地事務所の担当者やOBなどから情報収集で明らかにしており、それを元に、個別の機関の意見を聞き入れながらも、鮮やかな切り返しとチームワークで、国の政策としてどうあるべきかという高所の議論に持ち込み、最終的に当初想定していた案で合意を取ってしまった。緊張しすぎて、今回初めて会議で挨拶以外発言できなかった。いわゆる、Good Cop Bad Copに近い戦略を、冷静に実行する姿を見て、今回参加を勧めてくれた方から、「国際機関のプロの交渉術をよく見てくるように」と言われた真意が理解できた気がする。とはいえ、同僚からは来週の関係機関一同を集めたコンサルテーションが本当の正念場と言われているので、早くも恐ろしい。その後のテクニカルな議論は、統計や金融とも近い分野であったこともあり、比較的スムーズ。せめてアジェンダだけでも整理しようとすると、焦らなくていいというフィードバックが返ってきた。仮説ベースで施策を考えるというのでは、ダメらしい。多くのステークホルダーがいる中で、多面的な視点を持ちながら、環境のダイナミズムを把握し、同時に既存事例などを踏まえて考えられうる施策を整理していき、整理しながらそれを関係者間のコンセンサスにしていくという日本企業の社内調整よりもさらに洗練された「調整」が行われていくのがこのプロセスなのだろうか?わからないことだらけでパニックになりそうだけれど、自分の専門性を足がかりに、落ち着いた目でチームに貢献できる部分がないか考えてみねば。

 

 

 

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プロボノを引き受ける時に考えるべきこと

先日、Intelligenceが運営する大手転職サイトのDODAが主催する、ソーシャルセクターの転職・プロボノセミナーに参加してきた。

ついつい人助けをしたいという「善意」が先行しがちで、なおかつ本業との兼ね合いから実行が甘くなるリスクを抱えるプロボノを、どうすれば価値ある「善行」にできるのだろうか。

今日はこれまでの僕自身の体験として、どうやったらバリューの高いプロボノになれるのかを考えてみたい。

 

できること、できないこと

ソーシャルセクター界隈には、情熱先行型の人が多い気がする。

これは、プロボノを希望する人も同様で、なんとか助けたい、力になりたいという思いを持つ人が、つい「それプロボノでやります!」と食いついてしまうこともあるのではないかと思う。

一方、プロボノはボランティアとは違い、自分の「専門性」を無償で提供する行為であり、ここで求められるのは情熱もさることながら、プロフェッショナルとして期待される成果をDeliverする実力であることは忘れてはならない。

「やりたいこと」と「できること」は全く違うので、まずは団体の見学やオープンイベントへの参加、ミーティングでの細かな事案などを通じて小さく始め、できそうだという手応えをつかんだ上で正式なプロジェクトにすることが望ましい。

特に、プロジェクト自体はスコープの設定が成功の鍵を握っており、そのための仕組み・体制作りには、さくっとできるタスク系プロボノ以外は、時間をかけるべきだ。

 

 

リソース配分と効率化

実際にフルタイムで仕事を持っている人にとって、プロボノは正直言って重い。繁忙期に限らず、仕事とは全く違う世界で、かつ事業戦略のように抽象的な思考と現場への理解を求められるプロジェクトならなおさらだ。

 

そうした制限の中でも、Living in Peaceさんのようにプロボノのプロフェッショナル・ファーム化している事例もあるわけなので、具体的にどんな工夫ができるのかを考えてみたい。

