ケニアスタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

203週目:チームと信頼

今週も忙しい。夏休みの合間でありながら、いくつも案件が佳境をむかえてきつつあり、下準備と交渉事が重なっている。

マネージャーとコンサルタント・専門家をチームアップして取り組んできたプロジェクトが、かなりまとまった成果を上げつつある。

とても良いことである一方、彼らの成果を最終的にディールにまとめていく、という責任に軽く眩暈を感じる。

メールとコールとストーリー作り、そしてマネージャーとの相談役というのが、自分の今の役回りである。

 

去年、新しいチーム体制を構築していた時から、いかにDelegateできるか、という問いを持ってきた。

コーチングなどを通して、自分の課題が「相手を信頼すること」であるというのは分かっていたが、実際のところ自分の中でこの課題の意味を咀嚼するのには、何か月も時間がかかった。

信頼というのは、友人関係のように、人を疑うかどうかではない。

仕事においては信頼とは、自分にも答えがないときに、相手に適切なガイダンスを与えつつ、最終的な結果を信じることを意味する。

あるいは、何が起こっても一緒に解決できると、相手と自分の両方を信じる前向きな姿勢と言い換えることもできよう。

もとより神経質な性格で、自分の仕事は不安でいっぱいになりながら手を尽くしていくタイプだっただけに、当初はマイクロマネジメントもしていたし、考え切るまでは意思決定も保留にしていた。

ビジネス上の自分の腹落ち感には自信があった半面、腹落ちしていない時は機能しないというのが、課題だったように思う。

今でも絶えず注意していて、まだまだ改善の余地がある。

 

こんな記事を書いているのは、今週いくつか印象的な出来事があったから。

まずはチームの成果が着実に見えてきたこと。メンバーが自律して出してくるオーガニックな成果、彼らのマネジメントの落ち着き、課題を自分で定義して解決しようとする姿勢など、良い意味で自分無しに回っていく感覚がある。

信頼していなかったのはメンバーの実力ではなく、最終責任者としての自分の能力・器量であったのだと、ハッとする瞬間があった。

言うべきことは言うし、やるべきことはやる。自分は自分なりにあくせくもがきながら、チームを信じて任せ、何が起きても冷静に対処する。

バックストップできる、して見せるという確たる覚悟を持たねばならない。

チームに見えていない世界観を見出し、自分に何ができるのか、危機感を持って自分を研ぎ澄ましていきたい。

 

最後に、ずっと一緒に仕事をしてきたCEOとの面談で、非常に本質的なフィードバックが返ってきた。

お互いに率直にフィードバックを交わし、難しい議論を散々してきたから、という内容で、こういう時に仕事に本気で打ち込んでいてよかったと感じる。

仕事を通じて試され、醸成された信頼関係は、人格的な理解を生む。

先のチームの成長も同じく、自分としても全力でぶつかっていきたい。

チームにも向き合った以上の意味がある仕事になるにはどうしたらいいのだろうか。

信頼のもたらすものの大きさを、上司とチームの両方から気づかされた一週間だった。

アセット系スタートアップにおける総合商社型財務の実践

AirbnbやUberといったシェアリングエコノミーや、フィンテックのような金融業では、スタートアップにおいてもアセット(バランスシート)の効率化が大切になる。

自分が今仕事をしている林業スタートアップのKomazaは、旧来の不動産所有型のプランテーション林業をシェアリングエコノミー型にする、という事業を行っている。

ビジネスモデルの新旧はあれど、総合商社もまた、油田やプラントのような大型アセットからベンチャーに至るまで世界中で複雑なファイナンスをする、同じくバランスシートの効率化が大切なビジネスである。

 

自分がKomazaのCorporate Financeを立ち上げる際には、総合商社モデルの強みと思われる部分をかなり参考にした。

一般的には資金調達と日々の管理会計にフォーカスするだけの部門を、「攻めの財務」を掲げて、戦略やパートナーシップ、他部門のキャパシティビルディングに至るまで、4年間かけてカバレッジを拡大してきた。

Twitterで話題になる「商社の経験はスタートアップで役に立つのか?」ではないが、自分なりに役に立った考え方をまとめてみたい。

 

