気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

スタンフォード1-2週目:

日本での短い滞在を終えて、カリフォルニアにやってきた。

ホテルに一泊して体を休め、翌日からはMBAプログラムが始まる前の学生有志の旅行(Trip)で、タホに向かう。

MBAに行く学生は6月末か7月末には仕事を辞めて、夏の間は南米やアジア、ヨーロッパで旅行して友達作りをする。

自分はこれまでのイベントには参加できなかったので、出遅れを取り戻すべく、タホにやってきた。

Airbnbを事前に予約して10人程度が一つの家に泊まり、エリア全体で約300人くらいの学生が集まって連日パーティーやソーシャルをする。

当初やる気だけは十分だったので、House Captainに名乗りを上げたのだが、Climate やSocial Enterpriseというテーマとは裏腹に、思いっきりAsian Onlyなメンバー構成になってしまった(今後のチーム募集は気を付けないといけない)が、それはそれでワイワイできて楽しかった。

タホでは山火事が発生していて、気候変動の勉強をしようとしている自分にとっては、象徴的なスタートとなった。

 

周りの学生は、経歴もさることながら、Type A Overachieverがとても多い。それなのに、誰も自己紹介で仕事の話をしないし、勉強の話もしない。でもどこかで緊張感はあって、みんな自分が落ちこぼれではないかというImposer Syndrome気味なのではないかと感じた。

自分の場合は、なんとなくキャリアの方向性も見えてきているので、将来への不安はさほどない。20代半ばとかで本当にキャリアの自由度がある人はいろいろな意味で大変なんだろうなと思う。

大学はパーティーしてChillすればいい、とか言っていた人が、コース選択の話になると夢中になって調べ出したり、Placement Examの勉強をしているのを見ると、やっぱりな、という気持ちになる。

みんな努力してきた人たちだし、無事にGSBにたどり着いた安堵と、これから頑張ろうという興奮とが入り混じっている。

今のタイミングでは何とも言えないけれど、スタンフォードの雰囲気として、世界で一番厳しい競争を勝ち抜いた人たちが、あとは自由にやってくれ、と言われている感覚がある。

試験にせよキャリアにせよ研究にせよ、外的な尺度での評価に徹底的にさらされた後で、本当にオリジナルな業績や仕事ができるのかを問われている。ほとんどの人は、そのまま幸せに暮らせるわけで、オリジナルにこだわりぬいて狂人のように固執した人が、本当の意味で評価されるのではないか。

まだ言葉にもできないし、スタンフォードを主語にするにも経験が足りないものの、気配としてすでに感じるものがあった。

 

火曜日にタホから戻って、そのまま寮に入る。

学部時代とは対照的で、きれいで広々とした設備(値段が違うからしょうがない笑)だ。

MBAは学部以上にソーシャルが大事だし、社会人としてのレピュテーションもあるので、ちゃんときれいにした笑

ソーシャルのイベントに参加しつつ、金曜日はオリエンテーションの一日目があった。

セクションという小グループの集まりもあり、「寿司パーティーやるぞ!」宣言を調子に乗ってしてしまった。

これも、学生の仕事だと思うので、YouTubeでのお勉強頑張りたい。

 

入学式で面白かった話

GSBには正式な「入学式」は存在しないようなのだが、オリエンテーションの最初のセッションは大講堂でディーンやアドミッションのトップがカリキュラム紹介を兼ねたスピーチをする。

