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Zeitgeist

留学した後の話。

「不安な個人、立ちすくむ国家」

今週ソーシャルセクター界隈の人々の間で、経産省が発表した「不安な個人、立ちすくむ国家」という資料が波紋を呼んだ。

この資料は、産業構造審議会という2001年から続く会議体の配布資料として、公表されたものだ。

1ページ目をめくると飛び込んでくる「昨年8月、本プロジェクトに参画する者を省内公募。20代、30代の若手30人で構成。 メンバーは担当業務を行いつつ、本プロジェクトに参画。」という文言からして、政府文書につきものの「お役所感」がないし、投資を高齢者から子どもへ切り替える、というメッセージも相まって特に注目されたのではないかと思う。

 

資料のポイント

さらっと流し見た限り、主だったポイントは次のようにまとめられると思う。

 

不安定化する社会と不安な個人

世界が変化し、何をやったら100点かわらかない中で、決断を求められることで人々は不安になっている。「自由の中にも秩序があり、個人が安心して挑戦できる新たな社会システム」が必要。

 

なぜ日本は変われないのか?

「昭和の人生すごろく」に基づく社会システムは無理ゲーになっており、「個人の選択をゆがめている」。今は、人生100年の時代であり、二毛作・三毛作を前提とした人生のあり方が示されるべき。→旧来の制度・価値観がそうした変化を阻んでいる

 

3つの課題

 ①幸せでない高齢者:働きたいのに働けない。手厚い年金や、高度な医療も、幸せに結びつかない。現在の政府投資は実を結んでいない。

②繰り返される貧困:母子家庭の貧困率は世界トップ、「貧困→進学率↓→非正規雇用率↑平均所得↓」という貧困のサイクルが拡大している

③若者の社会参加:若者の社会貢献意識は高いのに、参加の機会は与えられておらず、優秀な若者は海外に目を向け、困難な状況にいる若者は希望を失いつつある。

 

提言

①「高齢者=弱者」という社会保障からの脱却、働ける限り貢献する

②子どもや教育への投資強化、変化を乗り越える力を身につけ、思い切った挑戦ができるように

③「公」は政府だけではなく、「意欲と能力のある個人」が担う

 

 

ディスカッションしてみた

せっかくなので、酒飲み仲間の教育NPO関係者やら、ビジネスマンやら有志数名でディスカッションしてみたので、面白かった意見を備忘録的に紹介したい。

今回のプレゼンテーションはどちらかというと意欲的なメッセージ発信だというのは、参加者の間でも認識が一致していた。

一方で、ポリシーペーパーとしてはふわっとして、定義や情報やロジックの肉付け不足に違和感を覚える人も少なくなかった。

 

・課題の整理やポリシーペーパーというよりは、マーケティングという印象

・要すれば、雇用の逼迫を高齢者と女性で賄い、財政揺るがしかねない医療費を圧縮したいだけ。

・財政が逼迫しているのはわかるが、支出(投資)のことばかりで、歳入に関する議論がないのは違和感がある

・キーメッセージは自己責任論の転換。これまでは、貧困層や弱者、教育を「自己責任」とみなし、高齢者を無条件の保護対象としていた。これを逆転させ、貧困層や弱者、これから育てる子どもたちの教育を支援対象、二毛作・三毛作しなければならない高齢者を自己責任にしている。

・選択肢があることは幸福なのか?冒頭では膨大な選択肢と可能性が不安を喚起している一方で、最終的には選択ができることがやたらと強調されている。

・「秩序のある自由」って一体なんのこと?セーフティーネット?

 

霞が関からのSOS?

ちなみに、このスライドを見た何人かから、「問題提起かもしれないけれど、ソリューションの記述がない!」というヒステリックな反応があったが、ちゃんと経産省のページには現在検討中の「「新産業構造ビジョン」骨子(案)」という資料も載っているので、こちらも見てみてほしい。

とはいえ、こちらはいわゆる「お役所ビジョン」で、お世辞にも先のプレゼンのようなマクロ観と危機感あふれる感じは伝わってこない。

問題提起のメッシュと、応答のメッシュは全く噛み合っていない。

そういう意味では「経産省からのSOS」というコメントはあながち外れてはいないかもしれない(他にも、 ロビーイングを目的にしたプロパガンダだとか、いろいろなコメントがあったし、それには納得感もある)。

