気候変動スタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀をしていましたが、気候変動スタートアップを創業するためスタンフォードにいます。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。

183週目:イースター休暇

疾風怒濤の4週間が終わって、完璧なタイミングで4連休がやってきた。

外に出ようにもロックダウンでカフェやレストランも空いていないので、おとなしく家でゆっくりする。

読書や考え事、散歩をするというのんきな数日間ですっかりリフレッシュできた。

普段もなんだかんだ週末仕事の考え事を持ち込んでしまうので、4連休あるとじっくり3日は仕事を離れられた。

逆に一週間本当に休んだらたぶんもう仕事に戻れない笑

今の仕事は粘り強い交渉や説明が必要なプロジェクトが多いので、長期戦、どっしり構えていきたい。

 

※過去数週間の疾風怒濤ぶりについては別途ブログを書いているので、以下記事をご参照

 

tombear1991.hatenadiary.com

 

tombear1991.hatenadiary.com

  

tombear1991.hatenadiary.com

 

tombear1991.hatenadiary.com

 

不可能な納期で炎上案件をまとめる際の考え方

3か月後に予定されていた提出書類(専門家と共著する100ページ弱の分析資料、財務モデルなど)を3週間で提出しなくてはならない、という衝撃の通告を受け、チーム総動員で何とか無事満足のいくクオリティの仕事を提出した。

今後も同じことがあった時のために、メモとして書いておく。

スタートアップやリサーチにおいて、不可能なくらい短期間に80%の完成度の仕事を迫られることは、必ず起こる。

慌てず、デスマーチをせずに仕事をする上で、重要と思われることを書き出してみる。

大なり小なり日常茶飯事ではあるものの、カーボン、ファイナンス、林業など複数領域の専門家を巻き込んでそれなりにまとまった量のアウトプットを出す機会で、色々と勉強になった。

 

