気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

参謀の道のり:Strategist, Trusted Advisor, Partner

Komazaに来てから、5年弱、起業家だけを上司にして仕事をしてきた。

来たばかりの頃は、無名の日本企業出身というハンディキャップを埋めるために、必死になって自分の能力を証明しようとしていた。

そこから案件を積み重ねて、徐々に関係性が成熟してきたのだと思う。

今自分がどんな関係を築けているか、どのように発展させうるか、というのは正直当事者には見えないものだけれど、ある程度一般化して、類型立てて考えることができるのではないだろうか。

スタートアップ経営やアドバイザリーの世界は百戦錬磨のプロたちが沢山いるので、ようやく登山口に立ったくらいの未熟な自分から見える、遠き頂の姿でしかないことを予め注しておく。

むしろ、分からないからこそ、書いてみることで想像力の粒度を高めたい。

 

#1:Strategist

いわゆる参謀であり、アイデアの鋭さ、仕事の的確さ、そうした職業人としての能力で勝負する世界。

戦略家になりたい、参謀になりたい、という人は多いが、人をサポートしたいとか、頭を使って世界を変えたいとか、威勢のいいことを言うわりに、行動で体現できている人は少ないし、アドバイザリーという立場の難しいニュアンスは見過ごされがちな印象を受ける。

そもそも、ビジネスの世界における「参謀」は役割であってタイトルではないので、参謀になりたいという人は行動を通じて役割を果たすところから始めるべきだと思う。

 

韓非子の冒頭「初見秦」にある「知らずして言うは不智、知りて言わざるは不忠」(訳:分からないことを分かっているように言うのは愚かであり、分かっているのに言わないことは忠誠心に欠ける)というアドバイザーとしての難しいかじ取りが求められる。

助言は、間違っていても、あっていても、最終的にはクライアントの裁量・判断にゆだねられる。

中国古典特有のドラマチックな表現であるが、「人臣と為りて不忠なるは死に当す。言ひて当たらざるも亦た死に当す。然りと雖も臣願はくは悉く聞く所を言はん。唯だ大王其の罪を裁せよ」(訳:人に仕える立場で忠誠心がないのも死罪、助言をして当たらないのもまた死罪に値する。そんなことは分かっていても、私は自分の思うところ・聞き及ぶところをすべてお伝えします。最終的な罪の判断は、皇帝陛下にお任せします)という一節は、助言を職業とする人々のジレンマをよく伝えている。

 

そもそも、当たっているか外れているか、自分の知識・予測・判断が正しいかなんてやってみないと分からない。

そして、たとえ結果が出たとしても、その功罪をどう判断されるかもまた、最終的にはクライアントに委ねられる。

実行せよ、となったとしても、現場の共感と行動が伴わなければ、良策も結果には結びつかない。

アドバイザーの提言は、鶴の一声となって絶大な影響力をもちうるし、同時に極めて無力であることも多い。

良い結果でも評価されないかもしれないし、悪い結果でも評価されうる。

毀誉褒貶や理不尽の不安を背負いながら、日々ひたむきにアイデアを研ぎ澄まし、エンゲージメントの質を高めていくことで、頭角を現していくしかない。

また、職位がアドバイザーではなくとも、問題が起きた時に、最も良いアイデアと実行力を持つ人間であればだれでも参謀として名乗りを上げることができる。

課題に応じて実力主義でポジションが決まっていく。フェアともいえるし、不安定ともいえる。

 

#2:Trusted Advisor

参謀としての実績が積み上がった先にあるのが、コンサルティングなどアドバイザリー業界で目指すべき姿とされるTrusted Advisorだ。

 

ホワイトハウスを支える大統領直属スタッフたちの生活を描いたドラマThe West Wingに登場する、"Do you have a best friend? Is he smarter than you? Can you trust him with your life? That's your Chief of Staff."という大統領の言葉は、Trusted Advisorの存在感をよく捉えているのではないだろうか。

 

参謀としての仕事は次第に複雑さ、難しさを増していく。

単なるアイデアで解決できる機会は減っていき、組織のポリティクスや、個人の感情を含めた多様なアプローチで影響力を行使して課題を解決まで導く必要が増していく。

参謀的なポジションはえてしてオペレーションチームの外に設けられるが、複雑な施策を解決するには、現場のチームを深く理解し、密接にマネジしなければならない。

組織のレポーティングラインを超えたリーダーシップを持ち得なければ、大きなプロジェクトの成功はおぼつかない。

解ける・解けないという世界でも、正しい・正しくないという世界でもなく、納得感やアイデンティティとの合致といったソフトで繊細な基準で、意思決定がなされるようになれば、アドバイザーもクライアントも、職業人としてのみならず、一人の人間として本音の会話をするようになっていく。

