気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

花見

同じプロジェクトにいる尊敬する先輩から、「もっと遊びなさい!」というフィードバックを続けざまに受けたので、桜を見に散歩に行ってきた。

夜中なのに公園では酒盛りが続いていて、日本はつくづく平和だと思う。

 

昔、日本の大学からアメリカの大学に編入しようか、どう生きるべきか悩んでいた時に恩師からかけてもらった「木が周りに遠慮して枝を伸ばさなかったら、森はできない」という言葉が今更のように思い出された。

国語の教科書でははかなさの象徴だった桜も、満開の木の前に立てば、恥ずかしげもなく桃色の花を一面に咲かせている。

枝振りの風情など関係ないかのように、当たり前のようにしている自然のたくましさ。

人目につく所でもつかない所でも堂々と咲く力強さに感動した。

 

そして、桜の美しさは一輪一輪の花の美的完成ではなく、その集合としての美しさであり、迫力だと思う。

思えば当たり前かもしれないけれども、仕事も同じなんだろう。

目の前の機会をなんとか自分なりに仕上げて、それを積み重ねていったのを、遠目に見た時、優れているといえるものになるのか。

小さいことにくよくよせずに、しぶとく繊細に仕事をしたい。

農業分野で活躍する社会起業家:One Acre Fund

 

 

 

仕事で農業に関わる機会があったので、アグテック(農業Xテクノロジー)分野で活躍している事業をひたすら見ていて、面白いソーシャル・アントレプレナーを見つけたので紹介したい。

 

このTEDのスピーカーのAndrew Younは2006年にOne Acre FundというNPOをケニア立ち上げた。 

農業領域の社会起業家として知られる彼の変化の仮説(Theory of Change)は次の文章に凝縮されている。 

 

“Logistically speaking, it's incredibly possible to end extreme poverty. We just need to deliver proven goods and services to everybody. “

「ロジスティックの観点から見れば、極度の貧困を解決することはかなり現実的なことなのです。すでに先人たちが確立した商品やサービスを社会の隅々まで届けさえすればいいのです。」

 

課題意識と変革の仮説 

彼の課題意識は多くの国際支援団体とあまり変わらない。貧困により子どもの3人に1人が発育不良に苦しみ、10人に1人は5歳になれずに命を落とし、高校進学ともなれば4人に1人という現状を変えること。


ただ、彼が他のソーシャル・アントレプレナーと違ったのは、貧困というマクロな問題を解決するために最も効率的なレバレッジ(てこ)を探し、そこだけに注力した点。 それこそが、世界の貧困層10億人の半数が従事する農業の生産性向上である。

 

つまり、あらゆる産業の中で、農業に注力することで、貧困を改善し、食糧供給を安定化させ、しかも粗放的農業による環境ダメージを最小化できるというのが彼の主張だ。

 

解決に向けたアプローチ

アフリカを初めとする多くの農業貧困地域では、いまも青銅器時代変わらない粗放的な農業が営まれている(つまり、種をまくだけの農業)。

一方、先進国やアジアなど歴史的に農業効率を改善してきた地域では、こうした状況を劇的に改善するための手法が確立されている。

 

とりわけ、
①ハイブリッド種による品種改良
②肥料などのインプット
③農業従事者への教育と現場レベルでの改善
の3つが鍵になることが過去の事例からも明らかになっており、One Acre Fundが活動するサブ・サハラ・アフリカ(SSA)は他地域に比べて、拡大・改善の余地が大きい。 


こうした確立されたモデルに、肥料や収穫物を輸送するための物流網や、季節的に生じる資金ニーズに答えるマイクロファイナンス、現場レベルでのトレーニングなどを加えたのが、One Acre Fundの活動だ。

 

事業拡大の戦略

彼のモデルの凄さは、「貧困の解決はイノベーションそのものではなくデリバリー(届けるプロセス)にある」という仮説の普遍性にある。


例えば、One Acre Fundが取り組む食糧生産と農業の分野では、品種改良や肥料、植え付けであり、医療であればマラリア用ネットや幼少期の予防接種、寄生虫駆除、エネルギーであればソーラーランプやストーブ、教育であれば能力別授業やコンピューターを活用した個別指導など、応用の幅は数え切れない。

