気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

宇沢弘文「社会的共通資本」

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この本は、日本の冠たる経済学者、宇沢弘文が提唱した社会的共通資本に関する論文をまとめ、編集したもので、経済学の世界におけるコモンズの位置付けに始まり、交通、自然、教育、医療に至るあらゆる社会的共通資本について考察した意欲的な一冊。
岩波新書ということもあり、理論経済学の難解な数式なしの、オムニバス的な入門書になっている。
 
ざっくり内容をまとめると
  • 現在の社会制度の危機は、その背景となっている経済学的な思想とそれを知らず知らずのうちに体現している政策によって生み出されている。
  • コモンズをはじめとする、複雑でエンジニアリング的に変化を作り出しにくいものについて、純工業社会的な合理主義を当てはめること自体が、環境破壊をはじめとする社会基盤の根本的な危機になりつつあり、調和ある全体としての社会を壊している。
  • 社会というもの効率的資源分配をはじめとする経済学の前提のみで考えるべきではなく、経済学的な「最適化」が果たして社会の有りようとして最適なのかは、各分野の専門家も含めて議論されねばならない。経済学にその分野が合わせるのではなく、その分野の答えに経済学的整合性を持たせるべきである。
  • 農業であれば、工業と同じ単位生産性の議論からは農村が持つべき多元的な価値が見落とされ、結果的に農業全体の衰退が構造化してしまった。工業化・都市化・自動車化した社会は、人間を自由で解放された存在に果たしてしているのか、疑問が残る。教育についても、新自由主義的な制度変更が少なからず学問と教育の場のありようを変えてしまった。医療も、本来は医療上の課題として考えられるべき問題を、経済学的合理性で解決しようとするには無理がある。環境についていえば、自然の持つストックとしての性質に加え工業製品と対照的にコントロール困難な回復といった部分が無視される中で、社会的共通資本が本来受けるべきFiduciaryな管理が行われないまま、破壊が進んでいる。
 
社会のニュアンスや実情を無理やり「合理化」しようとしていくメインストリーム経済学者・政策立案者へのヒューマニズム的な批判であり、そいういう意味では非西欧社会の社会科学者が国際金融機関を通じた西欧による新自由主義政策の押し付けを批判していたのと同じような雰囲気を感じる。
著者の場合は、一高時代の農村出身の同級生達から聞いた農村の姿や、ケンブリッジで体験した自由闊達な大学運営も、各論を形作る原体験になっている。
 
一方で、この本の面白さは、単なる既存の経済学・政策批判ではなく、「社会的共通資本」という代案を提示したことだと思う。
つまり、農業や教育や医療といった各論のみを検討するのではなく、そうした領域がすべて備えている共通のパターンとして「社会的共通資本」という概念を生み出した。
社会の理想的な姿は人にとって正しい社会を考えることで、個々の生産性や無限の資源供給といった経済学の前提条件では測りきれない、社会の複雑な姿に焦点を当てる内容だ。
 
宇沢先生の他の論文を読んでおらず、この本限りについての感想になるのを先に断った上で、唯一惜しむらくは、この本で彼が何度か触れているFiduciaryな社会的共通資本の管理方法についての言及が限られていること。
何を守るべきかについてはなんとなくわかるものの、どう守るべきかについては、(経済学というより行政学やマネジメントかもしれないけれど)判然としないものが残った。
というより、この辺りこそ、我々実践者が答えを出していかないといけない気がする。

 

社会的共通資本 (岩波新書)

社会的共通資本 (岩波新書)