 

まとめ 

資料によると日本の若者は、社会貢献に対する意欲が高い一方で、社会参画の実感に乏しく、能力のあるものは国を見捨て、苦境にあるものは現状を諦めているらしい。

このメッセージの意図やデータの信頼性はさておき、公共を一手に担い、かつての官僚統治の成功例とされた"Notorious MITI"からこんなフレーズが出てくること自体が象徴的だと思う。

ソーシャルセクターがますます重要になり、それを担うアントレプレナーがますます必要になる時代に、何ができるのかが自分たちの双肩にかかっている。

思っていたより、残り時間は少ない。

アショカの成り立ちから自己変革まで

前回の記事に引き続き、Bill Carterの講演会の内容を共有したい。

社会起業としてのアショカがいかに世界の未来を変え、そして同時に自分たちが作り上げた変化の波に自分たちの組織と戦略の適応させてきたか。

アショカが一般的なアドボカシー団体と違っているのは、数年ごとにテーマも戦略も変わっていく学習の速さだ。

継続的に主要事業を成長させつつも異なるアプローチを導入して、既存のモデルにとらわれることなくインパクトを最大化する策を打つ、アショカ自体のアントレプレナーシップからは学ぶことは少なくない。

メモを読み返しながらブログにしてみると、NPOや社会事業など、自分でゴールを設定しないといけない組織の戦略ケーススタディのようになってきたので、補足説明も兼ねたコラムも参考にしてほしい。

 

「社会起業家」の発明:

アショカが設立された1980年、「社会起業家」というコンセプトはこの世界に存在しなかった。

創設者のBill DraytonとパートナーのBill Carterの二人のBillが見出した、発展途上国で見かける起業家精神と公共心に満ちたリーダーの姿を、世界の誰もがイメージできる新しいコンセプトとして世界に広めるため、アショカはフェローシップという戦略をとるようになる。

もちろん、世界中のすぐれた起業家を応援し、グローバルレベルで支援をすることはこのフェローシップ(数年間の生活・活動資金支援とネットワーク支援)の主目的だった。

そして、アショカが長期的なインパクトとして目指したのは、社会起業家というコンセプトが世間に認知されることで、より多くの社会起業家が生まれる世界を作り出すことだった。

 

フェローたちから見えてくる新世界:

団体の設立から10年程経った90年代、「社会起業家」という新しいコンセプトがソーシャルセクターで急速に受け入れていくなかで、アショカの経営陣は新しい潮流を感じていた。

フェロー候補として出会う事業家たちが、それまでのビジネスとも慈善事業ともつかない方法で、社会を変えようとするようになっていたからだ。

今でこそ、ダブル・ボトムライン(社会的・経済的両方のゴールをもつこと)やインパクト投資といった概念があるが、当時は利益追求でもないし、完全な寄付でもない、奇妙な事業形態に映った。

この流れは一層加速し、アショカの内部では、"Rapid"(急激で)で"Fluid"(流動的な)変化に危機感を覚えるようになったらしい。

「社会起業家」の定義を作り出した団体として、アショカは急激に変化する「社会起業家」のあり方を捉えた新しいコンセプトを生み出す必要にせまられることになる。

 

【コラムその1:ビジネス・金融に目を向けた社会起業家たち】

ムハマド・ユヌスのグラミン銀行に始まるマイクロファイナンスが注目され始めたのがこの頃で、2000年代に入ると貧困層向け白内障治療の事業化をしたAravind Eye HospitalのDavid Greenがフェローに選ばれたり、Patient Capitalism(忍耐ある資本主義)を唱えたAcumenファンドなどが出てくるようになる。

アショカは自団体が巻き起こした「社会起業の普及」というシステム変革の結果、自分たち自身でも思いがけない形で、急速な世界の変化に飲み込まれつつあったとも言えるかもしれない。

 

新しい世界観の提唱:

アショカのメンバーたちが遭遇した、フェローたちの事業モデルやマインドセットの変化は2010年に"Hybrid Value Chain"という概念に結実した。

また、社会起業家というアイデアが一般に認知されたことで、かつては社会では受け入れられなかったキャリアを歩む若者も増えてきた。

1980年には一部の才能と冒険心ある人にしかできなかった社会起業が、キャリアとして確立つされつつあるようになると、アショカの戦略は次のステージへ移行する。

アショカはシステム変革を起こすかもしれない小さな変革者たちを"Changemaker"と名付け、支援の軸足を移すようになったのだ。

 