備忘録的な意味も含めて、面白かった話を書いてみる。意訳とキーワードなので、正確なQuoteではない点、注意。

  • GSBの目的は、卒業後によい仕事につくためではなく、生涯にわたってよいキャリアを歩むためのツールを提供すること("prepare for carreer, no a job")。
  • MBAは、望遠鏡のようなもので自分の視野を広げ遠くを覗き見る機会。PhDは限られた範囲を細かく見極める顕微鏡のようなもの。視野を広く、遠く持ってほしい。
  • 教育というのは、違いに出会うこと(”education is about encountering difference.")。好奇心をもって様々な経験をしつつ、何事も決めつけない姿勢でいるべき(”Be curious, not judgemental")。
  • 大胆な挑戦をしよう("Strive for something great!")。
  • 2年間は、リスクをとってどんどん挑戦できる。結果として失敗したり、周囲に迷惑をかけてしまうことは仕方がない。ただ、意図したかしないかによらず、きちんと責任をとれるかどうか、誠実な対応ができるかに、オーナーシップの有無が問われる(”own actions")。
  • GSBが多様性を重視するのは、実世界と同じくらい多様な学生を集めて、彼らをリーダーとして育てれば、世界を変えることができると信じているから。
  • 優れたリーダーは自分のことを特別な存在とは思っていない。誰とでも仲良くなれて、自分の弱さを見せたり、失敗を恐れずにリスクをとったりできる。
  • 世界で最も優れた教育機関に、厳しい競争を勝ち抜いて入学した学生には、未来を変える、世界を変える可能性がある。ただ、可能性を能力に変えるのは、学生にしかできない("Turning potential into capacity")。
  • "At Stanford, you're in the heart of an ecosystem and a culture that is unlike anything else I've seen in the world. It's because people's ambitions are that much greater...[e]veryone is interested in changing the world, and they satart with the biggest of dreams...theecosystem around here is supportive of trying to help people realize those ambitions." (英国首相候補でGSB卒業生のRishi SunakのQuote)

 

こんな感じで、自分でも信じられないことに学生生活が始まった。

日々いろいろなイベントがあり、Fear of Missing Outやプレッシャーもなくはないが、好奇心をもって、何もしない時間を楽しみたい。

詰め込みまくってしまいたい衝動はあるし、能力が試される環境でゴリゴリ挑戦したい気持ちもあるが、Open Mindで新しいことを試すには、心にもスケジュールにも体力にも余裕が必要だ。

ちょっと不安になるくらいどっしり構えてみようと思う。

焦らずたゆまず、まずは慣れることを目標に、進んでいきたい。

258-259週目:Komaza最後の日に思うこと

とうとうこの日がやってきてしまった。

始まりがあれば終わりがあるのは、世の常なのに、どうしても実感できない。

毎日の延長に明日があり、今日の頑張りが明日の仕事に繋がっていく実感を持って仕事をしてきた5年間が、今終わろうとしている。

「明日の心配をしなくて良い」という事実が受け止められない。

仕事が僕を放してくれないのではなくて、僕が仕事を離れられない感覚。

この半年間はTransitionのために必死になっていたのが、気づけばチームは万全の態勢で、自分だけ何の心の準備もできていなかった。

「而立の年」なんて言いながら、結局は自分の存在意義を仕事という外部に求めていた心の弱さに腹が立つ。

 

何も見えないまま飛び込んだ5年前

Komazaに入社したのは、社会人3年目の2017年10月だった。

人一倍野心が強く、ソーシャルセクターで何かを成し遂げたい、という強い気持ちだけが先行して、どうしたらいいのかも、何に取り組むべきかも、正直全くわかっていなかった。

ただ、貧困と気候変動、そしてアフリカという21世紀の中心を担うであろうテーマを現場で感じながら、スタートアップの強烈なプレッシャーで自分を追い込んだときに、何かが見えてくるのではないか、という直感だけがあった。

オファーレターにサインした時、僕はケニアどころか東アフリカに行ったことさえもなかった。

最低限の生活費1,000ドルの月収で首都から遠く離れた人口5万人の僻地に住む。

とにかく自分を試したかった。自分の中にある野心や狂気を思い切りぶつけられる挑戦がしたかった。

オリジナルな仕事を自分で成し遂げる自信がなかったからこそ、オリジナルだと思った事業に飛び込んで、学生時代から10年以上事業を続けてきた起業家から何かを学び取りたいと思った。

 

そこからの激動の日々は、「想定通り想定外」としか言いようがない。

日本では有名な三菱商事も、海外に出ればMBBや投資銀行と比べて、何のブランド価値もない。

ゼロから自分の能力を認めさせ、自分のポジションを確立しようと必死になった最初の12か月。

初日から会社のビジョンを達成するうえでのファイナンスの役割をピッチした。

当時の「オペレーターからアセットマネジャーへの転換」という構想はそのまま5年間で実行できた。

ドナー周りの契約交渉やプロジェクト管理など慣れない仕事をしながら、資金調達をリードするようになった2年目以降。

自分一人では到底さばききれない仕事を何とかするために、自分のチームを持ったはいいものの、マネージャーとしてのトレーニングをろくに受けたことのない自分は、プレーヤーとしての自己の延長上で間違ったマネジメントを繰り返しては苦戦した。