 

もちろん、こうしたサービスを無料で提供する必要はなく、貧困地域にあるチャネルを使ってビジネスとして拡大していくことも可能だろう。2015年の団体の報告書には、実際にソーラーランタン15万個、蒔ストーブ7千個、貯蔵用バック2万枚を販売・頒布したことが記されている。

 

こうした広大な物流・管理網を常に拡大していくために、この団体では、200名のRural Service Officerがひとりあたり200人の農家を担当し、これまでに累計40万人の農家へインパクトを届けている。

 

数字から見るOne Acre Fund

活動の概要:設立は2006年、去年がちょうど10年目になる。 東アフリカの30万人の農家、政府とのパートナーシップも含めると59万人の農家にサービスを提供し、4,000人のフルタイムスタッフを雇用。地域別に見れば、ケニアが14万人で最大、次がルワンダの11万人、ブルンジ4万人、タンザニア2万人と続く。所得の増加は100-150ドル程度。


アグレッシブな成長:この数年の拡大は毎年数十パーセントに上る。 2020年までに100万人の農家にサービスを届けることをゴールに掲げている。これとて、始まりにすぎず、アニュレポではアフリカだけで5000万人の市場規模があるとしている。

 

余談

余談がしたすぎるので専用のセクションを作ってしまった。 

 

 プレゼンテーション中、アフリカ全土の地図を50マイル四方に区切って貧困レベルで塗り分け、その最も困難な地域がアメリカの東海岸に満たない限られた面積であると言い放つシーンはとてもパワフルだ。。。(そもそも、ロジスティックが問題になるのは、面積が広いからではなくて遠隔地に貧困地域が点在しているからだというツッコミはあるが)

 

下のアフリカ地図で青く塗られた地域が最貧困地域で、その面積をアメリカに例えると東海岸の青塗り部分ほどのエリアになる。

f:id:tombear1991:20170308065354p:plainf:id:tombear1991:20170308065349p:plain

 

 

社会事業がロジックモデルを使う意味

内閣府が主催している社会的インパクト評価イニシアチブの評価者育成プログラムに支援者として参加して、ロジックモデルについて勉強してきたので、感想を簡単にシェアしたい。

 

※1:このプログラムの参加者は公募で選ばれた全国のNPO、財団、CSR関係者、企業などで、僕自身は彼らがロジックモデルを組んでインパクト評価の枠組みを考えるファシリテーターをしている(「評価支援者」と呼ばれる)。

※2:今回の研修プログラムで使用された文献・資料は内閣府から後日正式なレポートとしてネット上に公開されるとのことで、個別のテーマはその時にまた詳しく書きたい。

 

ロジックモデルとは?

「NPOは組織の成果を自ら設定しなければならない」というドラッカーの有名な言葉の通り、収益のみを目的とするビジネスではない社会事業やソーシャルビジネスが作成するゴールを達成するまでの道のりを示した図のこと。

例えば、「子どもの貧困の撲滅」が団体のミッションだとすれば、そこに至るまでに必要な成果(短期・中期・長期)をミッションから逆算して考え、現在の団体のリソース・活動・結果(プログラム実施対象者など)とどのように結びつくかを線で繋いで明らかにする。

このモデルは、社会的インパクトというふわっとしたものを扱う事業を経営する上で、ミッションに向けて横道にそれることなく事業を進める指針として使われるほか、それぞれの成果を測定することで、団体が掲げた目標に対する到達度を測ることができるツールだ(インパクト評価をしないということは、大企業が売上げや利益を公開しないのようなものだ)。

広島大学のページに一通りの説明があるので、詳しくはこちらをご参照。

ロジックモデルをやってみる意味は?