【コラムその2:Hybrid Value Chainとは】

ハーバード・ビジネス・レヴューに投稿された論文によると、Hybrid Value Chainは、ソーシャルセクターとビジネスセクターが協働することで、ビジネスとしても社会事業としても成功できるようになる事業モデルのことだ。

この論文では、こうした事業モデルの広がりが数百兆円規模の経済的機会をもたらすと謳っており、今でいうBOP的な要素も多分に含まれている。

ちなみに、Hybrid Value Chainの条件は、次の4つ。

1.ビジネスが大規模かつクロスボーダーで展開していること

2. ビジネスと社会起業家が協働して複数の価値を生んでいること

3.消費者・受益者が対価を支払っていること

4. システム変革をもたらすアイデアで新しい競争を生み出すこと(グラミン銀行が、金融機関にとどまらず、ヘルスケアや農業など複数の領域で暴利を貪っていた既存プレーヤーを脅かしたように)

 

【コラムその3:"Social Entreprneur"と"Changemaker"の違い

"Social Entreprneur"と"Changemaker"には明確な違いがある。

"Social Entreprneur"は社会制度を塗り替えるようなシステム変革を起こすことができる一部の優れた"Changemaker"たちを指す。

したがって、アショカが"Social Entreprneur"から"Changemaker"へ支援の軸足を移したのは、ビジネスのバリューチェーン分析と同じで、母数を増やすことで、"Social Entreprneur"を増やそうとしたと解釈できる。

アショカが社会起業をコモディティ化させたことで、社会起業家を支援する意義は薄れ、代わりにその予備軍を作ることが次なるボトルネックになっていたのだ。

 

フェローシップモデルの限界:

社会起業のムーブメントは爆発的に広がり、変化はアショカにも捕まえきれないスピードにまで加速していた。

変化をリードし続けるためにアショカは"Everyone a changemaker world"(「誰もがチェンジメーカーになれる世界」)という新しいビジョンを掲げ、フェローシップに変わるモデルの開発を進めた。

新しいモデル開発の戦略は、Bill Carterいわく、"Our Fellows can show us how!"(「どうすればいいかはフェローが教えてくれる」)というものだった。

すでに2,000人を超えていたアショカフェローが何を考え、どのようなトレンドを示しているのかを研究する中で、学校や地域のコミュニティ、家庭など身の回りの小さな環境で変化を起こす成功体験がアショカフェローに共通する原体験と成っていることがわかった。

これがのちに、Youth Ventures(学生をメンターして、身の回りの社会課題を解決する成功体験を積ませるプログラム)やAshoka U(大学と共同した社会起業家育成プログラム)といった新プログラムにつながった。

 

【コラム4:NPOの競合戦略としてのピボット】

シュワブ財団やスコール財団などフェローシップ事業の競合やソーシャル・ビジネスなどの新しいプレーヤーの台頭はアショカの相対的な地位を脅かしていたともいえる。

社会起業家を支援することが「当たり前」になるという一大変革を生んだのがアショカは、その結果として新たなプログラムで業界のリーダーとして次なるビジョンを示し、存在感を示し続ける必要性にかられていたのではないかと思う。

学生向けのプログラムと書くとありきたりに見えてしまうが、それまで百万人に一人のすぐれた起業家だけを追いかけてきたアショカが、そこから蓄積された知見を一般向けのプログラムとして再定義したということは、団体内で大きな考え方の変化を起こす必要があったことは想像に難くない(スーパーカー専門店が大衆車を売り出すようなものだ)。

 

ユースベンチャーの発展とビジョンの再定義

数年のうちに、アショカのユース向けプログラムは大学から中高、初等教育まで急成長し、現在では日本を含む世界中で採用されている。

発展したのは規模だけではない。フェロー・プログラムを凌駕せんばかりに研ぎ澄まされた事業フォーカスだ。

ユース・ベンチャー・プログラムなどで社会起業家と若者の接点を作り出すことに成功したアショカは、優れた社会起業家を量産する踏み込んだ施策として、フェローたちがどのように優れた"Changemaker"になったのか分析を進めた。

