ケニアスタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。。

いつ起業すべきなのか?

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「いかに自分の市場価値を最大化できるか」という問いが、好景気を背景にした転職ブームもあってかあふれている。
いかに自分にユニークな価値をつけて、市場価値のある人材になれるかが強調され、独立しろとか副業しろとか起業しろとか、煽られまくるのが、今の20代・30代な気がする。
 
僕はといえば、この「自分の価値を最大化する」という安易な言葉は一体何なのか、起業するのとプロフェッショナルでいることはどう違うのか、このあたりのフワッとした感じが気持ち悪く、そうした議論とは距離を置いていた。
ただ、実際問題としてこれからどんな人生を送るのか考えるうえで、「いつまでにどんな仕事・役割をしていたいのか」というのは大切な問いなので、この一見フワッとしたトピックについて考えてみようと思う。
言い古された内容かもしれないが、あくまで思考整理と思ってご容赦ください。
 

個別スキルは足切りでしかない

まず、「客観的価値」は決して積み上げられるものではないということだ。
点数が高ければいい大学に行ける的な、「スキル取得=価値向上」の図式は、人材のトップ層においては足切り要素でしかなく、特異な価値にはならないのである。
そして、知らなきゃいけないことを猛烈にキャッチアップするだけでは、土俵に立つまでしかできず、そこから先の「差別化要素」を10年以上も経験差のある先人たちと競いながら作り上げないといけない。
(このいい事例が、実力主義のファイナンスであっても、ある程度の結果的年功序列が見られる。知り合いのファンドマネージャーは、年長だから偉いのではなく、優秀さで差がそこまでない場合、経験年数が多いほうが優れた判断ができるからだと言っていた)
 

組み合わせによる希少性向上

さて、優秀な人同士の競争が純粋な頭脳や定型化されたスキルで勝ち抜けないとなると、次に注目されるのが「組み合わせ」による希少性の向上だ。
例えば、公認会計士の資格を持っている人は相当数いても、ベンチャーのCFO経験のある会計士ははるかに少なく、IPOまでやったことのある会計士CFOはさらに少なくなる、といったように経験・スキルの組み合わせを使って、確率論的に希少性を高めることができる。
これは、大手の企業で出世するのではなく、独立したプロフェッショナルとしてキャリアを歩む場合に、有効とされる方法だ。
僕自身も、総合商社で転職していた際に、「インパクト投資」と「金融投資」さらに「ハンズオンのNPO」経験を理由に、本来必要な修士号なしで国際機関からオファーが来たことがあった。
各領域のTop Tierに入るのは難しいし時間もかかるので、若者のフットワークで面白くて相関性がありそうないくつかの領域で動き回ってみると、案外2-3年でも十分な差別化要素になる。
こうした領域間の掛け算と各領域の深堀りを続けていくと、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」に出てくる「あの人にしかできない仕事」的な世界が見えてくるのだろう。
 

スキル確率論の限界

で、ここで今自分が疑問に思うのは、「スキル確率論的な市場価値向上の限界はどこなのか?」ということだ。
具体的に言い換えると、世界長者番付に載っている人たちは、自分よりスキル確率論的に優れた人たちを雇いまくってはいても、彼ら自身のスキル希少性が必ずしも圧倒的というわけではなさそうなのは、なぜなのか?という問いになる。
例えば、孫正義は「孫正義」という人物だけの価値で評価し、新しい会社のお雇いCEOにする場合に支払われる金額と、ソフトバンクグループという企業・投資グループを率い、世界中に強いネットワークを持つ稀有な事業オーナーとしての価値は、桁がいくつも違うだろう。
プロ経営者と起業家の違いともいえる。
(念のため、厳密に考えるなら、経営者としての判断能力や情報ネットワークなどは確率論的なスキルであり、彼がソフトバンクで20年作り上げてきたチーム、インフラと資金力がアセットなので、彼はどちらの点でも世界トップクラスにいるといえる)
 