ロジックモデルを作ることは生易しい作業ではないと今回の研修で身にしみた。

「自分の団体が何をやってるかなんて支援者やら行政やらに毎日話していることだ」という人でも、いざすべてをロジックモデルに落とし込もうとするとあっという間に時間が過ぎていく。

(アイデアを思いついたとドキドキしながら、いざ机に向かって文章にしてみるといまひとつよく分からないという経験は誰しもあるはずだが、まさにそれ。)

 

ただ、時間をかけてみる価値のある、非常にパワフルなツールなので、どんな意味があるのかを説明してみたい。

 

①形にしてみる価値

いくら「こんな課題がある」と明確にわかっていても、実際に何をどの順番で解決し、どこまでそれぞれの課題にコミットするかといったところは、ロジックモデルのように時系列立てて整理してみない限り、明確にはならない。

しかも、個別団体のインパクトは、経営サイドや現場スタッフ、接点のある他事業者や行政、受益者によって違った見え方をしていることが多い。

特に、複数の成果を追う団体であれば、いくつもの「大切なインパクト」に優先順位をつけることは容易ではなく、共有ビジョンづくりのために半年から1年がかりで受益者を含めて議論した団体もあった。

 

日々の業務に追われる中で、これだけのリソースを確保する余力がないかもしれないが、中長期で共有ビジョンを明確にすることは後々の経営判断を容易にし、組織のゴールを明確にする意味で、重要な投資だと思う(もちろん「ロジックモデルに完成はない」ので、その時々の組織や社会のありように応じて、アップデートする必要がある)。

知能労働としてマネジメントが少数でやっつける仕事ではなく、定期的に時間をとって長い目で取り組むことが納得感にもつながるというのが、経験者の一致した意見だった。

 

②言葉の精緻化

一旦書いてみても、「社会を豊かにする」だとか、「自信をつける」だとか、抽象的な言葉が目についていく。

特に、団体のコア事業に直結しない、けれど捨てることのできない副次的なインパクト(学習支援事業であれば、学力以外の自己肯定感や将来への希望など)

ロジックモデルを日々支援に役立てているという資金提供者の大先輩は、言葉の精緻化とアップデートがロジックモデルの質を決める鍵だとアドバイスしてくれた。

この段階では、団体外の人からのフィードバックや問いかけ(例:「これって具体的にどういう意味?」)が役に立つ。

 

余談だが、アショカには団体内限定の「辞書」があり、そこでは”Social Change” ”Rippling”“Changemaker”といったキーワードが経営会議での議論を経て、随時アップデートされていた。当時はこの言葉への執着が無駄にも見えてしまったのだが、今思えばこれはロジックモデルの精緻化と同じ作業だったのかもしれない。

 

③優先順位づけ

最終的に、ロジックモデルを作成する最大のメリットは何かというと、事業の優先順位づけだと思う。

ロジックモデルを作るために言葉を精緻化していくと、基本的にモデル上で達成すべきインパクトの数はどんどん膨らんでいく。

例えば、「社会的スキルの獲得」であれば、「友人関係の充実」や「対人能力の拡大」、「みずから働きかける積極性」などなど無数に分解されていく。

だが、そうした全てに一つの事業がコミットすることは難しい。

副次的に効果が生まれることは良いことではあっても、経営資源を効率的に使うという意味では、「このインパクトだけは絶対に届ける」という最優先の成果を特定して、他のインパクトとの相対的な優先順位づけをすることが求められる(ロジックモデルに含めないからといって、その成果を諦めているというわけではない、ただ絶対視しないだけだ)。

 

優先順位づけの重要性は自明なようで、意外に難しかったりする。

とりわけ、目の前で緊急に支援を必要とする人を受益者とする場合は、そこで困っている人を助ける以外の優先順位は考えられないというのが現実だ。

ただ、この「目の前の人を助ける」のみにコミットする、一見すると自明の優先順位も、長期的な成果(=社会課題の根源的解決)に照らすと修正の余地がある。

状況に対応することは、目の前の人を救うことはできても、そうした人々を生み出した社会構造を変えない限り、常に同じ問題が繰り返されてしまうからだ。

 

例えば、海辺の監視員が目の前で溺れている人を助けずに(短期的施策)、溺れる人を減らすための啓発講座を開いている(中長期的施策)をしていることは想像できないが、日々の救護活動だけでは、毎日溺れる人の数自体を減らすことはできない。

 