①Empathy 

②Teamwork

③Leadership

④Action

という4つのスキルセットを幼少期から学生時代まで実践する場を持つことが鍵だと気付いたアショカは、そうした場づくりを世界20ヶ国以上で実践している。

 

 まとめ

 アショカの成り立ちから、戦略のピボットまで、この話から学べることはあまりに多い。

目の前のインパクトであるフェローシップを発展させつつ、新しい接点を持ち、課題を定義し、変革を成し遂げた「学習し続ける組織」。

アショカのユース向けプログラムについても勉強がてらまた書いてみたい。

 

もっと対談の内容について知りたいという人は、ビデオが公開されたようなので、こっちも是非見てみてほしい。


[対談] ビル・カーター氏 Dialogue with Bill Carter (1)

 

 


[対談] ビル・カーター氏 Dialogue with Bill Carter (2)

 

 

4つのキャリアパス

人生初のフルマラソンから早くも2週間が経って、ようやくトレーニングを再開している。

いつもお世話になっている整体師さんから、トライアスロンを20年以上前から続けているというベテラン整体師さんを紹介してもらい、リカバリーも兼ねて話を聞いてみたところ、フルマラソン後のランナー人生には4つの選択肢があるという。

①フルマラソンのタイム短縮(3時間前半とか)

②超長距離(ウルトラマラソンとか、本州縦断とか)

③トライアスロン(そしてアイアンマン)

④トレイルラン(山道!)

 

この前のマラソンは走り切れこそしたものの、正直タイムも体力もまだまだなのが露呈しただけだったので、当面はフルマラソン向けのトレーニング(30キロ程度の長距離ランと1キロをハイペースで走るトレーニングの組み合わせ)を続けつつ、機会を見て超長距離とトレイルランは試してみようと思う。

 

金融・ビジネス関係でトライアスロンをやっている人も多くて(学生時代の某インターン先ではパートナーが全員アイアンマンをやっていたりした)、漠然と憧れていたのだけど、実際話を聞いてみると、「スイムと自転車がきつすぎて、最後のラン(42.195キロ)は『デザートみたいなもの』」という衝撃のコメントもあったので、とりあえずは走りをメインにやってきたい。

アショカ・フェローの選抜インタビュー

しばらく前の話なのだけれど、社会起業という言葉の歴史を知りたい人には興味を持ってもらえそうなので、アショカの「もう一人のビル("the other Bill")」ことBill Carter氏のイベントに行ったときの話を書きたい。

アショカの創業者のビル・ドレイトンは有名だけれど、アショカ設立当初から世界で1,000 人以上のフェローを選び出した「もう一人のビル」を知る人は少ない。

30年前に社会起業家という概念を誰も知らなかったところから、世界で最も厳しいと言われるフェローシップ・プログラムを作り上げた彼が日本にやってきたのは先月のことだった。 

今回の投稿はフェロー選定プロセスについて、次回はアショカが目指す世界観の変容について。

創業者Bill Draytonとの出会い

 1970年代に EPA(米国環境保護局)で炭素取引の設計をしていた時に出会う。この次のプロジェクトとして当時はまだ言葉として存在していなかった、”Social Entrepreneur”のネットワークを作るアイデアを持ちかけられ、参加を決めたのがすべての始まりだったらしい。

その後、Bill Draytonとアショカ立ち上げに参画してからは、フェロー選定の責任者として、東南アジアやアフリカ、南米などあらゆる地域を飛び回り、一旦はワシントンの本部に戻ったものの、数年前に再びアフリカ統括として現場に戻っている。

 

アショカ・フェローのインタビュープロセス

アショカは世界各地で社会システムの変革を成し遂げるイノベーターを、アショカ・フェローに認定してサポートしている(フェローの選出基準はこちらを参照)。

ちなみに、これまでに認定されたフェローは世界96ヵ国の3, 300人で、選出から10年以内に、彼らの83%が国レベルでの政策変革、90%がモデルのコピーと拡大を果たしている。

ちなみにフェローになれるのは「相対的」に優れた起業家であり、人口100万人に1人ほどといわれている。

 

このフェローへの選出には、業界でも有名(というか悪名高い)数日間、数十時間に及ぶインタビュープロセスを経なければならない。

 