特定の領域における経験や専門性ではなく、「ボトルネックが見つかったから」という理由で呼ばれるようになる。

 

当然ながら、Trusted Advisorも最終的には参謀業であり、参謀のときと変わらない一策一策への注意力と献身が求められる。

一方で、Trusted Advisorの本源的な価値は、究極的にはアイデアでも解決策でもなく、存在そのものである。

その人なら解決してくれるだろう、その人に相談すれば新しい世界が見えてくるだろう、というクライアントの安心感と期待感が、Trusted Advisorを一般的な参謀と区別する。

求道者的なプロフェッショナリズムの先に、クライアントとの深い信頼が育まれ、アドバイザーとしての研ぎ澄まされた役割が生まれる。

 

感覚的な意義がアドバイザーとしての具体的価値にどう貢献するか、という疑問もあるかもしれないが、感覚的な意義こそが経営的価値に結びつきうるのだと思う。

ビジネスにおける課題の大多数は解決可能か、そもそも手を付けるべきではない解決不能な課題の2種類に大別される。

解決可能な課題が解決されないのは経営陣の気力とリソース投下、アプローチの方法等がしばしば間違っているためで、誤解を恐れなければ「解決する意志」と正しい手法の組み合わせでよって解決可能なものが少なくない。

だから、経営者やクライアントを本気にさせ、リーダーとしてのエネルギーを正しく向けさせるTrusted Advisorの価値は、個々の施策の集合以上のものになる。

参謀が優れた施策により解決を促すのなら、Trusted Advisorは経営者の意志と施策の両面を武器に変革をもたらす。

Trusted Advisorは、存在そのものが影響力を持ち、クライアントの職業上のインパクトを増幅させるようでなくてはならない。

 

Trusted Advisorと呼ばれるのは、アドバイザーにとって最も幸福で名誉な経験だろう。

クライアントにとって唯一無二の存在であり、クライアントを通じて自分にとっても唯一無二の仕事ができる。

同時に、忘れてはならないのは、Trusted Advisorがもたらす非線形的な価値は、助言と経営判断の分離という制約によってもたらされている事実である。

アドバイザーにはアドバイザーにしかできない仕事があり、経営者には経営者しかできない仕事があり、両者が揺るぎない信頼関係のもと各々の極限に迫ることで、優れた仕事が生まれる。

本質的な課題解決のための究極の分業形態と言えるかもしれない。

 

Trusted Advisorの役割はあくまでも助言であり、最終的な判断はクライアントである経営者に委ねられる。

時に経営者以上の影響力を持ちながら、No.2であり続ける点で、Trusted Advisorには細やかなバランス感覚が不可欠だ。

先に述べた求道者的なプロフェッショナリズムは、個人の美学や感性が反映される点において、独善的な事業観に向かっていく危険を常に孕む。

古代ローマ史におけるNo.2の煩悶と危険をマルグリット・ユルスナールは「ハドリアヌス帝の回想」で次のように語っている。

「カエサルが、ローマで第二の地位を得るよりは寒村で第一位であるほうがよい、といったのはもっともなことだった。それは野心からではなく、空しい栄誉を欲するからでもなく、第二番目の地位にある者は、服従か反逆かあるいはもっとも深刻なものである妥協か、この三つの危険のいずれかを選ぶしか術がないからである」

Trusted Advisorの絶大で特殊な影響力は、あくまで助言者としての軛(わだち)のもとに与えられる一時的な役割であり、長期間にわたってバランスを保つには厳しい規律が求められる。

Trusted Advisorにとっての本当の挑戦は、軛に活かされるか、殺されるのかという帝王学の古典的論点に帰着するのではないだろうか。

 

#3:Partner

Marvin Bowerをはじめとするコンサルティング業界の中興の祖たちが理想としたTrusted Advisor像は、アドバイザーとクライアントの関係性において目指しうる最も高い頂であろう。

他方、ビジネス全般に視野を広げれば、本田宗一郎と藤沢武夫、盛田昭夫と井深大、Warren BuffetとCharlie Mungerのように「と」の関係で定義されるパートナーシップが存在する。