シリーズBの資金調達は過酷を極めた。

生き残るために日次でキャッシュを管理し、18か月で20件のブリッジファイナンスをまとめながら、2-3年かかって当たり前と言われる開発銀行からのファイナンスに挑んだ。

生きるか死ぬかの仕事は、不可逆的な経験である。自分の限界にぶつかって、さらにそれを乗り越えざるを得ない状況で、初めてわかる自分の本性があった。

余裕がなくなり、生々しい感情にのまれたとき、職業人として最も創造的になれた瞬間があった。

 

生きるか死ぬかから、事業づくりへ

アフリカTop5に数えられたシリーズBが終わるとすぐに新しい仕事に取り掛かった。

長期のファイナンスが必須の林業において、Business Modelと同じくらいFinancing Modelが大切になる。

その転換点となるカーボンクレジットと証券化、さらにはコーポレートの強化、あらゆるイニシアチブを通じて、これまでの学びを事業に還元する。

資金調達を通じて理解した事業の課題を、片っ端から片付けていく。

自分のサポートをするためのチームではなく、優秀なマネージャーが自律的に活躍できる場を作り、チームで成果を出す。

プレーヤーとして身に着けた狂気と自信を手放して、全く違う働き方を模索した。

コーチングなどの力も借りながら、当たり前だと思ってきた原則論や思い込みを一つ一つ確認していくなかで、過去に周囲がいかに自分をEmpowerしてくれたのかをようやく理解した。

マネジメントとしての自分はまだまだ未熟だけれども、自分ではなくチームを主語にするという出発点には立てた気がする。

ベンチャーでの日々を振り返ると、人を突き動かすのも、限界になるのも、エゴの存在で、どうすれば人一倍強い思いを持ち続けながら、Selflessでいられるか、という精神的な課題にぶつかる。

ベンチャーを動物園に例える人もいるが、Komazaでの生活は次第に自分にとって一種の禅道場になった。

 

チームと仕事をする過程は、「自分にしかできない仕事」を減らしていく過程でもあった。

様々な可能性を同時並行で追求しながら、きっかけやクロージングといった節目を作っていく。

難しい状況であっても背中を任せられる仲間の存在が、なにより大切になる。

情けない話だが、自分は任せているつもりでも、どこか頭の片隅でオーナーシップを手放そうとしていなかったように思う。

本当に何度か限界を超えてしまった時に、当然のようにチームが”Don't worry! I got your back!"と声をかけてくれて、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、ようやく任せること、信頼することについて学ぶ契機を得た気がする。

彼らの存在があるからこそ、僕はKomazaを彼らに任せ、離れる決断ができた。

 

Komazaの可能性と自分自身の可能性

金融をツールとして社会に資するという意味で、今のKomazaでの仕事は、数千年単位でビジネスモデルが変わって来なかった、イノベーションから最も遠い林業の事業モデルを根本から変えるポテンシャルがある。
歴史的に、大地主や資本家、政府や投資ファンドが巨額投資をして運営してきた林業を、世界の貧困層10億人の60%を占める零細農家にも開放することで、経済発展から取り残されがちな非都市部の貧困を撲滅し、同時に世界最大の森林喪失源であるアフリカの森林回復に貢献するKomazaのモデルは、これからさらに必要とされるだろう。

 

