気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

Komaza 37週目:

今週も投資家向けの資料作成やリサーチを継続する。加速度的に仕事が増えているのだけれど、優秀なチームメンバーの頑張りでなんとか回っている。

週末からはごく短期間の日本帰国。

久しぶりの日本は懐かしくて、楽しみにしていたのだけれど、去年から走り続けてきた疲れがどっと出て、寝込んでしまっている。

ちゃんと休めることもまたしばらくないので、今回はアポを入れずに休養に専念したい。

短いけれど今回はこの辺で。

Komaza 36週目:Learning for Allの同期と再会

いつも仕事のことばかり投稿しているので、今週は仕事の番外編。
このところ週末も仕事をずっとしている生活だったので、休み方を忘れてしまいそうになる。
Teach For Japan(当時はLearning for Allという名前だった)で同じ時期に教師をしていた仲間がキリフィに遊びにきてくれた。
当時のLearning for Allのプログラムは週末の学習支援が中心だったので、彼女は外資系金融機関でフルタイムで仕事をしながら、週末に参加するという超ハードワークだった。
その後、ウガンダに交換留学していたこともある彼女は、セネガルや南スーダンを経て今は南アフリカにいて、今回出張の合間の週末に寄ってくれた。
田舎暮らしをしていると、仕事以外で人とあう機会も少ないので、彼女の友達のケニア人プログラマーとロボットサイエンティストとも仲良くなって、いい刺激をもらう。
 
アメリカの大学を卒業して今年で丸3年が経つわけだけど、3−5年は若手プロフェッショナルが次の行き先に移動する時期なので、大学時代の仲間と思いがけないところで再会したりすることも増えてきた。
グローバル化という漠然とした言葉よりも、Facebookなどでお互いに連絡を取りながら数年会っていない友人とこうやって会える事実がすごいと思う。しかも、アフリカの田舎町で。
 
そんなことはさておき、久しぶりの戦友との再会が嬉しくて、土日はゆっくりビーチを歩いたり、地元のアーティストが始めたバーに行ったり、朝からホテルでステーキを食べたり、週末らしいことをして過ごした。
たまにはこんな週末もいい。
 
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f:id:tombear1991:20180609120528j:plainサイザル麻のプランテーションにある友人宅で、仕事する土曜日。

 

 

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燃えるような夕日と空と海の青が映える(がこの後警察に捕まる笑)

 

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初めて起きられた朝5:50の日の出。誰もいないビーチの散歩が最高すぎる。

 

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近くのホテルで朝からステーキを食べ、カフェのWiFiを使ってモリモリ仕事をする。

 

以上、とっても充実した週末でした!

Komaza 34週目:

ファンドレイズは身体的にも精神的にも辛い。
いろいろな角度から質問が飛んでくるのを、データとエビデンスで返し続ける毎日。
大企業ならちゃんとデータも揃っているところ、オペレーションも日進月歩の状況で出てきたデータをそのまま使えることなんて皆無。
一つ一つ定義をひもときながら、8020で冷徹に取捨選択して回答を作っていく。
VCのようなストーリー投資に加えて、開発業界特有のアカデミックな議論も入ってくるので、論文や各種機関のレポートを勉強する時間も必要になる。
まるでコーポレートファイナンス・事業戦略千本ノック状態なので、ひいひい言いながらも勉強になっている実感がある。
一回乗り越えてしまえば、次回は楽になるのだろうけど、それにしても心がすり減るので、うまく休息と気分転換を取り入れないといけない。
 
来週からは待ちかねていた仲間がチームにやってくる、実務家としてバリバリ仕事をするだけでなく、いいチームを作ることにも頭を使いたい。
いままでは一人で仕事して、一人で燃え尽きればいい、気ままなスタイルだったのも転換期にさしかかっている。
マネジメント経験は皆無なので、ここはあっさり負けを認めて、会社で数百人を束ねるマネジメントのプロにメンタリングをお願いした。
大人数をマネージするというのは、少数精鋭のチームマネジメントとは違っているが、仕組み化とデリゲーションはどんなチームでもパフォーマンスの鍵になるはずだ。
 