アセットの複利効果

この疑問に答えるカギは、おそらく「アセット」の概念だ。
資本主義社会において、大資本が、小資本ができないことをやることで、事業間の格差を広げていく、「規模の経済」の原則が、人の価値にも働いている気がする。
 
「スキル確率論」はあくまでも「個人」を単位とした考え方だ(人脈などのSocial Capitalもあるにはあるが、それを使いこなせるのは当人のみで、その周辺の人にも効用が及ばない点において、やはり個人が基本単位だ)。
一方、長者番付なりランキングで世界最高レベルにいる人たちは、自分で自分の事業を興した人たちで占められており、彼らにとってのアセットは間違いなく「個人+事業」のコンビネーションである。
 
とすると、卓越して、ユニークなスキルセットを持つ人であっても、その人のアセットは1人分の能力でしかなく、一方の事業家は凡庸かもしれないが数百人でも数万人でも人を雇って彼らのアセットとすることができるのである。
スキル確率論の難点は、このアセットの拡大可能性の少なさにある。周りを巻き込むスキルはあっても、事業経営ほどにシステム化することは難しいし(時々プロフェッショナル間で気の合う優秀な仲間同士で仕事を回している事例は耳にするが)、常に自分のスキルの延長上として他人をコントロールするは結構難しい。
つまり、振り回せる人数もコントロールできることのスケールも、 事業家の方がプロフェッショナルより遥かに大きく、したがって生み出せる収益も多くなる。
 
したがって、10億円稼いでいる経営者はそれなりにいるが、10億円稼いでいるプロフェッショナルはほとんどいない。
これは、能力の差というよりも、事業というアセットを所有していることで、コントロールできる範囲が大きくなり、影響力も増す、という純資本主義的なロジックだ。
さらには、アセットというのは複利で増えていくので、時間をかけることで急成長していく。
スキル確率論とは真逆だ。
大経営者や事業家が何十年も仕事をしているのは、成功したからやっているのではなく、何十年もやっているから成功しているといえるのかもしれない。
 

So What?

ここまで考えると、価値最大化を目的にするならば、スキル確率論で希少性を高めるプロフェッショナルは、時間をかけて自分のコントロールするアセットを増やし続けてきた事業家にはかなわない、という聞いたことのある話に行きつく。
 
もう一歩突き詰めれば、「スキル確率論」的なキャリアと「アセット拡大」的な起業志向は、背反ではないのでどっちも使ってみることだってできる。
 
スキル確率論的なキャリアは、短期間で効率的に頭角を現す(業績を上げて注目されたり、高い給料を20代でもらったりする)上で重要だが、ある程度まで上がってしまえば価値向上スピードは下がり、Plateauしていく。
一方、アセット拡大論的なキャリアは、複利的な増え方をしていくので、最初はあまり急成長していないようにみえても、キャリア終盤までコミットした先には、スキル確率論でたどり着けないレベルまで価値を高めることができる(世界を征服したかのように言われるGAFAでさえ10年選手以上だ)。
 
とすると、理論上は、キャリア序盤でスキル確率論を使って急上昇し、組み合わせによる価値向上が鈍化したタイミングで、起業するなりして自分のアセットを作り始めることで、うまくS字カーブをつくれるはずだ。
昨今話題の、「マッキンゼー・ゴールドマンをやめて起業」はこのS字カーブの好例である。
 
では、このSカーブの折り返し地点はいつなのか。
これは、個人の勝負する領域とタイミング次第で、正解はなさそうである。
「やってみないとわからないのが起業」という声と、「やってみたら経験不足であっというまに身動き取れなくなった」という声のはざまで、最後は「エイヤっ」と決めることなのかもしれない。
本人の適正とそして人生で成し遂げたいことの意図をクリアにして初めて、そのゴールに合った道筋が見えるのだろう。
悩ましいところである。