ケニアスタートアップ日記

ケニアのスタートアップで企業参謀。米ブラウン大→三菱商事→ケニア。。

Komaza 98週目:瀧本先生の訃報に接して

My title
瀧本哲史先生の訃報が、あまりにも衝撃的で、まだ調子が戻らない。
留学時代からニュース記事や著作を通じて刺激をもらい、いつかはきっとお会いしたいしできるだろうと期待していた、むしろ会えるように頑張りたいと思える数少ない先達だった。
直接師事したわけではないので、先生の業績やメッセージについて語るべくもないけれど、大学時代からずっと先生の本を読んで、決断の糧にしてきた。
Mediocreな意思決定をしたくなる度に、自分を奮起させる言葉を先生の本に探していた。
 
僕にとって瀧本先生の思想は、現代の福沢諭吉のようなものだと思っている。
技術や変化が激しい時代には、「何のために学ぶのか?」、「どうやって生きるのか?」という根源的な問いが大切になる。
各々が自分なりの仮説をもって挑戦しないといけなくなり、そのやり方次第で成功も没落もするときに、どうのように根源的な質問に答えるのか、誰もが思い悩む。
ましてや、主流派を歩んできた「エリート」にとっては、どこまでが踏襲していい世界で、どこからが新しい世界なのか、見極めるのが難しい不安な時期でもある。
そのヒントを、明治維新の立役者福沢諭吉は「学問のすすめ」(当地の道具から実学へ移り行く学問)や「文明論之概略」(社会における文明という規範の変化)で、若者にもわかりやすく伝え、教壇に立った。
瀧本先生の「僕武器」はまさしく「学問のすすめ」の21世紀日本版であり、同時に、瀧本ゼミという研鑽の場は慶應義塾のような教育の場になっていたのではないかと、僕は勝手に想像している。
 
この記事を書きながら、感傷的になったりしたりしていたけれども、瀧本先生の遺された思想や感化を受けた仲間(これも勝手な妄想だが、多分気が合う)といかに未来を作れるかに、僕は心を向けねばならないのだと感じる。
瀧本先生という良識ある大人であり、優れた教育者であり、卓越した思想家を失った日本を悲しむのではなく、社会にとって有為な成果を残していくことこそが、追悼であり感謝なのだと思う。
人生は短い。できることをとことん悔いなくやっていきたい。
寄り道せずに、直球の問いをぶつけ続けたい。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。