気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

Komaza 86・87週目:アフリカxインパクト投資業界の課題とアプローチ

ブログで愚痴を書くのは、現実世界と文章の上の二重に疲れるので、基本的にやらないことにしている。
ただ、少なからず”What a misery!”とか”This is a f*cking sh*t show!"とか"Go f**k yourself"とか叫びそうになり(というか叫んでしまっている)ながらやっているのもまた事実。
ただ、怒りを取り除いて考えてみると、こうした「ふざけんな!」的な経験こそが今自分がケニアのド田舎で仕事をしている意味と深いところでつながっているのだと気づかされる。
 

仕事の質が低い:

先進国の金融セクターの研ぎ澄まされたアウトプットや信頼のおけるコンサルタントの分析にお目にかかることはまずない。公的機関や大手のコンサルのアウトプットでも、情報確度が低く、基本的に自分でやり直すつもりで考えないといけない。新興国全般、ベンチャーでもよく聞く話だけれど、割と全方位で神経を消耗することになるし、Delegationとか外部リソースの活用コストが高い(結局自分でやるのに近くなっていく)。こっちの世界にやってきてから、「当たり前」の価値は至高になった。
 

仕事の優先順位が低い:

これは業界の差もあると思うけど、Work = Lifeの投資業界やスタートアップの仕事観は、主流派とは言えない。自分のキャリアや家族との時間など、人としての権利はきっちりと線引きするスタンスを否定するつもりはないけれど、「これはヤバい!」というときに、頼りにできるかどうかはちゃんと考えておかないと痛い目を見る。プロジェクトの納期とクオリティコントロールは最たるもの。ボトムライン設定とリスク管理大事。最近では戦略コンサルや投資銀行出身の若手人材も入ってきてはいるものの、MBA前の研修や激務明けの楽でやりがいのある仕事という位置づけだったりすることも多い。特にミッドキャリア以降のシニア人材ほど、家族の時間などとの両立そのものを目的にして来ていることもしばしば。個人的にはこういう新しい業界で真剣勝負しないのはもったいないと思う。
 

投資目的とリスクテイクの判断基準が不明確:

経済的リターンと社会的・環境インパクトを両立する「ダブル・ボトムライン」がもてはやされても、「二兎を追う者は一兎をも得ず」という警句は間違いなく頭痛のタネになる。開発業界・インパクト業界のファンドは、しばしば総花的なInvestment Thesisを持っていて、二兎どころか10兎くらい追っている。一方で、インパクト投資の世界でも「インパクトと経済的リターンの両立」を求める声が高まる中で、本来的には市場の失敗を補ったり、高インパクト・高リスク資金を投じて業界づくりを担ってきたプレーヤーの投資基準が硬直化していっている印象が否めない。投資目的が総花的であることの結果は、投資判断がかかわる個人の好き嫌いや理解度に影響されてしまうということ。インパクト投資はまだアセットクラスとしての蓄積が小さい分、業界に投資判断と結果の経験値がたまるまではしばらくこのままだと思う。
 

紙の上のイノベーションとインパクト:

資金の出し手がインパクトとして何を目指すのかという、個別の社会的事業のインパクト目標が必ずしも整合するとは限らない。VC業界ではリターンの規模とタイミングの期待値が起業家のExit戦略に影響したりする。経済的リターン一つだけでもすり合わせが大変な中、社会的リターンという個人・投資家ごとに違う物差しを使うとなると収拾がつかなくなってしまう。また、社会的事業は相手にしているマーケット環境がチャレンジングであることも多く、こうした縛りを受けてなお、八方美人なリターンを出すのは容易ではない。普通のファンドマネージャーが経済的リターンだけのために頑張っても、死屍累々の新興国企業投資で、インパクトという追加のアジェンダを持つというのは、なかなかしんどかったりするものだ。また、資金の出し手がパブリックファイナンスに頼っていることもあり、Investment Thesisの時点でかなり検討できる案件が絞られていて、結果的に投資実行が進まない・不本意な案件に投資しないといけないという話も耳にする。アセットクラスがはっきりしないし、成功・失敗パターンもまだまだ蓄積されていない。
 

サラリーマン投資家たち:

総合商社でファンド事業にかかわっていた時にもよく議論していた「サラリーマン投資家」。ファンドの寿命が10-15年といわれる投資業界で、案件づくりから投資実行、Exitまでこなし、さらにファンド1本仕上げるには相当年数がかかる。インパクト投資の黎明期といっても2000年代なので、まだこの層には名門ファンドも名ファンドマネージャーも限られた数しかいない。加えて、PEやVC業界のように、事業経験と投資経験の両方を持っている人材もかなり珍しい。というわけで、サラリーマン投資家が悪いというよりも、そういう人以外がまだまだ少ないことが業界の課題になっている(特に、良い投資家が良い起業家を育てているシリコンバレーなどを見るとここは大きい)。開発銀行やNGOといったパブリックセクター出身者以外に人材の出どころがない、業界の役割やライフサイクルを一通り経験した人材がいない、したがって業界としての人材の幅と層がどちらも薄いというのが、今後インパクト投資を流行ではなく本物のアセットクラスにする上で、一つのチャレンジになる。
 

では何をすべきなのか:

ここまでインパクト投資業界の難しさを書いてきたので、最後はやはり何をすべきかで締めたい。先に挙げた不合理は、投資する側だけでは解決できない。問題は複雑であり、投資する側とされる側の両方で変化が必要になる。変化を支えるのは、専門領域の博士号や新興国投資の実務経験を持つではなく、現場でこうした企業の「中の人」としてカオスをくぐり、事業の「勘所」を理解するプロフェッショナル層だ。
 
偏見を承知で単純化すれば、今のインパクト投資家サイドを支えるのは、ビジネス・金融ですでに「上がってしまった」人たちで、善意は素晴らしくても今更現場で這いつくばるタイプの人は限られている。
一方で、新興国のインパクト投資を受ける側の団体や企業は、大学卒業後のインターン先などとして、「いい経験」をするための若者か、現場で孤軍奮闘している起業家たちが大層で、シリコンバレーのベンチャーのように経験豊富な経営人材も限られている。
近年、2-5年程度を投資銀行や戦略コンサルで過ごし、MBAの前後などにインパクト投資家・事業サイドで仕事をする若手プロフェッショナルが増えている。これは業界にとってポジティブなことなのは間違いないが、今の給料水準やキャリアトラックの幅を考えると、インターンを超えて就職までするケースはまだマイノリティだ。
 
そんな中だからこそ、自分はKomazaで投資側と同等かそれ以上のプロフェッショナルチームを作りたいと思っている。
投資家側よりも企業の近く、というか内側から、事業を理解し、整理し、説明する力。
投資家目線でみて必要な要素や、事業として成長するための経営上の論点を先回りして設定し、社内機関として実行するキャパシティ。
それがあるだけでも資金へのアクセスとグロースへの道筋は変わってくるのではないか。
そういう仮説のもと、Corporate Financeチームを立ち上げ、インフラPE・投資銀行・商業銀行・コンサルなどのバックグラウンドを持つ人材を集めてきた。
事業のBankability・Investabilityを左右するのは、投資側と投資される側の双肩にかかっていると思う。
どこまでいけるか、金融企画者としての意地を見せたい。
 
 
 

 

Komaza 85週目:芸風について

TokyoSwingさんの芸風に関するブログ(「超優秀な若手の悩みと芸風」)がかなり刺激的だったので、感想と合わせてブログを書いてみた。

 

以前のスキル偏重、Box Tickingなキャリア観(通称「スキル君」)批判に続き、スキルの対立概念として「芸風」を掲げる。

コモディティ的エリート主義が横行するコンサルブログ界にあって、深いポイントを突く記事で、とても勉強になった。

 

ここで指摘された芸風については、学生時代からずっと考えてきたテーマで、僕自身としても思い入れが深い。

ただ、この記事では、芸風がどのように発現し、どのように開発されているのか述べられていなかったので、未熟ながら私見を述べてみたい。

 

①芸風の発現:

芸風はおのずから現れる個人の成功法則だと思う。もともとの得手不得手や器用さとも関係するが、何より困難な状況なのになぜか乗り切れた、あまり努力しないのに成果が上がった、などというとき、本人は芸風を発揮しているのだと思う。ただ、芸風と特技の違いは、より無意識的であることで、そこに至る機会の発見、筋道の作り方、クロージングの仕方にいたるまで、何の気なしにやっていることや選択基準が大きく影響する。これを理解するには、自分と向き合うだけではなく、上司や周りから「驚いた経験」を聞いてみるのが良い。そうすると、自分でも思いがけない「驚き」を周りが受けていたりして、この手のフィードバックが自分の芸風の理解に役立ったりする。