まとめ

ロジックモデルを作り上げる作業は、未成熟な事業にとっても、成熟した事業にとってもメリットが大きい。

未成熟な事業であれば、今後の事業展開の方向性を定義する経営方針を明確化することができ、しばしばメンバー間で乖離しているイメージをすりあわせることができる。

一方、すでに活動が拡大し、モデルが確立している組織においても、先に挙げたようにオペレーションの延長上であやふやになってしまった優先順位を再定義したり、現場の状況に応じて方向性を見直したりする手段としてロジックモデルは役に立つ。

 

最後に、今回評価支援者としてプログラムに参加させてもらって感じた、評価支援者を育成する意味についても一言。

ロジックモデルは終わりがなく、しかもマルチステークホルダーで、一言で言えば超絶めんどくさい。

そういう作業だからこそ、支援者という第三者がお手伝いする価値もあるのではないかと思う。

プロボノのような形で週一回でも会議を開催し、必要な人を集め、外からの目線で言葉のあいまいさを指摘し、組織の業務量を見極めながらスケジュール管理をして途中で投げ出されないようにする。

この点、ビジネスプロフェッショナルの方々の週末プロボノとしては最適ではないかと感じた。

僕自身も今回勉強したことを机上の空論でおわらせないよう、プロボノも含めて支援先のフォローをしていきたい。

 

映画「沈黙」とあいまい文化の恐ろしさ

遠藤周作が1960年代に書き下ろした原作をマーティン・スコセッシ監督が手がけた映画「沈黙」を観てきたので感想を書き留めたい。

ネタバレもあるので、まだ見てない人はご注意ください。

 

徳川幕府がようやく安定期を迎える17世紀中盤の日本を舞台に、隠れキリシタンを迫害する長崎奉行井上筑後守と、日本で消息を絶ち棄教したとの噂が流れている宣教師フェレイラを探して日本に密入国した二人のイエズス会宣教師の衝突を描いたこの作品。

歴史ドキュメンタリー途中はかなり生々しい処刑や拷問のシーンもあり、3時間近い上映時間は終始重苦しかったが、それ以上に記憶に残っているのが、キリスト教を「真理」と信じて密入国後も布教を続け、自らも絶対の信仰を疑わない主人公と、「環境が違えば、根付く宗教も違う」として日本にとって危険なキリスト教を諦め、平安を取り戻せと説得する井上筑後守の論戦だった。

20世紀後半に「第三世界」の学者や思想家が主導した文化的帝国主義やエスノセントリズム批判の観点から見れば、自らの真理を異なる文化的風土に広めようとするイエズス会の宣教師こそが寛容さを欠いており、迫害の非人道性は許されないとしても、多様性としてのキリスト教を全否定することなく、日本という風土・秩序の尊重を求める幕府の姿勢こそが現代的といえるのかもしれない。

しかし、この物語はそうした「多様性を認め調和を愛する日本人」というありふれたテーマとは懸け離れた、残酷な日本像をえぐり出している。

 

宗教の前の人間性

宗教的な迫害に直面した時、人は魂と肉体の安全のどちらかを選択することになる。

自分の命と自分の信仰ならまだしも、自分の信仰と他者の命までもが天秤にかけられる踏み絵のシーンは何度もパターンを変えて繰り返され、罪を犯してしまう弱さと罪悪感を償おうとする心の揺れ動きが露わになる。

こうした極限の選択の中で、信仰心の弱さや強さだけでは計り知れない、人心の矛盾と相克をためらいなく描くあたりが、この映画の深さだと思った。

 

 

日本という沼とあいまいさに潜む罠

異端を巡る流血は、歴史上珍しいことではない。

中世の十字軍にしても、今日のジハードにしても宗教戦争の時代は長く続いているし、日本でも宗教による流血こそ稀かもしれない一方、ミクロな社会でも村八分やいじめといった、集団から特定の個人を引き離して差別する社会の傾向は一貫して存在している。

ただ、異端が差別される環境は世界共通だとしても、異端の「取り扱い」には文化性があるすることを暗示するシーンがある。

最後に主人公が長年の信念を曲げて、棄教を宣言するとき、主人公の変節にあの手この手を使ってきた筑後守は「私に負けたのではない。日本という沼に負けたのだ」と言い放つ。