  • チームで貢献する:特にセクターをまたいだ知り合いとチームアップできると、お互いの強みを活かせる場所が異なる分、常に一人がテンパっている必要がなくなる(プロボノにだって壁打ちは必要だ)。また、実際にアドバイスをしていく場合にも、事前にプロボノ・チーム内で打ち合わせをしておけば、論点の漏れが防げるだけではなく、独断的でJudgementalな介入を防ぐことにもつながる。
  • 日程をあらかじめ決めてキックオフする:社会人になってしまえば、平日は夜以外基本的に活動できず、休日もプライベートでそれなりに忙しくなる。こうした中で、複数名でディスカッションを重ねるようなタイプのプロボノは、スケジュール調整が最大のボトルネックになる。団体側で具体的なマイルストーンがあり、それに対して逆算的にプロボノのスケジュールを合わせられるとベスト。今回、担当させていただいた案件では、団体側の方がかなり具体的なタイムラインを引いて、数週間前から毎週末の時間をブロックしてもらっていたので非常にスムーズに準備ができた。以前の自分の失敗例として、あまりゴリゴリ介入することをためらうあまり、最初の数回のミーティングで話が立ち消えになってしまったこともあり、不確実な案件であればこそタイムラインを引くべきだと痛感した(普段の仕事だと当たり前なのに、本当に猛省)。
  • ミーティング外の会話を持つ:複数人数で議論するタイプの場合、全体ミーティングの前後の会話は極めて重要になる。自分の発想に先入観や偏見が混ざっていたり、相手に違和感や納得感を与えていないかを確認するためのみならず、頭の中を整理して全員が同じ方向を向けるよう調整する効果も期待できる。特に激しい議論になった相手がいたら、そうした人をフォローすることも必要だろう。やってる感よりも、できているかをチェックするための手法としてミーティング外の会話は効果的だ。当然、この会話には、プロボノチーム内で事前に議論の方向性などを確認しておくことも含まれる。
  • 議題の明確化とラップアップ:週に一度の全体ミーティングなどで議論をする場合、前回までの流れや議題、長期的な取り組みの中での現在位置は常にRecapする必要がある。会議の終わりにはその日の主な発見・結論、積み残しとなる宿題、次回の流れについて必ず記録して、翌回のスターティングポイントにする。
  • 成功モデルの模索・確立:なんでも紋切り型の成功法則に頼っていては、百害あって一利なしであることは言うまでもないが、本職とは違う支援者の立場から、本職とは違う業界で価値を出すためには一定の試行錯誤は避けられない。小さな成功体験や自分の得意領域を少しずつぶつけてみながら、自分なりの関与の仕方が見えてくるともっと効果的な価値提供ができるのではないか。

 

参考文献

本格的に興味のある人は、この分野の第一人者かつベストプラクティスの慎さんの書籍を参考にしてほしい。彼がプロボノチームのみで、日本初のマイクロファイナンスファンドを立ち上げ、10年近く運用していることからも、Operational Excellenceが滲み出ている。

働きながら、社会を変える。――ビジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む

未来が変わる働き方 (U25 SURVIVAL MANUAL SERIES)

 

 

 

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「不安な個人、立ちすくむ国家」

今週ソーシャルセクター界隈の人々の間で、経産省が発表した「不安な個人、立ちすくむ国家」という資料が波紋を呼んだ。

この資料は、産業構造審議会という2001年から続く会議体の配布資料として、公表されたものだ。

1ページ目をめくると飛び込んでくる「昨年8月、本プロジェクトに参画する者を省内公募。20代、30代の若手30人で構成。 メンバーは担当業務を行いつつ、本プロジェクトに参画。」という文言からして、政府文書につきものの「お役所感」がないし、投資を高齢者から子どもへ切り替える、というメッセージも相まって特に注目されたのではないかと思う。

 

資料のポイント

さらっと流し見た限り、主だったポイントは次のようにまとめられると思う。

 

不安定化する社会と不安な個人

世界が変化し、何をやったら100点かわらかない中で、決断を求められることで人々は不安になっている。「自由の中にも秩序があり、個人が安心して挑戦できる新たな社会システム」が必要。

 

なぜ日本は変われないのか?