  • 課題をまず先に把握:炎上の初期は一種のパニック状態。関係者にヒアリングして、ひたすら課題・タスクをリスト化していく。一人がすべてを整理して語れるケースは少ないので、複数のアクターとなるべくインタビュー形式で情報収集しつつ、初期的な優先順位やクリティカルパスの仮説をぶつけていく。ここでマネジャーは自分の頭で静かに考える時間をとる必要がある。課題解決と称してステークホルダーを集めて議論しても、成果が上がる見込みは低い。というか、そもそもステークホルダーで解決策が出せるのなら、それは炎上案件ではない。あくまでもマネジャーは自分の頭で論点を整理し、優先順位をつけ、解決策を仮説ベースでまとめてから、チームにぶつけるべし。フィードバックはそのタイミングで遅くはないし、訂正はその都度柔軟にやればいい。
  • 3割カット法の高速回転:仮説をいくつか束にして、やることをリスト化したら、その中で最もほかのタスクに影響が出るもの、先に決めるとスコープが絞れるもの、必ずしも今やる必要がないもの、などを整理していく。要すれば、最低要件を固めて、達成に最も重要なインプットを厳選し、そこだけに序盤は集中するというプロセス。言うは易し行うは難しの典型で、一度にタスクを半分に絞ったりしようとすると議論が無駄に紛糾しがち。お勧めは、リストの内の3割カットを数日おきに複数繰り返す方法。これを2回するだけで、やることは50%になり、4回するだけで25%まで下げられる。また、数日作業をしてからやるので、優先順位をつけるための手触り感も徐々に生まれてきており、判断は次第に楽になっていく。超複雑で流動的な課題を解くために、「ぼくのかんがえた最強の実行計画」に1週間かけるより、2日に一回、強制的に比較的重要ではない3割を切り捨てていくと、1週間でやることが4分の一になり、人員不足のまま大量のタスクをこなすデスマーチを防げる。大企業やプロフェッショナル・ファームのような環境であれば、計画ができて必要な人員が不足していても補充ができるかもしれないが、スタートアップではそれはできない。したがって、精緻で大きな計画よりもおおざっぱでタスクが少ない計画のほうが成功率が高い。とりわけ、そもそも無茶振りなプロジェクトはスコープがあいまいだったり、伏兵的なリスクが潜んでいるものなので、精緻にしようとしたところで、正確な予想はできないから、精緻さに工数をかける理由もそもそもない。
  • マネジャーはタスクを持たない:プレイイングマネジャーが陥りがちないわゆる「クソジーコ問題」である。炎上案件だと、解決が見えたものからばっさばっさ対応していくのが重要なのだが、ある程度チームに行くべき方向性が共有されてからは、マネジャーはメンバーの相談相手に徹するべき。各所で難しい課題や論点整理が必要になる中・後半戦では、マネジャーがタスクを持つと、納期が遅れて他セクションの足を引っ張ったり、メンバー同士の調整や優先順位の明確化(何をしないかの決定)といったチームにレバレッジをかける活動ができなくなる。心を鬼にして、とにかくタスクを振り分け、誰も解けないものだけ、拾うこと。マネジャーの仕事はマネージすることであり、複雑な課題解決をスムースにできるようチームのタスク分配と個別タスクの達成を援けることである。ありがちなのが、マネジャー「あれ、手が空いちゃった!このワークストリーム、解き方わかるぞ!皆さん、この部分は私がやるので大丈夫です!」→メンバーA「~の件なんですが、課題がX、Y、Zで。。。」→メンバーB「準備できたのでれビューお願いします」....となり、着手していたワークストリームが丸々進捗遅れ、取り返そうと集中するとほかのワークストリームが遅れる、という悪循環。
  • タスク管理に時間を割く:タスクを持たないで、何をするのかというと、メンバーが何に取り組んでいるのか、現在最もギャップが大きい部分は何か、どうすれば各メンバーの課題解決を支援できるかだけを考える。炎上案件中は成果物提出のサイクルも早く、同時多発的に進捗が生まれるので、チーム全体を見通せるのはほぼマネジャーのみ。したがって、一日一回はメールなので、チーム各人の優先順位やその日のチームとしての重点成果を全体共有する。
  • リソースは一挙投入する:炎上を察知したら、その時点でチーム全員に通達する。最初は色々と見えないことがある中で、巻き込みたくないという感情が出てくるが、どんなに優秀なメンバーであっても新しい課題やプロジェクトにはキャッチアップの時間が必要になる。なので、序盤戦であっても、「やばいので、このあたりの分野で力を借りるかも」といって早めにウォームアップ要請をしておくと、中盤で課題が明確になってパワープレー勝負になったタイミングでばっちり活躍してもらえる。ちなみに、中盤以降で戦力を一気投入してからは、マネジャーの調整能力・課題整理能力が如実に問われるので、このタイミングで手持ちのワークストリームを減らしておくこと。 
  • レビューやレスの速度を最大化:終息の糸口が見えて、リソースを大量投下したタイミングで、マネジャーの仕事はメンバーサポートに集約される。レビューをより早くこなし、質問に即レスし、悩んでいそうなメンバーに積極的に声をかけ、全体のビジョンの中で不明瞭な部分をクリアにする(メール、スライド、文章、コールなんでもいい)。全員の時間が無駄にならないために、マネジャーは全力で走り回る。
  • そもそも炎上させない:大事なことなので2回書く。マネジャーの仕事は、マネージすることであり、期待値やスコーピング、時間の仕切りのミスやコミュニケーションの不全、案件進行への想像力の不足から生じる「炎上」というイベントそのものが、本来あってはならないもの。毎回ごとに深く反省して、再発防止につとめなくてはいけない。不可抗力や予想外のイベントも含めてリスク管理するのがマネジャーの仕事であり、理由に関わらず炎上はマネジメントの責任。

 

2年くらい前のマネージャーになりたての頃は、他メンバーの炎上案件のレスキューによく入っていた。

炎上案件はマネジメントにとっては反省材料であり、レスキューに入るメンバーにとっては凝縮された学習機会になりうるのではないかと思う。

ただ、今の自分は森羅万象あらゆる可能性に備えることでもあり、考えを一段とステップアップさせねばならない。

182週目:コロナ濃厚接触者になった話

Eventfulな一週間。

・締め切り直前のパッケージの担当者が体調を崩して離脱、ほぼノータッチの状態からTake Over

・森林保全や環境をテーマにしたIUCN・FAOという大御所ホスト+業界参加者多数で失敗できない パネル登壇x2

・1年余り取り組んできた案件がいきなり佳境

・ナイロビでのコロナ感染が急上昇し、チームの友人レベルでも陽性報告が相次ぎ、オフィスを封鎖(その後、首都圏封鎖と外出禁止、レストラン営業停止、集会禁止などを大統領が発表)

・同居人が陽性となり、濃厚接触者になる

という盛りだくさんの週だった。

 

