花見
同じプロジェクトにいる尊敬する先輩から、「もっと遊びなさい!」というフィードバックを続けざまに受けたので、桜を見に散歩に行ってきた。
夜中なのに公園では酒盛りが続いていて、日本はつくづく平和だと思う。
昔、日本の大学からアメリカの大学に編入しようか、どう生きるべきか悩んでいた時に恩師からかけてもらった「木が周りに遠慮して枝を伸ばさなかったら、森はできない」という言葉が今更のように思い出された。
国語の教科書でははかなさの象徴だった桜も、満開の木の前に立てば、恥ずかしげもなく桃色の花を一面に咲かせている。
枝振りの風情など関係ないかのように、当たり前のようにしている自然のたくましさ。
人目につく所でもつかない所でも堂々と咲く力強さに感動した。
そして、桜の美しさは一輪一輪の花の美的完成ではなく、その集合としての美しさであり、迫力だと思う。
思えば当たり前かもしれないけれども、仕事も同じなんだろう。
目の前の機会をなんとか自分なりに仕上げて、それを積み重ねていったのを、遠目に見た時、優れているといえるものになるのか。
小さいことにくよくよせずに、しぶとく繊細に仕事をしたい。