ケニアスタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

ラーメン屋のパラドクス

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進学や就職、転職など人生の転機について、相談を受けることがある。

僕自身も一人の人間として悩んでいる内容だったりするので、確信をもって人様にアドバイスすることはできないものの、よくする話がある。

「ラーメン屋のパラドクス」と僕は呼んでいて、大学時代に留学説明会でよく聞かれる質問を類型化したものだ。

  

「ラーメン屋のパラドクス」は、大きな未来の意思決定をするときに、人はミクロとマクロの優先順位付けを誤りがちで、下手をすると意思決定をしたつもりになって無意識にジリ貧に自らを追い込んでしまう、というもの。

重大な意思決定を前にして、目の前にある些末なような重要なような、中くらいの論点に意識が向かってしまい、そこで決断をすることで、そもそも論を見逃してしまう。

僕自身も何度となく後悔したことがある、判断ミスのパターンだ。

このパラドクスは、ミクロとマクロの二つの罠で構成されている。

「メンマ不要論の罠」と「最高のラーメン(ジャンルは決めていない)を作りたい願望の罠」というふたつの強力な思考パターンについて、今回の記事では書いていく。

 

なぜ「ラーメン屋」かというツッコミにあらかじめ答えておくと、自分の人生をラーメン屋の主人に例えると、自己矛盾が分かりやすいから。

自分の人生を客観視するにはそれくらいのたとえがちょうどよい気がする。

読者の皆さんには、ラーメン屋さんを始める店主になったつもりで読んでいただきたい。

 

「メンマがなくても大丈夫」は本当にダイジョブか?

留学相談を受けると、しばしば、「学部がいいのか、大学院でもいいのか?きっと、大学院からでも大丈夫!」とか、「海外で仕事をするにしても、英語は日本でも出来るから大丈夫!」とかいうコメントに遭遇する。

本人のキャリアによってはその通りなので、ケースバイケースで自分の所見を述べるしかないわけだが、この「~がなくても大丈夫!」というのが、ジリ貧的発想である場合は注意が必要である。

引き続き、留学を例にとれば、決して学部で海外大に進学するのは必須ではない。ただし、本人がそういうことに興味を持っている以上、グローバルに仕事をしたいとか、日本の大学では得られない経験をしたいとか、なにかしらの動機があるのが普通だ。

であるならば、考えるべきは「(大変な苦労や投資をして)留学しなくても大丈夫なんではないか?」ではなく、「留学する先に見える未来は果たして自分の期待に沿うものか?」である。

論点設定というか、問いのフレーミングが間違っている。

 

ラーメン屋の例えで言い換えるならば、自分が新しいラーメンを開発するときに、「メンマは別に必須というわけではない」とか、「考えてみれば海苔も必然性がない」とか、「なくても大丈夫」ベースで意思決定をした先に、味気のない「具なしラーメン」しか残らないのと同じである。

確かにメンマや海苔がなくったってラーメンはできるかもしれないが、「それはあなたの理想としたラーメンですか?」という問いに、こうした消極的な意思決定は答えることができない。

でも、目の前でくよくよ悩んでいくテーマとしてこういう些末な論点はうってつけなわけで、下手をすると「うちは他のラーメン屋とは違って本当に必要なもの以外はのせません!)キリっ」という勘違い店主が爆誕して、自信満々で味気のない具なしラーメンを客に出したりする。

本質ではないミクロな意思決定に無駄な大義を与えて、あたかも自分が他者に抜きんでたと信じようとする弱い心が、間違いなく人には存在する。

立ち返るべきは理想との距離感であり、理想のために「必要か?」という消極的疑問は、注意して使わなければならない。

高邁なロジックをもって、「メンマなしラーメン」を売り出しても、単なる自己満足にすぎない。

「そもそも論」が立ち返るべきは、常に理想の姿であり、必要かどうかではない。「あったらいいな」をかなえるために努力をするのだ。

 

 