「昭和の人生すごろく」に基づく社会システムは無理ゲーになっており、「個人の選択をゆがめている」。今は、人生100年の時代であり、二毛作・三毛作を前提とした人生のあり方が示されるべき。→旧来の制度・価値観がそうした変化を阻んでいる

 

3つの課題

 ①幸せでない高齢者:働きたいのに働けない。手厚い年金や、高度な医療も、幸せに結びつかない。現在の政府投資は実を結んでいない。

②繰り返される貧困:母子家庭の貧困率は世界トップ、「貧困→進学率↓→非正規雇用率↑平均所得↓」という貧困のサイクルが拡大している

③若者の社会参加:若者の社会貢献意識は高いのに、参加の機会は与えられておらず、優秀な若者は海外に目を向け、困難な状況にいる若者は希望を失いつつある。

 

提言

①「高齢者=弱者」という社会保障からの脱却、働ける限り貢献する

②子どもや教育への投資強化、変化を乗り越える力を身につけ、思い切った挑戦ができるように

③「公」は政府だけではなく、「意欲と能力のある個人」が担う

 

 

ディスカッションしてみた

せっかくなので、酒飲み仲間の教育NPO関係者やら、ビジネスマンやら有志数名でディスカッションしてみたので、面白かった意見を備忘録的に紹介したい。

今回のプレゼンテーションはどちらかというと意欲的なメッセージ発信だというのは、参加者の間でも認識が一致していた。

一方で、ポリシーペーパーとしてはふわっとして、定義や情報やロジックの肉付け不足に違和感を覚える人も少なくなかった。

 

・課題の整理やポリシーペーパーというよりは、マーケティングという印象

・要すれば、雇用の逼迫を高齢者と女性で賄い、財政揺るがしかねない医療費を圧縮したいだけ。

・財政が逼迫しているのはわかるが、支出(投資)のことばかりで、歳入に関する議論がないのは違和感がある

・キーメッセージは自己責任論の転換。これまでは、貧困層や弱者、教育を「自己責任」とみなし、高齢者を無条件の保護対象としていた。これを逆転させ、貧困層や弱者、これから育てる子どもたちの教育を支援対象、二毛作・三毛作しなければならない高齢者を自己責任にしている。

・選択肢があることは幸福なのか?冒頭では膨大な選択肢と可能性が不安を喚起している一方で、最終的には選択ができることがやたらと強調されている。

・「秩序のある自由」って一体なんのこと?セーフティーネット?

 

霞が関からのSOS?

ちなみに、このスライドを見た何人かから、「問題提起かもしれないけれど、ソリューションの記述がない!」というヒステリックな反応があったが、ちゃんと経産省のページには現在検討中の「「新産業構造ビジョン」骨子(案)」という資料も載っているので、こちらも見てみてほしい。

とはいえ、こちらはいわゆる「お役所ビジョン」で、お世辞にも先のプレゼンのようなマクロ観と危機感あふれる感じは伝わってこない。

問題提起のメッシュと、応答のメッシュは全く噛み合っていない。

そういう意味では「経産省からのSOS」というコメントはあながち外れてはいないかもしれない(他にも、 ロビーイングを目的にしたプロパガンダだとか、いろいろなコメントがあったし、それには納得感もある)。

 

まとめ 

資料によると日本の若者は、社会貢献に対する意欲が高い一方で、社会参画の実感に乏しく、能力のあるものは国を見捨て、苦境にあるものは現状を諦めているらしい。

このメッセージの意図やデータの信頼性はさておき、公共を一手に担い、かつての官僚統治の成功例とされた"Notorious MITI"からこんなフレーズが出てくること自体が象徴的だと思う。

ソーシャルセクターがますます重要になり、それを担うアントレプレナーがますます必要になる時代に、何ができるのかが自分たちの双肩にかかっている。

思っていたより、残り時間は少ない。

アショカの成り立ちから自己変革まで

前回の記事に引き続き、Bill Carterの講演会の内容を共有したい。

社会起業としてのアショカがいかに世界の未来を変え、そして同時に自分たちが作り上げた変化の波に自分たちの組織と戦略の適応させてきたか。

アショカが一般的なアドボカシー団体と違っているのは、数年ごとにテーマも戦略も変わっていく学習の速さだ。

継続的に主要事業を成長させつつも異なるアプローチを導入して、既存のモデルにとらわれることなくインパクトを最大化する策を打つ、アショカ自体のアントレプレナーシップからは学ぶことは少なくない。