 

②「常ならざる世界観」の形成:

世界史で大事をなす人の中には、極貧生活を送ったり、投獄されたり、親族を皆殺しにされたり、働き盛りに大病をしたりしている人物が少なくない。これは、こうした特殊な経験が、普通の人と違う世界観を生むからだと思っている。多様な経験という枠内に収まらない、異常・極限の環境に身を置くことは、その経験を通じた独自の世界観のインプットになるだけでなく、そうした状況を生き抜く上で自然に発現する自分の芸風を見つめなおす契機になる。宮本武蔵の有名な逸話に、吉川一門との果てしない切り合いの末に、有名な二刀流に知らず知らずに目覚める場面がある。統計分析でよく言われる”Crap In Crap Out”の対偶として、ユニークなインプットがユニークなアウトプットの糧になり、インプットの強さ次第ではインプットをアウトプットに変換するフォーミュラ自体(=世界観)もユニークなものになりうる。「苦労は買ってでもしろ」的な成功体験には、極限体験を通じた世界観の理解・変容が関わっているのではないかと思うこともある(たいていは嫌味な自慢だが)。

 

③意識的再現と純化:

「常ならざる経験」を踏まえて、きっかけをつかみ、意識的に再現することも、大切だと思う。ちょっと正攻法とは違う気がしても、思い切って自分なりの世界観を表現する意思決定をし続けることで、世界観の純度が高まり、かつ挑戦の結果得た失敗は、世界観の迫力にもつながる。妄信するのはダメだけれど、思想の純度を意識することは、芸風を個性以上の強みにする上で、大切なのではないかと思う。普通の人のほとんどは、この純化の作業に常識という躊躇いが入っているから、非凡になれない。意識的再現と純化のプロセスは、世間的に見てリスクが高い。それでもやるのか、は善悪ではなく人生の優先順位の問題だ。

 

④芸風は人生を豊かにするのか:

芸風は自己実現をさらに煮詰めた、自己濃縮のようなものだと思う。結果として、非凡な成果につながるかもしれないし、あるいは周りと衝突を招くだけかもしれない。確率的には苦労することのほうが多く、なおかつ濃縮する自己と向き合い続ける覚悟と忍耐がないとただつらいだけになってしまう。覚悟がつくまでは、芸風をどこまで突き詰めるのか、というのを処世術的に考えて線引きをしてみるのもよいかもしれない。個性ありのままを尊重するよう教えられたゆとり世代としては、自分の人生を消耗するレベルまで個性を濃縮するという考え方そのものに割と抵抗があったりする(あれ、だって多様性って社会の構成員の安心と居心地よさのためじゃなかったっけ?)。

 

つらつら生意気を書いてしまったが、今こうしてケニアのド・ベンチャーで四苦八苦しているのも、いい世界観の糧になればと思う。

Komaza 84週目:中央ケニア視察

うまくブログにアクセスできないトラブルが続いて先週の投稿ができていなかったので、一週間遅れでこちらの投稿から!
 
今週は、並走するプロジェクトを抱えながら、フィールド調査。
バリューチェーンを改善するイニシアチブは各所で走っているけれど、その中でも特に歴史が浅い伐採のプロセスについて、ケニア国内でも林業が盛んな地域に行って、インタビュー。
当地ではアウトソースが主流で、林地の所有者・農家は、買い付けにやってくるミドルマンに伐採や搬出を依頼する。
というわけで、ギラギラした仲買人から、都会のオフィスで仕事をしつつ最近持っていた森林を伐採して車を買ったビジネスマン、田舎で農業をしながら林業もやっている農家のおじさまなどを丸2日かけてヒアリングした。
 
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(トラクターに接続した機材を使い、伐採場所でそのまま製材することで、輸送コスト削減している。ちなみに、保護具も何もなく作業するのは、国際基準上はアウト)
 
一番重要なのは、どんぶり勘定になっている収益構造をモデル化して、数字を精緻化することなので、雨期のぬかるんだ道を4WDで走りながら、運転している林業のおっちゃんを質問攻めにしつつ、エクセルでモデルを組んでいくというアドべンチャラスな経験もできた笑

乗り物酔いにならなかったのが奇跡。

 