(ちなみに、あとでWikipediaを見てみたら、どうやら「この国は(すべてのものを腐らせていく)沼だ」というフレーズは、原作出版時にも流行語になっていたらしい。)

 

主人公が直面した魔女狩りや異端審判のように、 「キリスト教は絶対であり、それ以外はゆるされない」とする白か黒かという極端な選択を迫るのではなく、「仏教などの日本の伝統に照らして、自己の信念が必ずしも絶対でないことを認めろ」という必ずしもキリスト教だけではない、グレーな選択を促している。

「環境が違えば、育つ作物も違う」という井上筑後守のロジックはむしろ人情味にあふれるように聞こえてしまう。

だが、一見すると、多様性を認めているようなこのロジックに、日本が「沼」と呼ばれた理由がある。

 

キリスト教か仏教か!と迫られた人は、明確に自分のアイデンティティを保つことをゆるされる。殺されるかもしれないが、自己の所在は明確で一貫している。

一方、「仏教だとは言わなくてもいいから、キリスト教ではないことを認めよ」と言われた人は、内心とは関係なく社会的に自らのアイデンティティを否定することで、キリスト教にも仏教にも属さない、第三の身分に貶められてしまう。

さらには、厄介なことに日本の社会はこの不名誉な背信さえ、糾弾されるどころかむしろ「自然の理」だとして受け入れ、時には周囲から同情さえ与えてしまう(実際にこの映画のテーマはそうして妻子を与えられ、幕府の庇護のもと生きたかつての宣教師たちだ)。

こうした厚遇にあまんじさせられ、魔女狩りのように殺されるわけでもなく、ただ定期的な踏み絵や転び証文(キリスト教から転向したことを追認する覚書)を通して、この中途半端で救われることのない身分で生き続けることを強要されるのである。

表面的には生活が保障された代わりに、内的自己と外的自己はねじれたまま生きることになる(甘んじて生き続けることを選択する度に、自己は傷ついていくが、白黒つけることが求められないために、この矛盾はあいまいなまま放置される)。

 

遠藤周作が取り上げた背信宣教師たちは、まさに社会的な骨抜き状態で生かされ続けるのである(もちろん、個々人の心の中での信仰は残った可能性は十分にあるが、それは宣教師が当初与えられていた社会的使命の大きさと比べれば、見る影もない)。

 

あいまいさという人間的な非人間化システム

この「あいまい」こそが、一見人間的な「誰しも本音と建前がある」というロジックで人の思想と社会的立場にねじれを生み、人間としての本質的な存在の中核を奪い去ってしまう。

あいまいでゆるされるということ自体が、自分の誇りや中核をもたせてもらえない状況に直結するからだ。

あいまいさは殉教を許さず、はたまた転向後に一人前の社会の構成員になることも許してはくれない。

あくまでも「生かされた」状態にしておくことで、権力の支配を象徴的に知らしめつつ、異端者の牙を抜く。

そんな「調和を重んじ温厚」に見える江戸時代の日本の異端への対処を通じて、迫害という顕在化した暴力よりも、二級市民を生み続ける目に見えない社会的な暴力の方がはるかに強力であることを、この映画は示しているのではないだろうか。

 

 

 

働き方の見直し

まだまだ若輩の自分が働き方を語る資格など全くないのだけれど、先月体を壊してから働き方だけでなく生活全般を見直す必要性を痛感しつつあるので、これまでの反省をしてみたいと思う。

ちなみに、今回この投稿をしたのも、「うまくいかない原因は、常に自分にある。ーそれを見つめるところから始めないといけない。そうしないと、ついつい他の何かに責任を転嫁してしまうようになる。」という慎さんの本の一節をふと思い出したからだ。

 

ランニング思考──本州縦断マラソン1648kmを走って学んだこと

ランニング思考──本州縦断マラソン1648kmを走って学んだこと

 

 

 