しばしば異なる専門性を持ち、相手への尊敬と信頼、忠誠心に並ぶところがない。

遠慮のない議論が交わされ、直言をぶつけ合いながら、難局を乗り超えていく。

人格的な信頼があるからこそ、人格を互いに問い合う場面も生まれる。その過程で、ふたりの人格は挑戦され、更新され、統合された新しい人格を事業にもたらす。

 

アドバイザーとクライアントの関係が「分業」なら、同じ船に乗って違う持ち場から事業を作っていくのは「協業」である。

アドバイザーがあくまでも最終的にクライアントの判断を受け入れる立場なのに対し、パートナーは対等で補完的な存在だ。

どちらかが課題を持ち込み、もう一方が解決策を考えるという形ではなく、お互いに議論しながら解決を図っていく、より自由でダイナミックな関係と言えるかもしれない。

互いに独立しているから生まれるダイナミズムがあり、同時に二人がひとつのアイデンティティを形成しているから生まれる一貫性がある。

 

Partnershipを通じた協業の究極の形はどんなものなのか、残念ながら今の自分には想像も定義もできない。

代わりに、一つの理想形として、Hondaの創業者藤沢武夫の「松明は自分の手で」から、印象的な文章を抜萃して紹介する。

  • 「布を織るとき、タテ糸は動かずに、ずっと通っている。営の字のほうは、さしずめヨコ糸でしょう。タテ糸がまっすぐ通っていて、始めてヨコ糸は自由自在に動くわけですね。一本の太い筋は通っていて、しかも状況に応じて自在に動ける、これが経営であると思うんですよ」

  • 「(本田宗一郎と)明け方三時、四時まで話し込んじまうなんてこともしばしばでした。この対話から生まれてきたのが、本田技研のタテ糸になったわけですが、このタテ糸を性格づけたのは、本田のヒューマニズムであり、私のロマンチシズムだったといっていいでしょうね」

  • 「トップが一緒に行動する必要がどこにありますか?年中一緒であるということは、裏返せば、お互いの意思が完全につながっていないことを示すものではありませんか。タテ糸が通っていれば一見お互いにばらばらの行動であってもいいんですよ」

  • 「近代産業のトップ経営者の動きは、二十世紀後半の音楽みたいなものだと思うんです。グループでくっついていなければトップでないなどというのは、おかしい。トップは、それぞれの分野において独自の行動を果敢になさねばならないので、それぞれの行動の集積が一つの目標に向かう経営の世界をつくればいいんじゃないですか」

 

カリスマの強力なリーダーシップで成り立つ事業は星の数ほどある。事業の成功にパートナーシップが必要とは限らないだろう。

パートナーシップに見られる役割分担も、仕事の必要性から生まれた結果にすぎないと場合がほとんどだろう。

その根本をなすのは、人格と人格のぶつかり合いであり、対話であり、ふたりの人格の結果として生み出される新しい事業のアイデンティティである。

パートナーのどちらかが参謀かどうかはもはや関係ない。職業的専門性以上に人格的な補完関係がパートナーシップの基底をなす。

 

参謀の道のり

いづれのフェーズにあるかによらず、参謀の仕事は、経営者に寄り添うだけではない。
経営者が結果を出せることこそが、その本分であり、すべてである。
だから、起業家をいかに深く理解し、精神的な支えとなり、インスピレーションを与えられたとしても、事業が成功しなければ、参謀の仕事は失敗である。
困難を共にし、友情を育み、誠実に仕事して、全力を出しても、事業の成果が得られないなら、その起業家はより優秀な、「結果を出せる」参謀に出会ったほうがよかったのだ。
参謀という唯一無二のポジションをブロックしながら成果を出せない参謀は、不当な占拠者であり、その存在は正当化できるものではない。
この残酷な現実と向き合い続ける覚悟無しに、参謀は務まらない。

事業のボトルネックになる可能性を自覚し、真っ先に自らのクビを切れるか。

自分より優れた参謀(組織が大きくなれば個人に限らずチーム単位で考えることもできる)を見つけることも、育てることも、本来的には参謀の素養といえる。

Irreplacableな成果を出しながら、Replacableであることは、矜持であり覚悟であるかもしれない。
実力不足を誰よりも先んじて自覚し、参謀本人だけではなく、経営者の実力も高められるよう勉強しなければならない。