1. 専門性の内製化と学習強化サイクル

まずは、専門性の内製化。

総合商社の管理部や法務部、ストラクチャードファイナンス部、経営企画部には、当たりはずれはあれど、ずば抜けて優秀で経験豊かな人材がいる。

アドバイザーを使い倒しつつも、自分自身で調べ、考え、手を動かす最強の実務家集団であり、そういう筋肉質なチームが、社の命運を担うようなプロジェクトに参加していた。

社内人材として事業の詳細を把握しつつ、一流のアドバイザーと仕事をすることで専門家としても有能、というのが総合商社コーポレートの最優秀層である。

 

自社のCorporate Financeチームは、社外の専門家と積極的に協業しながら、社内においてもアドバイザーや投資家と同水準の人材を確保し、プロジェクトを通して知見を内在化させるアプローチをとった。

社内専門家を育成することは、迅速な社外リソースの活用、社内でのアドバイザリーなど転用可能性が極めて高く、有効である。

ひとつのプロジェクトで得た成果が、オペレーションにフィードバックされたり、さらに突っ込んだ案件に発展する、というのが理想的なあり方。

同時に、一緒に仕事をするアドバイザーの質には徹底的にこだわり、評判を聞いてはラブレターを書き、お互いに働きやすいチーム体制を試行錯誤しながら作っている。

 

2. 業務本部化

経営企画への役割の拡大も、「不毛地帯」の業務本部をモデルとして入社当初から構想した。

自分の仕事の良かった点は、入社当初から一貫してCEO直属であったことであり、ファイナンスを軸として自分のカバレッジを広げ、金融という言葉を使って事業に一貫性を持たせる方向性を模索した。

戦略というと大げさだが、スタートアップにおける意思決定のほとんどは、選択肢の整理、リスクリターンの分析、リソース配分の優先順位付け、資金調達などのマイルストーンの意図ある実行につきるわけで、ほぼファイナンスが関与することになる。

したがって、無理に戦略アドバイザー的な肩書を求めずとも、通常業務の一部として機会を見てアドバイスを提供するだけでも十分この役割は果たせる。

最終的な事業価値へのインパクトを定性的・定量的に分析し、把握する能力が、そのまま意思決定の一助となり、同時に経営企画機能の強化につながる、というポジティブなサイクルを回すのが大きなゴールだ。

細かい話をすると、一連の機能貢献のなかでも、意思決定のラストワンマイルへの助言が最も大切になるのだが、このあたりはまた機会をみて書いてみたい。

自分の商社時代の上司が業務部出身だったこともあり、このあたりの機微や立居振舞も、大いに勉強になった。

ちなみに、アドバイザリー機能だけでは「業務本部モデル」は完成せず、戦略思考からもたらされる周辺領域を事業化し、自前のValue Propositionを持つ事が必須。

 

3. 金融先兵機能

最後に金融先兵機能。

三菱商事の今は無き新産業金融事業グループは、古くは財務部に源流を持ち、30年以上にわたってヘッジファンドやバイアウト、ベンチャー投資、インフラ、不動産REITなど総合商社の持ちうるありとあらゆる金融的接点を事業化してきていた。

この根底にある思想が、金融こそがグローバル市場への窓であり、投資や資金調達を超えた事業的な価値があるという「金融先兵機能」だと、僕は理解している。

自分が新卒入社した部署は、そのなかでも新しいアセットクラス、新しい地域、新しい案件に特化した特殊な部署であり、様々な議論に触れた経験からインスピレーションを得た。

 

KomazaのCorporate Financeにおいても、チームの初期設計の段階から、投資家サイドのディールチームを模倣して作られており、単に受け身の業務を引き受けるのではなく、自前でディールを生み出し、開発銀行など特殊な金融機関を上手く活用した、攻める資金調達を行うこととした。

結果的に、当地の投資銀行やアドバイザー以上の知見と実績を社内のみで出せるようになりつつある。

ファイナンシングという機会をうまく使うことで、お金以上の価値を事業にもたらせるか、経営フェーズを次のレベルに高められるか、という点が重要になる。

戦略的パートナーシップや事業戦略への付加価値付けなども積極的にリードし、「先兵」としてのアクションをとり続けている。

こうした積み重ねが、カーボンクレジットなどのテクニカルでありながら、事業に直接食い込んだ領域の事業化を可能にした。

一般にサービス部門と考えられがちだからこそ、先兵としての自覚をもって攻め続けることに意味があるのではないかと考えている。 

 