僕のキャリアをつくり、育ててくれたKomazaには心から感謝している。

タフな交渉を切り抜け、不可能な案件を無謀なタイムラインで押し通してこれたのは、現場で日々愚直に素晴らしい仕事をするチームがいたからだ。

彼らに恥じない成果といえるか、投資家からのオファーは彼らの努力に報いる内容か、自分のなかの絶対的基準としてきた。

色々な出会いがあった5年間、とりわけ、投資家には夫婦漫才と言われるまでになった、起業家のTevisとの出会いは、かけがえのないものだった。

アフリカベンチャーのなかでも異端の存在として、常に投資家のスコープ外をさまよいながら、命を削って資金調達を続けた日々。

後悔しないことだけを目標に、全力でぶつかっていくなかでしか生まれない人間関係があることを学んだ。

一人のプロとして、Trusted Advisorとして、至らない自分を背伸びさせながら、何ができるのかを教えてもらった。

事業を教え導くには、経験もスキルも足りないこととばかりだったが、自分からも何かを彼にのこせたのだろうか、と今の僕は自問する。

 

(Founder & CEOのTevisと工場の落成式にて)

 

原点からの再出発

「まだできることがたくさんあるのではないか?」という問いは、新興国ベンチャーという可能性の世界に生きる自分にとっては、残酷な問いだ。

やれることはいくらだってある。やれることがなさそうなところにも、常に可能性はある。

だから、今回の意思決定と、Komazaに僕が見出す可能性は、無関係だ。

チームがいるから胸が裂ける思いがするし、チームがいるから任せられる気がする。

スタンフォードに行く話をしたときに遺留するのではなく、頑張ってこいと送り出してくれた彼らの心意気に応えられるのか。

「事業の構想やビジョンを聞くのを楽しみにしている」と言ってくれた彼らに恥じないアイデアを生み出すことができるだろうか。

Komazaを離れてなお、僕の真善美の基準には、Komazaの仲間たちの存在が残り続けるだろう。

 

ここにきて、僕は原点に立ち戻る。

ケニアでベンチャーに参画する時に抱いていたまっすぐな野心を、僕はまだ持っているだろうか。

なんでも学んで、自分のものにしてやろうという貪欲さを失ってはいないだろうか。

自分にも何かができるはずだという根拠のない自負と、自分にはまだまだ何もできないという悔しさと、その絶え間ない葛藤と向き合えているだろうか。

思い切って、次の一歩を踏み出そうと思う。

(やっぱりこの写真が一番気に入っている)

255-257週目:ありがとう、ケニア!

ついにケニアから日本へ帰国した。Komazaでの仕事は入学ギリギリまで続くし、ビザなどもあってほとんど自由時間はない。
帰国早々に寝込んでしまって、おかゆしか食べずに仕事と留学準備をしているという状況なので、なんというか毎度ギリギリである笑


とはいえ、ケニアでの最後の数日は、しずしずと迫りくる実感のようなものがあった。
ケニアでの4年と10か月、たくさんの思い出があって、最後の仕事も追い込みに入っている今、気持ちを整理できる状況ではない。
それでも、初めての新興国生活で、初めての東アフリカで、どぎまぎしながらナイロビの飛行場に降り立った日のことは忘れないだろう。
チームにも友人にも恵まれ、ソーシャルセクターやベンチャー、ファイナンスに携わる仲間もできた。
大変なこともあったけれど、とても充実した時間を過ごせたと思う。


ケニアに来る前の僕は、自分の想像の限界を超えるために行ったことのない国で、やったことのない仕事を強烈なプレッシャーをかけてやることで、自分のなかの地金のようなものを試せるのではないかと考えていた。
今の自分に5年前にはなかった美点や成熟が備わったのだとしたら、それはケニアという土壌に育てられ、砥石に磨かれたからだと思う。
20代の半分をケニアで過ごせたのは、とてもよかった。


スタンフォードから東アフリカに来ている学生や卒業生とも会っているのだけれど、まだまだマイノリティのようなので、渡米してからも何かかかわりを持ち続けたい。
東アフリカは、また戻ってくる気もする。
戦友たちがいて、仲間がいて、面白い事業がたくさんあるケニアは間違いなく僕のベースの一つになった。
異邦人の自分を温かく迎え、育ててくれたケニアに感謝している。Asante sana!