ましてベンチャーであれば、事業の成長よりも参謀自身がさらに早く変化し、適応し、事業の未来にふさわしい参謀の役割と機能を自分で定義し続けなければならない。
実力無き参謀など、ただのお友達にすぎず、経営にとっても事業にとってもDistractiveなごっこ遊びでしかない。

 

自らの現在位置と向かう先に意識的であること、すなわち、戦略家として自らのポジショニングに戦略的にアプローチすることは、職業上の最も基本的な嗜みといえる。

Strategistは、特定領域での戦略や意思決定に対して、助言をする者であり、助言の適切さと領域への理解がカギとなる。

結果が出せれば命が繋がり、出せなければクビ。シンプルな世界で、自分を研ぎ澄まし続けねばならない。

 

Trusted Advisorは助言をし、議論をし、互いに予想外の状況を突破する過程で、信頼関係が生まれることで、案件を超えた関係性を築き、影響力を広げていく。

Trusted Advisorとクライアントはお互いの強みと弱さを補完し合いながら、個別の協働の成否によらない関係を育む。

参謀は失敗したら終わりだが、Trusted Advisorには、失敗を共に振り返り、学びながら、Advisorとして成長していく。

またAdviseを受ける側も、Advisorからのフィードバックによって変化・成長していく。

二人のCollective Outputを評価するのか、Advisorの助言のみを評価するのかが、参謀とTrusted Advisorの違いである。


Trusted AdvisorからPartnerに至る道はさらに険しい。というよりは奇跡に近い。

よき参謀は、経営者の理解と信頼を得られれば、Trusted Advisorになることができるだろう。

一方、Trusted AdvisorがPartnerになれるかは、めぐり合わせの産物である。

PartnershipはAdvisorとClientという垣根を完全に失った対等な関係であり、そこにあるのは二人の人格であり、プロフェッショナルでさえないかもしれない。

互いへの信頼と尊敬、緊張感、そして相手を最大限生かすために自分を最大限生かすという姿勢が、互いの想像力を超える成果を生み出し、世界を作る。

二人の能力と意図に加えて、困難も好機もあらゆる運命的な要素が作用して、二人の人格を試し、変容させ、融合させて事業を形作る。

複数の経営者のTrusted Advisorになるプロフェッショナルはいても、複数のPartnerをかけ持つことはできないだろう。

Partnerと事業を作るということは、人生そのものを共にするということになる。

幸運と覚悟が求められる。

バトンを渡す

色々な人にバトンを渡されて、ここまでやってきた。

生まれながらに渡されたバトンもあれば、人生の道すがら渡されたバトンもある。

とても抱えきれない重さのバトンもあれば、持っているだけでどこへでも行ける気がするバトンもある。

さりげなく手渡されたバトンを抱えられるようになるために、何年もかかることだってあった。

バトンを受け取れることはPriviledgeであり、バトンを渡せることもまたPriviledgeだ。

 

いつしか僕は、バトンを受け取る側から、渡す側にもなるようになった。

ありがたさと、恐ろしさが同居する。

このバトンは、受け手を飛翔させうるだろうか、かえって重荷になってしまうのではなかろうか、そう自問しない日はない。

はたして、自分の手渡すバトンに価値はあるのだろうか、バトンの意味を分かってもらえるだろうか、そう疑わない夜はない。

長らく一方的な受け手であった自分が、渡し手の巧拙を知っていればなおさらである。僕は戦慄する。

 

それでなお、人は願いを託し、善意のかぎりを尽くしてバトンを渡す。

受け手がバトンを握ってくれるとは限らない。気づいてくれるとも限らない。それでも、人はバトンを渡し続ける。

その営みの高潔さと純粋さに、僕は何度勇気をもらっただろう。

そして、どれだけのバトンを、知らずに落としてきたのだろう。

 

15年前、ある本を贈られた。

高校生だった自分は、思春期らしい好奇心と反抗心の入り混じった気持ちでその長編を読んだ。

孫ほど年の離れたその人は、伝説とよばれた編集者で、中学生のころから何冊も本をくれては、僕に感想を求めた。

ただ、その本をくれた時だけは、ちょっと何かが違っていた。良い本だから、面白いから、ではなくて、「君の人生にとって大切な本になるから」という趣旨の、いつもと違うニュアンスがこもっていたのをおぼろげながら記憶している。

