Komaza 86・87週目:アフリカxインパクト投資業界の課題とアプローチ
仕事の質が低い:
仕事の優先順位が低い:
投資目的とリスクテイクの判断基準が不明確:
紙の上のイノベーションとインパクト:
サラリーマン投資家たち:
では何をすべきなのか:
Komaza 85週目:芸風について
TokyoSwingさんの芸風に関するブログ(「超優秀な若手の悩みと芸風」)がかなり刺激的だったので、感想と合わせてブログを書いてみた。
以前のスキル偏重、Box Tickingなキャリア観(通称「スキル君」)批判に続き、スキルの対立概念として「芸風」を掲げる。
コモディティ的エリート主義が横行するコンサルブログ界にあって、深いポイントを突く記事で、とても勉強になった。
ここで指摘された芸風については、学生時代からずっと考えてきたテーマで、僕自身としても思い入れが深い。
ただ、この記事では、芸風がどのように発現し、どのように開発されているのか述べられていなかったので、未熟ながら私見を述べてみたい。
①芸風の発現:
芸風はおのずから現れる個人の成功法則だと思う。もともとの得手不得手や器用さとも関係するが、何より困難な状況なのになぜか乗り切れた、あまり努力しないのに成果が上がった、などというとき、本人は芸風を発揮しているのだと思う。ただ、芸風と特技の違いは、より無意識的であることで、そこに至る機会の発見、筋道の作り方、クロージングの仕方にいたるまで、何の気なしにやっていることや選択基準が大きく影響する。これを理解するには、自分と向き合うだけではなく、上司や周りから「驚いた経験」を聞いてみるのが良い。そうすると、自分でも思いがけない「驚き」を周りが受けていたりして、この手のフィードバックが自分の芸風の理解に役立ったりする。
②「常ならざる世界観」の形成:
世界史で大事をなす人の中には、極貧生活を送ったり、投獄されたり、親族を皆殺しにされたり、働き盛りに大病をしたりしている人物が少なくない。これは、こうした特殊な経験が、普通の人と違う世界観を生むからだと思っている。多様な経験という枠内に収まらない、異常・極限の環境に身を置くことは、その経験を通じた独自の世界観のインプットになるだけでなく、そうした状況を生き抜く上で自然に発現する自分の芸風を見つめなおす契機になる。宮本武蔵の有名な逸話に、吉川一門との果てしない切り合いの末に、有名な二刀流に知らず知らずに目覚める場面がある。統計分析でよく言われる”Crap In Crap Out”の対偶として、ユニークなインプットがユニークなアウトプットの糧になり、インプットの強さ次第ではインプットをアウトプットに変換するフォーミュラ自体(=世界観)もユニークなものになりうる。「苦労は買ってでもしろ」的な成功体験には、極限体験を通じた世界観の理解・変容が関わっているのではないかと思うこともある(たいていは嫌味な自慢だが)。
③意識的再現と純化:
「常ならざる経験」を踏まえて、きっかけをつかみ、意識的に再現することも、大切だと思う。ちょっと正攻法とは違う気がしても、思い切って自分なりの世界観を表現する意思決定をし続けることで、世界観の純度が高まり、かつ挑戦の結果得た失敗は、世界観の迫力にもつながる。妄信するのはダメだけれど、思想の純度を意識することは、芸風を個性以上の強みにする上で、大切なのではないかと思う。普通の人のほとんどは、この純化の作業に常識という躊躇いが入っているから、非凡になれない。意識的再現と純化のプロセスは、世間的に見てリスクが高い。それでもやるのか、は善悪ではなく人生の優先順位の問題だ。
④芸風は人生を豊かにするのか:
芸風は自己実現をさらに煮詰めた、自己濃縮のようなものだと思う。結果として、非凡な成果につながるかもしれないし、あるいは周りと衝突を招くだけかもしれない。確率的には苦労することのほうが多く、なおかつ濃縮する自己と向き合い続ける覚悟と忍耐がないとただつらいだけになってしまう。覚悟がつくまでは、芸風をどこまで突き詰めるのか、というのを処世術的に考えて線引きをしてみるのもよいかもしれない。個性ありのままを尊重するよう教えられたゆとり世代としては、自分の人生を消耗するレベルまで個性を濃縮するという考え方そのものに割と抵抗があったりする(あれ、だって多様性って社会の構成員の安心と居心地よさのためじゃなかったっけ?)。
つらつら生意気を書いてしまったが、今こうしてケニアのド・ベンチャーで四苦八苦しているのも、いい世界観の糧になればと思う。
Komaza 84週目:中央ケニア視察
乗り物酔いにならなかったのが奇跡。
Komaza 83週目:
Komaza 82週目:韓非子が描く、参謀の心構え
臣聞く、知らずして言うは不智、知りて言わざるは不忠、と。
人の臣と為りて不忠なるは死に当たり、言いて当たらざるも亦た死に当たる。
然りと雖も、臣願わくは悉く聞くところを言わん。唯だ大王其の罪を裁せよ。
冒頭に紹介したのは韓非子の出だしで、知を売り物にする仕事の緊張感とアドバイザーとしてのクライアント(主君)への姿勢が凝縮されている。
「知らずして言うは不智、知りて言わざるは不忠」の方は有名な一節だけれど、 命を懸けて進言するものと宣言した後に「然りと雖も、臣願わくは悉く聞くところを言わん。唯だ大王其の罪を裁せよ」というさっぱりした姿勢に今の自分は共感を覚える。
参謀業は、もともとは軍事・政治をつかさどり、人命を左右する仕事だった。
ビジネスでは命こそ取られないけれども、一言一句に職業人生がかかっているのは変わらない。
軽率を戒めながらも、ポジションをとることを恐れずに思い切った進言をしなければいけない。
今の時代、本当に死ぬことはないけれど、会社が死んでしまう(倒産する)可能性はあるわけで、このプレッシャーの中でこそ生まれる思考にどこまでキレを持たせられるかが日々の挑戦になる。
だから、平素の心がけとして、あらゆる事態を想定してポジションをとれる準備しないといけない。
それでいて、難しい局面でも泰然自若に見えて、存分に実力を発揮できることがTrusted Advisorとしての理想だ。
そう思うにつけ、「ありかた」と「やりかた」の両面で自分の至らなさを痛感する。
学ばなければならないことはまだたくさんある。
ちなみに、週末にPIXARのCFOによる回顧録を読んだ。
Steve Jobsとの距離感や、巨人ディズニーとの交渉、エンジニアとの信頼関係など、絶妙なニュアンス満載で大げさだけれど現代版韓非子的なプロフェッショナリズムを感じた。
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