①幼少期の経験

80%のフェローは幼少期から、自分が間違っていると思うことに対して行動を起こす、Changemakingの経験をしていて、掘り下げてみるとフェロー候補の今の課題意識やモデルに当時の経験が色濃く反映されていることは少なくない。

インタビューの中では、劇の序幕のような部分で、「生まれてから、10歳になるまでに何が起こったの?」という話だけで毎回最初の1時間は過ぎてしまう。

この期間のチャレンジが、その後の大掛かりなプロジェクトのきっかけやヒントになり、 同時にフェローが他者への共感(エンパシー)を身につける機会にもなる。

 

②失敗の経験

優れた社会起業家は失敗から学ぶ。若い頃にしたプロジェクトが失敗した経験が、今の事業モデルのベースになることも少なくない。 

 

③“Point of No Return”

向き合っている課題の話をしていると、起業家の人生のある段階から、それが単なるひとつのプロジェクトから、人生をかけた挑戦に変わる瞬間がある。

アショカフェローになる、ということは単にプロジェクトを評価されることではなく、その起業家の人生をかけた挑戦すべてを応援するということだ("Ashoka Fellowship isn't a 'project.' It is a lifetime fellowship")。

 

④プロジェクトの革新性と未来について

これまでのプロジェクトがどこへ向かっているのか、どのようにシステム変革や政策の変化を起こしていくのか、といった将来の展望の話をする。

 

⑤5つの基準

アショカが掲げる5つの基準を満たすかどうか。

a) New Idea_イノベーティブなアイデア 

b) Social Impact_社会課題を解決する価値

c) Creativity_クリエイティブな解決策

d) Entrepreneurial Quality_起業家精神

e) Ethical Fiber _強い倫理観

※詳細は過去記事参照。

 

こうした5つの段階を経て、一人のフェローと数日にわたって時間を共にし、多くのローカル・グローバルの審査員と議論を重ねてフェローは選ばれている。

次回はアショカが目指す世界の作り方と、戦略の変容について書きたい。

 

初マラソン完走

初マラソン完走

数ヶ月前から楽しみにしてきた、佐渡朱鷺マラソン。人生初マラソンに向けて、この2ヶ月間走り込みをして準備してきたのが功を奏して無事に完走。

今回一緒に参加した友人は初マラソンにして4時間を切る好タイムということで、ハッピーな大会になった。

 

僕自身のタイムはリミットぎりぎりの5時間半、序盤20キロまでは時速10キロペースでいけていたのが20キロ後半から失速して10キロ1時間半ペースになり、最後の12キロに至っては普段の早歩きですら追い越せそうなスピードでもがくように走っていた(このあたりのペースは平均して1キロ10分弱、約2時間)。

初マラソンを故障なく時間内に完走する、というゴールは達成できたけれど、これからの道のりはまだまだ長い。

技術的には20キロ以降、足が全く前に出なくなってしまったのがなぜで、どう解決するべきかは今後も探っていきたい。とりあえず、足が前に出なくなってしまったのは筋力不足のようなので、足腰の筋トレがおそらく次の課題。

あとは、最初の20キロを確実に1時間弱で走るトレーニングも、次なる目標の4時間半には必要だと思う。

 

特に印象的だったのはシニアランナーでゴール3キロ前くらいから並走していたランナーは74歳と60歳。きっと出発地点から同じスピードで走ってきたんだろう、一定のペースでずーっと走り続ける姿が印象的だった。

彼らに励まされながらゴールした時は、悔しいとかではなくて、なんだか人生について教わっているような感覚だった。

 

ちょうど公私共々に節目を迎えつつある中で、改めて自分との時間をとるいい機会になったし、かつての病弱だった自分からは絶対不可能に思えた距離を走破したことは大きな自信になった。

飽かず、倦まずに淡々と痛みの中で足を進めることは、事業に携わる者として身につけるべき強さだと思うので、今後も速く遠くまでいけるようになりたい。

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レース開始前に盛り上がるスタート地点

 

佐渡島のこと

ちなみに今回のマラソンでは佐渡島の真ん中を貫く往復42キロにわたって、あちこちで島民の方が声援をくれた。田園地帯のあちこちで幼稚園児からお年寄りまで、声をかけてもらってなんども止まりそうな足を前に出させてもらった。