ナイロビでのコロナの爆発ぶりはすさまじく、とくにこれまで注意しているから大丈夫といわれていたExpatのコミュニティが続々とやられている。

内輪の小さなパーティーなどは開かれていたので、そういう場所で一気に広まったのではないかというくらい、「あの人も?」「また?」みたいな感じで数日中にPCRテスト陽性の連絡が届く。

かくいう僕自身も、旅行から帰った同居人が陽性ということで、金曜日にPCRテストを受けた。

結果は陰性だったけれど、正直周りのあちこちで感染が広がているので、心理的には不安が募る。

特にシェアハウスは、交友関係を気を付けていても、いざコミュニティ内で広まりだすと管理が難しいのではないか。

幸い、バストイレが個別にある家なので、

・感染者は原則から部屋から出ない、外出時はドアノブなどを触らず、触った場合は消毒を徹底。食事などは外からデリバリーを、部屋の前に届ける

・共用部分のキッチンは消毒の上、一時封鎖

・バス・トイレは各人で指定されたもののみを利用

・窓は常時開けたままにする

という教科書通りの対応を続けている。

アフリカ日本人の友、サラヤさんの消毒液をとりあえずリットル買いして各人に配布。

仕事がハードな週が続いており、決して体調が万全ではないこともあり、いつもより神経質になっている。

この先2週間ほどは特に注意をしていきたい。

 

感染リスクがあると聞かされて、とりあえず重症化率と死亡率を調べてみたところ、59歳以下の重症化率は日本では0.3%以下、死亡率はその約半分程度ということ。

ナイロビの主要な病院ではICUが満床になっており、重症であっても入院できる可能性は低い。

思わず、これで死んだら後悔するかな、などと考えてしまった。

結論から言えば、仕掛かり中の仕事を片付けようとか、今やっていることは意義のあることだろうとか、そういう前向き(かつワーカホリック)な感想しかないので、これといって人生の転機にはならなさそうである。

書評「リフレクション」

リフレクションや学習の理論を学びたい人は、リーダーシップや組織論の重要理論、経営者の名言集でおなじみのテーマなどが随所で登場する本書を、物足りなく感じてしまうかもしれない。

ただ、忙しい日々の合間に、自分やチームなどで深い内省をサクッとやりたい人にとっては、シンプルで実践可能な問いのセットを提供している良著。

スタートアップでも使えるし、大企業、公官庁、教育、NPO、家族、なんでも使いやすい親しみやすいフレームワークが本書の魅力だと思う。

同時に、紹介されているフレームワーク(とりわけ、「認知の4点セット」)は使いやすいだけではなく、使い方次第ではどこまでも自分の中の課題を深掘りすることができる。

この1年余り、僕自身もこのツールを使ってみたが、心の深部をえぐり取るような厳しい内省もできるし、全く見落としていた世界に気付く内省もできるのが、一見単純なこのツールの面白さだと思う。

 

リフレクションをする理由

本書はリフレクション(内省)の様々なパターンや活用法を通じて、自分を変え、周囲を変えることをテーマとしている実践本だ。

「学習する組織」をはじめとする、組織・学習系の分厚い本を読んだことのある人にとってはおなじみの概念を、誰にでも日常的に使えるようにするためのツール集、といったほうが良いかもしれない。

 

「組織変革は自己変革であり、リーダーとして周囲と向き合う自分を変えることが、周囲を変化させる近道である」というまえがき通り、

  • 自分を知る
  • ビジョンを形成する
  • 経験から学ぶ
  • 多様な世界から学ぶ
  • アンラーンする(学んだことを手放す)

というプロセスを経て、自分が変わり、周囲も変わるというリーダーシップのサイクルを提示する。

 

一般的に「リフレクション」というと単なる「振り返り」を想像しがちだが、「何のためのリフレクションなのか」を明確化すれば、学習サイクルをより効果的に回すことができるというのが著者の主張。

具体的には、

  • 自分を知るリフレクション(自分の動機の源を知ることで、目的を定める基礎ができる)
  • ビジョンを形成するリフレクション(動機の源につながる目的を持つことで、ビジョンが形成できる)
  • 経験から学ぶリフレクション(ビジョンを実現するために仮説を立てて行動し、経験から学ぶことができる)
  • 多様な世界から学ぶリフレクション(未知の課題に取り組むときにも、多様な視点で、創造的な解決策を見出すことができる)
  • アンラーンするリフレクション(過去の成功体験が通用しないときにも、自らの学びを手放し、新たな視点を持つことで、解決策を見出すことができる)