254週目:A Note to Myself

スタンフォード進学のリリースを出した。

tombear1991.hatenadiary.com

数日のうちにTwitterのフォロワーが2,500人ちかく増えて、インタビューの依頼が来たり、メッセージが各所から届いたり、正直驚いた。

リリースは事後的なものでしかないものなので、努力と評価の時差をきちんと認識しないと勘違いしてしまう。

今回の反響は、僕自身がどうこうというより、スタンフォードやMBA、気候変動というテーマへの一般的な関心の高さによるものだろう。

Benjamin Grahamの有名な言葉 ”In the short run, the market is a voting machine, but in the long run, it is a weighing machine”を借りるなら、今回や留学中の評価は、Voting Machineであり、Weighing Scaleではない。

Palo Altoも、よく言えばフットワークが軽くてクレージーさが評価されるが、悪く言えば軽薄な場所。流行に身をさらすことには意味があるが、流されてしまっては意味がない。

十分な武装と覚悟を持っていくのだから、堂々とやりきればよい。

 

ただ、Weighing Scale的な側面があるとすれば、それはずっと前から応援してくれて来た人たちだと思う。

大学時代から、ここに至るまで10年信じてくれた人がいる。

彼らを本質的な意味で裏切らないことが、何よりも大切だ。

同時に、期待に応えるのではなく、期待を超えるために、僕は自分の世界と向き合い続けなければならない。

逆説的に言えば、答えは今の僕のなかにも、応援してくれる人のなかにも存在しない。

もがきながら歩き続ける未来のなかにしか、可能性の極致は存在しえないのではないか。

 

Knight Hennessy Scholarsについては、実績が認められた嬉しさも、新しい挑戦への興奮もある反面、クローズドなElitismの世界に引きこもってしまうことへの恐れもある。

Stanford GSBだから、Knight Hennessyだから、で開けることのできる扉があまりにも多く、勘違いしてしまいそうになる。

気持ちの整理もかねて、以下の文章を書いていた。パーソナルな内容なので、公開しなくてもいいのかもしれないけれど、このブログは一貫して個人の備忘録でもあるので、原文のまま載せておく。

 

Authenticity

Congratulations. You made it. You are no longer nobody. The world started to see who you are and who you can be. That's truly fortunate.

But not being nobody doesn't mean you are somebody. It won't define who you are.

Keep your goals high, stay true to your authentic self, don't be deceived by who others think you are or who you think you should be. That's a trap. There's no true leadership there.  

 

Riding on the Wave

You need to ride on this wave. But you shouldn't let the wave decide where you go. 

Be the master of your own faith. Don't lose focus. Double down on what you have been pursuing when nobody cared about you. Nothing has changed. 

Don't fear being swallowed by the wave. Fear the failure to try and challenge the big wave.  

Be grateful for public recognition. These applauds are for your painstaking effort 10 years ago and for those who supported your journey; the applauds are not meant for you today.

 

Pushing the Boundaries

If you are not failing, you are not pushing yourself hard enough.

Try new things. If you are torn between yes and no, say no. If you want to say no, say yes. Now is the time to explore what you have never felt comfortable. 

Constantly reflect on yourself. Ruthlessly prioritize what you do. Drop everything that doesn't matter. There are not many opportunities in life when you can really do that. Now is the time. 

 

People around You

Don't forget those who believed in you before today. 

They are the ones who know who you are. 

Ask for their feedback. Change what needs to change and keep what they cherish in you.

Knight Hennessy Scholarとしてスタンフォードに行きます

今年の秋からKnight Hennessy Scholarとしてスタンフォード大学の経営大学院に進学することになりました。

学生時代に教育NPOで活動して以来、一貫して社会的インパクトとビジネスの結節点を模索してきました。

社会人になってからはインパクト投資をテーマに、ファイナンスのキャリアを歩んできました。

日本人初となるスタンフォード大学の全額奨学金リーダーシッププログラムへの参加を通して、身の丈に合わない挑戦を求めていこうと思います。

(奨学生の活動拠点となるDenning House:PC Tim Griffith)

 

Knight Hennessy Scholar

Knight Hennessy Scholarshipは、スタンフォードの全大学院に進学する学生を対象とした奨学金・リーダーシッププログラムです。

KnightはスポーツブランドNIKEの創業者フィル・ナイト、Hennessyはスタンフォード大学第10代学長で現在はGoogleの親会社Alphabetの会長を務めるジョン・ヘネシー。