まとめ

ケニアのベンチャーで財務というよくわからない自己紹介をすると「商社マンがなんでこんなことやってるの?」とよく聞かれるものの、商社金融という言葉の通りファイナンスと総合商社は切っても切り離せない関係にある。

ここに挙げたのは一例でしかないが、商社の多様な事業モデルや随所に溜まった知見は、宝の山であり、向き合い方ひとつでスタートアップにも応用が利く。

自分自身は2年余りしか在籍していなかったが、とてもいい経験をしたと思うので、感謝も込めてこの記事を書いてみた。

いつも通り、異論反論、コメント大歓迎です。

 

202週目:終戦記念日に寄せて

8月15日にたまたま重なったこともあり、今日は終戦記念日について思うことを書いてみる。

日本で生まれ育ち、大学でアメリカ、仕事でアフリカにいる自分にとって、終戦記念日は「日本が負けた日」ではもはやない。

日本に住んでいたころは、原爆や終戦間際のドキュメンタリーを観ながら、戦闘や空襲で命を落とした日本人に思いを寄せていたが、今となっては、戦勝国・敗戦国を問わず、祖国のために戦って命を落とした人々や、戦闘の巻き添えになって亡くなった市民全員に対して、手を合わせたくなる。

留学していた時に、第二次世界大戦の授業があり、少人数でディスカッションをしたことがある。

クラスには、アメリカ人はもちろん、ドイツ、イタリア、インド、中国など、あらゆる立場の生徒がいて、つたない英語でどうやって発言しようか、前日はなかなか眠れなかった。

安直なナショナリズムも、自己批判も、ともに自らと祖国を貶める、難しい状況で、改めて全員一致で合意したのは、「戦争は、あらゆる人を被害者にし、あらゆる人を加害者にする。家族や友人、愛する人を失った悲しみの裏側には、敵を殺そうとする強い憎悪がある」という戦争の二面性だった。

だから自国だけを考えた愛国心は、一面的で薄っぺらい。

市民社会に生きる自分たちには、薄っぺらい愛国心や自分が経験していない過去への憧憬を遠ざけ、いかにして誰もが被害者にも加害者にもなる戦争という不毛な営為を防ぐことができるか、考え行動する義務がある。

戦争から80年近くが経って、直接の戦争経験者もほとんどいなくなった今日、求められるのは単なる追悼ではなく、社会の参加者としての市民一人ひとりの自省ではないだろうか。

 

そういう意味では、今回のオリンピックの一連の報道は、胸が締め付けられる思いがする。

高校生時代に、第二次世界大戦前夜の日本の言論弾圧について自主研究をしていたことがあり、メディアが当たり前のように権力に屈したり、アカデミアが権力の介入を許すどころか積極的に同化したり、知識人が暴力を恐れて筆を引っ込めたり、軍部の横暴を元老含む政治家が止めることができなかったり、国民が安直な扇動に乗っかったり、という状況を「怯懦だ」とレポートでこき下ろした記憶がある。

さすがに全く同じ状況ではないにせよ、オリンピックやコロナ禍に度々あらわれる「失敗の本質」のパターンや、社会に蔓延する無力感を見ると、あながち今の自分たちも「怯懦」なのではないか、と考えてしまう。

自分の果たすべき役割を、世界の目線で考えてやってきたが、一人の日本人として日本で何をすべきか、というのはこれからも向きあっていきたいテーマだ。

 

201週目:Acumen Fellowship第二回目セッション

チームの半分が夏休みに突入。

ただでさえもストレッチされたタイムラインでOKRが設定されているのを、COVIDによる移動制限や思いがけないトラブルを乗り越えて、2021年の前半を走りぬいたチームには頭が下がる。

休みに入っているメンバーの仕事の最低限のカバーをしつつ、積み残しの仕事を片付け、9月からフル稼働する前に考えておくべきプロジェクトの仕込みをする。

そんな中でもいくつも重要な進展や交渉事は進んでおり、この夏もゆっくりすることなく過ぎていきそうである。

一緒に仕事をしているメンバーとは、いつも以上にじっくり話が出来て、とても嬉しかった。

渡り鳥のようにドキュメントとコールを飛び回って効率を上げるのも大切だが、きちんと時間を取って丁寧に背景を共有し、論点を詰め、議論をすることでしか見えないものがある気がする。