余談だけど、ファンドレイズの醍醐味はCEOと一緒にいく投資家面談(CEOがクレイジーなストーリーを語り、僕が投資家目線で補足するスタイル)だ。
一緒に移動する時間にビジネスについて語ったり、投資家に向けてCEOが語るビジョンを経営計画としていかに形にできるか考えたり、良質なインプットの時間になっている。
そんな中で、最近のハイライトだったのが、「DDは形式的な手続きもあってめんどくさいよ」と投資家に忠告されたCEOが言った“A good thing shouldn’t fail because of heavy documentation”という言葉。
正直、しょうもないDD事項もあり本当にめんどくさいんだけど、ドキュメンに限らず、面倒さの塊に気持ちで負けてはゴールは達成できないのだと、気を取り直して少しでも無駄を組織の学びに変えられるように頭を使い、手を動かし続けたいと思う。

Komaza 33週目:本格化する投資家DD

弊社は現在絶賛ファンドレイズ中。
投資家DDに向けたデータルーム作りをひたすらしながら面談もこなしていく。
リスクやらファイナンスやら、オペレーションの論点やらをまとめて整理する文章や簡易モデル、プレゼンを淡々と作成していく。
それに加えて、開発系ドナーへのレポーティングや、グラント関連のデリバリー(新規事業検討資料の提出)なども重なっていて、まさに一刻一秒を無駄にできない状況が続いている。
もともと、プレッシャーは大の苦手だった自分だけれど、火事場の馬鹿力でギリギリのタイムラインに合わせて優先順位をつけ、なんとか全て形にすることができた(今のところである。。。汗)。
 
これまでは経営企画やファイナンスを中心に担当してきた分、現場からの生のインプットを定性的・定量的に分析していく農家への経済的インパクトの試算や各種リスクに対する対応策のメモなどは、とてもいい勉強になっている。
もちろん、本来的にこういう仕事は分析したり、投資家報告で終わらせるべきものではなく、課題解決までフォローすべきものなので、ファンドレイズが落ち着いた暁にはタスクフォース的な関わりもできたらいいなと思っている。
 
あと3週間はこうした作業を続けていくことになるので、現場の知識、適切な論点設定、わかりやすい資料の作成、基本的な足腰を鍛える時期としたい。
若いうちに仕事の足腰を鍛えるべき、とよく言うけれど、結局若手の間であっても本当の「下積み」に近いデータ分析や資料の素案作成といった作業をできる期間は限られているので、面倒くさがらずに貴重な機会だと思って仕事に向き合おうと思う。
これからチームを育てていく中で、自分はもっぱら全体の構成やマネジメントに特化することになるのだから、僕に残された時間は思ったより短い。
 
そういえば、来週からは三菱商事時代の同期で、ファンド立上げや新興国投資もバリバリやっていた仲間がチームに加わる。
ケニア人バンカーと合わせて3人体制になるので、マネジメントの勉強も追いついていきたい。
自分で成長や課題を定義できない人はベンチャーに向いていないと以前書いた気がするが、CEOと毎日直接コミュニケーションをとり、コーポレートファイナンス部門の設立自体を企画した僕に見えている景色と同じものが、彼らに最初から見えていると期待するのは間違いだと思う。
最後は自主的な学習意欲だとしても、適切な方向付けやマイルストーン設定は応援していきたいし、チームメンバーの成功を通じて、目標を達成できるようになりたい。

