ビル・ドレイトンとサシで話してきた
朝一番、いつものようにコーヒー片手にエレベーターを待っていたら、見覚えのある、ひょろひょろしたおじいちゃんがやってきた。
それが誰なのか気付くや否や、“You must be Mr. Bill Drayton!” (「あの、ビル・ドレイトンさんですよね!」)と思わず声を掛ける。
文字通りのエレベーターピッチで、20階のオフィスまでのわずか1分ほどを狭いエレベーターで二人だけで話をする。
あっという間の出来事で、ほとんどは自己紹介や、今のインターンの話で終わってしまった。
もっと色々話せたのにと、自分のデスクに戻ってから反省しながら、自分の尊敬する人物と言葉を交わした興奮に浸った。
僕がビル・ドレイトンと初めて会ったのは、2010年、大学1年生のことだった。
早稲田で開かれたセミナーで、彼が講演していた。
大学に進学してみたものの、将来への展望も、情熱も失いかけて腐っていた自分に“Give permission to be yourself”という言葉が刺さった。
講演に行った夜、すぐに片言の英語で手紙を書いた。
詳しくは覚えていないけど、確かすごく共感したこと、そして今何も自分ができていないことが悔しいことを、ぶつけたのだと思う。
それから数ヶ月も経たないうちに、僕は留学をする決意をした。
霧の中にうっすらと浮かぶ、「ありのまま自分」に向けて舵を切ろうと、不安から何度も逃げようとしながらも、踏みとどまった。
Even if I give myself that permission, who should I be?
「自分が何者か?」という根源的な問いに気付いてすらいなかった4年前の自分には、漠然とこの方向なら何かが見えるかもしれない、という希望以外の何もなかった。
にもかかわらず、勇気を持って海外を目指せたのは、彼の言葉がおおきかった。
あれから4年。
僕は慶應をやめて、ブラウン大学へ編入した。
小さい時から興味を持っていた政治や外交、そして歴史に入り浸りながら、生まれて初めて学校が楽しいと感じた。
真剣に学問に取り組む仲間や、それを支える教授のことを思って、うれし涙が出た。
課外活動は、最初に師事した先輩から、プロジェクトのいろはを習い、あとは流れに任せて、自分の情熱をぶつけた。
テーマこそバラバラでも、学生活動家として納得のいく仕事も一つくらいはできた。
でも、これは「自分になる」ための序章に過ぎなかった。
大学という、自由でリスクのない環境で、好き放題やりながら自分の得手不得手や情熱と向き合うのは、将来自分が一生を傾ける分野を見つける第一歩だ。
卒業を一年後に控え、僕は「社会問題の事業化」をテーマにした。
留学生として最高の経験をつめる場所に行くために、そして実際に世界をリードする機関で何が議論されているかを見るために、僕はアショカへ応募した。
今更だけど、これも偶然だ。
たまたま自分の興味を追っていたら、いつのまにかアショカへたどり着いていた。
今僕の胸の中にある、ぼんやりとした頼りがいのない確信が、少しずつ形を持ち始めているのを感じる。
まだまだ時間はかかる。でも今ここにいる自分は絶対に正しい、そう僕の中の「自分」は言っている。
怖いこともたくさんあるけど、今回もまた、僕は自分の直感に従おうと思う。