スタンフォードにいるあらゆる専門知と経験を横断的に束ねるプログラムとして設立されました。

"Collaborate and prepare to address important challenges and opportunities facing the world"(世界にとって重要な意味をもつ課題や機会に取り組む)ことを目的に掲げ、ビジネス、エンジニアリング、医学、法学などのProfessional Schoolのみならず、文化人類学や社会学、自然科学まであらゆる分野から、70名の学生を選出しています。

選出された学生は、3年までは学費・生活費の全額が支給され、Denning Houseという専用の施設で様々なプログラムに参加するほか、在学中・卒業後も様々な支援を受けます。

合格率2%未満と呼ばれる狭き門であり、日本人としては初の選出ということで、とても嬉しく思います。

knight-hennessy.stanford.edu

 

人生を変えた一本の電話

学部時代に留学を決めた時も、新卒で就職活動した時も、「進路で悩むときは選択肢を勝ち取ってから考える」という方針をとってきました。

今回は、会社の仕事も忙しく、大学院に行くベストなタイミングか否かを考えていても、結局タイミングが合わないかもしれないし、仕事で転機があるかもしれないし、あらゆる可能性があるし、らちが明かない状況なだけに、「受からなければ選択肢も存在しないのだから、とりあえず受けてみよう」と考えました。

結果、出願したのは気候変動に特化したE-EIPERSプログラムやソーシャルイノベーションで知られるスタンフォード一校のみ。

合格通知を受け取ってからも、仕事でいっぱいいっぱいになっていて「今は考えられない」と無感情に先延ばしをしていました。

 

事業に関わる人々に誠実な選択をしなければならないという現実的な問いに加えて、「今の仕事は楽しく、やりがいもある。貧困と気候変動という人類の2大テーマを最前線でチームと解決する意義に勝る理由があるのか?」という問いに、どうしても答えが出せず頭を抱えました。

高額なMBAの学費と2年間の機会費用を払うより、自分で起業したほうが良いのではないかとも考えだすと、キリがありません。

アフリカベンチャーの第一線で仕事をするから見えてくる世界や、現場にいるからこそ出会う機会はどうなるのか、先進国の小さなバブルの中で本当に世界が変えられるのか、堂々巡りです。

 

悶々としていたある週末の夕方に、携帯にUSの国番号で電話がかかってきました。

"This is John Hennessy. Congratulations, you are selected for the Knight Hennessy Scholar program! Are there any questions I can answer about the program?"という声を聞いたときに、悩みが氷解していくのを感じました。

世界中のあらゆる分野でトップの人材を集めるスタンフォード大学が総力を結集するプラットフォームとしてKnight Hennessy Scholarsが設立されたことは知識として理解していました。

ただ、Googleの親会社Alphabetの現会長で、Marc Andreessenが"Godfather of the Silicon Valley"と呼ぶJohn Hennessy本人が合格者へのリクルーティングをしているという事実に象徴的な意味があるように思えたのです。

学費・生活費を全額支給、というのは世間一般の常識からみて破格の待遇といえます。

いわば「世界の食客」の立場で、「世界の課題」に自由に挑んでほしい、出来るかどうかは分からないが、最高のメンバーを最高の環境に集めて真っ白なキャンバスの前に立たせたら、誰も思いつかなかった何かが生まれるかもしれない、という、人類の未来を託されるような期待を感じました(少し大げさかもしれませんが、あまり外れてもいない気がしています...This is Silicon Valley!)。

肩の力がすっと抜けて、「ああ、この挑戦は受けて立たなければいけないな。Challenge acceptedだ」と思ったのを覚えています。

 

(Denning Houseその2:PC Tim Griffith)

 

気候変動をテーマに

Komazaでの仕事は、人類の20世紀の主要課題である貧困と、21世紀の主要課題である気候変動の結節点といえるものでした。

21世紀後半の人口動態の中心をになうアフリカというダイナミックな環境に身を置く意味も小さくはありません。

インパクト投資に関心を持った自分は、お金を動かすことよりも、お金を事業として形にして、インパクトそのものを生み出す過程を理解するために、5年前ケニアのベンチャーに転職しました。

