ケニアスタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

207週目:初心

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ベタなのだけれど、Facebookで4年前の出来事と称して、三菱商事を退職した日の写真が出てきて、妙に感傷的になっている。

去年はシリーズBの達成感と脱力感で気にならなかったのかもしれないが、今年の自分にとってはズシリと響くものがあった。

このところ、ケニアやスタートアップやファイナンスについて、質問を受ける機会が増えていて、自分の仕事が認められるのは嬉しい反面、初心とは何なのか、忘れたくないのでここに書いておきたい。

 


三菱商事からケニアのド田舎NGOに飛び込んだ時の気概や覚悟を、忘れずにとどめておきたい。

過剰な自意識と脆い自我のはざまで、葛藤したからこそ今の自分があることを忘れたくない。

今後インタビューなどで理路整然としたきれいなストーリーを求められたとしても、自分の原点は渇望と不安という相反する概念によってのみもたらされた、といって僕は憚らない。

 


身の丈に合わない野心を持ちながらも、もがきながら進んできて、かろうじて今日まで生き残れたのは、優先順位を誤らなかったからだと思う。

マネージャーになるということは、責任感ではなく、実際に責任を持つことにほかならない。
「出来ます」と手を上げて、何が何でもやり遂げること。
言い訳をせずに結果にだけコミットすることが、僕がKomazaで今のチームを立ち上げられた理由だと思う。
では、何に責任を持つのか?
答えは、経営の全範囲であり、プロフェッショナルとしての倫理規範であり、自己の貢献のスタンダード設定にほかならない。


優秀な人ほど、野心をもって仕事をする。
今の自分より、明日の自分の方が良い仕事ができると信じて、実績を貪欲に追い求める姿勢は絶対に必要だ。
他人の期待に関係なく、自分に期待するものがないと、個人としての成長はあり得ない。
自分のためにキャリアをつくれるのは基本的には自分だけだ。
応援してもらえないとか、機会がないとか、そんな平凡な言い訳は聞きあきた。
自身の仕事に情熱をもって、成長機会を渇望し、機会があれば何としてでもものにする執念は、決して否定できない成功への定石だと、今でも信じている。
自分の成長にコミットできるのは、上司でもメンターでもなく、自分しかいない。
誰よりもハードな要求を自分につきつけ、時には泥水を一気飲みしながら、進んできた。


ただ、本当に優れた仕事は、自分のためではなくクライアントや企業の未来、起業家のポテンシャルを真摯に考えた結果生まれる。これもまた真実だと思う。
そして優れた仕事がキャリアを切り開く。
この順番を間違えたり、大きな視点を見落としては、優れた仕事も優れたキャリアもおぼつかない。
振り返ると、肥大した自己を持て余し、不遜で不安な自意識を持ちながらも、身を滅ぼさずに仕事ができたのは、この優先順位を頑なに守ってきたからだと思う。
4年前の自分は、キャリアの実績と自己の成長を死ぬほど欲していたけれど、それと同じか、ぎりぎりそれ以上に他者を主語にして仕事してきた気がする。
自分の納得いくインパクトは、昇進によって得られるものではない。
自分以外の誰か、たとえば起業家にとって最も正しいと思う仕事にこそ、インパクトがあった。

この順番を誤っていたら、今の自分はなかったに違いない。

インスピレーションをくれたのは、自分より優秀で努力を惜しまず、なおも大きな目的に向けて淡々と仕事をしていた三菱商事の上司たちの姿だったのだと改めて思う。

 


チームを育てる立場になって、自分に何が出来るかという問いは、まさにかつての上司が自分に見せてくれた背中を、自分も示すことができるのだろうか、という問いに直結している。

この1年、シリーズBという大きなマイルストーンで投資家が信じてくれた未来を、どうすれば実現できるか、燃えカスになった自分に無理やり火をつけて、模索し続けてきた。

振り返れば、もっとも自分を引き延ばしてくれたものは、成長への意欲以上に、チームに背中をゆだねる経験だった。

これまでは、先達の後ろ姿を追いかけてきた自分が、未熟ながらも初めて先達として、人に背中をゆだね、背中を示す立場に立った。

人から圧倒的に信頼される経験は、個人の人生観を変えうるのだと気付かせてくれた。

 


自分のチームはレファレンスのみで採用した純粋な同志である。

至らない自分が、どうすれば彼らにインスピレーションを与え、彼らの先達となるに値するのか。

この問いだけが今の自分を突き動かしている。

自分なら出来るだろうという自意識やプライドを捨て、いかにして彼らに有意義な成長機会と成果をもたらせるのか?

自分の未熟をこれ以上突き付けてくる問いはみあたらない。

 


4年前の最終出社日に、自分を送り出してくれた部署の方々や同期たちとは、違った人生を歩みながら、改めて原点に立ち返り、自分の未熟を噛みしめている。

まだまだ道半ば。