Komaza 93・94週目:ファンドレイズの「推敲」
またしても2週分。
欧州出張のフォローアップ以降、10以上の会話が並行して進んで、文字通り忙殺されている。
並行して、DDのためのリサーチやリーガルの整理、ドナーによる監査などを進めつつ、ナイロビへの短期出張もこなす。
いっぱい書きたいことはあるけれど、ほぼ書けない内容だらけなので、メタファーで資金調達について書いてみる。
推敲という漢語の由来は、物書きが「戸を推す」のか「敲く」のか情景描写を悩む姿らしい。
資金調達を今の会社に来てから、携わってきて、ソフトコミットで言えば10億円を超えてきたところで、思うのがファンドレイズは間違いなく戸を「敲く」ことにあると思う。
投資家は向こう側、事業はこちら側、彼此の間には門が間違いなくあり、その扉を開けるのは投資家の判断である。
だから、DDにしても交渉にしても、事業側は戸を推しているだけで満足してはいけない。
淡々と求められるものを提出するだけでは、延々に扉の鍵を開けてもらうことはできない。
ディールを淡々と押し続けるだけの地力と相手に誠実に接することだけでは、クロージングは訪れない。
肝心なのは戸を推す行為ではなく、戸を敲く「音」だ。
戸を推したくなるのは、自分が行動することで、安心を得たいからだ。
ただ、その行動は果たして相手とその意思決定者にとって意味のあるものなのか。
肝心の投資基準に響くシグナルを伝えることができているのか。
鍵が開いたときに戸を推せるだけの力を持ったうえで、きちんと相手に伝わる音をこちらが発しているか。
相手が必ずしも聞きたい音を知っているとは限らない。
音は発信と着信に時差がある。
それらをすべて考慮できているか、あらためて自省したい。