こうして並べられると、無意識的に使い分けていたと気付くし、逆にやったことのないパターンがあることも分かってくる。

 

「認知の4点セット」

リフレクションの中核となるツールが「認知の4点セット」である。

紹介される他者との食い違いや自分の中での違和感を、リフレクションのヒントにする手法であり、強い意見や感情的反応、行動パターンなどを、分解して客観的に理解する手助けになる。

 

僕自身も最初にこのフレームワークを見た時は、「ふーん」くらいにしか思っていなかったのだが、実際にテーマを決めて書き出してみると、想像と全く違う結果に何度も驚いた。

実際にやってみると、自分の中で「正しい」と思う意見が、自分の①個別具体的な経験、②経験により引き起こされた感情、③感情が固定化して生まれた価値観の組み合わせで生まれた思い込みでしかないことが、痛いほど明確になった。

厳しい決断を迫られるとき、自分の中の強い感情と向き合うとき、自分の思考パターンから抜け出したいとき、アンラーンしたいとき、苦手な相手とのコミュニケーションに悩んだとき、などには漫然と悩んで堂々巡りしがちだったが、まずは4点セットで書き出してみる、というのを習慣化してから結果が違ってきている。

隠れていた想像力の限界が露見し、乗り越えやすくなるのが、このツールの利点といえる。

f:id:tombear1991:20210327165031p:plain

事実や経験に対する自分の判断や意見を、「意見」「経験」「感情」「価値観」に切り分けて可視化することによって、自分の内面を多面的に深掘りし、柔軟な思考を持つことができるようになります。

 

 

リフレクションが紐解く自己理解、対話、チーム、組織変革

大学生の時に「学習する組織」を読んで以来、ずっと疑問に思ってきたことがある。

それは、古典ともいえる同書が描く「学習する組織」が、「学習する個人」により構成され対話と内省を通じて「学習する組織」となる、という現実離れした理想像である。

Civil SocietyやPolitical Participationの文脈で、理想論的な提示は珍しくないものの、NPOの現場で仕事をしたり、優秀なはずのメンバーがガンガンぶつかる現場を見ていた自分にとって、「学習する組織」は目指すビジョンとしては優れているが、Howが欠落している、いわば経済学における効率的市場仮説と同じくらい、「思考の上では役に立つけど実際には使えない」存在だった。

「学習する組織」が理論上の北極星を示すトップダウンの発想なら、本書はあくまでも自分と目の前の人という狭いコミュニティから徐々に学習する文化を広げていく、ボトムアップの発想といえる。

自分の想像力の限界を可視化して、乗り越えるという個人の変化をきっかけとして、対話を通じて目の前の対話の相手、ひいてはチーム、コミュニティと徐々に主語を大きくすることで、本書のフレームワークはより大きなムーブメントを生むことができる。

一般に閉じたプライベートな行為であるリフレクションを、対話を通じてさらに自分と相手両方の理解を深めるという相互的なものにしているところが、本書と一般的な自己啓発本の違いかもしれない。

 

チームの成長の典型的な落とし穴はキリがない。

  • 現実とあるべき姿のギャップが認識されても、チームに解決できなさそうな雰囲気が漂っている
  • 一見成功しているようでも、実は過去の成功パターンにしがみついているだけで終わりが見えているのに見てみないふりをしている
  • 少数の強力なリーダーシップに依存しており、メンバーの成長が止まっている
  • 経営メンバーの仲が悪い
  • ハードルを越えた先で新しい目標が設定できず、変化が止まってしまう
  • 1 on 1でうまく対話ができず、結果的にチームが機能しない
  • 浸透した文化がドグマ化しており、活発な議論が減り、紋切り型の議論が増えた
  • 話が通じない、怒りを覚える相手がいて、毎度こじれる
  • 「何で変わらないんだ!どうしていつも!」という怒りを変革者が抱き、周りは知らん顔している
  • 組織・個人が同じような失敗を繰り返している
  • 組織が分断されていて、互いに他責・批判的になっている
  • そもそもリーダーである自分がどこへ行くべきなのかわかっていない(ことは誰にも言えない)
  • 事業や組織の成長に応じて、起業家・経営者にとって大切な原動力をドグマ化させることなく、高速でアップデートしなければならない

 