最高のしょうゆラーメンと味噌ラーメンを同時には作れない

「メンマ不要論の罠」の対極にあるのが、「最高のラーメン(ジャンルは決めていない)を作りたい願望の罠」である。

優秀だったり、実績のある若者ほど、内心では「自分は何だって出来るはずだ」とか「絶対に成功できる」とめらめらと燃える自意識がある。

当然、大学での評価も高いし、有名企業から内定もくるし、MBAに行こうと思えばいつでも行ける。

一方で、こうした人たちが苦手とするのが、人生の選択肢を狭めて集中することだ。

大学の同級生はあちこちで成功している。気づけば知り合いがForbes 30 under 30に名前を載せていたりする。

自分は誰もがうらやむ一流企業・大学・大学院を出ているのに、なぜか他の人の細かな成功が気になり始める。

 

ラーメン屋で例えるならば、あっさり魚介風しょうゆラーメンをメインで始めた店なのに、こってり家系ラーメンや味噌ラーメンの成功が気になっている状況だ。

さらには、そもそも「自分は最高のラーメンを目指す!」と息巻いていながら、実はしょうゆなのか、塩なのか、はたまた味噌なのかさえ、決めないままの若手プロフェッショナルは少なくない。

コンサルにせよ、商社にせよ投資銀行にせよ、行き先の業界に骨をうずめるつもりで戦っている人がいる中で、「やりたいことがまだ決まらないから」と意思決定を保留にする行為はそれなりにリスクが高い。

いわば、ラーメン屋を開業しつつも、どのジャンルで勝負をするのか決めておらず、したがって戦略的に絞り切った意思決定ができていない状況である。

その結果出来上がるのは、駅前の一般的な、何の変哲もないラーメン屋。おいしいかもしれないけれど、決して雑誌に載ることも、遠くからお客さんが来ることもない、まあまあうまいラーメン屋である。

これで本当にいいのだろうか?最高のラーメンはどこへ行ったのだろうか?

 

塩ラーメンと味噌ラーメンで最高峰を同時に目指したり、とんこつラーメンと魚介さっぱり和風ラーメンで同時にトップを狙うことができないのと同様に、自分のジャンルを決め打たない限り、自分を研ぎ澄ますことなどできないのである。

ジャンルを決めない限り、最高のラーメンは作れない。

はっきり言えば、これは「決めの問題」である。

自分の能力を過信して、「きっと最高のラーメンが自分ならできる」と思い込むことが危険なのであって、一度はこってり味噌ラーメンで勝負して、それが上手くいかなければあっさり魚介しょうゆラーメンに転向するのは全く問題ない。

ただ、漠然とした最強感をもったまま自意識を膨らませ、マクロな意思決定から逃げ続けることが、自分自身の可能性を狭めているのである。

究極的には、本当に店主が優秀なら、ラーメン屋であり続ける必要さえないのである。

ラーメンがだめならイタリアでパスタ修行でもいいかもしれないのである。

ただ、漠然と優位なポジションを取らせてくれる名門店で「修業中」の身分であり続ける限り、自分の仮説に飛び込んでジャンル選択というポジションを取らない限り、永遠に「最高のラーメン」は手に入れることができない。

無根拠な自己肯定感を守るために、マクロのポジショニング、意思決定から逃げてはならない。

 

まとめ

「ラーメン屋のパラドクス」、お楽しみいただけたであろうか。

まとめると、

・人生の選択において「なくてもよい」思考よりも「何があるべきか?」を考えた方が、未来が豊かになる

・何となく「できるだろう」という自意識を守るためにジャンルを決めないままだと「ただのおいしい店」になりがち

という2つが本稿のメッセージだ。

 

有意義な人生とは何か?どうすれば成功できるのか?自分の目指す先は何なのか?といった問いを、少なくともこの10年あまり問いかけ続けてきた中で、自分自身が何度となくハマった罠について書いてみた。

筆者たる僕も例外ではなく、まだまだ精進を続けている身であり、辛辣に批判した点のいくつかは、僕自身にも当てはまる。

正直なところ、自分を鼓舞する意味も込めてこの記事を書いた。

進路に悩んだとき、大きな意思決定をするときの参考になれば幸いである。