メモを読み返しながらブログにしてみると、NPOや社会事業など、自分でゴールを設定しないといけない組織の戦略ケーススタディのようになってきたので、補足説明も兼ねたコラムも参考にしてほしい。

 

「社会起業家」の発明:

アショカが設立された1980年、「社会起業家」というコンセプトはこの世界に存在しなかった。

創設者のBill DraytonとパートナーのBill Carterの二人のBillが見出した、発展途上国で見かける起業家精神と公共心に満ちたリーダーの姿を、世界の誰もがイメージできる新しいコンセプトとして世界に広めるため、アショカはフェローシップという戦略をとるようになる。

もちろん、世界中のすぐれた起業家を応援し、グローバルレベルで支援をすることはこのフェローシップ(数年間の生活・活動資金支援とネットワーク支援)の主目的だった。

そして、アショカが長期的なインパクトとして目指したのは、社会起業家というコンセプトが世間に認知されることで、より多くの社会起業家が生まれる世界を作り出すことだった。

 

フェローたちから見えてくる新世界:

団体の設立から10年程経った90年代、「社会起業家」という新しいコンセプトがソーシャルセクターで急速に受け入れていくなかで、アショカの経営陣は新しい潮流を感じていた。

フェロー候補として出会う事業家たちが、それまでのビジネスとも慈善事業ともつかない方法で、社会を変えようとするようになっていたからだ。

今でこそ、ダブル・ボトムライン(社会的・経済的両方のゴールをもつこと)やインパクト投資といった概念があるが、当時は利益追求でもないし、完全な寄付でもない、奇妙な事業形態に映った。

この流れは一層加速し、アショカの内部では、"Rapid"(急激で)で"Fluid"(流動的な)変化に危機感を覚えるようになったらしい。

「社会起業家」の定義を作り出した団体として、アショカは急激に変化する「社会起業家」のあり方を捉えた新しいコンセプトを生み出す必要にせまられることになる。

 

【コラムその1:ビジネス・金融に目を向けた社会起業家たち】

ムハマド・ユヌスのグラミン銀行に始まるマイクロファイナンスが注目され始めたのがこの頃で、2000年代に入ると貧困層向け白内障治療の事業化をしたAravind Eye HospitalのDavid Greenがフェローに選ばれたり、Patient Capitalism(忍耐ある資本主義)を唱えたAcumenファンドなどが出てくるようになる。

アショカは自団体が巻き起こした「社会起業の普及」というシステム変革の結果、自分たち自身でも思いがけない形で、急速な世界の変化に飲み込まれつつあったとも言えるかもしれない。

 

新しい世界観の提唱:

アショカのメンバーたちが遭遇した、フェローたちの事業モデルやマインドセットの変化は2010年に"Hybrid Value Chain"という概念に結実した。

また、社会起業家というアイデアが一般に認知されたことで、かつては社会では受け入れられなかったキャリアを歩む若者も増えてきた。

1980年には一部の才能と冒険心ある人にしかできなかった社会起業が、キャリアとして確立つされつつあるようになると、アショカの戦略は次のステージへ移行する。

アショカはシステム変革を起こすかもしれない小さな変革者たちを"Changemaker"と名付け、支援の軸足を移すようになったのだ。

 

【コラムその2:Hybrid Value Chainとは】

ハーバード・ビジネス・レヴューに投稿された論文によると、Hybrid Value Chainは、ソーシャルセクターとビジネスセクターが協働することで、ビジネスとしても社会事業としても成功できるようになる事業モデルのことだ。

この論文では、こうした事業モデルの広がりが数百兆円規模の経済的機会をもたらすと謳っており、今でいうBOP的な要素も多分に含まれている。

ちなみに、Hybrid Value Chainの条件は、次の4つ。

1.ビジネスが大規模かつクロスボーダーで展開していること

2. ビジネスと社会起業家が協働して複数の価値を生んでいること

3.消費者・受益者が対価を支払っていること

4. システム変革をもたらすアイデアで新しい競争を生み出すこと(グラミン銀行が、金融機関にとどまらず、ヘルスケアや農業など複数の領域で暴利を貪っていた既存プレーヤーを脅かしたように)