そもそも、前回の投稿がリフレクションと題しておきながら、まるで災難にでもあったように体調不良について書いているのは間違いであったとつくづく思う。

まして、千載一遇の休暇&インパクト投資イベントをみすみすベットの中で過ごすことになった機会損失を考えると、さらに猛省すべき。

新人なら積極的であるだけで評価されるかもしれないけれど、プロフェッショナルとして倒れるのはダメダメだし、自分のビジョンに時間を割けていないのも良くない。 

 

その①:業務量の急増

状況

夏頃からひと段落していた業務が10月から急増した。久しぶりに夜中までの業務が連日続いて、それに輪をかけて履修していたMITのオンライン授業で週15時間ほど持って行かれてしまった。さらには、追い込む快感に導かれるまま、ブログを毎日書くと宣言してさらに睡眠を削っていた。

 

反省

業務面ではタスクコントロールができていなかった。何人もの上司からどんどん仕事を振られるままに、新人時代の癖が抜けずに、なんでも「やります」をやってしまったが故に完全なキャパオーバーに。結果的に仕事の質も下がったし、体力も持って行かれてしまった。安易なガンバリズムに流されて、きちんとプッシュバックしなかったのは改めていかねばならない。「器用貧乏」という上司のフィードバックは真摯に受け止めるべき。

 

オンラインコースをこの忙しい時期に履修したことは全く後悔していない。事業開発の現場にいる以上は、通常業務にプラスαで研究をしなければならないのは基本動作だと思っているし、実際に身銭を切って、忙しい中で時間を工面して、毎週アウトプットを出すというのは非常に良い経験になった。ただし、タイムマネジメントは改善の余地あり、休日を体力回復に充てた分、平日の深夜の作業が増えてしまったことは反省。土日にまとまった勉強ができる方法を模索したい。ブログは、飲み会で朝まで外にいて帰宅しても書くほど「毎日」にこだわったのはいい鍛錬になったが、本業に差し支えるレベルになってしまったことは反省。

 

その②:飲酒量の増加

状況

9月は人の出入りが多い時期となったこともあり、深夜までの飲み会が続いた。立場上抜けることができない会がほとんどで、なおかつ気持ち的に必ずしも前向きでない会もあった。体調が回復していない中で、さらに飲酒を重ねてしまっていた。

 

反省

今回の体調不良もあるので、深夜帰りやいわゆる「商社的な飲み会」は今後は極力避けたい。達観してしまえば、自分のバリューはいわゆる商社マンプレーの対極にあるので、ある程度免疫は必要でも、そこを追求することは未来に結びつかない。誘ってくれる人には申し訳ないけれど、体がついていかない以上、今後は極力減らしていくしかない。克服する必要のない困難だと思う。一期一会は大切だけど、大好きな読書で全ての本を読む時間がないのと同様に、すべての誘いに応えることはできないのだと肝に銘じるべき。特に翌朝にダメージの残るような飲食は避ける。

 

その③:体力の低下

状況

忙しくなると運動がおろそかになる。その上、たまに走っても疲労でフォームが乱れるので、体に負荷がかかり、却ってダメージになってしまうという悪循環が起こっていた。肉体的精神的なダメージが溜まっていて、休暇を取ろうとしたタイミングで運悪く身内の不幸があり、リフレッシュの機会を失ってしまった。あそこで休めていたら、限界を超えることもなかったと思う。

 

反省

バッファー不足。限界を超える可能性があるところまで疲労を引き延ばしていたのは体調管理として問題。一週間、長くても二週間で体調回復するサイクルを用意する必要がある。特に、案件の山場がいきなりでてくる可能性もあるわけで、そこでピンチヒッターに慣れるためには、普段の繁忙期であってもバッファーは意識的に持つべき。多少業務時間が減ってでも、土日の気分転換や運動を習慣化したい。整体も辛くなってから行くのではなく、毎二週間で予約していこうと思う。

 

体力不足。システマチックな体調管理としてバッファー維持は大事だが、最終的には体力の絶対量を増やす必要がある。これからジョギングをするには気温が低く、体への負荷もかかるのでジム入会を検討中。走るだけではなく、筋トレも始めようと思う。春先のフルマラソンが目標。