気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

関心領域とその見通し

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1.ソーシャルファイナンス

ベインでのインターンでブリッジスパンというNPOコンサルに出会い、そこからビジネスの技術を社会課題解決につなげるというコンセプトとしてのソーシャルファイナンスにたどり着いた。

やること自体に価値を見出す従来の「慈善」ではなく、結果にコミットして変化を味方につけて課題解決をする手法として注目している。

世界的に見れば、すでにある多くの事業をいかに効率的に支援していくか、既存ビジネスに取り組んでいくかを考える上で、金融・投資の果たす役割は大きい。

システムチェンジを起こす上で、システム上流に食い込むことが求められる今、社会企業ブームのまさしく最上流にいるのが、この分野。

ただし、これまでNPOやソーシャルセクターが中心に仕掛けてきたこのムーブメントも、大手投資銀行や国家、グローバル企業が続々と本腰を入れて参入してくる中で、ビジネス色が強くなっている。

ビジネスセクターが抱える人的・経済的リソースを集中投下して生まれたESGやPRIといった業界ルールがさらに煮詰められれば、これまでソーシャルセクターが担ってきた役割のかなりの部分を従来のビジネスセクターが奪っていくことになるのではないかと直感している。

この意味で、ソーシャルが熱いから、ソーシャルセクターに入ろう!というのは安直かもしれない。むしろ、コテコテのビジネスサイドから、いかに社会を包摂したソリューション提供をできるか考えるほうが、時代の流れにあっていると思う。

もしソーシャルにいるのなら、ビジネスサイドに思いっきり舵を切らないと、競争優位性を維持することはできない。

 

2.雇用と教育

Year Up Japanを立ち上げたい、というのはかねてから温めてきた事業テーマ。

少子高齢化が進む日本において、これまでドロップアウトとして社会から排除されてきた若年層を積極的に取り込むことは非常に重要。

学歴が安定所得に結びつかない昨今の社会情勢を見れば、むしろ効果的な職業訓練と仕事探しこそが安定所得を提供する鍵になっているのではないかとの仮説を持っている。

そこにどのような要素を盛り込めばいいのか、ネタを集めて一回立ち上げようとしてみるのもいいかもしれない。

 

3.新興国投資

Leapfrogging と呼ばれる新興国ならではのイノベーション形態が非常に熱い。

直訳すると「蛙飛び」という意味だが、実際には先進国に新興国が追いつく過程で、先進国が踏んできた発展段階を飛び越してイノベーションが進む現象のことを指す。

例えば、アフリカではインターネットにアクセス際に、90%の人が携帯電話を使う一方、パソコンからネットに繋ぐのは10−20%程度と言われている。

つまり、日本などの先進国では、インターネットの接続媒体としてパソコンが先に普及し、その小型版であるスマホがのちに普及したのとは対照的に、最近になってスマホや携帯電話が先に普及したアフリカでは、携帯がパソコンをすっ飛ばしてネット接続の主役になっているのだ(もちろんパソコンより携帯のほうが安く、電話回線経由でネット接続が容易で、なおかつ電力供給が不安定でもバッテリーが持つなどの副次的な理由はいくつもある)。

 

新興国というとあらゆるサービス・商品が不足する中で、その膨大な需要を満たす経済成長の過程で、ダイナミックな事業ができることが魅力という印象があったが、日本の投資環境とアフリカなどの新興国の投資環境を見るとそれ以上にキーとなるのが、何もないが故の参入障壁のなさだ。

日本でもUBERやAirbnbが規制や業界団体にブロックされたり、新しくて社会をよりよくしそうな事業が古いシステムの周辺にいるアクターと折り合いがつかずに上手くいかないケースが散見されるが、新興国ではこうした「不可能性」を生み出す障害がそこまで存在しない。

だからこそこれまでのサービス・商品・システムをアップデートするのではなく、ゼロから最適解を設計して実行できる。

夢を語ることは容易いが、すでにある現実を無視できない先進国と比べてはるかに創造性を発揮する余地があるのは途上国だ。

南アジア−東アフリカあたりは相当面白いんだろうなと思う。とにかくここは行ってみることが大事。

 

4.Political Communication/Political Representation

つい最近のBrexitで話題になった通り、民主主義の危機は進む。

経済発展により国民皆教育が実現し、中流階級の広まりは安定した市民層を作り出す、という20世紀後半の民主主義は、ハミルトンらがフェデラリストで危惧していた無知蒙昧で自己破壊的な大衆政治の再台頭の可能性に怯えている。

特に、拡大する経済格差は、統一されたはずのネーションを分断し、細かな亀裂を作り出すことで、周囲に隠されていた様々なアイデンティティの符号を顕在化させ、かつてよりもより狭い範囲でのマイノリティ意識やコミュニティ意識を芽生えさせる。

そうした人々の行動は、思慮深い政治エリートに取ってますます受け入れ難く、また世界の安定にとっても重大なリスクになりうる。

こうした中で、新たな政治的制度やナラティブが求められる中、世界はどう意志を持って世界を動かすのか?

どちらかというと分析的であったポリティカルエコノミーの世界にあって、マルクス主義以来の大掛かりな社会的テーゼが要請される今こそ、この分野は面白い。

あー、卒論の続きが書きたい!