貧困削減などと大上段のテーマで先進国から投資をするより、事業の作り方、経営のリアリティ、ステークホルダーとの関係などを現場で感じ取りたいと思ったのがきっかけです。

当初転職するために話を聞いたインパクト投資家たちも、業界に必要なのは投資ではなく現場で事業を作るリーダーだと口をそろえていました。

アフリカ、貧困、気候変動という今後1世紀を動かす主要なアングルが重なるKomazaを選んだのは、現場で日々奮闘しながらも、世界の未来とつながりを持っておきたいという、戦略的な判断だったように思います。

 

たった5年の間に時代は移ろい、当初はSmallholder FarmerがキーワードだったKomazaはClimate TechやNature Based Solutionsと呼ばれるようになりました。

気候変動が今世紀最も人類にとって重要な課題なのは疑いがありません。

貧困から気候変動へテーマが映るにつれて、改めて実感したことがあります。

それは、貧困には「現場」があるのに、気候変動には「現場」がないという事実です。

異常気象など局所的にダメージがありながら、根本では全地球的な課題であるところに、気候変動の難しさがあります。

目の前のインパクトがとりわけ重要な社会的インパクトの世界以上に、学術的な理解も含めた地球レベルの視座と、課題への専門性、さらにはローカルな泥臭いオペレーションのすべてを統合することが、21世紀を変える気候変動スタートアップには求められるでしょう。

その差分を埋めるために、分かりやすい現場を離れて、アカデミアの近くに身を置く決心をしました。

気候変動を解決するために、Climate FinanceとClimate Venture Managementのプロとして自分に何ができるのか、何をすべきなのか、大きな問いに挑む準備がようやく整ったのではないかと思います。

せっかく自由な時間があるからこそ、構造化やスコーピングができない、扱いきれない大きな課題にだけ挑んでいきます。

「これはいける!」という確信よりも、「これなら挑戦する価値がある!」と思えるかどうかを大切にしていきます。

 

Komazaでの5年間について 

20代の半分を捧げたKomazaを離れるのは苦しい決断でした。

チームや投資家などお世話になった方々に報告して、"I am so happy for you! Can't wait to see what you will do next!"と言われるたびに、正直胸の奥がズキズキと痛みます。

ベンチャーにいればやらなきゃいけないことは無限にあり、会社が成長する中で出来ることの幅もどんどん広がっていきます。

Komazaでの仕事は、始まりも終わりも、チームの存在が最も大切なものになるのではないかと考えています。

Komazaでの初出社の日にCEOに長期のファイナンスが事業の継続性・成長性に直結する森林領域のベンチャーには投資家と同水準・規模の専門チームが必要だとピッチして、Corporate Financeのチームを立ち上げました。

何人もの優れたプロフェッショナルが世界各地から集まり、業界を驚かせるディールや複雑な社内プロジェクトを実行してきました。

投資家がDDのデータルームをみて、”Best ever!"と感嘆の声を漏らしたり、新しいプロジェクトの現場レベルの創意工夫が業界のベストプラクティスとして取り上げられたりするたびに、現場で変化を形にしていく醍醐味を感じてきました。

スタートアップでありながら、いやだからこそ、業界を主語にして、メンバーひとりひとりが創意工夫をしている今のチームは、僕にとってかけがえのない存在です。

 

だから、生半可な覚悟ではこのチームを去ることは出来ないと考えてきました。

大学に戻るという選択は、もう一度自分をまっさらにすることでもあります。

ゼロから挑戦して、チームを驚かせるような成果を上げられるかと自分に問うたび、背筋がピンと伸びて胃がきゅっと締まります。

最近、チームについて言われて一番うれしかったのが、"They are not just a strong team. They are a team of strong individuals."という言葉でした。

優秀なメンバーがリーダーシップを発揮して、不可能を可能にしていく。

僕が最もKomazaを去りがたい理由は彼らチームの存在であり、同時に、僕が次に進んでも会社は大丈夫だろう、もっと成長するだろうと確信できるのも彼らチームの存在があるからです。

残りわずかですが、最後の一日まで自分の職業人としてのベストをチームにぶつけたいと思います。

(マサイマラでのオフサイトでチームと)