Komaza 32週目: 起業家に寄り添うプロフェッショナルとは

仕事が延々に終わらない中で書いているので、今週は少し短めです。
スタートアップで、特に林業や農業のように時間がかかり、自然条件にも左右される事業を見ていると、あまりに課題やリスクが多くて、圧倒されそうになることがある。
ファイナンス自体は、言葉のイメージと同じく、ビジョンやミッションといったソフトなアイデアを数字でゴリゴリ詰めていく仕事だ(結果として難しい事業をリスクをコントロールしながら進めることができる)。
そのため、ビジョンと現状の乖離を数字という生々しいもので突きつけられることが日常茶飯事になる。
毎日悪戦苦闘しながら、分析をしたり、計画をしたり、日々出てくる新しい情報を組み込んだりしていくわけで、あまりのめまぐるしさに何のために仕事をしているのか、疑問に思うことだってある。
そんな時に、ただ数字を振りかざして現場に詰め寄ったり、データと理想の乖離を理由にモデル自体に批判的になったりする人もいるんだけど、それは個人的に起業家に寄り添うプロとしては良くないことだと思う(改善余地を見つけて提案するのは組織の文化レベルで重要なこと、ただ、目の前の乖離に戸惑って改善を前提としない単なる「これはダメだ」論が台頭すると、課題解決も進まないし、職場環境も悪化する)。
 
はっきり言って、ファイナンスにせよ戦略家にせよ、参謀が起業家と同じリスクをとることはできない。
起業家は自分の人生とレピュテーションを賭けて、さらには従業員にまで責任を負っているわけで、いくら優秀でも経験があっても、雇われの補佐役とは取っているリスクの次元が違う。
そんな中で、いちいち「オーナーシップ」を自称して事業モデルを批判したところで、溺れている人に泳ぎ方を教えるようなもので、結果的に起業家を救うことにはならない。
起業家が日々思いを巡らせる仮説をある意味無感情に検証しつつ、一方で大切なところだけはしっかり守って諌めていく、このバランスにプロとしての成熟度と矜持が現れるのだと思う。
社会事業は、基本的に「社会」という大きなスケールでのゴールを持つことが多い分、目の前の課題解決との乖離が発生しやすいし、売り上げやユーザー伸び率が必ずしもインパクトに直結しない。
そのせいで、組織内部に事業モデルへの批判が渦巻いて、経営者が孤独になるケースを日本にいる時に何度も見てきた。
海外のカンファレンスでも同じような話を聞くので、ある意味「自分の正義」がはびこりやすいソーシャルセクターの宿痾なのかもしれない。
 
では、組織の中枢で働く起業家の良き補佐役には何が求められるのか。
僕は、今の事業への確信ではなく、事業の出発点への確信なのだと思う。
戦略や戦術レベルで、全て誰もが同意する最善策なんて存在しない。だから、今の事業のあり方に対して、メンバーが批判的になったり、意見が分かれるのは仕方のないことだ。
だが、その事業の出発点となる課題意識、それを変えるために積み重なった実績(努力ではない)、目指すべきビジョンは、いつも北極星になってくれる。
そうしたあるべき夢の姿を自分の中で内在化し、そもそも自分が共感したビジョンを体現する(理解するのでも、納得するのではなく、一貫して表現する)ことが、起業家に共感しつつ、自分の専門性を生かす切り口になる。
言い換えれば、事業が持つビジョンを、自分の言葉・専門性から解釈し直し、それをあたかも自分の事業のように語り続けることができれば、パワフルなステートメントになる。
事業レベルの考えの差異など、ビジョンの前では単なる手段の違いでしかない。
自分なりのビジョンを事業の本来の姿を想像する中で描き、自分の専門性を使って表現することが、起業家に「寄り添う」者の役割なのでないか。
 
起業家に対抗するリーダーになっても、単なる起業家のフォロワーになっても意味がない。
相手を説得するのは下位のコミュニケーションだ。同じ夢をみることができれば、目先の立場や意見の相違を乗り越えたコミュニケーションができる。細かな対立を恐れずに、プロとしての意見を伝えることができる。
起業家と一緒になってパニクってもしょうがないし、かといって他人事では起業家を救えない、ソーシャルエンタープライズの中で起業家に「寄り添う」ための立ち位置のヒントはここにあるのではないかと思う。