 

【コラムその3:"Social Entreprneur"と"Changemaker"の違い

"Social Entreprneur"と"Changemaker"には明確な違いがある。

"Social Entreprneur"は社会制度を塗り替えるようなシステム変革を起こすことができる一部の優れた"Changemaker"たちを指す。

したがって、アショカが"Social Entreprneur"から"Changemaker"へ支援の軸足を移したのは、ビジネスのバリューチェーン分析と同じで、母数を増やすことで、"Social Entreprneur"を増やそうとしたと解釈できる。

アショカが社会起業をコモディティ化させたことで、社会起業家を支援する意義は薄れ、代わりにその予備軍を作ることが次なるボトルネックになっていたのだ。

 

フェローシップモデルの限界:

社会起業のムーブメントは爆発的に広がり、変化はアショカにも捕まえきれないスピードにまで加速していた。

変化をリードし続けるためにアショカは"Everyone a changemaker world"(「誰もがチェンジメーカーになれる世界」)という新しいビジョンを掲げ、フェローシップに変わるモデルの開発を進めた。

新しいモデル開発の戦略は、Bill Carterいわく、"Our Fellows can show us how!"(「どうすればいいかはフェローが教えてくれる」)というものだった。

すでに2,000人を超えていたアショカフェローが何を考え、どのようなトレンドを示しているのかを研究する中で、学校や地域のコミュニティ、家庭など身の回りの小さな環境で変化を起こす成功体験がアショカフェローに共通する原体験と成っていることがわかった。

これがのちに、Youth Ventures(学生をメンターして、身の回りの社会課題を解決する成功体験を積ませるプログラム)やAshoka U(大学と共同した社会起業家育成プログラム)といった新プログラムにつながった。

 

【コラム4:NPOの競合戦略としてのピボット】

シュワブ財団やスコール財団などフェローシップ事業の競合やソーシャル・ビジネスなどの新しいプレーヤーの台頭はアショカの相対的な地位を脅かしていたともいえる。

社会起業家を支援することが「当たり前」になるという一大変革を生んだのがアショカは、その結果として新たなプログラムで業界のリーダーとして次なるビジョンを示し、存在感を示し続ける必要性にかられていたのではないかと思う。

学生向けのプログラムと書くとありきたりに見えてしまうが、それまで百万人に一人のすぐれた起業家だけを追いかけてきたアショカが、そこから蓄積された知見を一般向けのプログラムとして再定義したということは、団体内で大きな考え方の変化を起こす必要があったことは想像に難くない(スーパーカー専門店が大衆車を売り出すようなものだ)。

 

ユースベンチャーの発展とビジョンの再定義

数年のうちに、アショカのユース向けプログラムは大学から中高、初等教育まで急成長し、現在では日本を含む世界中で採用されている。

発展したのは規模だけではない。フェロー・プログラムを凌駕せんばかりに研ぎ澄まされた事業フォーカスだ。

ユース・ベンチャー・プログラムなどで社会起業家と若者の接点を作り出すことに成功したアショカは、優れた社会起業家を量産する踏み込んだ施策として、フェローたちがどのように優れた"Changemaker"になったのか分析を進めた。

①Empathy 

②Teamwork

③Leadership

④Action

という4つのスキルセットを幼少期から学生時代まで実践する場を持つことが鍵だと気付いたアショカは、そうした場づくりを世界20ヶ国以上で実践している。

 

 まとめ

 アショカの成り立ちから、戦略のピボットまで、この話から学べることはあまりに多い。

目の前のインパクトであるフェローシップを発展させつつ、新しい接点を持ち、課題を定義し、変革を成し遂げた「学習し続ける組織」。

アショカのユース向けプログラムについても勉強がてらまた書いてみたい。

 

もっと対談の内容について知りたいという人は、ビデオが公開されたようなので、こっちも是非見てみてほしい。


[対談] ビル・カーター氏 Dialogue with Bill Carter (1)

 

 


[対談] ビル・カーター氏 Dialogue with Bill Carter (2)