こうした状況に、まずは自分が変わることで変容を伝播できるというのが、著者のメッセージであり、実行に移すためのヒントが、本書にはたくさんちりばめられている。

本書の発想は決して新しいものではない。
「自分を変えることで周囲を変える」といった内容は稲盛和夫氏や松下幸之助氏を始め、古典的な経営者の著作でも何度となく登場するテーマだが、こうした古典に足りないのはニュアンスであり、「そうした心構えをどのように会話や内省のフレームワークに落とし込み、状況に合わせて運用するか」である。

 

リーダーに求められるHowの理解とリアルタイムでの内省

瀧本先生の「僕武器」は、現代版「学問のすすめ」だ、と以前書いた気がする。

「僕武器」は思考停止して行動停止してはダメな大人になってしまうから、自分で考えて行動しなさいと若者に語り掛けた問題提起の名著といえる。

一方で、とるべき行動が分かっても、それはスタート地点にすぎない。

自分の挑戦に人を巻き込み、反対や障害に直面しながらも、進み続けるには、自分の中の葛藤とも向き合わなければならないし、チームや反対勢力とも逃げることなくコミュニケーションをとり続けなけらばならない。

猛反対にあったり、わかってもらえなかったり、誤解されたり、数多のコミュニケーション上の衝突にめげることなく相手を巻き込み続けるための力、ひとりよがりの正義感ではなく周囲を巻き込んで同じビジョンに向き合い続けるための力は、いかなる変革においても必要不可欠だ。

その力の根本をなすのが、リフレクションなのではないか。本書を読んでそう感じた。

 

内省を深めることができるのは優れたリーダーの条件である。

マルクス・アウレリウスの時代から変わらないこの条件も、現代に至ってさらに難易度が高まっているように思う。

決定的な違いはライブ性である。

後日談的な内省ではなく、今・この瞬間にリーダーは周りと接点を持ち、対話し、内省し、共感できるビジョンを伝えないといけない。

昔なら「武勇談」になりえただろう強烈なエピソードや身勝手なふるまいは、カリスマ性ではなく共感や対話を武器とすべき今日のリーダーには許されなくなっている。

内省の技術は人を動かす必要のある誰もが身に着け、磨いていくべきスキルなのだと思う。

 

余談:「リフレクション」を形作ったもの

既にお気づきの読者もいるかもしれないが、本書の著者は僕の母である。

 

ハーバードビジネススクールを卒業してバリバリ仕事をしていた母は、僕が物心ついたころから毎日のように仕事の話をしてくれた。

どんな業界の会社と仕事をしていて、組織の課題は何で、どうすべきと考えているか。何が上手くいかないのか。経営者はいかにあるべきか。優れたリーダーならどうしたか。

子どもには早すぎるテーマかもしれないが、彼女はそんなことは全く気にせずに、一緒に議論してくれた。

いつしか、「リーダーシップ」という言葉が家の中での共通言語になった。

 

小学校高学年になるころ、NHKで「プロジェクトX」という番組を放映していた。

毎度食い入るように観ていた僕は、登場する経営者の姿に心を奪われ、気に入った番組の書籍版を取り寄せ、経営者の回顧録や会社の社史を読むようになった。

お茶の間の議論は、次第に具体的な事例と解釈の場になっていった。

とりわけ紛糾するのは、「プロジェクトXで紹介されるような骨のある経営者やチームがいたはずの優良企業がどうして低迷してしまっているのか?」というテーマ。

なぜ創業者は成功パターンを過信してしまうのか?どうして組織は変化できないのか?なぜ、日本はバブル崩壊後も変わることができなかったのか?

「変化」や「承継」、「組織」というテーマが新たに食卓に加わった。

”Japan as No.1”の絶頂期にMBA留学した母から、コテンパンにやられた米国企業のエクゼクティブが貪欲に日本企業の成功要因を勉強し、何とか自社に取り込もうとしていたという話を聞かされたのもその頃だったような気がする。

 

年月が経ち、高校2年生になったある日、母から神妙な顔で「教育をやってみたい」と告げられた。

本書のあとがきにもあるように、日本企業の組織変革をテーマに仕事をしてきた母は、組織を作り直すうえで学校教育の重要さを肌で感じ、長年馴染んだコーポレートの世界から飛び出す決意をしたらしい。

当時の母は、MITのピーターセンゲ教授「学習する組織」の邦訳版に携わったりしていて、アカデミックな議論になることもよくあった。

1年あまりして、日本の大企業と仕事をしてどっと疲れて帰ってくるイメージの母が、ある日やけに明るくなって帰ってきた。

面白いNPOを見つけたという。Learning for AllとTeach For Japanという日本の教育界に鋭く切り込むふたつのNPOの母体となったTeach For Japan準備会である。