そんな出来事をふと思い出して、ケニアにその本を持って帰って読み直して、愕然とした。

当時彼が何を伝えたかったのか、議論したかったのかわかる気がする。否、今でこそ彼に尋ねたいことが山ほどある。彼は僕のなかに何を見出したのだろうか、そして、何を伝えたかったのだろうか。

彼はとっくに鬼籍に入ってしまっているから、もう何も聞くことはできない。

落としてしまったバトンに、ずっと後になって気付いた自分の鈍感が呪わしい。

それでいて、彼は当時の僕が理解することを期待していなかった気もする。

それくらい、深く遠く、暖かなまなざしを向けられていたことを、本を読みながら感じる。

その長編は、僕に生半可な答えを許してはくれない。人生を以て答えろと言わんばかりに、無数の難問を突き付ける。

道のりは遼遠だ。

不可能に挑む

挑戦するとは、どういうことなのだろうか、と考えることがある。

自分の限界を超えるという意味だったり、失敗するかもしれない恐怖を振り切るという意味だったり、使う人によって意外と定義が違う言葉のような気がする。

自分のブログを読み返してみても、「挑戦」という言葉は何度も登場する。

直感的には、挑戦とは、やる意義・価値が分かっているが、道のりが遠くはっきりとしないものだ。

成功に到る勝ち筋は、感覚的にはあるものの、具体的にどうなるかはわかっていない。

挑戦するからには、「できるだろう」「なんとかなるだろう」という微かな自信はあるが、それなりに苦労したり犠牲を強いられるのも分かっている。

プロセスが複雑で大変だが道筋がはっきりみえているものは、量的には挑戦とよべても、本質的には挑戦ではない。

 

挑戦は、想像力や実行力の限界を超える過程を意味する。

スポーツや芸術など、プレーヤー個人が高みを目指す領域では、挑戦の対象はしばしば競争相手よりも自分自身となる。

対照的に、実業の世界において、挑戦が克服する対象を自分の限界と捉えるのは狭量な考え方かもしれない。

世界は広く、多種多様なバックグラウンドの人と仕事ができる実業において、自分自身の延長上は未来の可能性のごく一部でしかないからだ。

優れた自分の先に、優れた挑戦があるとは限らない。

事業が社会に向けられた挑戦であるのなら、挑戦の主語は自分だけではなくチームであり、究極的には社会そのものになるはずだ。

 

本来、挑戦は、スケールが個人を超えるときに真価を発揮する。

Elon Muskの10年近く前のインタビューを観ていて、EVも民間ロケットも、夢のまた夢だった時代に、Most likely to failだが、Worth taking a shotだ、といって自分でも出来るか分からない中で私財をつぎ込んだ彼の「挑戦」のスケールに、圧倒された。

彼の挑戦には、出来るか出来ないかが、そもそも基準として存在していないように思える。

やるべきか、否か。価値のある未来か、否か。

そこだけを見つめることで、本人の想像力はもとより人類の想像力を超えた挑戦が生まれる。

ほとんどの人は懐疑的かもしれない。熱狂的なサポーターや奇特な支援者、そしてしばしば奇跡的なめぐり合せが、ひとつずつ不可能を可能にしていくことで、挑戦は具現化される。

ほどなくして挑戦は、リーダーになる個人のものである以上に、チームで共有されるものとなる。

自分の限界を問う以上に、世界に想像力の限界を問いかけるような挑戦は、人類の歴史を前に進めるようになる。

 

挑戦におけるもっともクリエイティブな瞬間は、到達点を定義するときだ。

そこから始まる困難の日々も、無謀な到達点を目指す中で生まれる創意工夫も、じつは二次的な意味しか持たない。

そして、挑戦における最も美しい瞬間は、到達点が、挑戦を始めた本人によるかどうかによらず、不可能ではないと証明されたときだ。

到達点の定義と達成の喜び、その二つだけに確信があるのなら、どんな困難が待ち受けようとも、挑戦する価値がある。

 

インタビュー記事やテレビ取材を見る限り、Elon Muskは、「そんなアイデアは絶対にうまくいかない」と批判されても、「絶対にうまくいく」と反論することがない。

失敗の可能性や失敗しうる数多の理由をぐっと飲み込んだうえで、挑戦が人類の未来にどんな意味があるのかだけを答える。

できるかどうかへの不安を上回る、やってみる価値への確信が、彼の挑戦の原動力のような気がする。

ただ、挑戦が人類にとって意義を持っても、挑戦を率いる本人にも人間としての限界はある。

Elon本人はPayPalで築いた資産と借入200百万ドル超をTeslaとSpaceXに投入して、それでも何度となくキャッシュがつきそうになっている。

Charlie MungerにTeslaなんて倒産すると罵倒されたときや、少年時代のヒーローだったニール・アームストロング宇宙飛行士にSpaceXを否定されたとき、彼は”Sad”という短い言葉で自分の気持ちを形容していた。

