気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

「アルキメデスの大戦」について

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「アルキメデスの大戦」という映画を日本に帰る機内で見た。

第二次世界大戦の端緒が開かれる10年近く前の、戦艦建造をめぐる陰謀との戦い、そしてなお戦争へ向かっていく日本に、このフィクションの主人公である天才数学者が挑む、という内容。

巨艦巨砲主義のドグマに支配されている海軍に、ロジックとサイエンスでたちむかう、というストーリーはキャッチーで、数字とデータで意思決定をするビジネスパーソン目線でも楽しめる作品だった。

 

Group Thinkに戦争をリアリティのある悲劇や社会批判としてとらえがちな戦争映画にあって、きわめてリアリティのない「数学」という頭の中だけの視点で取り組んでいるのが、脚本の着想として際立っているのは間違いない。
ただし、日本のお家芸である、"Group think can kill"を体現している、社会風刺的な作品に見えていながら、真正面から批判する当事者も反省を迫るメッセージもなく、市井に埋もれている一人の天才数学者という「外的な解決策」に頼っているあたり、いかにも日本らしい、行き届かない風刺だとも思う。

風刺の未熟そのものがかえって皮肉にさえ見える。

 

日本人お得意の、人的、社会的な問題について、技術的に解決したがる思考パターンというか逃避パターンはいつどこで始まったものなのか、興味深い。

技術というのは、使用者(当事者、ひいては社会)そのものが持つ課題をそのままに、問題を解決する力を持ちうるので、技術を答えにしたいときこそ、技術以外の問題が自分たちそのものに隠れていないか、逃避として技術に頼っていないのかを考えないといけない(この点、社会問題をファイナンスという技術で何とかしようとしている自分も若干怪しいところではある)。


また、最後に登場する「戦艦大和は沈没する日本のより代」という秀逸な詭弁に及んでは、存在そのものが戦後まで明かされなかった史実に加えて、今の「日本を代表する」大企業の名前がいくつか頭に浮かんできて離れない。

勝つためになすべきことをなすために、それを考えうる指導者や技術者が、思考を放棄するために優れた詭弁を生んでしまう恐ろしさを伝えている。

いい加減、自分もそういう世代や立場になっていくわけで、明日は我が身という感じがしないでもない。

その意味で、脚本の面白さ以上に、後味の悪さが残る作品だった。天才の「大戦」というより「敗戦」というほうが、テーマとしてはふさわしい気がする。

シンゴジラもそうだったけど、風刺でがっつりぶった切るのではなく、玉虫色の結論をつけて、後味の悪い泥沼感を表現するのは最近の流行りなのだろうか。

映画としては面白いし、着想のオリジナリティが冴えわたっている作品。

ただ、時代性や今の日本と合わせると肌寒い。