顧みて財産になっていると思う仕事にそういう場合が多いので、n=1ながら、顔を見て仕事をする醍醐味を感じる。

普段、忙しくしている分、こういう時に何か良い経験やフィードバックを残せるようになりたい。

 

Acumen Fellowshipの第二回セッションもあり、あっという間に過ぎていった。

専門家集団で議論するスタンスだったボッシュ財団のフェローシップとは対極的に、異なるバックグラウンド・現場で汗を流しながら内省するAcumenのフェローシップは、精神的な負荷がかなり大きい。

日常の中で、非日常的な内省をするのは、難しいし、戦闘態勢を維持しながら心の鎧をとりましょう、というのはなかなか無理がある。

オンライン開催なので仕方ないが、やり切るしかないと割りきった。

去年のシリーズBが終わるか終わらないかのタイミングで、全力で3年走ったからには、きちんと内省して学びを体系化する機会を強制的に設けなければならない、と感じた。

ボッシュ財団のフェローシップでは気候変動の専門家と、Climate Financierとして議論し、アキュメンフェローとしては、Social Enterpriseの経営陣として議論する。

違った角度から強制的に自分の経験を振り返る場にしている。

体力的には週末と余暇が消えてなかなかしんどいが、激烈な経験をうまく新しいアイデアに換えられつつある気がする。

何より、事業を非線形的に伸ばすには、自分が変わらなければならない。

200週目:30歳を迎えての振り返り

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気付いたら30歳になってしまった。

時間が経つのは~みたいに言われても、アーリーキャリアでは方向転換できると感じていた余裕が、着実になくなってきている。三十路という言葉が、けっこう刺さる笑

大丈夫、まだアラサーの商標は使える←

 

さらっと振り返ると、迷走していた10代を経て、漸く自分の居場所を留学して見出した20代前半、社会起業に心を向けつつも基礎固めで歯を食いしばった20代中盤、よくわからないまま仮説だけ持って飛び込んで何とか結果が出せて20代終盤、という感じ。

20代序盤でプライベートエクイティの世界に片足を突っ込んだ頃は、本流のファイナンスで仕事をするべきか、自分の直感を信じて未開拓のインパクト投資に舵を切り続けるか、悩んでいたが、結果的に大学時代からインパクト投資を追いかけたようなキャリアになった。

 

中学生の時だったか、本田宗一郎の「自由に生きるということは、嵐の中に生きるのと同じである」という言葉に何となく惹かれた。

当時は「自由」の意味も理解していなかったし、「自由に生きる」ほどの覚悟もなかったが、留学時代や仕事での挑戦を通じて、徐々に感覚が身についてきた気がする。

自分の中にある発想を、技術的に手堅く固めながら、中長期で意味のある仕事として表現していく感覚のようなものが、はっきりと立ち上がってきた。

ひとりの職業人として世界標準のパフォーマンスを満たせるか、という外発的な問いから、自分はどういうスタンダードを定義し、他と違うことができるのか、という内発的な問いに軸足が変化しつつある。

研究や仕事を通して、「本気で押せば結果がついてくる」という人生そのものへの手ごたえは、20代で得たかけがえのない財産だ。

 

20代の後悔は、考えすぎて思ったままに行動するのをためらった機会の多さである。

考え抜くことは大切だが、大きな取り組みほど、多様な可能性を同時進行で見ていく必要があるし、人間だれしも失敗するわけで、確証を持たない行動に対して鈍感力を持たねばならない。

一貫性は芯の部分で持ちつつ、あとは天に任せるような気持ちの余裕が、今の自分の想像の限界を超えた仕事には必要だろうと直感している。

挑戦者としてハングリーでありながら、雅量に富む人物たれるか。

他者を信じ、自分を信じられるか。

30代は何の気なしに振り抜いていく。気軽に試してみて、もっと失敗してみたい。

どうにでもなるだろう、やる気になれば再起はできる、という確証を20代で得たからこそとれるスタンスがあるはずだ。

人生の短さを意識しつつも、これからが本番という気概で取り組んでいきたい。

 

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