気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

【最終回】未来への仮説:インパクト・インベストメント

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今回はインパクト・インベストメント特集最終回!

過去の投稿はこちら↓

            ① “Private Capital, Public Good”

            ②政治とインパクト・インベストメント

            ③Impact Investingはただの慈善なのか?

            ④課題は見えないリターン

 

 

ここまで投稿を読むと、やはりインパクト・インベストメントもしょせんは一過性のブームかと考えてしまう人も多いだろう。

確かに、ややトレンドのようになってしまってはいるものの、僕はこれが実際に21世紀中盤までの世界の途上国の発展を大きく変える存在だと感じている。

 

まだ誰もやっていないので、可視化しやすいところから投資できる 

ファーストムーバーは、市場を作るために、情報共有の仕組みや信用評価、事業運営を支えるネットワークなどのインフラをつくるコストを背負うことになる。

純粋なビジネスとして考えると、市場が形になるまで少し待ってから参入する方が遥かに効率も良いし、実際に途上国市場やBOPビジネスに興味をもっている大企業も軒並みCSRなどを通じてやんわりと存在感を出しながら、本格参入には踏み切っていなかったりする。

 

そういう意味で、「世界を良くすること(貧困撲滅)」をミッションに掲げるゲーツ財団を始めとする、先進的な財団/ファンドの貢献はやはり大きいと思う。

彼らが一番泥臭くてお金のかかる市場開発の基礎をやりさえすれば、まだ手つかずの巨大マーケットのポテンシャルは自ずと明らかになるのだ。

一通りの経済発展を終えた先進地域とは違い、発展途上地域には「当たり前のもの」が不足している。

公衆トイレといった衛生設備、田舎の作物や工芸品を大都市に売りにいくための販売網、そうしたものを扱うお店。

日本では当たり前だと思っているほとんどのものが、実は全く当たり前ではないのだ。

だから、例え先進国では「そんなの別に新しくないじゃん」といわれるようなサービスも、途上国では大歓迎される。

彼らが求めているのは時代の最先端だけではない。普通の生活や普通のビジネスを苦労なくするための基礎的な設備なのだ。

そんなものでさえ足りていない社会では、当然ながら供給する側がありがたがられる。

世界で誰にも真似できないものを考えても、次々と新規参入が出てきて、あげくは別の分野のイノベーションに流行を奪われてしまう先進国の成熟したマーケットよりも、あらゆる「不足と欠乏」が既に顕在化している新興マーケットでやるべきことはクリアだ。

 

もちろん、新興国ならではの苦労もある。ただ、そうした障壁を乗り越えてこその起業家なので、そこさえハックできれば機会は無限にある。

当たり前のインフラがなくて困っている人々の生活が目に見えて改善していくのを見て、一時ばかりのブームを生み出す以上の喜びを感じる社会起業家も少なくないだろう。

ということで、実際に成功した時に与える社会インパクトは、先進国以上に明確なのかもしれない。

 

 

ビッグデータなどを使って社会的価値が可視化される

これはむしろ学術的と言った方がいいのかもしれないが、長期のデータ蓄積が行われれば、それに基づいて統計的に施策の効果を可視化できるようになるかもしれない。

言い換えれば、社会インパクト測定のイノベーションだ。

 

世界の一体化はオンラインを通して進んでいる。技術の進歩があらゆる人、もの、金の流れをデジタルの世界で可視化する日がくるのもそう遠くはないだろう。

(今だって、オンライン上のログを基にターゲットを絞った広告を数ドル単位で発注できる世の中だ)

世界のデジタル化は、情報生産のコストを大幅に下げ、これまではなかなか難しかった投資をより手軽に、確実に実行できるようにするだろう。

 

こうした、これまで記録されてこなかった人々の活動がデジタル化され、社会起業家がもたらすインパクトを定量的に分析できれば、これまで以上に効率的により大きな社会的インパクトをもつ事業への集中投資が行える。

同時に、これまでソーシャルアントレプレナーたちの活動に懐疑的だったビジネスマンや政治家、一般大衆にもより具体的な根拠を持って、賛同してもらえるようになるかもしれない。

 

社会問題が先進国の致命的課題になる

 「グローバル化」という言葉が世に出て久しい。

ヒト・モノ・カネの流れが国境を超え、ことによっては地理的な境界にほとんど制限されなくなる時代の影響は、ビジネスだけに収まらない。

一国での貧困も国境の中に収まることがない。それは飢餓や疫病、絶望から逃れようとする人々となり移民問題を近隣に引き起こすかもしれない。

しばしば新興国が直面する環境問題も、中国からの日本へ汚染された空気が流れ込むように、他人事ではなくなっていく。

人々の営みがグローバル化すれば、社会問題も国境を越えるのだ。

そうした意味で、例え自分たちが先進国に暮らしていても、途上地域での社会問題を解決しなければ、自国の問題を解決できない、ということだって十分起こりうる。

途上国での社会課題の解決と社会の安定的成長は、先進国の人々にも、慈善にたいする満足感以上のメリットがあることを忘れてはならない。

 

※余談だが、こうした環境や貧困と先進国市場での経済活動には密接につながりがあることは近年学術界でも広く認知されてきた。

例えば、新興国=空気が汚い、というのは、必ずしも後進国が環境に対する配慮をしていないから、だけではなくて先進国が環境に配慮するコストを削減するために、同じ工場でも環境規制が緩く、コストのかからない途上国に高汚染の事業部門をアウトソースしているだけとも考えることができる。

同様に、貧困に関しても、先進国が高付加価値の部分、特に知的財産を特許に寄って独占した上で、後進国には単純労働以外がいかないようにしている、と非難する見方もある。

これが世界の現実とまではいかないまでも、世界がつながっている限り、日本に暮らしている日本人にだって世界のことを考える責任があることは銘記されるべきだ。

 

さて、最後に、先進国にとって社会問題は自国の社会基盤を揺るがす重大な問題になりつつある。

例えば、日本の高齢化。

こうした社会問題を政策任せにしたり、従来の慈善的なNPO活動にばかりゆだねたりしても、解決しないことは歴史を見ればわかるはずだ。

経済成長で誰もが豊かで、個々のプレーヤーが余剰を適当に使って社会課題をごまかせた時代はもう終わっている。

先進国での社会問題は、ひいては経済の停滞につながるばかりではなく、無理な移民政策や国土の荒廃など、社会の根源を揺るがしかねない危険性を秘めている。

そうした問題を解決するために、これまで政策や慈善活動に投げられていた分野を、最小限の努力で次々に解決していくことが求められる時代がすでに到来しつつあるのだ。

 

このように、社会インパクトを最大化するための投資、というソーシャル・インベストメントの考え方は、新興国、先進国を問わず世界中の人類の発展に不可欠なツールになるだろう。