母が特に驚いていたのは、NPOを率いるリーダーとその周りにいる大学生教師たちである。

息子と2-3歳しか違わない大学生が、名だたる大企業のエリート管理職でも苦戦する研修をわがものにして、次々に現場で課題を解いているのを目にして、彼女の中の「日本の組織を変えるのは難しい」というメンタルモデルが崩れていった。

僕が大学生になった翌年に3.11が起きると、母は「このままの日本社会を次の世代に残したくはない」と言い出して、一層教育に熱を入れるようになり、「子どもを変えるだけではなく大人も責任をもって社会を変えるべき」とソーシャルセクターに限らず行政や企業とも連携した挑戦を始めた。

そうした年月を経て、今年の3月からは文科省の最も重要な審議会である、中教審の委員にもなった母を、僕は心から尊敬してやまない(面と向かって母に同じことを伝えるのは、あと20年くらいは恥ずかしいので、本書評をもって許してもらおう)。

 

執筆プロセスは激論だったと聞いているが、アイデアが多く、説明が抽象的な母の思考をここまで分かりやすく表現した編集チームの皆様に頭が下がる(母から話を聞きながら、プロフェッショナルの庵野監督の回を思い出した)。

 

誰でも使える「認知の4点セット」 に込められたもの

30年以上の実務と研究、挑戦を集めたのが本書「リフレクション」なのだ。

本書の中核をなす「認知の4点セット」は、家では国内外の専門書に埋もれて過ごしながら、伝統的日本型経営の変革という難題に挑み、企業を変えるとはどいういうことか、社会を変えるにはどうすればよいのか、問い続けて生まれたシンプルすぎるフレームワークである。

著者には一人の職業人としての苦悩があり、挑戦があり、願いがある。

 

同時に、彼女は理屈っぽくて手のかかる息子を育て、大学生が中心のNPOでメンターをし、行政や地方という従来の企業変革の枠外でも挑戦しながら、「どうすれば誰もが簡単に使えるツールがつくれるか?」を模索してきた。

それが、本書を、事例や理論をまとめただけのビジネス書や、机上のあるべき論に基づくポエム本とも異なるものにしている。

 

会社でも、役所でも、学校でも、NPOでも、あるいは家族でもいい。

いかに組織を作り、変化させ、チームをエンパワー出来るか、という普遍的な難題を解くための具体的なヒントが本書では提示される。

本書は、組織変革という大上段なテーマでなくとも、自分や他者について「現状を変えたい」と願うあらゆる立場の人の糧になるのではないか。

手に取って頂ければ幸いである。

 

 

 

181週目:「弱者のチーム戦略」の鬼門

今週はブログが書けないのではないか、というくらい忙しい(日曜夜の現在も進行形)。

ただ、忙しいを理由にしないと年初に決めたので、少しくらい書いてみる。

今週えらく忙しいのは、先週、勇んで書いたこの記事が発端といえる。

 

tombear1991.hatenadiary.com

弱者のチーム戦略の趣旨は、プロジェクト計画を立てる際の工数のブレ幅を見越して、柔軟なチーム構成で定期的に進捗・優先順位を変え、冗長性を極力薄くしてリソースを最大限活用する、というもの。

だが、この戦略には弱みがある。同時多発的にトラブルが起きた場合に、冗長性がないためプロジェクトのいづれかを犠牲にしたり、チームに相当な負担がかかることだ。

今回の場合は、プロジェクトの締切が二か月早まる(5月末→3月末)という土壇場でのどんでん返しで、すっかりバランスを失ってしまった。 

色々な反省もあるのだけれど、プロジェクト2本程度なら冗長性を極薄でも何とかなるが、現状5本同時に走っているような状況だと、あっという間に状況が悪化するというのを体感した。

幸いにも無事に鎮火できそうだが、もっとアクセルを踏めるんじゃないかと半ば楽観視していた時だけに、教訓的な意味を感じている。

プロジェクトを複数走らせながら冗長性を薄くしたときに、ボトルネックになりやすいのは、実は自分だった、ということに考えが至っていなかった。

この一週間余りは火消に専念しつつ、今後のアプローチを調整したい。

あと、いい加減、アナリスト的なワークストリームを持つのをやめようと思う。

「マネージャーはマネジしろ!」というハロルド・ジェニーンの言葉を思い出した。