普段の仕事やたとえボランティアであっても、「がんばれ!」というまっすぐな声援を1日に何十人、何百人という人からあちこち受けたことは初めての経験。

その声を聞くごとに前に蹴り出す一歩が軽くなったのは、本当に不思議な経験だった。

これは到着した日のお寿司屋(衝撃的な美味しさと安さ!)でも感じていたけど、のどかなだけでなくて、人当たりのいい素晴らしい島だった。

去年は悪天候で大会が中止になりトラブルもあったらしいが、それに負けじと至れり尽くせりでランナーを迎え入れてくれた島の方々には感謝しきれない。

 

小学校の歴史の教科書で、失脚した貴族や政治家が流されたり、江戸時代に金が発掘されて「ジパング」日本を支えたり、歴史的にも面白い全周264キロほどの島。

京都から流された教養人たちが能楽堂を立てていて、最盛期は200近い舞台があったらしい。

最近は北朝鮮のミサイルを探知するのにも使われているであろう、自衛隊のレーダー基地もあったりする。

マラソンで走っている途中も面白そうな資料館やら古い神社やらいっぱいあったので、次回は自転車でも担いで観光で行きたい。

今度こそはコンディショニング考えずに好きなだけ魚と日本酒を堪能したい!

f:id:tombear1991:20170423113911j:plainコース中盤。真っ青な空と一面に広がる水田が続く。

英語のサポートツール

この一ヶ月ほど本腰を入れて英文を書かないといけないことが多くて、文法や表現のダブルチェックのために

Grammarly

というアプリをダウンロードしてみた。

冠詞や前置詞など王道の間違いはもちろん、文中でやたらと同じ表現を使っているといった、もう少し細かいところまで突っ込んでくれて大助かりしている。

(必ずしもすべてのエラーを見つけ出してくれるわけではないので、要注意。気のせいかもしれないけれど動詞の語法にモレが多い印象)

 

Fortune500の企業でも使われているらしく、Google Chromeにアドオンをつければ、gmailやFacebook上におかしな英語で投稿して恥を書くこともなくなるので、英語に苦手意識がある人には特にオススメ。

 

特に社会人になって、誰にも添削されないで英語を書く機会が増えると、間違えにさえ気づけなくなるのは恐ろしい。

ビジネス英語は大体意味が伝わればいい、という人もいるけれど、言葉の質はその人の教養や能力の程度を示す指標になりやすく、Proper Englishを使えなければ2流の烙印を押されかねない業界もあるので、英語力を高めることは社会人として続けなければならない努力だと思う。

 

学生時代はWriting Centerという大学の添削サービスに毎週のように通っていたのだけど、そこで入る修正の多くが「この前置詞は違和感がある」とか「この名詞にこの形容詞は意味が通らない」とか、文法的に間違いではないけど違和感のある表現をこなれた言い回しに直していく作業だった。

留学生やアカデミック・ライティング初心者向けに大学院生がアルバイトでやっていた基本的な修正なんかは、いずれは先にこのアプリで修正候補を見つけてからアポをとるようになるんではないだろうか。

 

 

花見

同じプロジェクトにいる尊敬する先輩から、「もっと遊びなさい!」というフィードバックを続けざまに受けたので、桜を見に散歩に行ってきた。

夜中なのに公園では酒盛りが続いていて、日本はつくづく平和だと思う。

 

昔、日本の大学からアメリカの大学に編入しようか、どう生きるべきか悩んでいた時に恩師からかけてもらった「木が周りに遠慮して枝を伸ばさなかったら、森はできない」という言葉が今更のように思い出された。

国語の教科書でははかなさの象徴だった桜も、満開の木の前に立てば、恥ずかしげもなく桃色の花を一面に咲かせている。

枝振りの風情など関係ないかのように、当たり前のようにしている自然のたくましさ。

人目につく所でもつかない所でも堂々と咲く力強さに感動した。

 

そして、桜の美しさは一輪一輪の花の美的完成ではなく、その集合としての美しさであり、迫力だと思う。

思えば当たり前かもしれないけれども、仕事も同じなんだろう。

目の前の機会をなんとか自分なりに仕上げて、それを積み重ねていったのを、遠目に見た時、優れているといえるものになるのか。

小さいことにくよくよせずに、しぶとく繊細に仕事をしたい。