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質問をしながら、その場で計算がしやすいように事前にモデルを組んでいたけれど、結局はヒアリングする相手の思考の枠組みやその場での推定に振り回されて、ほぼその場でゼロから組むことに。
ナイロビに戻る車中で、同行した中央ケニアのチームとおさらいをし、数字の矛盾点を補正して、最終的に理解のできる形になった。
もともとは、経営計画の一環として企画した調査だったけれど、ローカルとバリューチェーンの両方のチームと協業できたので、少しでも自分たちの仕事が日々の営業活動の改善につながればと思う。
途中、伐採の現場も見せてもらったのだけれども、随所に工夫がされていて大変勉強になった。

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(乾燥した沿岸部とは対照的に、高高度多雨の中央ケニアはお茶の名産地としても知られる。この地域での木材需要のほとんどはお茶を煎るための熱供給に使われる)

Komaza 83週目:

 
 
今週はようやく雨が降り始め、気温が30度前後で安定する過ごしやすい気候。
クーラーのない生活は、肉体的にかなり消耗するので、待ち望んだ雨期突入である。
 
仕事では、並行して取り組んでいたプロジェクトが中盤・終盤を迎えつつあり、よく言えば出口が見えて、悪く言えば画竜点睛をしくじらないように気を遣うことが増えている。
新しい投資家のコミットが決まったり、投資銀行出身の新しいメンバーがジョインしたりと、いいニュースの多い週。
週末は、シリーズBに向けたピッチを練るべくパソコンとメモ帳とにらめっこ。
 
余談だけど、どうも商社時代の気質なのか、テクニカルな財務周りだけでは満足できず、つい他の部門と面白いサイドプロジェクトをやりたくなってしまう。
売り上げにつながるディールや他機関とのパートナーシップ、地域との連携など、仕事が忙しくても1-2時間で事業成長のためにできることがあれば、忙しくても基本的に手を出すことにしている。
そんなことを18か月続けてきて、一年がかりで大きな動きが出てきたり、腐らずに連絡取り続けた投資家から出資を持ちかけられたりする。
ベンチャーファイナンスは、大企業以上に事業の内容・課題・展望を肌実感として理解する必要があるから、こうした「おせっかい仕事」も結構役に立ったりする。
こういうことが気兼ねなくできる、自由度の高さと市場からのフィードバックがベンチャーの魅力なのかもしれない。

Komaza 82週目:韓非子が描く、参謀の心構え

臣聞く、知らずして言うは不智、知りて言わざるは不忠、と。

人の臣と為りて不忠なるは死に当たり、言いて当たらざるも亦た死に当たる。

然りと雖も、臣願わくは悉く聞くところを言わん。唯だ大王其の罪を裁せよ。

 冒頭に紹介したのは韓非子の出だしで、知を売り物にする仕事の緊張感とアドバイザーとしてのクライアント(主君)への姿勢が凝縮されている。

「知らずして言うは不智、知りて言わざるは不忠」の方は有名な一節だけれど、 命を懸けて進言するものと宣言した後に「然りと雖も、臣願わくは悉く聞くところを言わん。唯だ大王其の罪を裁せよ」というさっぱりした姿勢に今の自分は共感を覚える。

 

参謀業は、もともとは軍事・政治をつかさどり、人命を左右する仕事だった。

ビジネスでは命こそ取られないけれども、一言一句に職業人生がかかっているのは変わらない。

軽率を戒めながらも、ポジションをとることを恐れずに思い切った進言をしなければいけない。

今の時代、本当に死ぬことはないけれど、会社が死んでしまう(倒産する)可能性はあるわけで、このプレッシャーの中でこそ生まれる思考にどこまでキレを持たせられるかが日々の挑戦になる。

 

だから、平素の心がけとして、あらゆる事態を想定してポジションをとれる準備しないといけない。

それでいて、難しい局面でも泰然自若に見えて、存分に実力を発揮できることがTrusted Advisorとしての理想だ。

そう思うにつけ、「ありかた」と「やりかた」の両面で自分の至らなさを痛感する。

学ばなければならないことはまだたくさんある。

 

ちなみに、週末にPIXARのCFOによる回顧録を読んだ。

Steve Jobsとの距離感や、巨人ディズニーとの交渉、エンジニアとの信頼関係など、絶妙なニュアンス満載で大げさだけれど現代版韓非子的なプロフェッショナリズムを感じた。

 

PIXAR <ピクサー> 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話

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