 

到達点と意義がわかっていても、その間を走り続ける不安と葛藤は、本人以外には想像できない世界だろうし、ここにもう一つ、個人としての挑戦が存在している。

10年以上「不可能」と言われてなお挑戦を続けるには、超人的な努力をしながらも可能か不可能かを運命にゆだねばならない。

可能であって欲しいという願いの世界の中で、自分の挑戦の意義のみを問い続けるしかない。

不可能に挑む者が世に問うのは、試みの可能性ではなく、未来の意義であろう。

 

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229-230週目:ベンチャーの日常業務における成功と失敗という幻想

ベンチャーの日常業務における成功と失敗の不確実性について考えていた。

ベンチャーの事業としての成功は、産業や社会へのインパクトだったり、プロダクトの普及だったり、教科書的には利益と株主への価値観減だったりと、大枠として既に議論されていて、ステークホルダーの間にも一定の合意が存在する。

他方で、想定外のトラブルが発生したり、業界がいきなりホットなEmerging Theme認定されて思いがけない機会が舞い込んでくる、アフリカベンチャーのカオスな日常において、日々の意思決定について一概に成功と失敗を判定することは難しい。

もちろん、当初想定していた効果を達成できたか、というKPI/KGIレベルでの判断はできなくはない。

ただ、存在しえた他の選択肢の幅が広く、また、短期的には成功と思えたことが後で大失敗のもとになったり、何の変哲もないアクションが思わぬ成功に結び付いたりと、経営陣の認知の枠を超えてインパクトが広がっていくことが少なくない。

さらには、スタートアップは、自分の管掌領域外もぐんぐん伸びたり変化していくので、すべてを想定しきったうえで判断を下すことさえ危うい。

 

結果的に、アップサイドとダウンサイドを一応考えて、上限と下限だけでも明確にしたうえで、リスクをコントロールしつつ、アップサイドをつぶさないようにする、繊細な舵取りが求められている気がする。

スタートアップにおける経営行為は、大上段の戦略や事業転換以上に、日々の細かな意思決定の重なりが生み出すもので、一度決めたら終わりの「意思決定」という言葉よりは少しずつ調整を加えていく「舵取り」という言葉のほうがしっくりくる。

わからないことが、わからないとき、人はどうしても説明を求めたくなるし、理解を確立したくなるし、全貌が見えなければ見えないほど、判断をいそぎたくなる。

 

自分は、人一倍せっかちで、同時に不確実性が苦手なので、どうしても考え過ぎてしまいがちなのだけれど、"The answer is the misfortune or disease of curiosity"という言葉に最近出会って、考えを改めようと思った。

判断がつかないことを受け入れて、そのままにしておける心の広さ(それでもどうせ考え続けてしまうのだろうけど。。。)というのは、新興国ベンチャーのように可能性があまりにも広く、予測不能な場合、重要な姿勢なのだと思う。

ここで無理やり考えを急いだり、拙速に判断したりすると、自らの足をすくうことになってしまう。

スタートアップの世界でしばしば「やめないこと」「成功するまで続けること」が成功要因として挙げられるのは、まさに答えを求めて自らの可能性を閉ざしてしまうケースが少なくないからなのではないだろうか。

 

戦略やビジョンのような設計図も大切かもしれないが、スタートアップの日々の仕事には、いろいろな不確実性があるなかで、心折れずにレンガをひとつひとつ積んでいくようなところがある。

自分がレンガを積んでいるときは、無意味に思えたり、苦痛だったりしても、ふと振り返った時にしばらく前よりも建物が立派になっていたり、失敗だったと思った部分が予想外の効果を生んでいたりする。

レンガを積んでいるのは、自分だけではない。チームの誰もが自分の持ち場や、しばしば持ち場を超えて、レンガを持ち寄っては積んでいく。

難しい局面で、事業や個人を支えてくれるのは、こうして積み上がった無数のレンガである。

大上段で考え抜く仕事だからこそ、人が働くことで生まれる不確実性の難しさとありがたさを忘れないようにしたい。

フライデーナイト理論

社会人になりたてで「自分はああなりたい、こんな仕事ができるようになりたい」などと仲間と血気盛んに議論していたころのこと。

研究、ボランティア、インターン、学生のうちは色々なことに関心を持つ人たちが、どうして社会に出て年月がたつと、あんなに熱くなっていたテーマから離れてしまうのだろうと、ふと考えた。

