212週目:砥礪切磋
想像通り、とんでもなく慌ただしく、忙しい。
作業は優秀なマネージャーの大活躍で何とかなっているが、複雑に絡み合った論点を整理して、時間内に決着をつけて行かねばならないので、気持ちが休まらない。
作業に心を奪われれては、大局観を失ってしまうし、大局観だけではディールは前に進まない。
正しい心のありようを保ち続けるのが、何より大切で、不確実な状況でも恐れず判断を下し、行動を起こし、モーメンタムをつくらねばならない。
どのような案件であっても佳境には想定外のハプニングが起きる。予想しないところから鉄砲玉が飛んでくる。
変化に機敏に反応しながらも、動じることのない思考の軸・心の重心を、どうしたら作れるか、週末はそればかり考えていた。
テクニカルな論点にはテクニカルな解法が必ず存在する。あきらめずに考えれば、答えは大抵の場合出せる。
難しいのはロゴスよりもエトスやパトスの方であり、折に触れて自分自身の度量が試される。
言志録の一節に、
「凡そ遭ふ所の患難変故、屈辱讒謗、払逆の事は、皆天の我が才を老(ね)らしむる所以にして、砥礪切磋の地に非ざるは莫し。君子は当に之に処する所以を慮るべし。徒に之を免れんと欲すべからず」
という言葉がある。
「困難は天が才能を広げるための機会をくれているのだ。困難から逃げることなく、挑戦を自らを磨く砥石だと思って積極的に取り組むべきで、逃げようとしてはいけない」といった意味で、まさに今の自分にぴったりだと思った。
知力と胆力、そして情緒をバランスよくもって、仕事にあたりたい。
私生活では、残念なことに90歳を超えていた祖母が亡くなった。
コロナ禍で年末年始の帰省もかなわない中、去年の秋に話をしたのが最後になってしまった。
自分がケニアから帰国して隔離明け一番に会いに行ったので、珍しく一人きりで会った。
戦後大陸からの引き上げを経験して、激動の時代を生きた強い女性だった祖母の話にどれほど勇気をもらったか分からない。
仕事のこと、人生のこと、色々な話を2時間近く話した当時の記録を見ながら、故人を偲ぶ。
博覧強記の本の虫で、人一番繊細な感受性を持っていた祖母の話は、毎度胸を打った。
僕が気丈にふるまっていて、内心無理をしているときなどは、誰もいない時にそっと声をかけてくれる優しく聡明な人だった。
こういう時にすぐに駆け付けられないのが、もどかしい。
たとえ、すぐにフライトをとっても、隔離期間だけで2週間近く出られないのであれば、告別式に出ることさえかなわないだろう。
自分がケニアのベンチャーに行くといったときに、「未来のある話で、目の付けどころが面白い!存分にやっていらっしゃい!」と背中を押してくれた祖母に赦しを乞いながら、遠い日本に向けて掌を合わせた。
家族の近くにいられない分、人生の成果をもって、祖母への供養としたい。