 

当時の僕の仮説は、次のようなものだ。

  • 学生時代に語られる情熱は、少なからず語られることを目的としたもので、必ずしも本人に内的な動機があるとは限らない
  • 時間のほぼすべてが自由に使えた学生時代に興味のあることでも、仕事が忙しくなり私生活も充実してくれば、時間のコストが上がって優先順位はシビアになる
  • したがって、当人にとって本当に永続的な意味を持つ「情熱がある」ことは、学生時代誰もが飲みに出かけて息抜きをする金曜日の夜に、その人が誘いを断ってでもやっている活動だ

僕はこれを”Friday Night Theory”と呼んでいる。

「フライデーナイト(あるいはたまの休日)を割いてでもコミットできる活動が、本当に当人にとって意味のある活動といえる」というものだ。

自分にとっては他人をどうこういうものではなく、若手社会人として仕事に没頭しつつ、どうやってソーシャルセクターでの活動や研究に自分をコミットできるのかを考えるためのフレームワークだった。

 

社会人になって、仕事をバリバリこなしながら、夜中に勉強して博士号をとった上司と出会って、この仮説は確信に変わった。

「忙しいときこそ、酒を飲んでいても寝不足でも、寝る前の15分勉強しろ」という彼の口癖に刺激を受け、「金曜日の夜にする努力の平均値が、3-5年後の自分を作る」と自分なりに解釈を発展させて、色々なことに取り組むようになった。

言うまでもなく、人それぞれ息抜きを見つけて、メリハリ付けて楽しむことは大切だ。

ただ、つかの間の余暇、何もしなくてよい時間に、何をしているかを自分は大切にしてきたように思う。

 

Twitterから一度距離を置こうと決めた。具体的には、フォローを一度全て外した。

これも、自分にとっては一種のFriday Night Theoryに基づく意思決定だ。

僕はもともと好奇心がとても強い。

政治、文学、歴史、地理といった人文社会のアカデミアから、カメラのような趣味性の高いもの、仕事にも密接にかかわるベンチャーや気候変動、ソーシャルイノベーションまで、興味の赴くままにTwitterでフォローを増やし、際限のない探求心を満たしていた。

自分の専門分野では、経験豊かな先人の知恵を勉強させてもらい、専門外では知らなかった世界をのぞき見させてもらった。

Twitterの醍醐味であるFFの方々との交流も、とても楽しく、若輩の自分に声をかけてくださる奇特な方もいて、生活を豊かにしてくれた。

世界のどこで何をしていても、まるで一種の大都市に暮らすように”I was within and without”という緩やかなコミュニティ意識を持たせてくれるTwitterが今も自分にとっては心地がいい。

一方で、コロナ禍が長期化して、人に直接会う機会が減り、旅行もまもならず、自分にとってTwitterが「世界の窓」として、今までになく重みをもつようになった。

 

Friday Night Theoryに当てはめると、余暇の時間のインプットにTwitterが台頭してきたことは、新しい発見に目を向けるという点では良いことだが、自分の頭のアジェンダをTwitterフィードに左右されてしまうという点で、理想的とは言えない。

忙しい日常の中で、”Friday Night”は文字通りあっという間に過ぎてしまう。

漫然と情報を消費するのではなく、自分で意図を持って時間を使いたいのだ。

  • ニュースのヘッダーを読み流すのではなく、優れたジャーナリズムに触れる
  • 面白い記事やリサーチを散発的に読むのではなく、どっしりとした教科書を勉強する
  • 話題性を狙った小ネタをつぶやくのではなく、アイデアを構成してブログにして発信する
  • 有名人のつぶやきを追うのではなく、本やインタビューを読み込んでメモを書く
  • 知り合いの投稿にいいねをするのではなく、キャッチアップをメッセージで申し込む
  • 会ったことのない、それでも会いたい人に手紙やメールを出す。ダメもとで、ラブレターを書いて、会いに行く

今の自分を築いてきたのは、こうした意図のある”Friday Night”の使い方だったように思う。

だから、今一度、原点に立ち戻りたい。